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第6章 奈落の底に囚われる
8 語り合い?
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静真が席を外してしまったため、綾那は目の前の客人に集中した。
男はやはり表情の変化が乏しく、何を考えているのか読めない。しかし、綾那が嬉々として颯月の話をすれば、微かに目を細めて表情を和らげているような――気がしなくもない。いや、どうだろうか。やはり分からない。
合間に相槌を打つでも、質問を挟むでもなく。ただ、終始じっと黙って綾那の話を聞いている。
(せっかくの推し語りなのに……維月先輩と違って張り合いがないと言うか、なんと言うか――)
綾那は一人で延々と颯月の『良さ』を語りながら、ちょっとした虚しさを覚えた。もしも語らう相手が維月であれば、颯月に対する称賛の応酬で大盛り上がりだったに違いない。
相手が颯月について知りたいと言うから、綾那の知る彼を余さず伝えようと張り切ったのに。もしかすると、張り切り過ぎたせいで引いてしまっているのだろうか。
あまりに客人の反応がないため、綾那の語気は段々と尻すぼみになった。そして、ついには適当な所で「以上です」と言って口を噤むと、困惑しているのを誤魔化すようにへらりと笑った。
男は綾那を真っ直ぐに見つめたまま、小さく首を傾げる。
「――もう終わりか? まだ君の話が聞きたいな」
「え? あ、ええと――」
話を聞きたいと思っているなら、ほんの少しで良いから会話に積極的な姿勢を見せて欲しい。こんなにも盛り上がっていない状況下で、まさかアンコールを乞われるとは思わなかった。
綾那は苦く笑いながら、内心「静真さん、お願いだから早く帰ってきてください」と祈った。
カップを取りに行くだけなら、普通ここまで時間はかからない。恐らく彼は、結局新しい茶を淹れ直しているのだろう。もしくは、ひとまず綾那に客人の対応を任せられるからと、子供達の様子でも見に行っているのか。
先ほど、幸輝に耳打ちしていた事も気にかかるし――。
(あと、他に何を話そうかな……最近私が逆プロポーズした話は、さすがにプライベートな事だから――)
この反応の薄い聞き手を喜ばせられるようなネタはあっただろうか。そうして思案する綾那に、男がぽつりと呟いた。
「……いや、すまない。私の態度が悪かったんだろうな。聞いているのかどうかすら分からないから最低限反応をしろと、よく注意されるんだ」
「え!? あ、いえ、そんな! ――ふふ、王族の方でもそんな注意をされるのですね」
リベリアスはあくまでも民主主義で、決して王政を敷いている訳ではない。
しかし、幸成や竜禅がよく不敬だなんだと言っているところからして――恐らく王族に対して不遜な態度を取れば、何かしらの罰が与えられるような法律でもあるのだろう。
それなのに、この男に面と向かって注意できる存在が居るのか。まあ単純に、彼と同等の立場に居る他の王族なのかも知れないが。
まるで反省するように目を伏せた客人に、綾那は思わず笑みを零した。こんなに屈強な大男が「ちゃんと返事しなさい!」と叱られている様を想像すると、実に珍妙である。
客人は顔を上げると、クスクス笑う綾那をじっと見た。
「君は――良いな。本当に良い、守りたくなる女性だ。私の周りには居ない」
「ええと……ありがとうございます?」
「騎士団長が羨ましい。私も王都ばかりではなく、もっと外へ目を向けなければダメなのだろうな」
褒め言葉なのかなんなのかイマイチ分かりづらいが、「良い」と言ってくれるからには「良い」のだろう。
男は左手にカップを引っかけると、すっかり冷めきった茶をこくりと飲んだ。
