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第6章 奈落の底に囚われる

22 ヤバヤバの王様

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 綾那から投げかけられた言葉に、颯瑛は「やはりそうか」と言って、ソファの背もたれに全体重を預けた。

 人との対話が面倒くさいとか、言っても信じてもらえないとか、不貞腐れている場合ではない。
 そもそも、周囲から誤解されている事に気付いていながら何も行動を起こさないなど、どうかしている。

 無言のまま天井を見つめる颯瑛に、綾那は続けた。

「あの、颯瑛様。面倒くさくてもちゃんと話しましょうよ。私とは、こうして普通にお喋りして下さるじゃないですか……どうして他の皆さんとは――」
「君は当時の事を知らないし、私の話をひとつも疑わずに受け止めてくれるから……そもそもじゃあない。人とこんなに長く話したのは、数年ぶりだ」
「いや、正妃様だって――信頼をなくしてしまった発端、そこからして誤解なのだと根気強く話せば信じてくれますよ。己の目で見て、耳で聞いた事を信じる方なのですから」

 綾那の説得を受けても、颯瑛は首を横に振った。

「――あの日、幼かったのは私だけじゃない。羽月さんだって、まだ十七歳だった。恐らく彼女もあの日のことがトラウマになって、心に深く根付いてしまっている。それを取り除くには、並大抵の『根気』じゃあ無理だ」
「でも、このままでは正妃様ともすれ違ったままです。頑張ってなんとかしましょう」
「なんとか出来るものなら、もうやっているよ……二十三年も前のあやまちだぞ、それを今更正すなんて」

 颯瑛は組んでいた足を崩すと、ソファからずり下がるようにしてだらけきった格好になった。
 その姿はまるで、教師や母親に説教されても「はいはい、分かりましたー」と生返事して一切反省の色を見せない、問題児のようだ。

 色々と話して綾那に気を許した証拠なのかも知れないが、国王のだらけた姿を見せられる身としては、なんとも複雑な気持ちにさせられる。
 図体ばかり大きな『子供』に苦笑いすると、綾那はめげずに語りかけた。

「あの、恐らく颯瑛様は、本当に至る所で誤解されています。それは颯月さんや、竜禅さんの事だけでなくて……先ほど見ていて思いましたけれど、維月殿下に対する態度も冷たく感じました」
「――そ、そんな馬鹿な。維月も間違いなく、私にとって可愛い息子だ。あの子は羽月さんに似て聡明だから、きっと言われずとも物事の本質を理解できると思う」
「いやそんな、超能力者じゃあないんですから……そもそも態度だけで察するにしても、よい判断材料がないです――表情も硬いですし」
強張こわばっているか? だが維月と話す時は顔に力を入れていないと、だらしなく笑ってしまいそうでダメなんだ」
「いや、その、強張っていると言うか……い、一体どんな教育をされたんです? 王様が感情を露にするのって、そんなに悪い事なのでしょうか――朗らかに笑う王様の方が、よくないですか?」

 綾那の問いかけに、颯瑛は「良い悪いではなく、私は親から表情を変えるなとしか教わっていない」と答えた。

 国王は国の象徴、「表」で言うところの天皇である。
 現代を生きる天皇の姿を思い浮かべれば、公務の際には、いつも日本国民に向けて弾けんばかりの笑顔を見せてくれる気がする。
 柔和な笑みを浮かべて、手を振って、人前で笑顔を絶やさない。そんなイメージが強い。

 ここリベリアスが日本の真下にあって、文化も日本に寄せて設定していると言うならば――別に王様が笑顔を振りまいたって、良いではないかと思う。
 今は感情表現豊かな維月も、いずれは颯瑛のように、無表情がデフォルトになってしまうのだろうか。

「あの、多分にも思いもよらない訳があるのでしょうけれど……維月殿下が颯月さんと関りを持つといつも顔を顰められるのは、何故です?」
「……その話をするには、君に私の『頼み事』を伝えねばならなくなる」
「あ、はい、どうぞ」
「………………狡いと思って」
「ず、ずるい?」

 綾那が問いかけると、颯瑛は億劫そうにソファに座り直して――どこか気まずげな表情で口を開いた。

「だって、私は颯月と関われないのに……維月だけ狡い、私も彼と仲良くなりたい」
「仲良く――」
「別に、今更父親面がしたい訳じゃあない。誤解が消えれば良いのにとは思うが、そこまで都合のいい事は望んでいない。私はただ、彼の荷を下ろしたいだけだ。あの子が眷属に呪われた事は、輝夜さんの死と関係ないし……私も、その事を恨んでいない。生母に命懸けで守られたなんて、美談でもなんでもない……彼を苦しめるだけだから」
「それが、頼み事ですか?」
「ああ。何せ君は、颯月と仲睦まじいと噂の雪の精だ。私と彼の仲を取り持つなど、造作もない事ではないかと」
「……私は、ただの雪だるまなんですけれど」

