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第5章 奈落の底で絆を深める

11 綾那の気持ち

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 一行は、明臣の先導で王都アイドクレースの正門まで向かう――はずだった。しかし彼は、まず騎士団本部から外へ出られないレベルの方向音痴を発揮した。応接室を出て、速攻で出口と真逆の方向へ歩き出そうとしたのだ。
 それは本部から街へ出ても変わらず、結局正門まで颯月が先頭に立って歩く事になった。

 明臣はしょんぼりと肩を落としていたが、しかし己がどれだけ酷い方向音痴であるかはっきりと自覚しているらしい。大人しく後ろをついて歩いている。
 こんな状態で、よく本部まで辿り着けたものだなとも思ったが、どうやら親切な門番が本部まで案内してくれたのだそうだ。

 ちなみに、颯月は街中を素顔で歩くとすぐ女性に囲まれてしまう――しかも最悪、卒倒する――恐れがあるので、本部を出てすぐさま「魔法鎧マジックアーマー」を発動している。
 綾那もまた、駐在騎士の間で妙な物語のヒロインとして担ぎ上げられているので、颯月から貸与された外套のフードを目深に被り歩いている。

 二人の手は今も固く繋がれているが、しかしどちらも口を開く事なく、ただ粛々と正門を目指すのみだ。

「――お通夜かよ」

 後ろの方でぽつりと呟かれた陽香の声に、綾那は苦笑いを漏らした。
 ちなみに、陽香も最近はもっぱら大きなフード付きのパーカーを着ている。繊維祭まではあまり目立たない方が、当日より強いインパクトがあって良いとの考えからだ。

「なあ……そんな嫌なら、無理に会わなくたって良いんじゃねえの? 急な事だったしさ――最終的には引き合わせるけど、とりあえず今日の所は本部で待ってりゃ良いじゃん。聞いてんのか、颯様?」

 今まで、口ではアリスの「偶像アイドル」で引き離してやる――と言っていた陽香。しかし彼女自身、今回の事には何かしら思う部分があるらしい。
 綾那が事前に「釣るぞ」と告知された上で別れるのが初体験なのと同じで、陽香もまた、告知した上で尚「離れたくない」と嫌がる二人を引き裂くのは初めての事だ。もしかすると、躊躇ためらっているのかも知れない。

 なんだかんだと言いながらも、颯月の事は「まともだ」と認めているらしいし――何よりも陽香は、綾那が今までの男と一線を画す勢いで颯月を好いている事を、知っている。
 ただ、曲がりなりにもファンを抱えるスタチューバーとして、恋愛スキャンダルは禁物だ。そもそも四重奏カルテットの存続のためには、住む世界が違う二人をこのまま祝福して良いはずもない。

 そして何より、後々合流する渚の反応が恐ろしいと言って聞かない。とは言え、やはり罪悪感のようなものがあるのだろうか。

「逃げたところで、どうにもならん。そもそも今は綾と一時も離れられんし……俺はただ、真正面からぶつかって打ち勝つしかねえ。ここで躓いたら綾と結婚できん訳だしな」
「……颯様って、ガチでアーニャと結婚してえの?」
「ガチに決まってるだろう。これから先、俺が死ぬまでの人生設計に綾の居ない時間は存在しない」

 彼は一つも振り返らずに、前だけ見据えてそう答えた。鎧のせいでくぐもっているものの、その声色は強い決意に満ち溢れている。

「それに……打ち勝った時の褒美はキスだからな。あとで四の五の文句言うなよ、陽香」
「いや、ちょっと待て!? それについてはOK出した覚えねえからな! あたしが交際を認めるとか認めねえとか、元々そういう話だっただろ!」
「――頼むから、頷いてくれ。この褒美がもらえると分かっていれば、俺はどんな誘惑にも負けん気がするから」
「冗談じゃねえ! 前言撤回! やっぱ真正面からアリスとぶつかって、全力で砕けてくれ!!」

 ツーンと顔を逸らした陽香の横で、右京は呆れ顔になっている。

「ねえ、なんで僕まで――」
「うん? そりゃあ、うーたんが女にメロメロになってるとこが見てみたいから? お前のツンデレが「偶像」でどうなっちゃうのか、知りたいじゃん」
「……あーあ、凄く嫌だなあ。だって今から会う人、オネーサンみたいな人なんでしょう? そういう人にメロメロになるのは、ちょっとなあ――いひゃい」

 陽香は無言で右京の両頬を掴むと、みょんと引き伸ばした。本来の姿の時とは違い、十歳児の姿では陽香にやられ放題である。右京の頬を引き伸ばしながら、陽香はおもむろに明臣へ問いかける。

