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第5章 奈落の底で絆を深める

15 不正は許さず

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「――つまり、何? 結局そのお友達の「アイドル」って力、今は使われてないって事?」

 木陰で一連の説明を受けた右京は、「洗脳されずに済んで良かった」と胸を撫で下ろした。アリスは、美少女と見紛う美少年をまじまじ見ると、わあと両手で口元を押さえて頬を染めた。

「なあに、このちびっ子騎士? 超可愛いんだけど……! 私「偶像アイドル」のせいで、子供とも満足に触れ合えなかったから……!」
「あ、コイツ本当は二十五歳だから、あんま舐めんなよ。あとあたしのペットだから、変なちょっかいは出さないようにな」
「……アンタ、何訳分かんない言ってんの?」

 陽香は、まるで変質者からアイドルを守る敏腕マネージャーのように右京を背に庇っている。アリスは首を傾げ、庇われた右京もまた「オネーサンが言うんだ……?」と首を捻った。
 確かに、右京の本来の姿を知って尚子ども扱いをし続けている陽香が口にするには、あまりにも説得力がない言葉だ。

「姫、右京くんは「時間逆行クロノス」という魔法を使っているんだよ。本来の姿は彼女の言う通り、二十五歳の大人なんだ。でも、普段は訳あって子供の姿で――」

 あえて「悪魔憑きだから」ではなく「訳があって」と濁した明臣に、右京は小さく鼻を鳴らした。

「いーよ、別に伏せなくて……僕悪魔憑きだから、『異形』を隠すためにはこうするしかないんだよね」
「えっ、じゃあ君――あなたも、になるの……? カフスじゃなくて、魔法で抑えてるって事?」

 僅かに唇の端を引きつらせたアリスの問いかけに、右京は大きな目を瞬かせた。そして、どこか気まずそうな顔をして目を逸らしている明臣を見やる。

「――明臣、君……このお姉さんにの?」
「いや、その。少々、必要に迫られて――そ、そもそもマナを吸うためにはカフスを外さなければいけないし……三ヶ月も共に過ごせば、一度も見せずにって言うのは無理があるよ……」
「それもそうか。ええと……勘違いしないで欲しいんだけど、僕は明臣みたいにはならない。呪いの元になった眷属が全く違うからね」
「あ、そ、そうなんだ――です、ね?」
「喋りにくいなら、無理に敬語なんて使わなくて良いよ? 僕アイドクレースでは子供のフリしてるし」

 呆れたような表情を浮かべる右京に、アリスは「分かったわ」と言って頷いた。

「それで、ダンチョー? 結局このお姉さんについてはどうするの? 通行証が発行されるまでは、中に入れないよね」

 右京は、綾那を甲斐甲斐しく手当てしている颯月の背に問いかけた。
 彼は顔だけで振り向くと、さして興味なさげに「そうだな」とだけ返して、また綾那に向き直る。綾那は決まりの悪い表情をして、おずおずと口を開いた。

「颯月さん、私の時と同じ手はもう通用しない……ですよね? さすがに――」

 颯月は通行証をもたない綾那を街へ入れるため、「訳あって身寄りのない悪魔憑きを保護したので、俺の顔に免じて目をつぶってくれないか」と門番に頼んだのだ。
 しかし、いくら訳ありとは言え密入国の犯罪行為である事に違いはない。綾那も出会った当初は、颯月の側近――特に幸成には「よくも颯に犯罪の幇助ほうじょをやらせたな」と目のかたきにされたものだ。

(和巳さんに頼んで、新しく通行証を作ってもらうとしたら――)

 以前、右京と陽香に通行証を発行するまでに要した時間はおよそ二日。今回も正攻法で行けば、それぐらいかかるだろう。
 まあ、アリスはかれこれ三ヶ月過酷な旅と野宿を続けていたらしいし、それが数日延びたところで苦ではないのかも知れない。しかし、最近王都付近では魔物の数が増えているのだ。

 家族が魔物や眷属の危険に晒されるかも知れないと分かっていながら、放置するのは憚られる。颯月はじっと綾那を見たあと、おもむろに口を開いた。

「……綾がどうしてもと願うなら、また犯罪に手を染めても良い」
「ちょっとダンチョー、僕聞き捨てならないんだけど?」

 颯月の言葉に、右京は胡乱な眼差しを向けた。

「ただ、分かっていると思うが――あの日俺が綾を無理やり街の中へじ込んだのは、何があっても逃がしたくなかったからだ。街を出るにも通行証を見せる必要がある以上、不所持の状態で出ようとすれば門番に捕まって騎士団の牢屋行きだろう? 一度でも街へ引き込めば最後、結局俺の管轄からはのがれられんと思ったからこそ、あんな無茶を通したんだ」