 綾那とて、この父子のこじれた関係を修復する手助けができるならば――それが他でもない颯月のためになると言うならば、尽力したい。
 しかし尽力したところで、二十三年物の熟成しきった誤解をそう簡単にほどけるはずもない。

 過度な期待を掛けられてなんとも言えない顔をする綾那に、颯瑛はフッと笑みを零した。

「君が雪だるまなら、尚更頼みたい」
「え……」
「言っただろう、絵本に出てくる雪だるまは良いヤツなんだ。寒冷な気候でなければ姿を保っていられないのに、雪だるまはリベリアスの各地へ赴いて、人助けに勤しむ。元は私ほどあった身の丈は、見る見るうちに縮んでいって……最後には消えて無くなってしまう。しかしその後、各地で助けた人間の感謝の祈りによって、美しい雪の妖精として生まれ変わる。相変わらず暑さには弱いものの、熱で体が溶けて死ぬという弱点は見事に克服された。……自らの犠牲を厭わず、人のために身を砕ける――そういう立派な人間になれという教則本だな」

 小児向けのいかにもな内容に、綾那は感心した。
 そう聞いてみると、『雪だるま』と揶揄されるのも悪くはないのかも知れない――とは思うが、しかし澪が言うアレは、明らかに内面ではなく外見の話である。

 颯瑛は、うーんと思案する綾那を真っ直ぐに見つめた。

「――ただ、君が溶けて消えてしまうと、颯月だけでなく多くの人間から恨まれそうだ。だから無理強いはしない。私と関われば関わるほど、君だけではなく周囲の者にも負担がかかるだろう? ……君の笑い顔で輝夜さんを連想するのは確かだし、もし颯月よりも先に私が君を見付けていたら――もしかすると本当に、閉じ込めていたかも知れない。これだけ強硬な手段をとっておいてなんだが、悪戯に不安を煽りたい訳ではない」
「颯瑛様は……私が側妃様の生まれ変わりだとは、思われないのですか?」

 正妃からは、真っ先に生まれ変わりを疑われた。
 しかし颯瑛は、言葉の端々に物騒な気配を漂わせながらも、落ち着き払っているように見える。まあ、そもそも感情表現が乏しいから本心が分からない――というだけかも知れないが。

 首を傾げて颯瑛に問いかければ、彼はどこか寂しそうな笑みを浮かべて左手をもたげた。その薬指には、黒曜石のような魔石が輝く指輪が嵌められている。

「もし君が、輝夜さんの魂を受け継いでいるなら……はおかしい」
「黒? 魔石の色ですか? その指輪は、輝夜様とした「契約エンゲージメント」なのですね」
「ああ」
「輝夜様は、なんの魔法が得意だったのでしょう。『闇』……では、ないのですか?」
「闇は悪魔と、悪魔憑きにしか使えないと言われている。まあ、探せばそういう人間も居るのかも知れないがな……輝夜さんは副長と同じ、『水』が得意な人だった」
「――あれ? でしたら、青色でないとおかしいのでは……」

 竜禅の目は、海のような深い青色をしている。
 瞳の色には魔力が現れて、魔石も同じ色に染まるのだから――あの指輪が輝夜と「契約」したものだと言うならば、黒ではなく青になるはずだ。

 不思議そうな顔をする綾那に、颯瑛はやや考えてから「ああ」と、一人納得するように頷いた。

「そうか、異大陸出身と言う事は魔力ゼロ体質だな。「契約」についても詳しく知らないのか」
「あ、はい。魔法については知識が全く――」
「元は青色だった。この黒は……「契約」を行使した者の死を意味する。君のソレは、決して外れないだろう? しかし私の指輪は、こうなってしまうと――」

 難なく薬指から指輪を抜き取った颯瑛に、綾那は「あっ」と声を上げた。
 指摘通り、綾那の指輪は何をしても外れないし、壊せない。何せ、「怪力ストレングス」を使って破壊を試みても、ビクともしなかったのだ。

 まるで騙し討ちのような手法でこの指輪を嵌めた颯月曰く、例え指を切り落としたとしても、魔法の効力は失われないらしい。
 目に見える効果だけではなく、が繋がるのだと言っていた。

「もうこの指輪に――輝夜さんの「契約」に、私を縛る力はない。そもそも「契約」というのは、単なる婚約魔法ではない。婚約と言えば聞こえは良いかも知れないが、アレは魂の隷属魔法だから」
「隷属?」
「ああ。一生涯……死して尚、魂を捧げるという隷属契約の魔法だ。だからもし君が輝夜さんの生まれ変わりなら、黒のままはおかしい。彼女がこの世に戻って来たなら、きっとまた指輪に色がつく。あの人の魂は、今も私のモノのはずだから」