綾那はふと、その左手の薬指に指輪が嵌められている事に気付いた。指輪には黒曜石のような魔石が付いていて、「契約」が使われたものだと言う事が分かる。
(ああ、まあ――結婚しているよね。体が大きくて表情も変わらないから、ちょっと威圧感はあるけれど……でもお顔は絢葵さん系統だもの。周りが放っておくはずが――そもそも王族っていうだけで、結婚を急かされそうなイメージがあるし)
太古より血を繋ぎ、血筋こそが全てだという王族。決してその血を絶やしてはならないからと、成人を迎えたら問答無用で即婚約、そして結婚させられていそうなイメージがある。
颯月はいまだ独身だが、勘当された上に生涯悪魔憑きで子を成せない彼は、例外中の例外なのだろう。
それにしても、黒とは。もしや「契約」した相手は、闇魔法が得意な女性なのだろうか。
悪魔や悪魔憑き以外にも、闇魔法が得意な人物が居るとは初耳だ。しかし、事実こうして黒に染まっているという事は、存在するのだろう。
思えば、綾那が桃華の身代わりを務めた際、桃色の瞳では目立つからと黒のカラーコンタクトを付けていても、周囲から何も言われなかった。探せば意外と、黒目の人間も居るのかも知れない。
それこそリベリアスでごく稀に生まれるらしい、魔力ゼロ体質の人間なんかは黒目の可能性が高そうだ。
(と言うか私の話ばかりじゃなくて、結局この方が誰なのか教えて欲しい――)
男は素性を明かすどころか、名乗りもしない。
気になるが、しかし――貴い身分の王族相手に、「お名前は?」なんて聞いても良いものなのだろうか。
いくら颯月の親類とは言っても、「颯月さんとのご関係は?」と聞くのも不躾な気がする。そもそも、この男の正体を知らない事が既に不敬に当たる可能性もある。
綾那はカップを口に運びながら、ちらと男の顔色を窺うように見た。やはり表情に変化はなく、何を考えているのか全く分からない。
いっその事、思い切ってぶつかってみるか。待っていても正体が掴めないならば、綾那自ら動くしかない。
そうして口を開きかけた綾那の首筋で、パチッと小さな音がした。
「わっ」
音と共に、まるで静電気のような火花が一つ飛び散る。いきなり目の前で明滅した火花に、綾那は肩を揺らした。
乾燥した冬場でもあるまいし――そもそも雨が降っていて湿気が多いのに、静電気が起きるとは。
静電気の発生源は、恐らく颯月に貸与されたネックレスだ。今までこんな事はなかったのに、突然どうしたのだろうか。
颯月が以前「録音機の魔具は、たまに不具合が起きる」と言っていたが、もしや故障か。
彼の持ち物というだけでとんでもない値段がしそうだし、壊れるのは困る。弁償しようにも、綾那は現在進行形で稼ぎがないのだから。
恐る恐る首筋のネックレスを指でなぞる綾那に、目の前の男が僅かに――本当に僅かに、眉根を寄せた。
「――もしや、それは録音機の類か?」
「えっ、……あ!? そ、そうです、ごめんなさい!」
「何故そんな物を――」
「その、今は訳あって颯月さんと離れて過ごしているのですが、離れている間の事が気になるからと、貸与されていた物で……本当にすみません。あなたとの会話を録音して、悪用しようと思っていた訳ではないんです……」
「……騎士団長が、そんな事を?」
何故見ただけで録音機とバレたのかは分からないが、とにかくまずい状況である事は確かだ。綾那の弁明を聞いた男は、思案するように口元に手を当てて目を伏せた。
本当に今更ながら、王族相手に無断で会話を録音するなど、大胆不敵にも程があった。
本来であれば前もって外しておくべきだったのに、ここ数日ずっと身に付けていたものだから、すっかり忘れていたのだ。
不敬だ、無礼だと憤慨されたら、一体どうすればいいのか。綾那は沙汰が下されるのを待つように、青ざめた顔で男を見やった。
