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第5章 番外編
3 偶像の力(※陽香視点)
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無事「偶像」の被験者二名を選抜した一行は、彼らを連れて訓練場の舞台裏まで移動した。
大会中はここに調理器具と食材を運び込み、街から呼び寄せた料理人がせっせとホットドッグつくりに精を出していた。それらはすっかり片付け終わっているようで、今は何もないがらんとした空間になっている。
この場へ集められたのは、颯月、陽香、アリス、ルシフェリア。そして明臣、幸成、桃華と、被験者が二名だ。
颯月は更に、冗談でもなんでもなく万が一が起きた場合には――自身が綾那を裏切る前に――介錯するようにと、竜禅を呼び寄せた。
「えーっと、そんじゃあ今からアリスの「偶像」の封印を解く訳だけど……コレ、直接見るとアウトだから。あの「水鏡」ってヤツ応用して、でかい姿見として使えたりしない? 鏡越しに見るならセーフなんで、あれば二人が釣られる様が分かりやすいと思うんだけど」
陽香の問いかけに、颯月が壁の一面に向かって「水鏡」を掛けた。
現れた水の鏡は室内の様子を鮮明に映し出していて、部屋の中央に立つアリス、その正面に並ぶ若手二人の姿もよく見える。
これで颯月達はアリスに背を向けた状態で、室内の様子を鏡越しに窺う事ができるだろう。
伊織と若手はなんの説明も受けていないため、「釣られる――?」と首を傾げたが、そもそも今から何が起きるのかも分からないままやって来たのだ。
さりとて嫌がる素振りも見せず、ただ陽香から「見てろ」と言われたアリスを素直に注視している。現状二人はまともな状態で、アリスに対してメロメロだとか、彼女を欲して止まないとか、そんな事はなさそうだ。
陽香は「若手の二人以外は、絶対に直接見るなよ」と念を押してから、ルシフェリアを――ちなみに、伊織もまた綾那そっくりのルシフェリアを見て、一時激しく動揺していた――見やった。
「じゃあシア、頼んだ」
「はーい、頼まれた。それじゃあ行くよ」
ルシフェリアは早速、アリスに向かって手を翳した。
特に光り輝くとか音が鳴るとか、何かしらのエフェクトがあった訳ではないが――室内には、最早誰のものか分からない「ごくり」と生唾を飲み込む音が響いた。
傍から見ている者には一切分からなかったが、しかしアリス本人は何か違いに気付いたのだろう。彼女は「あ」と小さく呟いて、自身の手の平をぐーぱーと閉じたり開いたりしている。
やがてルシフェリアは、翳していた手を下ろした。
七、八歳まで成長していた姿があっという間に三、四歳ぐらいまで退行したところを見るに、アリスの封印されていたギフトは無事解放されたらしい。
――すると、次の瞬間。アリスを注視していた若手二人が、ほぼ同時に膝から崩れ落ちた。
両名は床に手をついて這いつくばったまま、微動だにしない。しかし、やがて一人が顔を上げた。
「す――好きです、俺のモノになってください……!!」
口を開いたのは、度々陽香に「付き合ってくれ」と叫んでいた若手だった。
アリスを注視してこちらに背を向けているため、鏡に彼の表情は映っていない。だが、その声色は熱に浮かされるようで――それでいて、酷く切実なものだった。
まるで泣き叫ぶように「俺、あなたのためならなんでもします! だからお願いします、俺だけ見てください!」と熱苦しく告白する若手の姿を鏡越しに見た颯月達は、豹変した彼の態度に絶句している。
同じ神子でギフトに対する抗体があるのか謎だが、不思議と「偶像」の効果を受けない陽香は、「な、スゲーだろ?」と肩を竦めた。
