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第6章 奈落の底に囚われる

17 正妃のアドバイス

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「――綾那!!」

 正妃のよく通る声が廊下に響いた。その声色にはいつもと違って、全く余裕がない。
 綾那が維月と共に振り返れば、正妃はヒールの音を鳴らしながら足早に近付いてくる。

「こんばんは、正妃様。お邪魔しておりま――」
「お、お前ね! そんな悠長な挨拶をしている場合ではないでしょう!?」
「わあっ」

 正妃は綾那の両肩をガッと掴むと、一体その細腕のどこにそんな膂力りょりょくが? と思うような力強さで、ガクガクと揺らした。
 維月は変に巻き込まれると危惧したのか、知らぬ間にちゃっかりとエスコートの腕を外している。

「どうして颯月の傍を離れて暮らしていたのよ、まさか悪魔憑きの教会に身を寄せていたなんて! せめて事前に報告してくれれば、私だってあんな馬鹿な提案しなかったのに……!!」
「へ? あ、あの……正妃様?」

 彼女がなんの話をしているのか理解できず、綾那は目を白黒させた。そうして訳も分からず揺さぶられる様を見かねたらしい維月が、横から助け舟を出してくれる。

「母上。義姉上にも分かるよう、順を追って話して差し上げてください」

 正妃はグッと眉根を寄せると、ようやく綾那の肩から手を離した。

「そもそも、陛下に教会の視察をするよう勧めたのは私よ」
「えっ」
「あの夏祭りの日――魔法封じによる街の混乱を防ぐために、幼い子供達が見事な合成魔法を打ち上げてくれたじゃない。しかもあそこに住むのは、颯月と同じ悪魔憑きでしょう? 聞けば、あの子が魔力制御の特訓をした結果打ち上げられるまで成長したと――だから、いくら勘当している息子の関係者だとしても、王として最低限の礼は尽くすべきだと進言したの」
「正妃様が? で、でも、教会は颯月さんがよく足を運ぶ場所ですよ。もし彼と国王陛下が鉢合わせたら――」
「颯月は仕事が立て込んでいると宿舎から出ないし、綾那の事も絶対外に出さないと高を括っていたの。それなのに、まさかお前を教会へ隠していたなんて……それを知っていれば、私だって「教会へ行ってみては?」なんて進言していないわよ。仕事の忙しさにかまけて颯月が報告会をサボるから!」

 クッと悔しげに顔を歪めた正妃。綾那は、数日前に颯月が「正妃サマはたまに、とんでもない事をしでかしてくれる」なんて評していたな――と、遠い目をした。
 そのの発生を恐れて、わざわざ教会へ身を寄せたのだ。しかし、まさかそれが裏目に出るとは上手く行かないものである。

(じゃあ、そもそも陛下が教会を訪れた理由は……正妃様が「夏祭りの功労を」って話した結果だったんだ)

 夏祭りの日――悪魔ヴェゼルが、ルシフェリアに構ってもらえないからと自棄を起こした日だ。
 あの夜、ヴェゼルが街中へ放った魔法封じのせいで局地的に停電してしまった訳だが、ルシフェリアの予知含む助言と陽香の機転によって事なきを得た。
 悪魔憑きの子供と静真に、「停電したら混乱を避けるために、その真上へ合成魔法――「表」でいう花火だ――を打ち上げてくれ」と頼んだのだ。

 お陰で領民は停電よりも夜空に打ち上がる花火に夢中になり、魔法が封じられる非常事態を悟らせずに済んだ。確かに、それは褒められるべき行動である。
 国王が直々に訪れるというのは、なかなかぶっ飛んでいるとは思うが――礼の一つや二つあっても良いだろう。

 まあ、それはそれとして、あまりにもタイミングが悪すぎるとしか言いようがないのだが。

「陛下は公式行事以外では市井しせいに降りないから、まず会う事はないだろうと思っていたのですが――」
「正にその、市井に降りない事が王宮内で問題視されていたのよ。陛下相手に表立って揶揄するような者はさすがに居ないけれど……暗に「国の象徴らしく、領民に顔見せすべきだ」とね。陛下も以前は――輝夜が亡くなる前までは、頻繁に街の様子を見に出向かれていたから。その落差たるや……良い機会だからと思って、最低最悪の進言をしてしまったわ」

 正妃は僅かに目を伏せると、「颯月に合わせる顔がない」と呟いた。彼女は酷く動揺していて、そして精神的に参っているようだ。
 あれだけ「王に見付かるな」と忠告していた正妃自身の行動によって、綾那が見付かってしまったのだ。それはショックだろう。

