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第6章 奈落の底に囚われる
6 謎の男
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楓馬に編集作業を見せると約束した後も、子供達は動画を見るのに夢中になっていた。
これだけ好評ならば、もしかすると「これ街の人に見せても良いかな?」と聞けば、流れで快く頷いてくれそうな気もする。
――とは言え、まずは保護者の静真に許可取りするのが先か。
(それにしても静真さん、遅いな。こんなにもお客様の相手にかかりきりになっているの、初めてかも)
本日は雨で教会を訪れる者も少なかろうと、当初は静真も子供達と一緒に動画鑑賞会をする予定だった。
しかし、さて見るかというタイミングで来客があり、静真が対応しに行って――戻ってきた彼はかなり慌ただしい様子で、口早に「少々特殊なお客様が訪ねてこられたので、戻るまで時間がかかります。先に始めていてください」と言い残すと、また客のところへ駆けて行ってしまったのだ。
仕方なく子供達と綾那とで動画を見ているものの、あれから数時間経ったが、いまだに静真が戻ってくる気配はない。
子供達を深く愛する彼のことだから、この動画見たら感動で泣いてしまうのではないか。一刻も早く見せたいと思っているのは綾那だけではなく、子供達もまたあの日々の思い出を彼と共有したいらしく、静真はまだかとソワソワしている。
やがて痺れを切らしたのか、幸輝がおもむろに立ち上がった。
「なあアヤ、俺ちょっと静真のとこ行ってくる!」
「え!? ダメだよ、お客様とお話してるんだから……お仕事の邪魔になるでしょう」
「遠くから覗くだけにするから! こんなに長話するような客の顔、気になるじゃん! 颯月相手でもここまで長くねえだろ?」
「遠くからって言ったって――バレちゃうから、やめて」
人との交流が増えた事により、普通の人間に対する恐怖心が減ったのは良い事だ。
しかし、静真が来客の対応をしている時でも構わずに、教会内をうろつくようになったのは些か問題かも知れない。
今までは「異形が」「金髪赤目が」と言って頑なに人前に出ようとせず、子供部屋なり裏庭なりに身を潜めて大人しくしていたのに――。
成長と言えば聞こえは良いが、これはある種の悪戯でもあるため困りものだ。
――恐らくは、来客にかかりきりになっている静真の気を引きたいのだろう。
じっと見ている事に静真が気付かなければ、それはそれで面白い。気付いて「邪魔だ」と叱られるのもまた面白い。訪問者から身を潜めて暮らしていた頃にはできなかった、新しい遊びである。
ダメだと諫める綾那に、幸輝は悪戯っぽく笑う。
「じゃあ、客に茶を出すなら良いだろ? お客様なんだから!」
「幸輝、いつもお茶出しなんてしないじゃない。百歩譲ってそれは、楓馬の役目だよね」
「うるさいな、たまには俺がしたっていーだろ! 騎士になるんだから茶ぐらい入れられる!」
「……アイドクレースにお茶出しの騎士なんて居たかな?」
まあ確かに、竜禅も和巳もやたらとお茶出しスキルが高いとは思うが――あれは颯月の側近として彼の傍に居る事が多いから、必要に迫られて得たスキルに違いない。
颯月はトップの騎士団長である上に元王族で、幸成に至っては現役の王族である。必然的に、お茶を用意するのは竜禅と和巳になったのだろう。
幸輝はもう、すっかりお茶出しをする気になっている。
ダメと言っても座る気配がないし、いまだに動画を繰り返し見ている楓馬や朔、ヴェゼルとは違って、単純に見飽きたのだろう。そもそも彼は、静真と一緒に見たいのだから。
綾那はすっかり困り顔になって、動画に夢中の楓馬に声を掛けた。
「楓馬。私ちょっと幸輝と厨房に行くけど、朔とヴェゼルさんの事頼んでも良い?」
「んー、おー、良いぞー」
魔具から視線すら離さず、やや生返事された感はあるが――あまり神経質にならずとも、朔もヴェゼルも大人しく動画を見ているのだ。少し席を外すくらいなら心配ないだろう。
綾那は立ち上がると、幸輝の背に手を添えた。
「本当にお茶出しだけだよ。変な事を言って静真さんを困らせたり、お仕事の邪魔をしたりしないようにね」
「分かってるって!」
「すっごく大事なお客様かも知れないし、怒らせると怖い人かも知れないんだからね。絶対だよ?」
繰り返し言い含める綾那に、幸輝は笑顔で「うっせーぞ、ババア」と悪態をついた。
綾那は困り顔のまま、黙って幸輝の両頬をグイーッと引き伸ばしながら厨房へ向かった。
◆
「…………静真、居ねーんだけど」
「本当だね」
普段全くやらないくせに、幸輝は見事良い香りのするお茶を淹れて見せた。恐らくやればできると言うか、いつもは面倒くさがってやらないだけなのだろう。
彼の上には静真も楓馬も居るし、幸輝はまだまだ甘えられる立場に置かれているに違いない。
――ただ、せっかく上手に淹れられたのに、肝心の静真が見当たらなかった。
彼はいつも、礼拝堂か裏庭に面したテラスで来客対応を行っている。今日は雨だからテラスはないだろうと、礼拝堂を覗いたのだが――そこには誰も居なかった。ではテラスかと裏庭を覗いても、やはり誰も居ない。
お茶入れをしている際、厨房には綾那と幸輝以外誰も居なかったし――他に来客対応できる場所と言えば、静真の私室ぐらいだろうか?