若手の勢いは止まらず、彼は延々とアリスの容姿を絶賛している。ほぼ初対面で人となりなんて知らないし、万人受けする素顔ならばともかく、好みの分かれるド派手なギャルメイクを施しているにも関わらず――だ。
その様相はまさにトランス状態で、完全に「偶像」がキマっているらしい。やがて彼は見ているだけでは物足りなくなってしまったのか、おもむろに立ち上がろうとした。
しかし、アリスはすかさず手の平を突き出して、「なんでもするって言うなら、そこから一歩も動かないでくれる?」と、硬い声色ではっきりと拒絶した。
男はグッと息を呑むと――アリスに声を掛けられた事による喜びなのか――恍惚とした熱っぽい表情で、「はい」と頷いた。
まるで、女王とその忠実な飼い犬だ。拒絶されているにも関わらず、当人にとってはこの上ないご褒美なのだから、全くもって「偶像」の力は恐ろしい。
鏡越しとは言え尋常ではない若手の様子に、一行はなんとも言えない表情になってしまった。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。颯もこうなっちまうのか? さすがに、アイドクレースの騎士団長が『犬』に成り下がるのはまずいんじゃあ――」
水の鏡に映し出された幸成の顔は、相当引いている。彼の隣で腕組みをする颯月は、「だから、ならねえよ。不吉な事を言うな」と反論して、肘で幸成を小突いた。
「姫は姫ではなく、『女王』だったのか――」
明臣はキラキラしい顔でどこまでも真剣に悩むと、まるでこの世の真理に到達したとでも言うように、ハッとしてそんな事を呟いた。
いきなり女王と称されたアリスは、すかさず鏡越しに明臣を見やると、「誰が女王よ! そんな可愛くない称号要らないわ!」と頬を膨らませる。
そうして一行がワーワー騒いでいる間にも、「待て」を下された若手の彼はアリスを熱っぽい眼差しで見つめている。段々息遣いも荒くなり、今にも身悶えてしまいそうだ。
陽香はそんな彼を見ながら、「本当に、可哀相な事をさせているな」と妙な罪悪感に駆られた。
いくらルシフェリアが彼の記憶を消せると言ったって、この場に集められた者全員の記憶から抹消するとは言っていなかった。きっと全て皆の『思い出』として、色濃く残されてしまうだろう。
そもそもの話、傾向と対策と言ったって、「偶像」相手にそんなものは通用しない。初めから問答無用で颯月に試合させるべきだった。そうすれば、犬になるのは颯月一人で済んだだろうに。
未来ある若者二人を道連れにするのは、さすがにやりすぎであった。
陽香がうーんと唸っていると、不意にアリスが「ねえ」と硬い声を投げ掛けた。
「陽香。そっちの子、耐えてるっぽいんだけど――」
「は?」
陽香は弾かれるようにして、いまだ床に這いつくばったままの『そっちの子』――もとい、伊織を見た。
彼は床に両手両膝をついた体勢のまま頭を垂れて、ふるふると小刻みに震えている。
てっきり「偶像」を浴びて言葉を失い、アリスの美貌に打ちひしがれているのだろうと思っていたのだが、どうにも様子が違うようだ。
彼は頑なにアリスを視界へ入れないようにしているのか、床を睨みつけながら口を開いた。
「お前! お前は、喋るな! 声が――声が障る!!」
「おま……わ、私に言ってる!?」
「お前以外に誰が居る、喋るな! その声を聞くたびに、頭がおかしくなりそうなんだ……ッ!!」
伊織の声は酷く苦しげだ。「偶像」が全く効いていない訳ではないらしい。今もその誘惑と戦っているのか、両手の爪はグッと床に突き立てられている。
陽香はそんな伊織を見て、ぽかんと呆けた顔をした。
「は……? マジかよイオリン……お前、まさか「偶像」を跳ねのけるほどアーニャが好きとか言い始める?」
「だ、誰がイオリンだッ!?」
アイドクレース騎士団に入団してからというもの――慇懃無礼ではあるが――誰に対しても敬語を使っていた伊織が、今は猫を被る余裕すらないらしい。
