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第5章 奈落の底で絆を深める

28 今後の方針

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 執務室で陽香と軽い打ち合わせを済ませた後。綾那は、久々に颯月と別れて騎士団宿舎の外へ出た。
 まあ、外と言っても敷地内だし、豪奢な裏門が存在感を放つ宿舎の庭である。

 魔法の効果を確かめるため、繊維祭が終わるまでは颯月と夜の散歩を続ける事にしたものの――魔法の効果が凄まじかった時でさえ、真昼間に眷属が襲ってきた事は一度もない。綾那が何かしらの危険を感じた事もない。
 正直な話、ルシフェリアが「そろそろ光魔法の効果が消える」と告げたからには、間違いなく安全なのだろう。

 そもそも、死にたくなければ四六時中共に居ろというアドバイスは、恐らくこの先別れる事になるから、少しでも仲睦まじく暮らして良い思い出を作りなさい――という、ありがたい言葉であったに違いない。

 それでも過保護が辞められない颯月は、大量の書類を片付け次第綾那と合流する事になった。幸成もその補佐をするため執務室に残っていし、補佐が終われば若手の育成に戻ると言うのだから、やはり彼も立派な社畜だ。

 綾那は陽香と共に庭まで移動して、いまだ宿屋暮らしを続けているアリスを招待した。ぶっちゃけ、部外者だろうが綾那や陽香の私室なら招いても良いのではないか? と思いつつも、規則は規則なので仕方がない。

 何はともあれメンバー三人水入らずで話すのは、アリスと再会した日ぶりの事である。

「あら、綾那アンタ顔色がかなり良くなったわね? 好きな男と同室でも、少しは眠れるようになったの?」
「うーん、まだどうしても緊張しちゃうけど、それなりにね」

 体調が快復したのは、ルシフェリアのお陰なのだが――今はその事について話せないため、綾那は苦笑交じりに濁した。化粧品を手に入れたアリスは今日もバッチリとメイクを施していて、とんでもない目力の強さである。

 思えば、今まで「偶像アイドル」がどうとか颯月が取られるとか考えるのに必死で、彼女と再会した喜びをしっかりと表現していなかった気がする。
 綾那はじっとアリスの顔を眺めて、小さく笑みを漏らした。

「……何よ、人の顔見て笑って。機嫌よさそうじゃない」
「うん? 改めて、アリスが生きてて良かったなあって。一番心配していたんだよ、ヴェ――あのに気に入られていたし、アリスは戦えないし、「偶像」もちだし……変なのが群がって、困っているんじゃあないかって」

 危うくヴェゼルと言いかけたが、綾那は寸での所でイカと言い直した。
 ゆくゆくはアリスにも、ヴェゼルについて「あの時のイカです」と説明しなければならないだろうが――きっとそれは、彼が「偶像」の力でアリスの正体に気付いた時の話である。

 アリスはぱちぱちと目を瞬かせると、不意に綾那から視線を逸らした。そして俯きがちになって、黒髪のウィッグの毛先を指に巻き付けて遊ばせる。

「ふ、ふぅん……そうなんだ――」

 どこかぶっきらぼうなアリスの言葉に頷くと、綾那は更に続ける。

「もし次があるとしたら――今度は絶対に、手を離さないからね。例えアリスの手が折れても、潰れても……絶対にだよ」
「いや、それはさすがに離してくれて良いわよ!? ……それに、初めてここへ「転移」した時の事だって、結果無事だったから良いのよ。ただ、その――」

 言いづらそうに口ごもったアリスに、綾那は首を傾げる。しばらく待っていても、彼女はその先を口にせずイジイジと髪の毛で遊ぶばかりた。
 やがて陽香が焦れたのか、「ああもう」とアリスの背中をバンと叩いた。