(いや、さすがに私室へ案内するようなお客様を冷やかすのは、まずいんじゃあ……?)
静真は本日の来客について「少々特殊な客が来たから、時間がかかる」と言っていた。あまり深く考えていなかったが、特殊な客とは一体どんな人物なのだろうか。
颯月にしろ悪魔憑きの子供達にしろ、口を揃えて「静真は恋愛事に疎い」と揶揄するが、もし訪ねて来ているのが女性だとしたら?
私室へ招くほど良い仲の女性だとすれば、幸輝の冷やかしは死ぬ気で阻止しなければならない。
ただでさえ子守に追われ、自分の時間が取れない静真なのだ。たまにはゆっくりして欲しい。親密な女性が居るならば尚更である。
「幸輝。静真さん居ないみたいだから、お茶持って部屋に戻ろうか」
「えぇー!? 客の顔見たいのに!」
「でも、どこに居るかも分からないでしょう? それに、実はもう帰って入れ違いになっているのかも知れないし……教会の外でデート――じゃなくて、お話してるのかも知れないよ?」
綾那の中では最早、「今日の来客は、静真さんの恋人である」という結論に至っている。邪魔する事なく、静真のタイミングで戻ってくるのを待つしかない。
そうして一人うんうんと頷く綾那に、幸輝が「外か!」と明るい声を上げた。
「最後に外だけ見る! 裏庭じゃなくて、入口の方!」
「え? いや、雨降ってるんだから、外でお話なんて――」
する訳がない――と言い終わる前に、幸輝は扉に向かって駆け出していた。綾那は小さく息を吐いて、茶器を載せたトレーを手に幸輝の後を追う。
綾那が止める間もなく、「よいしょお!」と威勢の良い掛け声を上げて扉を開いた幸輝は、しとしとと雨の降る外を見て――突然ぴしりと固まった。
そんな彼の様子に首を傾げながら、綾那は小走りで幸輝の元まで駆け寄る。そして固まった彼が見ている方向に目をやれば、そこには雨の中傘を差した静真の姿があった。
彼は突然扉を開いた幸輝と、そしてその後に現れた綾那に驚いているようで、目を瞬かせている。静真の隣で同じように傘を差しているのは、恋人の女性――などではなく、男性だった。
(――待って、もう、嘘つき! 普通に『お客さん』だった……!!)