彼は邪念を打ち払うようにブンブンと頭を横に振ると、相変わらず床を見つめたまま唸った。
「こ、これは、一体なんなんだ? 何故私にこんな真似を!? 私が愛するのは、お前じゃない……私は、私は綾さんが――!」
「……やべぇ。颯様、いよいよ負けられなくなったぞ、コレは……負けたら、アーニャは間違いなくイオリンのものだ」
「――――なんだと」
陽香の言葉に、颯月は思わずと言った様子で振り向きかけた。しかし寸でのところで直接見てはならない事を思い出したのか、ぴたりと動きを止める。
「だってこんな、マジかよ。思わぬ伏兵が現れたぞアリス……アーニャの好み云々はともかくとして、ナギ的には絢葵顔の颯様より、イオリンの方が好感度高そうじゃねえか?」
「言えてるわね……しかもこれで「偶像」まで効かないとなれば、むしろ全力で外堀を埋めて囲い込みそうじゃない? この子なら綾那を幸せにできるって」
大きく頷いて同意するアリスに、またしても伊織の表情が苦痛に歪む。「偶像」の効果が発揮されるのは、発動者を直接見た時だけではない。一度でも釣られると、機械を通さない肉声にまで効力が出てしまうのだ。
だから今の伊織は、アリスの声を聞いているだけでも惹かれて仕方がないのだろう。
「オイ待て、ふざけるな。この顔が悪いなら原型無くすまで潰すから、綾を没収しようとするんじゃない」
「いや、その顔が潰れて一番嘆くのは、間違いなくアーニャなんだけどな? ――で、イオリン今どんな感じだ? 勝てそうな感じ?」
「どんな? 勝てそう……? そう言われても、何が起こっているのか全く分からない……!」
伊織はグッと眉根を寄せて、両目を固く閉じた。そして、やはり苦しげな声でもって、現在置かれている状況を説明し始める。
「とにかく、この洗脳魔法は酷く不快だ! 私の綾さんへの想いを、上から無理矢理に塗り潰していくような……しかもその女を見るたび、声を聞くたびに綾さんが色濃く潰れて行く!」
「いや、これ洗脳魔法じゃないのよ――」
「喋るな!! 良いか、よく聞け!? 私が……私が心の底から願うのは、綾さんの――綾さんのあの豊かな胸に顔を埋める事であって、お前のような断崖絶壁はお呼びではないッ!! 断固チェンジだ!!!」
「………………あー決めた。アンタだけは、何がなんでも「偶像」で釣るわね」
アリスはおもむろにしゃがみ込むと、伊織の頬をガッと手で掴んで、無理矢理に顔を上げさせた。そうして至近距離で目を合わせれば、伊織は苦悶の表情を浮かべながらも、段々と頬を紅潮させていく。
「うぐっ!? や、やめろ、触るな! 触れたところが痺れ――うう、その顔を見せるんじゃない……!!」
「ほーら、よく見なさいよ。アンタは段々私を好きになーる、好きになったら血を吐くまで謝罪したくなーる……」
「おい、年下相手にやめとけよ……おとなげねえぞ、グランドキャニオン」
「誰が断崖絶壁超えて渓谷の世界遺産よ!? こんな生意気な子、ちょっと謝罪させるぐらい良いでしょうが!」
陽香がやや引いた眼差しを向けながらアリスを諫めれば、彼女はますます伊織を落とそうと躍起になる。
伊織はもう限界が近いようで、瞳を熱っぽく潤ませてアリスを見やり、唇は「好き」と言いかけたように戦慄いて――そして、爆発したように叫んだ。
「ぐあぁああ! 嫌だああぁああ! 断崖絶壁にときめきを覚えるなど……っこんなの、こんなの私の本意ではないぃい!! ――でも好きだ、好きです! 結婚してください!!」
「い、いい加減ぶっ飛ばすわよ、アンタ!? プロポーズの前に謝りなさいよ!!」
「姫――いや女王、安心して欲しい! 大きければ良いと言うものではないよ、形だって重要だ!」
「その形を作るだけの肉がない場合はどうすれば良いのよ!! 世の中には、そもそも受肉してない人だって大勢居るのに!!!」