しかし男は口元を手で覆ったまま、唐突に「ふ」と小さな笑みを零す。そうしてくつくつと喉を低く鳴らして笑う男の顔は、不思議と颯月の笑い顔を彷彿とさせた。
男はやはり表情の変化が乏しく、何を考えているのか読めない。しかし、綾那が嬉々として颯月の話をすれば、微かに目を細めて表情を和らげているような――気がしなくもない。いや、どうだろうか。やはり分からない。
合間に相槌を打つでも、質問を挟むでもなく。ただ、終始じっと黙って綾那の話を聞いている。
(せっかくの推し語りなのに……維月先輩と違って張り合いがないと言うか、なんと言うか――)
綾那は一人で延々と颯月の『良さ』を語りながら、ちょっとした虚しさを覚えた。もしも語らう相手が維月であれば、颯月に対する称賛の応酬で大盛り上がりだったに違いない。
相手が颯月について知りたいと言うから、綾那の知る彼を余さず伝えようと張り切ったのに。もしかすると、張り切り過ぎたせいで引いてしまっているのだろうか。
あまりに客人の反応がないため、綾那の語気は段々と尻すぼみになった。そして、ついには適当な所で「以上です」と言って口を噤むと、困惑しているのを誤魔化すようにへらりと笑った。
男は綾那を真っ直ぐに見つめたまま、小さく首を傾げる。
「――もう終わりか? まだ君の話が聞きたいな」
「え? あ、ええと――」
話を聞きたいと思っているなら、ほんの少しで良いから会話に積極的な姿勢を見せて欲しい。こんなにも盛り上がっていない状況下で、まさかアンコールを乞われるとは思わなかった。
綾那は苦く笑いながら、内心「静真さん、お願いだから早く帰ってきてください」と祈った。
カップを取りに行くだけなら、普通ここまで時間はかからない。恐らく彼は、結局新しい茶を淹れ直しているのだろう。もしくは、ひとまず綾那に客人の対応を任せられるからと、子供達の様子でも見に行っているのか。
先ほど、幸輝に耳打ちしていた事も気にかかるし――。
(あと、他に何を話そうかな……最近私が逆プロポーズした話は、さすがにプライベートな事だから――)
この反応の薄い聞き手を喜ばせられるようなネタはあっただろうか。そうして思案する綾那に、男がぽつりと呟いた。
「……いや、すまない。私の態度が悪かったんだろうな。聞いているのかどうかすら分からないから最低限反応をしろと、よく注意されるんだ」
「え!? あ、いえ、そんな! ――ふふ、王族の方でもそんな注意をされるのですね」
リベリアスはあくまでも民主主義で、決して王政を敷いている訳ではない。
しかし、幸成や竜禅がよく不敬だなんだと言っているところからして――恐らく王族に対して不遜な態度を取れば、何かしらの罰が与えられるような法律でもあるのだろう。
それなのに、この男に面と向かって注意できる存在が居るのか。まあ単純に、彼と同等の立場に居る他の王族なのかも知れないが。
まるで反省するように目を伏せた客人に、綾那は思わず笑みを零した。こんなに屈強な大男が「ちゃんと返事しなさい!」と叱られている様を想像すると、実に珍妙である。
客人は顔を上げると、クスクス笑う綾那をじっと見た。
「君は――良いな。本当に良い、守りたくなる女性だ。私の周りには居ない」
「ええと……ありがとうございます?」
「騎士団長が羨ましい。私も王都ばかりではなく、もっと外へ目を向けなければダメなのだろうな」
褒め言葉なのかなんなのかイマイチ分かりづらいが、「良い」と言ってくれるからには「良い」のだろう。
男は左手にカップを引っかけると、すっかり冷めきった茶をこくりと飲んだ。
綾那はふと、その左手の薬指に指輪が嵌められている事に気付いた。指輪には黒曜石のような魔石が付いていて、「契約」が使われたものだと言う事が分かる。