 綾那は苦く笑うと、不敬も忘れて正妃の身体をぎゅうと抱き締めた。
 細く折れそうな体が腕の中でグッと硬直したが、さりとて気にせず、慰めるように薄い背中をポンポンと叩く。

「陛下はお話がしたいだけと仰っていましたから、何も問題はありませんよ」
「何を呑気な――そんな訳がないわ。綾那お前、ここに呼ばれたという事は、陛下に笑い顔を見せたのでしょう。輝夜そっくりのお前を見て、陛下が何も思わないはずがないじゃない。きっとこのまま颯月からお前を取り上げて、どこかへ幽閉してしまうわ――」

 正妃はパッと顔を上げると、綾那を真っ直ぐに見つめて「今からでも死んだ事にして、どうにか逃げられないかしら」と真剣な表情で告げた。
 どうしてこう、王族というのは――冗談にしろ本気にしろ――何かとすぐに死をチラつかせてくるのか。王族の死生観は一体どうなっているのだ。

 綾那はゆるゆると首を横に振ると、正妃から体を離した。

「ダメですよ。正妃様は陛下の意に添うのがお仕事なのでしょう? わざわざ逆らうような事はなさらないでください」
「――お前が、陛下に無体をされると分かっていても?」
「でも、されませんから」

 なんでもない事のように断言して微笑む綾那に、正妃は目を瞬かせる。

「どうして……どうしてそう言い切れるのよ、陛下は――」
「正妃様は、陛下を疑っていらっしゃる?」
「あの方は産まれたばかりの……生母せいぼを失ったばかりの颯月を殺そうとしたのよ? お産からあの二人が呪われて、輝夜が事切れるまで――その一部始終に立ち会っていた、私の目の前で。どうやって信じろと言うの……」

 そう話す正妃の顔は、普段の威風堂々とした彼女からは想像ができないほど弱々しかった。

(やっぱり、聞けば聞くほど陛下の事が分からなくなる)

 果たして綾那が実際に話した男は、竜禅や正妃が語るような恐ろしい人物だっただろうか。綾那が颯月について熱弁していた時、彼は確かに――あの表情の変化に乏しい顔を、少しばかり和らげていたように思う。
 口下手で表情が変わらず、ガタイが良すぎるせいで威圧感がある。そのせいか、ただ黙っているだけでも機嫌が悪そうに見えるし、あれでは周囲に要らぬ誤解をされても仕方がない。

 ――とは言え、せっかく話す機会を得たのだ。
 疑問に思う事を根掘り葉掘り聞いてしまえば良いだけの話である。綾那はふと目元を緩めて微笑んだ。

「――陛下は、どうしてそのような事をなされたのでしょう?」
「何を言って……そんなもの、颯月が――あの子を守るために、輝夜が死んでしまったから……憎くて仕方なかったのよ」
「陛下がそう仰ったのですか?」
「え……? いいえ、陛下は……元々極端に口数が少ない方なの。もうかれこれ三十年以上の付き合いになるけれど――あまり私とは話してくださらないから、表情や態度で察するしかないわ。輝夜が相手だと、多少は饒舌になったのだけれど」
「そうなのですね。では私、陛下に何故そのような事をなされたのか――その真意を聞いてきます。だけどどうせお話しするなら、颯月さんの事を「好きだ」と仰られた陛下が陛下だと良いなと思います。その方が、話していて楽しいでしょうから」

 ニッコリと屈託なく笑う綾那に、正妃は瞠目した。
 綾那は「もうかなりお待たせしてしまっていると思うので、そろそろ行きますね」と言って正妃に手を振る。すかさず維月が腕を差し出してくれたため、ありがたくエスコートを受けた。

 そうして「失礼します」と背を向けた綾那に向かって、正妃が声を張り上げる。

「――綾那! お前、素手でビアデッドタートルを討伐できるのでしょう!? 最悪、陛下が崩御されない程度に砕いてお逃げなさい! 後始末はこちらでなんとか付けるわ……!」

 そのぶっ飛んだアドバイスに、綾那は「あ、ありがとうございます……?」と複雑な表情で返した。その胸中はと言えば、「どうして先輩も正妃様も、ビアデッドタートルについて詳しいんだろう」である。

 そもそもいまだルシフェリアから「怪力ストレングス」を返却されていないため、今の綾那は無力にも程があるのだが――それはまあ、正妃の不安を煽るだけだから黙っておく事にした。
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