アリスはそのまま「って言うか女王はやめて!!」と叫んだ。
すっかり混沌とした空間で、颯月は静かに「とりあえず、もしもの時は伊織も殺そう」と呟いたのであった。
大会中はここに調理器具と食材を運び込み、街から呼び寄せた料理人がせっせとホットドッグつくりに精を出していた。それらはすっかり片付け終わっているようで、今は何もないがらんとした空間になっている。
この場へ集められたのは、颯月、陽香、アリス、ルシフェリア。そして明臣、幸成、桃華と、被験者が二名だ。
颯月は更に、冗談でもなんでもなく万が一が起きた場合には――自身が綾那を裏切る前に――介錯するようにと、竜禅を呼び寄せた。
「えーっと、そんじゃあ今からアリスの「偶像」の封印を解く訳だけど……コレ、直接見るとアウトだから。あの「水鏡」ってヤツ応用して、でかい姿見として使えたりしない? 鏡越しに見るならセーフなんで、あれば二人が釣られる様が分かりやすいと思うんだけど」
陽香の問いかけに、颯月が壁の一面に向かって「水鏡」を掛けた。
現れた水の鏡は室内の様子を鮮明に映し出していて、部屋の中央に立つアリス、その正面に並ぶ若手二人の姿もよく見える。
これで颯月達はアリスに背を向けた状態で、室内の様子を鏡越しに窺う事ができるだろう。
伊織と若手はなんの説明も受けていないため、「釣られる――?」と首を傾げたが、そもそも今から何が起きるのかも分からないままやって来たのだ。
さりとて嫌がる素振りも見せず、ただ陽香から「見てろ」と言われたアリスを素直に注視している。現状二人はまともな状態で、アリスに対してメロメロだとか、彼女を欲して止まないとか、そんな事はなさそうだ。
陽香は「若手の二人以外は、絶対に直接見るなよ」と念を押してから、ルシフェリアを――ちなみに、伊織もまた綾那そっくりのルシフェリアを見て、一時激しく動揺していた――見やった。
「じゃあシア、頼んだ」
「はーい、頼まれた。それじゃあ行くよ」
ルシフェリアは早速、アリスに向かって手を翳した。
特に光り輝くとか音が鳴るとか、何かしらのエフェクトがあった訳ではないが――室内には、最早誰のものか分からない「ごくり」と生唾を飲み込む音が響いた。
傍から見ている者には一切分からなかったが、しかしアリス本人は何か違いに気付いたのだろう。彼女は「あ」と小さく呟いて、自身の手の平をぐーぱーと閉じたり開いたりしている。
やがてルシフェリアは、翳していた手を下ろした。
七、八歳まで成長していた姿があっという間に三、四歳ぐらいまで退行したところを見るに、アリスの封印されていたギフトは無事解放されたらしい。
――すると、次の瞬間。アリスを注視していた若手二人が、ほぼ同時に膝から崩れ落ちた。
両名は床に手をついて這いつくばったまま、微動だにしない。しかし、やがて一人が顔を上げた。
「す――好きです、俺のモノになってください……!!」
口を開いたのは、度々陽香に「付き合ってくれ」と叫んでいた若手だった。
アリスを注視してこちらに背を向けているため、鏡に彼の表情は映っていない。だが、その声色は熱に浮かされるようで――それでいて、酷く切実なものだった。
まるで泣き叫ぶように「俺、あなたのためならなんでもします! だからお願いします、俺だけ見てください!」と熱苦しく告白する若手の姿を鏡越しに見た颯月達は、豹変した彼の態度に絶句している。
同じ神子でギフトに対する抗体があるのか謎だが、不思議と「偶像」の効果を受けない陽香は、「な、スゲーだろ?」と肩を竦めた。
若手の勢いは止まらず、彼は延々とアリスの容姿を絶賛している。ほぼ初対面で人となりなんて知らないし、万人受けする素顔ならばともかく、好みの分かれるド派手なギャルメイクを施しているにも関わらず――だ。