「コイツ「偶像」で颯様を奪う事になるから、本当はアーニャに「再会したくなかった」って思われてんじゃねえかって、気にしてんだよ」
「え――い、いやいや! それはもう! 気にしないで、そもそも私の今までの行いが悪かったんだから、仕方のない部分あるよね……でも、釣るからには颯月さんの事を幸せにして欲しいな」
「……まあ正直、私もイケメンは大好きだし、『絢葵あやきネクストエボリューション』って感じのあの人が私の虜になって尽くしてくれるのは、アリ寄りの大アリだと思ってるけど――」
「サイテーだな、お前! サイテーの寝取り野郎だな!! ……てか、絢葵ネクストエボリューションって何!?」

 大袈裟なリアクションで天を仰ぐ陽香に、アリスは「寝取りじゃないし!」と反論した。そうして気を取り直すようにコホンと咳払いすると、ちらりと綾那の顔色を窺った。

「その――陽香から、今回の綾那は本気っぽいって聞いてちょっと揺れるって言うか? でも渚と再会した時の事を思うと、やっぱり私は私の仕事をしなきゃと思う訳で……何もせずに傍観したなんて事になったら、マジでぶっ飛ばされるに決まってるもの」
「うーん……渚が人をぶっ飛ばす所、想像つかないなあ」
「そりゃ、アンタの前じゃあ猫被ってるからね……アンタにだけは、一番の理解者だと思われたいんでしょう。ホンット腹黒いんだから。綾那の目の届かない裏で一番ヤバイ事やってるわよ、あの子」

 そう言って肩を竦めたアリスに、綾那はやはり信じられないと首を捻るばかりだ。どうしたって綾那の思う渚のイメージは、賢く人畜無害で、やる気のない女性である。
 そんな彼女を恐れる陽香とアリスの気持ちが、全く理解できない。まあ確かに、賢くて頭の回転が速く口も達者だから、颯月と同様「敵に回るとしんどいタイプだろうな」とは思うが。

「まず、綾那が今まで散々やらかしてきた事がほとんど世間の目に晒されていない理由を考えただけで、渚の恐ろしさが分かるってモンでしょう。アレ、全部あの子が裏で方々へ根回ししたせいよ。あと、諸悪のを摘み取るのもね」
「諸悪の根源を摘み取る……?」
「私が「偶像」でアンタから馬鹿男を引き離して、その後は渚が上手く処理してたって事」
「――処理」

 何やら、先ほどから物騒なワードばかり飛び出てくる。
 過去元カレのなんて気にした事がなかったのだが――もしや綾那が惚れたばっかりに、今まで付き合ってきた絢葵似の彼らは、『処理』されてしまったと言うのか。
 思わず表情を曇らせると、陽香がフォローするように口を挟んだ。

「いや、処理っつっても、別に物理的に何かする訳じゃあねえからな? 金を握らせて法的な誓約書にサインさせて口封じ~とか、ナギの謎ネットワークを駆使して男を強請ゆするネタを用意してから、「綾那と付き合ってたなんて周りに吹聴すれば、どうなると思う?」って言う『分からせ攻撃』とか――思えば、物理以外ならなんでもしてたな、アイツ。やっぱこえぇ……」

 そう呟いてぶるりと体を震わせた陽香に、綾那は伏目がちになって己の胸元に手を当てた。まるで、深い感銘を受けたように。

「そっか……私、知らない所でずっと渚に守られていたんだね――」
「守――守る……う、うん、まあ、そう……なるのか? いや、確かに『四重奏カルテットの綾那』的には、ナギがイメージを守り続けてきた事になるんだろうけど……うーん、物は言いようだな。だからこそナギに好かれんのか――?」
「綾那ってホント、何したら怒るのかしらね」
「え? でも私こっちに来てから、かなり怒りっぽくなったと思うよ?」
「――たぶん、基準になるスタート位置が人と全く違うのよね。それはそうと、じゃあ、本当に「偶像」使っても良いのね? 渚に怒られたくないから、ギフトの封印が解けたら仕事しちゃうわよ、私」

 改めてアリスに問われた綾那は、瞬時に様々な事を考えた。
 本当は「偶像」なんて使う事なく、ルシフェリアに渡してしまって欲しい。そうすれば颯月が取られる事はないし、綾那が悲しい思いをする事もない。
 しかしそれは、颯月にとって『逃げ』で――いつまで経っても「あの時に逃げたから」なんて考えが纏わりつくのは、互いに苦痛だろう。