誰だ、来訪者は静真の恋人だなんて言ったのは――――――綾那である。
客の男性は、随分と背が高くてガタイが良い。
190センチある颯月も、綾那からすれば見上げるほどに高いが――彼はそれ以上に高いだろう。二メートルは優に超えていそうだ。
アデュレリア騎士団団長の隼人ぐらい背が高いし、彼と同じく、服を着ていても筋骨隆々としているのが分かる。明らかに一般市民の体つきではない、騎士か傭兵だろうか。
顔は傘で隠れているためよく見えないが、体の向きから言ってこちらを――幸輝と、綾那の立つ方向を見ているようだ。
まあ、あれだけ威勢の良い掛け声と共に扉を開いたのだ。それは注目するだろう。
辺りには雨の降る音だけが響いて、誰も口を開こうとしない。しばし沈黙が続いたが、やがて静真がハッと我に返ると、僅かに眦を吊り上げた。
「――幸輝! お客様がいらっしゃるから、大人しくしていなさいと言っただろう……!」
「わ、悪い、まさか外に居るとは思わなくて――その、お茶……淹れたんだけど、ですけど……もう、帰る――りますか」
幸輝は拙い敬語で、傘を差す大男に語りかけた。見知らぬ人間に自ら話しかけるなど、人目から隠れて生きていた今までの事を思えば、見事な成長ぶりである。
本当に――いや、大変素晴らしい事だが、やはりもっと真剣に「冷やかしはダメだ」と諫めるべきだった。
客人は一言も発さず、ただ黙って幸輝を見ているようだ。
もしかすると、悪魔憑きに対する偏見が色濃く残っているタイプの人間か。そうでなくとも、子供嫌いなタチか――単に静真との対話に水を差した事に眉を顰めているのか。
傘で表情が見えないため、何一つとして読み取れない。
客人からの返事がないため、幸輝は途端に「やらかした」という顔つきになると、まるで助けを求めるように隣の綾那を見上げた。
もちろん、もっとしっかり幸輝を引き留めなかった綾那も同罪である。
綾那は幸輝に向かって眉尻を笑うと、静真と客人を見てできる限り愛想よく微笑んだ。
「お話の邪魔をしてしまって、申し訳ありません。大切なお客様だと聞いて、この子がお茶を出したいと――お邪魔になると知りながら強く引き留めなかったので、責は私にあります、本当にすみませんでした。……もう、帰られるところですよね?」
言いながら手に持つトレーを申し訳程度に掲げたが、客人が応じるはずがない事は分かり切っていた。
二人はこの場で長話をしていた訳ではないだろう。明らかに帰りの挨拶をしていた所へ、幸輝と綾那が乱入しているのだから。
こんなタイミングで茶に誘われて、「せっかくだから飲んで行こうかな」なんて言い出すはずがない。
綾那は内心、気まず過ぎて笑顔が引きつりそうだと思いつつ、客人の反応を待った。
すると彼は、差した傘を僅かに傾けて顔を見せた。男は、二十代か――いっても、三十代前半だろうか? やや癖がありウェーブがかった黒髪は、肩にギリギリつくぐらいの長さ。
瞳は雷魔法が得意な事を表す紫色で、その顔立ちはどこか颯月――いや、彼よりも義弟の維月や、従兄弟の幸成に似たタイプか。
その顔に、綾那は一抹の不安を覚えた。まさか、噂の国王ではなかろうなと。
(いや、でも、違うよね? さすがに若過ぎる……正妃様が四十歳で、息子の颯月さんだって二十三歳なんだから。国王様も四十歳を超えてるはず……この方はどう見ても四十過ぎには見えないし、颯月さんのお兄さんですって言われた方が、よほどしっくりくる)
そもそも、国王がこんな所に――というと、何やら失礼だが――来るはずがない。
ただでさえ市井に降りる事がないのに、それがわざわざ教会へ来るはずがない。それもここは、殺したいほど憎んでいる颯月の庭だ。
だからこそ綾那は、こうして教会に身を潜めているのだから。
ただどうにも不安なのが、以前「千里眼」で王族ウォッチングをした陽香曰く、「国王らしき男はメチャクチャに背が高くガタイもよい、物理が強そうな男である」と言っていた。
そもそもその人物が本当に国王かどうかも定かではないが、今綾那の前に居る男は、まさに物理が強そうな男なのである。