その様相はまさにトランス状態で、完全に「偶像」がキマっているらしい。やがて彼は見ているだけでは物足りなくなってしまったのか、おもむろに立ち上がろうとした。
しかし、アリスはすかさず手の平を突き出して、「なんでもするって言うなら、そこから一歩も動かないでくれる?」と、硬い声色ではっきりと拒絶した。
男はグッと息を呑むと――アリスに声を掛けられた事による喜びなのか――恍惚とした熱っぽい表情で、「はい」と頷いた。
まるで、女王とその忠実な飼い犬だ。拒絶されているにも関わらず、当人にとってはこの上ないご褒美なのだから、全くもって「偶像」の力は恐ろしい。
鏡越しとは言え尋常ではない若手の様子に、一行はなんとも言えない表情になってしまった。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。颯もこうなっちまうのか? さすがに、アイドクレースの騎士団長が『犬』に成り下がるのはまずいんじゃあ――」
水の鏡に映し出された幸成の顔は、相当引いている。彼の隣で腕組みをする颯月は、「だから、ならねえよ。不吉な事を言うな」と反論して、肘で幸成を小突いた。
「姫は姫ではなく、『女王』だったのか――」
明臣はキラキラしい顔でどこまでも真剣に悩むと、まるでこの世の真理に到達したとでも言うように、ハッとしてそんな事を呟いた。
いきなり女王と称されたアリスは、すかさず鏡越しに明臣を見やると、「誰が女王よ! そんな可愛くない称号要らないわ!」と頬を膨らませる。
そうして一行がワーワー騒いでいる間にも、「待て」を下された若手の彼はアリスを熱っぽい眼差しで見つめている。段々息遣いも荒くなり、今にも身悶えてしまいそうだ。
陽香はそんな彼を見ながら、「本当に、可哀相な事をさせているな」と妙な罪悪感に駆られた。
いくらルシフェリアが彼の記憶を消せると言ったって、この場に集められた者全員の記憶から抹消するとは言っていなかった。きっと全て皆の『思い出』として、色濃く残されてしまうだろう。
そもそもの話、傾向と対策と言ったって、「偶像」相手にそんなものは通用しない。初めから問答無用で颯月に試合させるべきだった。そうすれば、犬になるのは颯月一人で済んだだろうに。
未来ある若者二人を道連れにするのは、さすがにやりすぎであった。
陽香がうーんと唸っていると、不意にアリスが「ねえ」と硬い声を投げ掛けた。
「陽香。そっちの子、耐えてるっぽいんだけど――」
「は?」
陽香は弾かれるようにして、いまだ床に這いつくばったままの『そっちの子』――もとい、伊織を見た。
彼は床に両手両膝をついた体勢のまま頭を垂れて、ふるふると小刻みに震えている。
てっきり「偶像」を浴びて言葉を失い、アリスの美貌に打ちひしがれているのだろうと思っていたのだが、どうにも様子が違うようだ。
彼は頑なにアリスを視界へ入れないようにしているのか、床を睨みつけながら口を開いた。
「お前! お前は、喋るな! 声が――声が障る!!」
「おま……わ、私に言ってる!?」
「お前以外に誰が居る、喋るな! その声を聞くたびに、頭がおかしくなりそうなんだ……ッ!!」
伊織の声は酷く苦しげだ。「偶像」が全く効いていない訳ではないらしい。今もその誘惑と戦っているのか、両手の爪はグッと床に突き立てられている。
陽香はそんな伊織を見て、ぽかんと呆けた顔をした。
「は……? マジかよイオリン……お前、まさか「偶像」を跳ねのけるほどアーニャが好きとか言い始める?」
「だ、誰がイオリンだッ!?」
アイドクレース騎士団に入団してからというもの――慇懃無礼ではあるが――誰に対しても敬語を使っていた伊織が、今は猫を被る余裕すらないらしい。
彼は邪念を打ち払うようにブンブンと頭を横に振ると、相変わらず床を見つめたまま唸った。
「こ、これは、一体なんなんだ? 何故私にこんな真似を!? 私が愛するのは、お前じゃない……私は、私は綾さんが――!」