(それに前アリスが言ってたけど、どうせなら「偶像」にも釣られないような完璧な男が良いんじゃない? ていうのは……正直、確かめてみたい)

 もしも颯月がアリスに釣られなければ。「偶像」に耐え抜いて、綾那の元へ帰って来てくれたならば――。

(その時はもう、『問答無用で結婚』! ドン、これです……ッ!! ハッピーウェディング、私――!!)

 綾那は、まるで企画のタイトル発表みたいなノリの事を胸中で叫ぶと、万が一にも声に出さないように、クッと眉間に力を入れて唇を噛みしめた。

 今はありがたい事に、アリスも陽香も綾那に同情的である。しかし、「颯月さんが「偶像」に耐えたら、とっても結婚したいです」なんて願望を素直に声に出せば、一巻の終わりである。きっと二人共、全力で『颯様、偶像で一本釣り』に興じてしまうだろう。

 そもそも――例え、限りなく勝率の少ない賭けであろうとも――「偶像」を使わないと渚が怒ると言われれば、綾那に選択肢などない。ただ颯月は耐えると信じて、彼にベットするしかないのだ。

「――平気、平気だよ。きっと颯月さんは大丈夫だし……大丈夫じゃなかったとしても、私は耐えられるから」
「そう……なら、張り切って釣るわね。いつ封印が解かれるのか分かんないけど」
「うーん、颯月さんが眷属狩り頑張ってくれているから、もう一、二週間もすれば解けちゃうんじゃないかなあ」

 もっと具体的に言うと、繊維祭の直後だ――とは話せないため、綾那は笑って誤魔化した。そして、せっかく集まったなら三日後に迫る大食い大会について話したいと、話題を変える。

「そう言えば大食い大会、明臣さんも出るんだってね」
「あー、キラキラ王子枠だぜ。動画的に美味しいキャラだろ? まだ当分アイドクレースに居るって言うから、使わなきゃ勿体ねえじゃん」
「……まあ、確かに見た目は王子様っぽいわよね、明臣って」

 何やら含みのある言い方をするアリスに、綾那は首を傾げた。明臣は見た目だけでなく、物腰柔らかく喋り方も優しいし、中身まで王子らしいからだ。

 本人や右京から「戦い方が荒く、連れが居ると全力を出せない」とは聞かされているが、あの王子が荒ぶる姿など想像できない。意外と右京みたいに、途中で魔力の制御が面倒になって投げる人なのだろうか。そこまで考えて、ふと綾那の頭に一つ疑問が浮かび上がる。

「――あれ? そう言えば明臣さん、いくらマナ吸収抑制の魔具を付けているとは言っても、『異形』が見当たらないよね。もしかして、颯月さんタイプなのかな」

 マナ吸収抑制の魔具は、より効果の高いものであれば、悪魔憑きの特徴である金髪と赤目を隠す事ができる。ただし髪と目の色が隠せるだけで、右京のキツネ耳や尻尾とか、幸輝の頭の角とか――朔のサメ歯なんかは隠せずに、そのまま残る。

 つまり明臣も、どこかしらに悪魔憑きの『異形』を抱えているはず。しかし彼は一見すると、ただの人だ。
 颯月の刺青のように、服で隠せるタイプのものなのだろうか。綾那が考察していると、隣で陽香が口を開いた。

「それ、聞いても教えてくんないんだよ。アリスお前、見た事あんだろ?」
「あるけど……でもアレって多分、人から聞くよりも直接自分の目で見た方が絶対に面白いから。私、ネタバレ嫌いなタチなのよね」
「お、面白い?」
「私が言えるのはただ、それだけよ――明臣がアイドクレースに留まっている内に、見られると良いわね」

 どこか遠い目をして達観した様子で話すアリスに、綾那と陽香はますます首を傾げるのであった。
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