(ああ、まあ――結婚しているよね。体が大きくて表情も変わらないから、ちょっと威圧感はあるけれど……でもお顔は絢葵さん系統だもの。周りが放っておくはずが――そもそも王族っていうだけで、結婚を急かされそうなイメージがあるし)
太古より血を繋ぎ、血筋こそが全てだという王族。決してその血を絶やしてはならないからと、成人を迎えたら問答無用で即婚約、そして結婚させられていそうなイメージがある。
颯月はいまだ独身だが、勘当された上に生涯悪魔憑きで子を成せない彼は、例外中の例外なのだろう。
それにしても、黒とは。もしや「契約」した相手は、闇魔法が得意な女性なのだろうか。
悪魔や悪魔憑き以外にも、闇魔法が得意な人物が居るとは初耳だ。しかし、事実こうして黒に染まっているという事は、存在するのだろう。
思えば、綾那が桃華の身代わりを務めた際、桃色の瞳では目立つからと黒のカラーコンタクトを付けていても、周囲から何も言われなかった。探せば意外と、黒目の人間も居るのかも知れない。
それこそリベリアスでごく稀に生まれるらしい、魔力ゼロ体質の人間なんかは黒目の可能性が高そうだ。
(と言うか私の話ばかりじゃなくて、結局この方が誰なのか教えて欲しい――)
男は素性を明かすどころか、名乗りもしない。
気になるが、しかし――貴い身分の王族相手に、「お名前は?」なんて聞いても良いものなのだろうか。
いくら颯月の親類とは言っても、「颯月さんとのご関係は?」と聞くのも不躾な気がする。そもそも、この男の正体を知らない事が既に不敬に当たる可能性もある。
綾那はカップを口に運びながら、ちらと男の顔色を窺うように見た。やはり表情に変化はなく、何を考えているのか全く分からない。
いっその事、思い切ってぶつかってみるか。待っていても正体が掴めないならば、綾那自ら動くしかない。
そうして口を開きかけた綾那の首筋で、パチッと小さな音がした。
「わっ」
音と共に、まるで静電気のような火花が一つ飛び散る。いきなり目の前で明滅した火花に、綾那は肩を揺らした。
乾燥した冬場でもあるまいし――そもそも雨が降っていて湿気が多いのに、静電気が起きるとは。
静電気の発生源は、恐らく颯月に貸与されたネックレスだ。今までこんな事はなかったのに、突然どうしたのだろうか。
颯月が以前「録音機の魔具は、たまに不具合が起きる」と言っていたが、もしや故障か。
彼の持ち物というだけでとんでもない値段がしそうだし、壊れるのは困る。弁償しようにも、綾那は現在進行形で稼ぎがないのだから。
恐る恐る首筋のネックレスを指でなぞる綾那に、目の前の男が僅かに――本当に僅かに、眉根を寄せた。
「――もしや、それは録音機の類か?」
「えっ、……あ!? そ、そうです、ごめんなさい!」
「何故そんな物を――」
「その、今は訳あって颯月さんと離れて過ごしているのですが、離れている間の事が気になるからと、貸与されていた物で……本当にすみません。あなたとの会話を録音して、悪用しようと思っていた訳ではないんです……」
「……騎士団長が、そんな事を?」
何故見ただけで録音機とバレたのかは分からないが、とにかくまずい状況である事は確かだ。綾那の弁明を聞いた男は、思案するように口元に手を当てて目を伏せた。
本当に今更ながら、王族相手に無断で会話を録音するなど、大胆不敵にも程があった。
本来であれば前もって外しておくべきだったのに、ここ数日ずっと身に付けていたものだから、すっかり忘れていたのだ。
不敬だ、無礼だと憤慨されたら、一体どうすればいいのか。綾那は沙汰が下されるのを待つように、青ざめた顔で男を見やった。
しかし男は口元を手で覆ったまま、唐突に「ふ」と小さな笑みを零す。そうしてくつくつと喉を低く鳴らして笑う男の顔は、不思議と颯月の笑い顔を彷彿とさせた。
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