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第6章 奈落の底に囚われる

14 別れを惜しむ

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 綾那にとって、数日振りの騎士団本部――颯月の執務室。
 教会の静真には世話になった礼を、そして子供達には「急用が出きて、急いで帰らなければいけなくなったの」と断りを入れて、竜禅と共にここまで戻ってきた。

 ちなみに、国王は「後ほど騎士団長の執務室まで迎えを送るから、待っていて欲しい」とだけ言い残して、教会から姿を消してしまった。
 目を離した隙に、竜禅が綾那をどこか遠くへ避難させるとは考えないのか――とは思うが、恐らく颯月を人質にとっているような状態だから、逃げ出せるはずがないと高をくくっているのだろう。

 王は決して絶対的な権力を持っている訳ではないが、やはり王族に対する侮辱、不敬については、厳しい罰則を下せる法律があるようだ。

 今回ばかりは、颯月の口の悪さが災いした。
 綾那を『不審者』から守るために王宮へ招待すると言われれば、断れるはずがない。断るとすれば、理由は「お前がその不審者だからだ」になってしまう。
 そんな事を言えば最後、颯月に不敬罪が適用されるだろう――今は従うしかない。

 いつものように執務机に座った颯月は、机に両肘をついて俯き、頭を抱えている。机の上に積み重なった書類の山は、「ギャグなのか?」と思うほど大量で――それは、綾那が初めて目にする光景だった。

「――なんでこんな事になるんだ」
「だから言ったでしょう、目先の事に囚われれば大局を見失うと――やはり、街から出すべきだったんです」
「ふざけるな。あの人が教会を訪れるなんて、誰が思う? あり得ねえだろう……!」

 颯月が「そもそも禅がいきなり下心を出してくるから、こんな事になったんだろうが!」と、激昂したように握り拳で机を叩けば、上に積まれていた書類の束がバサバサと音を立てて崩れ落ちた。
 綾那はそれらを拾おうと慌てて床に膝をついたが、しかしすぐさま「綾」と呼ばれて顔を上げる。

 見れば、颯月が執務机から立ち上がり綾那の目の前までやってきた。彼はグッと眉根を寄せて綾那を見下ろすと、改めて「なんでこんな事に」と呟いた。
 綾那が曖昧に笑えば、颯月もまた床に膝をつく。そうして至近距離で見つめ合った後、堪えきれなくなったように綾那を抱き締める。

「レコーダーの記録を復元して、陛下との会話を聞いた。所々復元しきれずに、聞き取れない箇所も多かったが――陛下の笑い声なんて、生まれて初めて聞いた。絶対に綾に惚れてる、俺はもう気が気じゃあない」
「データ、復元できたんですか? でも、やっぱり魔具は壊れてしまったんですね……ごめんなさい」
「綾のせいじゃない。綾のせいじゃないが――陛下が綾に興味を抱くのは、間違いなくアンタが魅力的過ぎるせいだ。どうしてもっとセクシーを律してくれなかったんだ……!」

「あれだけ言っただろう!」と、責めるような口調でギュウギュウときつく抱き締められて、綾那は苦く笑いながら「たぶん、セクシーは関係ないと思います」と答えた。

 颯月の顔を見れば、目の下に薄らと影ができている。彼がクマを作っている所なんて、初めて見た。
 もしかすると、昨日正妃に新たな仕事を割り当てられてから一睡もせずに仕事漬けの状態なのだろうか。彼の活動時間は既に、四十八時間を超えてしまっているのかも知れない。

 綾那はそっと手を伸ばして、クマを撫でた。そうして口をついた言葉は、切羽詰まったこの状況下にはまるでそぐわない――「心配になるので、ちゃんと寝てください」だった。

 颯月はますます眉根を寄せて、抱き合う二人を眺めていた竜禅は、「綾那殿」と呆れたような声色で綾那の名を呼んだ。

「どうも、状況が把握できていないらしいな。王宮へ行くという事がどういう事か、分からないのか?」
「どういう――ええと。でも、国王陛下は「閉じ込めない」と仰っていましたよ。お話がしたいのと……あと、何か頼み事があると」
「口ではなんとでも言えるだろう。あなたも聞いたはずだ。あの方は最終的に颯月様を盾にとって、脅迫してきたではないか」

 竜禅の言葉に、綾那は「それは、確かに――」と口ごもった。しかし元はと言えば、国王の言葉をひとつも信用せずに、竜禅が要請を拒絶し続けたから――彼はそのせいで説得を諦めたようにも見えた。

「正直言って、あの方は――昔から何を考えているのか分からなかった。ただでさえ分からないのに、我が主が亡くなったショックで輪をかけてなられた。だから私は、何が起きても驚かない。監禁、凌辱、暴行、何が起きても――だ」

 竜禅は淡々と告げた。
 綾那は竜禅を信頼している。彼の話す言葉は嘘でも誇張でもなく、ただただ彼の知る王とは、きっとなのだろう。

(でも、あの面倒くさそうな……対話を途中で諦めるような態度が、すごく気になる)

 こればかりは、単なる直感だ。理論立てて訳を説明しろと言われても、不可能である。
 ただ、なんにせよ今の綾那に拒否権はない。王宮に行かないという選択肢はない、行くしかないのだ――であれば、直接王と向き合って知るしかない。

