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第6章 奈落の底に囚われる

18 まずは信頼を

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 案内されたのは、白壁とよく調和した白木の大きな扉だ。どうやらこの先が国王の書斎らしい。
 維月は一度綾那の顔を見下ろすと、心の準備は良いか――と問うように首を傾げた。綾那が小さく頷けば、彼は白木の扉をノックする。

「部屋に掛けられた防音魔法のせいで外からは中の様子が分からない。最悪の場合は、なんとかして部屋の外まで出て来るんだ。俺はここで、義姉上が出てくるのを待っているから」

 僅かに腰を折って綾那の耳元に唇を寄せた維月は、「義兄上ほどではないが、俺も魔法は使えるから……義姉上を逃がすぐらいはできると思う」と囁いた。
 共に暮らす実の息子でさえ、王について警戒するとは――こちらも少しくらいは、危機感を抱いた方が良いのだろうかという気にさせられる。

 しかし綾那は、危機感よりも先に一種の感動を覚えてしまった。

(うーん……巡り巡って「颯月さんのため」っていう事は分かるんだけれど、でも――なんだか、こうして先輩に心配してもらえるのは嬉しいな)

 神子として生まれすぐさま国の機関へ預けられた綾那には、四重奏の他に家族と呼べる存在が居ない。
 いや、正しくは日本のどこかに居るはずだ。血の繋がった産みの両親も、もしかすると綾那が知らないだけで、陽香のように兄弟だって居るのかも知れない。ただ、誰も迎えに来てはくれなかったというだけの話だ。

 今後渚と合流して、彼女の許しを得られたとして――本当に颯月と結婚したら、維月は綾那にとっても義理の弟となる。今は颯月の。まるで付属品のような扱いだが、ゆくゆくは本当の家族、兄弟になれる日が来るのだろうか。
 そうして家族が増えるのは、本当に嬉しい事だ。

 綾那は小さく笑みを漏らすと、間近にある維月の頬に自身の頬をぴったりとくっ付けた。
 突然の事に維月はバッと頬を押さえて、綾那から飛び退くようにして数歩距離を取る。

「――はっ!? なん……!?」

 可哀相なほど動揺している維月に、綾那はにっこりと邪気の無い笑みを浮かべて「行ってきますの挨拶ですよ!」と言って手を振った。
 維月は紫色の瞳を真ん丸くさせて――こういう表情をしていると、年相応に見える――唇を戦慄かせると、びしりと綾那を指差した。

「な、何故こんな真似を!? 俺を義兄上と仲違いさせるつもりか!!」
「――えっ、海外式の『家族の挨拶』って、こういうモノなのでは……?」
「海外式!? なんだそれは……いくら義姉上が異大陸出身だからと言って、やって良い事と悪い事があるだろう! 誰彼構わず誘惑するな!?」
「そ、そんな、誰彼構わずこんな事しませんよ……維月先輩とはいずれ義兄弟になるから、家族じゃあないですか」

 綾那は「海外ドラマに出てくる外人さんは、別れ際に家族や友達と頬っぺた合わせるどころか、チューだってしてたのに」とぼやき、首を傾げた。

 そもそも「表」か「奈落の底」かの違いであり、別にリベリアスは海外ではない。まあ、「表」の深海を超えた先にある世界なので、ある意味『海外』と呼べるのかも知れないが。

(シアさん曰くここは日本の真下にある国で、設定も日本に寄せてつくってるから……こういう文化には馴染みがないのか。目鼻立ちがハッキリした人ばかりだから、ついつい忘れちゃうなあ)

 スキンシップに動揺し戸惑う維月を見て、綾那は嫌われてしまっただろうかと眉尻を下げた。
 すっかり意気消沈して「驚かせてごめんなさい、もうしません」と肩を落とせば、維月はグッと言葉を飲み込んだのちに何か言いかけた――が、しかし白木の扉ががちゃりと開いたため、慌てて口を噤んだ。