 指輪を眺める颯瑛に、綾那はほうと感嘆の息を吐いた。「隷属」と言ってしまうと穏やかではないが、しかし死んでも変わらぬ愛を誓う魔法とは、ロマンチックである。

「凄い――そんな事が起きるのですね」
「…………いや、起きない」
「えっ」
「過去そう言った事例はない、そもそも生まれ変わりなんてないんだろう。だから輝夜さんは二度と帰って来ないし、彼女の代わりも居ない。皆、私の事を頭のおかしい人攫いのように思っているようだが……そこまで聞き分けのない男ではない。それくらい、ちゃんと理解できているよ」

 颯瑛はそう言うと、小さく肩を竦めた。彼は自身の評価もそれなりに理解できているらしい。ただ理解はできていても、自身の力だけでは事態を好転できないのだ。

(度を越えた口下手と、本心が分かりづらい態度のせいで――)

 緊張して態度が素っ気なくなるにしろ、可愛さ余って冷たくなるにしろ、難儀な性質である。その上対話を面倒くさがるし、不貞腐れるし、拗ねて匙を投げやすい。
 渚もよくツンデレなんて言われているが、コレはそんな生易しいものではないだろう。

 教会で竜禅がごねた時だって、途中から対話が面倒くさくなって悪役ぶったに違いない。そうすれば周囲のイメージ通りで逆に疑いが晴れるし、相手にも「対話するだけ無駄だ」と思わせて話を切り上げられるからだ。

 彼は当時の事を知らない綾那だからこそ、話しやすいと言ってくれたものの――恐らく他の者からすれば、「全部誤解だから、父子で仲良くすべき」と提言しても、「何も知らない部外者のくせに、無責任すぎる」と言ったところだろうか。

 何をするにも、颯瑛の行動と本心が合致していないのが一番の問題だ。少し話したくらいでは、彼の人となりに対する理解が足りない。
 綾那は頼み事を受諾――あるいは拒否する前に、質問を重ねた。

「颯瑛様が新たに定めた法律……あれは、どういった思惑で定められたのでしょうか?」

 リベリアスの女性は、正当防衛を除いた一切の戦闘行為を禁じられている。
 竜禅や颯月から聞いた話では、輝夜を喪った際のショックが原因らしい。肝心の輝夜は居なくなってしまったが、か弱い女性を守るべく、下手に眷属や魔物に立ち向かって死ぬ事がないように――と。

 颯瑛は、何故いきなりそんな事を聞くのかと不思議そうに首を傾げながら答えた。

「羽月さんを守るためだ」
「……あれ?」
「うん? なんだ?」
「いえ――いえ……? 正妃様を守る、とは?」
「羽月さんと輝夜さんは、比較されるたびに真逆だなんだと言われていたが……根本は似ている――死ぬほど気が強い」
「死ぬほど気が強い」
「そのくせ魔力が強いかと言えば、そうでもない。だから、いつか輝夜さんみたいな事になると困る。羽月さんまで儚くなってしまったら、私はもう生きていけない。戦うなという戒めをつくったのは、そういう理由だ。彼女は気は強いが、には逆らわないよう育てられているから。輝夜さんと違って、私の意思を尊重してくれる――まあ、颯月の事だけは渡してくれなかったが」

 淀みない答えに、綾那は「……なるほど?」と言いつつも、頭上に『?』を飛ばした。何やら、事前に聞いていた話と随分違う。

「ええと……側妃様のお顔が分かる資料を全て隠された、と言うお話を聞いた事があるのですが――」
「それは事実だ。彼女は多くの者に慕われていたが、同時に妬まれてもいた。生前の傍若無人振り……ああいや、私は彼女のそういう所も愛していたが、とにかく、領民からも恨みを買っていた」

 その言葉に、綾那は脳内で各所で暴力沙汰と脅迫を繰り返していたせいかと納得する。

「写真や絵姿に悪い事をして、憂さ晴らしをしようとする者が少なからず居た。故人――それも私の側妃にそんな不敬を働いているのを見て、平静でいられるほど大人じゃなかった。ただ、全員罰しているとキリがないし、目も手も届かないから……彼女の姿が分かる現物の方を取り上げたんだ。輝夜さんの写真や絵を所持しているだけで首を刎ねるぞ、全て私に引き渡せと。輝夜さんを喪ったショックで気狂いになったと囁かれていたから、皆面白いほど素直に手放してくれたよ」
「どうして、そこで更に誤解を深めるのですか……! ますますヤバヤバのヤバですよ、そんな王様!!」

 綾那が頭を抱えると、颯瑛は「ヤバヤバの……?」と言って、首を傾げたのであった。
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