「……やべぇ。颯様、いよいよ負けられなくなったぞ、コレは……負けたら、アーニャは間違いなくイオリンのものだ」
「――――なんだと」
陽香の言葉に、颯月は思わずと言った様子で振り向きかけた。しかし寸でのところで直接見てはならない事を思い出したのか、ぴたりと動きを止める。
「だってこんな、マジかよ。思わぬ伏兵が現れたぞアリス……アーニャの好み云々はともかくとして、ナギ的には絢葵顔の颯様より、イオリンの方が好感度高そうじゃねえか?」
「言えてるわね……しかもこれで「偶像」まで効かないとなれば、むしろ全力で外堀を埋めて囲い込みそうじゃない? この子なら綾那を幸せにできるって」
大きく頷いて同意するアリスに、またしても伊織の表情が苦痛に歪む。「偶像」の効果が発揮されるのは、発動者を直接見た時だけではない。一度でも釣られると、機械を通さない肉声にまで効力が出てしまうのだ。
だから今の伊織は、アリスの声を聞いているだけでも惹かれて仕方がないのだろう。
「オイ待て、ふざけるな。この顔が悪いなら原型無くすまで潰すから、綾を没収しようとするんじゃない」
「いや、その顔が潰れて一番嘆くのは、間違いなくアーニャなんだけどな? ――で、イオリン今どんな感じだ? 勝てそうな感じ?」
「どんな? 勝てそう……? そう言われても、何が起こっているのか全く分からない……!」
伊織はグッと眉根を寄せて、両目を固く閉じた。そして、やはり苦しげな声でもって、現在置かれている状況を説明し始める。
「とにかく、この洗脳魔法は酷く不快だ! 私の綾さんへの想いを、上から無理矢理に塗り潰していくような……しかもその女を見るたび、声を聞くたびに綾さんが色濃く潰れて行く!」
「いや、これ洗脳魔法じゃないのよ――」
「喋るな!! 良いか、よく聞け!? 私が……私が心の底から願うのは、綾さんの――綾さんのあの豊かな胸に顔を埋める事であって、お前のような断崖絶壁はお呼びではないッ!! 断固チェンジだ!!!」
「………………あー決めた。アンタだけは、何がなんでも「偶像」で釣るわね」
アリスはおもむろにしゃがみ込むと、伊織の頬をガッと手で掴んで、無理矢理に顔を上げさせた。そうして至近距離で目を合わせれば、伊織は苦悶の表情を浮かべながらも、段々と頬を紅潮させていく。
「うぐっ!? や、やめろ、触るな! 触れたところが痺れ――うう、その顔を見せるんじゃない……!!」
「ほーら、よく見なさいよ。アンタは段々私を好きになーる、好きになったら血を吐くまで謝罪したくなーる……」
「おい、年下相手にやめとけよ……おとなげねえぞ、グランドキャニオン」
「誰が断崖絶壁超えて渓谷の世界遺産よ!? こんな生意気な子、ちょっと謝罪させるぐらい良いでしょうが!」
陽香がやや引いた眼差しを向けながらアリスを諫めれば、彼女はますます伊織を落とそうと躍起になる。
伊織はもう限界が近いようで、瞳を熱っぽく潤ませてアリスを見やり、唇は「好き」と言いかけたように戦慄いて――そして、爆発したように叫んだ。
「ぐあぁああ! 嫌だああぁああ! 断崖絶壁にときめきを覚えるなど……っこんなの、こんなの私の本意ではないぃい!! ――でも好きだ、好きです! 結婚してください!!」
「い、いい加減ぶっ飛ばすわよ、アンタ!? プロポーズの前に謝りなさいよ!!」
「姫――いや女王、安心して欲しい! 大きければ良いと言うものではないよ、形だって重要だ!」
「その形を作るだけの肉がない場合はどうすれば良いのよ!! 世の中には、そもそも受肉してない人だって大勢居るのに!!!」
アリスはそのまま「って言うか女王はやめて!!」と叫んだ。
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