 扉の向こうから顔を出したのは、もちろん国王である。彼は相変わらずの無表情で綾那の姿を認めると、片手で扉を押さえて「どうぞ」と呼び掛けた。

「あ、えっと、お邪魔します! 大変お待たせしました」
「……いらっしゃい。いや、予想より随分と到着が早かったよ。全員、きっと君を死に物狂いで引き留めると思ったから」

 国王は言いながらちらと維月に視線を送ると、僅かに首を傾げた。

「維月。珍しく騒いでいたようだが、何か問題でもあったのか」

 維月に問いかけた男の声色は、綾那が相手の時よりも随分と硬く冷たいように感じた。成熟しているように見えても、まだ十三歳――保護されるべき子供と言える年齢の息子を相手にしているとは思えない。

 維月は途端に表情を引き締めて姿勢を正すと、機敏な動きで頭を下げた。

「申し訳ありません。少々、義姉上とはしゃいでおりました」
「………………?」
「――あっ」

 途端に、無表情だった国王が分かりやすく眉をひそめた。維月は「やらかした」という顔つきになり、ますます頭を低くする。

「いえ、違います。す、すみません……俺と義兄あにう――騎士団長は、家族関係にないのに……」
「…………はあ。もう良い、下がりなさい」
「――はい」

 顔を上げた維月は、綾那の顔をちらと窺った。その表情は強張っていて、何事かを恐れているようにも見える。
 綾那は微かに笑うと、小さく手を振った。
 彼はどこか、困ったような複雑な笑みを浮かべたが――しかし書斎の扉が閉まる瞬間、控えめに手を振り返してくれたのが見えた。


 ◆


 国王の書斎も、やはり部屋が広いというだけで置いている家具家財は質素だった。

 壁一面を本棚が埋め尽くしている点は、颯月の執務室と同じ。王が使用する書斎机と、その正面には来客用なのか、一人掛けのソファ二脚がローテーブルを囲んでいる。
 本棚に並んだ厚みのある背表紙を見やれば、やはり仕事柄外せないのか、法律関連の本が大多数を占めているようだ。

 国王は改めて「どうぞ」と言って、一人掛けのソファを手で指し示した。綾那が腰掛ければ、彼は書斎机ではなく正面のソファに腰を下ろす。

「――無理を強いて悪かった。皆を不安がらせてしまっているだろうな」
「いいえ、そんな。だって、お話をするだけでしょう?」
「………………どこまで純真なんだ? もしや君はアレか、雪の精じゃなくて花畑からやって来た『何か』なのか? 少なくとも人間はない。もっと浮世離れした――超常的な何かだな」
「ええと……もしかして、馬鹿にしていらっしゃいますか……?」
「違う、褒めている……いや、呆れてもいる。どんな環境で育てられれば、初対面に近い人間をそこまで信頼できるようになるのか、私には分からない」

 無表情のまま小さく息を吐き出した国王に、綾那は苦笑いした。褒めていると言う割には言葉選びが鋭く、容赦がない。

 まあ、綾那自身「表」でも「何をされたら怒るのか」「少しは人を疑え」「これだから「怪力ストレングス」もちは」などと、散々言われてきた。今更気にする事でもないだろう。
 綾那は背筋を正すと、気を取り直して咳払いした。

「それで、お話というのは――あと、何か頼み事があるとも仰っておられましたけれど……」

 国王はゆっくりと瞬きをすると、長い足を組んで綾那を見た。

「頼み事を言う前に、君は私に、聞きたい事があるのではないか? まずは君の質問に答えよう。君は元々、他人を疑わないタチのようだが――普通『交渉』するには、信頼関係を築いてからだろう」

「君の気が済むまでどうぞ」と続けた王の提案に、綾那はきょとんと呆けた顔をした。
 確かに色々と分からない事だらけで、王には聞きたい事だらけだった。しかし信頼関係など、高い地位に居る王からすれば、築こうが築くまいが関係なさそうなものなのに。

 それをわざわざ、時間を割いてくれると言うのだから――彼は綾那と真剣に向き合おうとしてくれているに違いない。
 綾那は頭の中でいくつか質問を考えると微笑んで、やがて口を開いた。
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