――綾那は、途端にスゥッと笑みを消して困り顔になった。もしもがあると困る。もう今更遅いかも知れないが、安易に笑わない方が良い。
男はやはり無言のまま、紫の瞳でただじっと綾那を見やった。そしてややあってから視線を外すと、静真に顔を向ける。
「――彼女は?」
低く落ち着いた、深みのある声だ。正妃は綾那の笑い顔を見た途端に激しく取り乱したが、どうやらは彼は違うようだ。やはり、国王ではないらしい。
男に問いかけられた静真は、姿勢を正すと指先を揃えた綾那を指し示す。
「颯月――騎士団長の、婚約者です。今は訳あって教会で過ごしていますが、普段は騎士団宿舎で暮らしています」
「…………ああ。そうか、団長の」
短い相槌を打った男は、改めて綾那に視線を投げた。
「――――確かに『雪の精』だな」
男は感情表情が乏しいのか、くすりとも笑わない。だからと言って不機嫌な訳でもなく、どこまでも淡々とした様子で、褒め言葉だか蔑称だか分からない言葉を吐いた。
脳内で雪の精イコール雪だるまの公式が確立されている綾那は、ほんの僅か傷ついたような表情になった。
しかしすぐに苦く笑うと――相手は国王ではないのだから、笑っても平気だと思ったのだ――「そんな大層なものではありません」と首を振った。
男は綾那を眺めたまま微かに首を傾けると、おもむろに静真に近付き、彼に何事か耳打ちした。
静真は驚いたように体を硬直させたが、しかしすぐさま頷くと教会の扉――幸輝へ歩み寄った。
そして彼の前に屈むと、今度は静真が幸輝へ何事か耳打ちをし始める。綾那は不思議に思ったが、ふと男がこちらに向かって歩いて来ている事に気付くと、目を瞬かせた。
「折角だから、頂こうか」
「――え?」
「確か裏庭にテラスがあったな。あいにくの天気だが、案内して欲しい」
「は、はい……」
男は言いながら、綾那の手から茶器の載ったトレーを抜き取った。まさかまさかの展開である。
まず茶を飲むなんて選択をするとは思わなかったし、そもそも客の男が手ずから茶を運ぶのは、どう考えたっておかしい。
まあ、せっかく幸輝が頑張って淹れたお茶だ。飲んでくれると言うなら彼も喜ぶだろうが――と幸輝を見やれば、何故か彼は慌てた様子で走り出すと、子供部屋のある二階へ続く階段を駆け上って行った。
(えっ、幸輝どこ行くの? 静真さんは……良かった、居る)
あれだけお茶出しすると息巻いていたのだから、最後までやり切って欲しい。何をシレッと綾那にバトンタッチしているのだ。
そもそもこの客人は、どこの誰なのだろうか。静真とは何を話していたのだろうか。
テラスを案内しろという事は、まだ話が終わっていないのか――それとも子供が茶を淹れたのだからと、気を遣ってくれただけか。
それに、静真に耳打ちしたのはなんだったのだ。幸輝は、あんなに慌ててどうしたのだ。
綾那は頭上に大量の『?』を飛ばしながらも、ひとまず客人と静真の前を歩いて、教会の裏庭へ向かう事にした。
これだけ好評ならば、もしかすると「これ街の人に見せても良いかな?」と聞けば、流れで快く頷いてくれそうな気もする。
――とは言え、まずは保護者の静真に許可取りするのが先か。
(それにしても静真さん、遅いな。こんなにもお客様の相手にかかりきりになっているの、初めてかも)
本日は雨で教会を訪れる者も少なかろうと、当初は静真も子供達と一緒に動画鑑賞会をする予定だった。
しかし、さて見るかというタイミングで来客があり、静真が対応しに行って――戻ってきた彼はかなり慌ただしい様子で、口早に「少々特殊なお客様が訪ねてこられたので、戻るまで時間がかかります。先に始めていてください」と言い残すと、また客のところへ駆けて行ってしまったのだ。
仕方なく子供達と綾那とで動画を見ているものの、あれから数時間経ったが、いまだに静真が戻ってくる気配はない。
子供達を深く愛する彼のことだから、この動画見たら感動で泣いてしまうのではないか。一刻も早く見せたいと思っているのは綾那だけではなく、子供達もまたあの日々の思い出を彼と共有したいらしく、静真はまだかとソワソワしている。
やがて痺れを切らしたのか、幸輝がおもむろに立ち上がった。
「なあアヤ、俺ちょっと静真のとこ行ってくる!」