 誤解があるのか。それとも、単に王の頭がおかしいだけの話なのか。

(それに王様、颯月さんの事が「好き」って言ってた)

 これは最早、王がどうとか言う話ではない。綾那にとっては颯月の話なのだ。
 王と周囲の間に何かしらの誤解があって、颯月を勘当せざるを得なかったのだとすれば――その訳を知りたい。きっとこれは当事者ではなく、余所者の綾那にしかできない事だ。

 だからこそ王も、話がしたいと言ったのではないか。色眼鏡抜きで会話できる綾那と。

「………………もういい。禅、アンタ外に出て見張りしろ。しばらく誰も中に入れるな」
「――はい? 見張りですか?」

 颯月は低く呟くと、綾那を腕に抱いたまま立ち上がった。
 決して華奢とは言い難いのに、まるで小さな子供のように高く掲げられた綾那は――やはり颯月は、「身体強化ブースト」なしでも怪力らしいと再認識する。

 しかし感心しているのも束の間、途端に視界がぐるんと回って、気付けば綾那の身体はソファに沈み込んでいた。

「えっ」

 背中にはフカフカのソファの感触。目の前には、綾那の上から覆いかぶさるようにしてし掛かる颯月の姿。
 綾那は目をぱちぱちと瞬かせて、「もしや颯月さんが好き過ぎて、押し倒される白昼夢を!? なんて破廉恥な!」と己の脳の異常を疑った。

 そうしてソファの上で見つめ合う颯月と綾那に、竜禅は普段以上に硬質な声色で「……どうされました?」と問いかける。
 颯月は綾那から一切目を逸らさずに、やけに冷静な――冷静過ぎる声で答えた。

「陛下に汚される前に、今ここで俺が汚すしかない」
「――馬鹿なんですか?」

 颯月の言葉を、竜禅が即座に叩き切った。しかし颯月はめげずに眦を吊り上げる。

「っるせえ、放っとけ! ようやく見つけた俺の天使を、横から掻っ攫われて堪るか!? せめて陛下より先に、俺が綾の男になる……!」
「婚約者との婚前交渉は、正妃様から禁止されているでしょう。勢いに任せてそんな――後悔しますよ、止めておきなさい」
「嫌だ、陛下の手垢まみれにされる前に、俺の手垢をつける!」
「――私が思うに、陛下の寄こす『迎え』は正妃様だと睨んでいますが……それでも尚、この場で遂行すると?」
「バカ、やめろ禅! 呼び寄せるような真似をするな!! 言ったら本当に来るだろうが!!」
「なあ、綾那殿……黙り込んでいないで、ちゃんと嫌がってくれないか」

 ため息交じりに呼びかけられた綾那は、「へぁ!?」と奇声を上げる。そして頬をじわじわ赤く染めると、桃色の瞳を潤ませて、自身に覆いかぶさる颯月を見上げた。

「ひ……ひとつも嫌じゃあない場合は……汚して欲しい場合は私、どうすれば――?」
「……………………死ぬ」
「し、死ぬ……!?」
「頼む綾、何もしないでくれ。その目で見るのもやめてくれ、反射的に「魔法鎧マジックアーマー」を発動するところだった……俺はもうずっと、満身創痍だ」

 クッと眉根を寄せて呻く颯月に、綾那は「分かりました!」と答えて両目を閉じた。
 そうして至近距離で無防備な姿を晒したのが悪かったのか、颯月は結局、静かな声色で「魔法鎧」を発動させてしまう。

 綾那を押し倒したまま紫紺色の全身鎧に包まれた颯月に、竜禅は大きなため息を吐き出すと、「だからやめなさいと――ただ颯月様のヘタレを晒しただけではないですか」と容赦のない苦言を呈した。

 颯月は何か反論しようと顔を上げかけたが、執務室の扉がノックされて肩を跳ねさせる。

「恐らく、迎えでしょう。とにかく現状、抵抗する手段はありません……何か手を考えて、後日綾那殿を救い出しましょう」

 言いながら扉へ歩み寄った竜禅は、振り向く事なく「早く綾那殿の上から退いてください、お叱りを受けますよ」と忠告した。しかし颯月は首を横に振る。

「しばらく会えなくなるんだから、見るくらい良いだろう。俺はただ、愛する婚約者の姿を目に焼き付けているだけだ、何もやましい事はしていない」
「どうなっても知りませんからね」

 竜禅はまたため息をつくと、扉を開いて『迎え』を部屋へ招き入れ――ようとして、「あっ」と声を上げて固まった。
 彼の様子を不審に思ったのか、颯月もまた顔を上げる。そして来訪者の姿を確認すると、鎧の中から小さく「オイなんだ、ふざけんなよ――」とくぐもった声が聞こえた。

 二人の反応からして、どうも『迎え』は正妃ではなかったようだ。
 綾那はぱちりと目を開くとソファに肘をつき、僅かに上体を起こして――瞠目した。

「そ、その……大層タイミングが悪かったようで、本当に申し訳ないです、義兄上、義姉上」

 扉の向こうに立っていたのは、とても十三歳には見えない美丈夫。この国の王太子、維月だった。
 彼は何やら見てはいけないモノを見てしまったと言わんばかりの表情で頬を染め、思い切り目を逸らしながら「俺、一度出直しましょうか?」と、蚊の鳴くような声で呟いた。
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