 右京の言葉を無視して、颯月は綾那の髪を慈しむように手で梳いた。しかしその甘い行動とは裏腹に、彼の口から飛び出た告白はなかなかに酷いものである。綾那は眉尻を下げて、つい伏し目がちになった。

「あ、あの……そんな罠に嵌められていたなんて、今まで一つ知らなかったんですけど――」
「だから、綾は俺の天使なんだよ。見た目だけでなく中身もな――とにかく。それが今後も俺の傍に綾を置くために必要な事なら、門番に口利きしても良い。ただ一つ問題があるとすれば、お堅いうーたんの気をどう逸らすかだ」
「うーたんはやめて! あと、聞こえる位置で悪だくみするのもやめてよね! 僕、不正は絶対に見過ごさないから! 明臣が傍に居れば、あと二、三日外で待つくらいできるでしょーが!!」

 右京は愛らしい顔を険しくした。今は姿が違うはずなのに、何故だか犬歯が目立って見えたのは目の錯覚だろうか。
 やはり、彼は根が真面目である。以前通行証の二重所持を強制した際も相当嫌がっていたし、その後は考え方もいくらか軟化したように思えたが――そもそもあの時は、他に手がなかったから仕方なくというのが大きい。
 人の考え方や価値観というのは、そう簡単に変わらないという事だろうか。

 下手に右京の前でアリスを密入国させれば、それこそ陽香の時と同じく、牢屋にぶち込みかねない。牢屋もある意味街の中と言えば街の中だし、外よりは安全かも知れないが――四重奏のメンバー四人中二人も牢屋行きになるのは、勘弁して頂きたい。

「ま、良いじゃん! ミンさんに通行証作ってもらうまで、外で待てるだろ?」
「ミンさんが誰なのかもよく分からないけど……別に、あと数日待つくらい平気よ。今までと違って、街が目の前にある安心感は段違いだし……それに何より、もうアンタ達が居るって分かってる訳だしね」

 アリスはそのまま、「でも、化粧品は今すぐに買ってきて欲しい」と真剣なトーンで呟いた。そんな切実な願いをサラッと聞き流した陽香は、明臣に向き直る。

「なあ王子。悪いけど、もう少しコイツのお守り頼めるか? ――もしかして、すぐにルベライトへ帰らないとまずい感じ?」
「いや、それは確かに、いい加減戻らなければとは思いますが……乗りかかった船ですし、落ち着くまではこちらの世話になろうと思います。近辺で魔物が増えているという話も気になりますから」
「……魔物が増えてる? ――え、でも今、全然居なくない?」

 明臣の言葉に、アリスが首を傾げた。
 確かに言われてみれば、今日は綾那達が外に出てからというもの、魔物の姿を一体も見ていない。ここ数日間は、街の正門から視認できる距離まで魔物がやって来る事が多かったのに――。

 魔物達が大移動する原因が消えたか、落ち着くかしたのだろうか。

「ああ。そう言えば、和から報告を聞く暇もなくここまで来ちまったな。通行証の件を話すついでに、その後の確認をしておかないと」
「書類仕事も途中でしたよね、すっかりお昼も過ぎちゃいましたし……」

 綾那が苦笑すれば、颯月はハッとした表情になる。そしてすぐさま苦悩するように顔を歪め、空を仰いだ。

「なんて事だ、綾の昼を抜いてしまうだなんて、万死に値する……! ただでさえ最近、食が細くなって痩せてんのに――!!」
「え? いや、颯月さん、そんな大袈裟な――」
「大袈裟じゃあない、俺は確かなを見た上で言ってるんだ。とにかく、仲間との詳しい話は和が通行証を作ってからだな。今すぐ帰るぞ、禅に食事を用意させる」
「颯月さん、そろそろ「分析アナライズ」するの、やめてもらえませんか……!? プライバシーの侵害です……!」

 颯月は嘆く綾那の手を掴むと、引きずるようにして歩き出した。街へ向かうその背に向かって、ぼそりと言葉が投げ掛けられる。

「普通、人――それも女性に、「分析」なんて使う……?」
「……うーん、私は使わないかな」
「僕もだよ」

 悪魔憑きの二人は、やや引いた様子で颯月の背を見ている。アリスもまた颯月と綾那の後ろ姿を見ながら、ふんと鼻を鳴らした。

「まあ、「偶像」がないからよく分かんないけど……、あの男が綾那を大切に思ってるって事だけは分かったわ」
「こればっかりは見極めるしかねえんだけど、それが難しいのよなあ――」
「――ねえ、本当にアンタ「どっち」の味方なの? 渚を怒らせる勇気あるの?」
「それを言うなよ……あたしだって板挟みになって辛いんだぞ」

 陽香とアリスは顔を見合わせると、揃って深いため息を吐き出したのであった。
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