「え!? ダメだよ、お客様とお話してるんだから……お仕事の邪魔になるでしょう」
「遠くから覗くだけにするから! こんなに長話するような客の顔、気になるじゃん! 颯月相手でもここまで長くねえだろ?」
「遠くからって言ったって――バレちゃうから、やめて」
人との交流が増えた事により、普通の人間に対する恐怖心が減ったのは良い事だ。
しかし、静真が来客の対応をしている時でも構わずに、教会内をうろつくようになったのは些か問題かも知れない。
今までは「異形が」「金髪赤目が」と言って頑なに人前に出ようとせず、子供部屋なり裏庭なりに身を潜めて大人しくしていたのに――。
成長と言えば聞こえは良いが、これはある種の悪戯でもあるため困りものだ。
――恐らくは、来客にかかりきりになっている静真の気を引きたいのだろう。
じっと見ている事に静真が気付かなければ、それはそれで面白い。気付いて「邪魔だ」と叱られるのもまた面白い。訪問者から身を潜めて暮らしていた頃にはできなかった、新しい遊びである。
ダメだと諫める綾那に、幸輝は悪戯っぽく笑う。
「じゃあ、客に茶を出すなら良いだろ? お客様なんだから!」
「幸輝、いつもお茶出しなんてしないじゃない。百歩譲ってそれは、楓馬の役目だよね」
「うるさいな、たまには俺がしたっていーだろ! 騎士になるんだから茶ぐらい入れられる!」
「……アイドクレースにお茶出しの騎士なんて居たかな?」
まあ確かに、竜禅も和巳もやたらとお茶出しスキルが高いとは思うが――あれは颯月の側近として彼の傍に居る事が多いから、必要に迫られて得たスキルに違いない。
颯月はトップの騎士団長である上に元王族で、幸成に至っては現役の王族である。必然的に、お茶を用意するのは竜禅と和巳になったのだろう。
幸輝はもう、すっかりお茶出しをする気になっている。
ダメと言っても座る気配がないし、いまだに動画を繰り返し見ている楓馬や朔、ヴェゼルとは違って、単純に見飽きたのだろう。そもそも彼は、静真と一緒に見たいのだから。
綾那はすっかり困り顔になって、動画に夢中の楓馬に声を掛けた。
「楓馬。私ちょっと幸輝と厨房に行くけど、朔とヴェゼルさんの事頼んでも良い?」
「んー、おー、良いぞー」
魔具から視線すら離さず、やや生返事された感はあるが――あまり神経質にならずとも、朔もヴェゼルも大人しく動画を見ているのだ。少し席を外すくらいなら心配ないだろう。
綾那は立ち上がると、幸輝の背に手を添えた。
「本当にお茶出しだけだよ。変な事を言って静真さんを困らせたり、お仕事の邪魔をしたりしないようにね」
「分かってるって!」
「すっごく大事なお客様かも知れないし、怒らせると怖い人かも知れないんだからね。絶対だよ?」
繰り返し言い含める綾那に、幸輝は笑顔で「うっせーぞ、ババア」と悪態をついた。
綾那は困り顔のまま、黙って幸輝の両頬をグイーッと引き伸ばしながら厨房へ向かった。
◆
「…………静真、居ねーんだけど」
「本当だね」
普段全くやらないくせに、幸輝は見事良い香りのするお茶を淹れて見せた。恐らくやればできると言うか、いつもは面倒くさがってやらないだけなのだろう。
彼の上には静真も楓馬も居るし、幸輝はまだまだ甘えられる立場に置かれているに違いない。
――ただ、せっかく上手に淹れられたのに、肝心の静真が見当たらなかった。
彼はいつも、礼拝堂か裏庭に面したテラスで来客対応を行っている。今日は雨だからテラスはないだろうと、礼拝堂を覗いたのだが――そこには誰も居なかった。ではテラスかと裏庭を覗いても、やはり誰も居ない。
お茶入れをしている際、厨房には綾那と幸輝以外誰も居なかったし――他に来客対応できる場所と言えば、静真の私室ぐらいだろうか?
(いや、さすがに私室へ案内するようなお客様を冷やかすのは、まずいんじゃあ……?)
静真は本日の来客について「少々特殊な客が来たから、時間がかかる」と言っていた。あまり深く考えていなかったが、特殊な客とは一体どんな人物なのだろうか。
颯月にしろ悪魔憑きの子供達にしろ、口を揃えて「静真は恋愛事に疎い」と揶揄するが、もし訪ねて来ているのが女性だとしたら?
私室へ招くほど良い仲の女性だとすれば、幸輝の冷やかしは死ぬ気で阻止しなければならない。
ただでさえ子守に追われ、自分の時間が取れない静真なのだ。たまにはゆっくりして欲しい。親密な女性が居るならば尚更である。
「幸輝。静真さん居ないみたいだから、お茶持って部屋に戻ろうか」
「えぇー!? 客の顔見たいのに!」
「でも、どこに居るかも分からないでしょう? それに、実はもう帰って入れ違いになっているのかも知れないし……教会の外でデート――じゃなくて、お話してるのかも知れないよ?」
綾那の中では最早、「今日の来客は、静真さんの恋人である」という結論に至っている。邪魔する事なく、静真のタイミングで戻ってくるのを待つしかない。
そうして一人うんうんと頷く綾那に、幸輝が「外か!」と明るい声を上げた。
「最後に外だけ見る! 裏庭じゃなくて、入口の方!」
「え? いや、雨降ってるんだから、外でお話なんて――」
する訳がない――と言い終わる前に、幸輝は扉に向かって駆け出していた。綾那は小さく息を吐いて、茶器を載せたトレーを手に幸輝の後を追う。
綾那が止める間もなく、「よいしょお!」と威勢の良い掛け声を上げて扉を開いた幸輝は、しとしとと雨の降る外を見て――突然ぴしりと固まった。
そんな彼の様子に首を傾げながら、綾那は小走りで幸輝の元まで駆け寄る。そして固まった彼が見ている方向に目をやれば、そこには雨の中傘を差した静真の姿があった。
彼は突然扉を開いた幸輝と、そしてその後に現れた綾那に驚いているようで、目を瞬かせている。静真の隣で同じように傘を差しているのは、恋人の女性――などではなく、男性だった。
(――待って、もう、嘘つき! 普通に『お客さん』だった……!!)
誰だ、来訪者は静真の恋人だなんて言ったのは――――――綾那である。
客の男性は、随分と背が高くてガタイが良い。
190センチある颯月も、綾那からすれば見上げるほどに高いが――彼はそれ以上に高いだろう。二メートルは優に超えていそうだ。
アデュレリア騎士団団長の隼人ぐらい背が高いし、彼と同じく、服を着ていても筋骨隆々としているのが分かる。明らかに一般市民の体つきではない、騎士か傭兵だろうか。
顔は傘で隠れているためよく見えないが、体の向きから言ってこちらを――幸輝と、綾那の立つ方向を見ているようだ。
まあ、あれだけ威勢の良い掛け声と共に扉を開いたのだ。それは注目するだろう。
辺りには雨の降る音だけが響いて、誰も口を開こうとしない。しばし沈黙が続いたが、やがて静真がハッと我に返ると、僅かに眦を吊り上げた。
「――幸輝! お客様がいらっしゃるから、大人しくしていなさいと言っただろう……!」
「わ、悪い、まさか外に居るとは思わなくて――その、お茶……淹れたんだけど、ですけど……もう、帰る――りますか」
幸輝は拙い敬語で、傘を差す大男に語りかけた。見知らぬ人間に自ら話しかけるなど、人目から隠れて生きていた今までの事を思えば、見事な成長ぶりである。
本当に――いや、大変素晴らしい事だが、やはりもっと真剣に「冷やかしはダメだ」と諫めるべきだった。
客人は一言も発さず、ただ黙って幸輝を見ているようだ。
もしかすると、悪魔憑きに対する偏見が色濃く残っているタイプの人間か。そうでなくとも、子供嫌いなタチか――単に静真との対話に水を差した事に眉を顰めているのか。
傘で表情が見えないため、何一つとして読み取れない。
客人からの返事がないため、幸輝は途端に「やらかした」という顔つきになると、まるで助けを求めるように隣の綾那を見上げた。
もちろん、もっとしっかり幸輝を引き留めなかった綾那も同罪である。
綾那は幸輝に向かって眉尻を笑うと、静真と客人を見てできる限り愛想よく微笑んだ。
「お話の邪魔をしてしまって、申し訳ありません。大切なお客様だと聞いて、この子がお茶を出したいと――お邪魔になると知りながら強く引き留めなかったので、責は私にあります、本当にすみませんでした。……もう、帰られるところですよね?」
言いながら手に持つトレーを申し訳程度に掲げたが、客人が応じるはずがない事は分かり切っていた。
二人はこの場で長話をしていた訳ではないだろう。明らかに帰りの挨拶をしていた所へ、幸輝と綾那が乱入しているのだから。
こんなタイミングで茶に誘われて、「せっかくだから飲んで行こうかな」なんて言い出すはずがない。
綾那は内心、気まず過ぎて笑顔が引きつりそうだと思いつつ、客人の反応を待った。
すると彼は、差した傘を僅かに傾けて顔を見せた。男は、二十代か――いっても、三十代前半だろうか? やや癖がありウェーブがかった黒髪は、肩にギリギリつくぐらいの長さ。
瞳は雷魔法が得意な事を表す紫色で、その顔立ちはどこか颯月――いや、彼よりも義弟の維月や、従兄弟の幸成に似たタイプか。
その顔に、綾那は一抹の不安を覚えた。まさか、噂の国王ではなかろうなと。
(いや、でも、違うよね? さすがに若過ぎる……正妃様が四十歳で、息子の颯月さんだって二十三歳なんだから。国王様も四十歳を超えてるはず……この方はどう見ても四十過ぎには見えないし、颯月さんのお兄さんですって言われた方が、よほどしっくりくる)
そもそも、国王がこんな所に――というと、何やら失礼だが――来るはずがない。
ただでさえ市井に降りる事がないのに、それがわざわざ教会へ来るはずがない。それもここは、殺したいほど憎んでいる颯月の庭だ。
だからこそ綾那は、こうして教会に身を潜めているのだから。
ただどうにも不安なのが、以前「千里眼」で王族ウォッチングをした陽香曰く、「国王らしき男はメチャクチャに背が高くガタイもよい、物理が強そうな男である」と言っていた。
そもそもその人物が本当に国王かどうかも定かではないが、今綾那の前に居る男は、まさに物理が強そうな男なのである。
――綾那は、途端にスゥッと笑みを消して困り顔になった。もしもがあると困る。もう今更遅いかも知れないが、安易に笑わない方が良い。
男はやはり無言のまま、紫の瞳でただじっと綾那を見やった。そしてややあってから視線を外すと、静真に顔を向ける。
「――彼女は?」
低く落ち着いた、深みのある声だ。正妃は綾那の笑い顔を見た途端に激しく取り乱したが、どうやらは彼は違うようだ。やはり、国王ではないらしい。
男に問いかけられた静真は、姿勢を正すと指先を揃えた綾那を指し示す。
「颯月――騎士団長の、婚約者です。今は訳あって教会で過ごしていますが、普段は騎士団宿舎で暮らしています」
「…………ああ。そうか、団長の」
短い相槌を打った男は、改めて綾那に視線を投げた。
「――――確かに『雪の精』だな」
男は感情表情が乏しいのか、くすりとも笑わない。だからと言って不機嫌な訳でもなく、どこまでも淡々とした様子で、褒め言葉だか蔑称だか分からない言葉を吐いた。
脳内で雪の精イコール雪だるまの公式が確立されている綾那は、ほんの僅か傷ついたような表情になった。
しかしすぐに苦く笑うと――相手は国王ではないのだから、笑っても平気だと思ったのだ――「そんな大層なものではありません」と首を振った。
男は綾那を眺めたまま微かに首を傾けると、おもむろに静真に近付き、彼に何事か耳打ちした。
静真は驚いたように体を硬直させたが、しかしすぐさま頷くと教会の扉――幸輝へ歩み寄った。
そして彼の前に屈むと、今度は静真が幸輝へ何事か耳打ちをし始める。綾那は不思議に思ったが、ふと男がこちらに向かって歩いて来ている事に気付くと、目を瞬かせた。
「折角だから、頂こうか」
「――え?」
「確か裏庭にテラスがあったな。あいにくの天気だが、案内して欲しい」
「は、はい……」
男は言いながら、綾那の手から茶器の載ったトレーを抜き取った。まさかまさかの展開である。
まず茶を飲むなんて選択をするとは思わなかったし、そもそも客の男が手ずから茶を運ぶのは、どう考えたっておかしい。
まあ、せっかく幸輝が頑張って淹れたお茶だ。飲んでくれると言うなら彼も喜ぶだろうが――と幸輝を見やれば、何故か彼は慌てた様子で走り出すと、子供部屋のある二階へ続く階段を駆け上って行った。
(えっ、幸輝どこ行くの? 静真さんは……良かった、居る)
あれだけお茶出しすると息巻いていたのだから、最後までやり切って欲しい。何をシレッと綾那にバトンタッチしているのだ。
そもそもこの客人は、どこの誰なのだろうか。静真とは何を話していたのだろうか。
テラスを案内しろという事は、まだ話が終わっていないのか――それとも子供が茶を淹れたのだからと、気を遣ってくれただけか。
それに、静真に耳打ちしたのはなんだったのだ。幸輝は、あんなに慌ててどうしたのだ。
綾那は頭上に大量の『?』を飛ばしながらも、ひとまず客人と静真の前を歩いて、教会の裏庭へ向かう事にした。
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