「そういや、記憶喪失っぽいって言ってたけど……それ多分、アリスがこっちの国の事を何一つ知らないから見えただけだろうな。あたしが、うーたんに記憶障害とか意識の混濁とか勘違いされてたのと同じだ」
「では、本当に異大陸出身なのですね。この国の常識も、魔法も魔物も、悪魔憑きも……自身がどうやってここまで来たのかすら知らない割に――意識だけはきちんと保たれているから、不思議に思ってはいました」
「……明臣。君さあ、もしかしてそのお姉さんに惚れてるの?」
「――――ッグ……!?」

 右京は、引き伸ばされた頬を押さえながら、明臣へ単刀直入に聞いた。突然そんな問いかけをされた明臣は思い切り噎せたが、ややあってから「まあ、その……そうだね――」と小さく呟いた。

「でも、今まで『女の悪魔憑き』だと思ってたんでしょう? 元が男だとは考えなかった訳?」
「――がなんだろうが、彼女は私の姫だよ」

 ハッキリと答えた明臣に、陽香はにへらと薄く笑う。

「しっかし、アッキー。見た目そんな王子なのに、ギャル好きなのか? 意外だな、もかぴみたいな可愛いのが似合いそうなのに」
「あ、アッキー? 私ですか? ――ギャル、とは?」

 こてんと首を傾げた明臣に、陽香は「あだ名ユッキーと被るから、アッキーじゃなくて『王子』にするか」などと嘯いている。

「ギャルは、ギャルだよ。こう、厚化粧で凶器みてえな爪に、髪の毛くるくるに巻いて盛ってさ――」

 陽香が笑い交じりに説明していると、途端に明臣が「ああ……」と、やけに悲しげな相槌を打った。そんな反応を返される理由が分からず、陽香は不思議そうな顔で「なんだよ」と尋ねる。

「いや、私が姫と出会ってから、かれこれ三か月ほど経つのですが――」

 四重奏が奈落の底へ転移させられたのが、ちょうどそのくらいの時期である。綾那は「もうそんなに経ったんだな」と感慨深く思いながら、黙って明臣の言葉に耳を傾けた。

「すぐさまルベライトの首都アクアオーラまで連れ帰り保護するはずが、街に辿り着けず延々と彷徨い歩くハメになり……しかもこのアイドクレースが、私が姫と出会ってから訪れた街なのです」
「…………明臣。君の方向音痴、年々酷く――いや、神がかってきてない? 町村なんて道中いくらでもあるでしょうに、なんでどこにも辿り着かずにここまで来ちゃうのさ……?」

 右京が思わずと言った様子でツッコめば、明臣は「私にも分からないよ――」としょげ返った。

「姫は身一つで、この国へ放り出されたらしいのです。それで、入浴したいし化粧品も欲しいと言われて、街を目指していた訳ですが……一つも見つからないまま。ただ、入浴に限っては魔法で洗浄も乾燥もできるので、初日に全身――もちろん着衣のまま、汚れを落としたのですけれど」
「あー、最早悪魔憑きの十八番オハコだよな! あれ、便利で時短で最高」
「しかし、姫はそれからしばらく私と口を聞いてくれなくなりました」

 当時を思い出したのか肩を落とす明臣に、陽香は「なんで?」と首を傾げる。しかしすぐさまハッとすると、まさかと唇を戦慄かせた。

「王子、お前――魔法であいつをにしたな!? 巻毛までストレートにしただろ!」
「…………はい」
「ブハハ!! 王子じゃなくて鬼だったか!」

 小さく頷いた明臣を見た途端に、陽香は腹を抱えて笑い出した。隣で右京が「――つまり、それってどういう事?」と不思議そうに首を傾げているが、ツボに入ってしまったのかヒーヒー言っているばかりで、陽香は全く話ができそうにない。

 仕方なく綾那が引き継いで、補足説明を加える。

「アリス、どうも自分の素顔が好きじゃないらしくて。それで、いつも濃い化粧をしているんですけれど――人にスッピンを見られるのが、本当に嫌いなんです。よく「スッピンを見られるなんて、全裸で歌いながら街を歩くようなものだ」って言っていました」
「つ、付け加えるなら、直毛もコンプレックスで、巻いてないと、ひ、人前に出れねえって言ってたのに……! それを初対面の男に全部剥がされるとか、無理無理のムリだったろうなー! あぁーその時のリアクション見たかったー!! さぞかしブチギレだったろうに!!」
「――明臣。君、そんなにむごい事をしたの?」
「これが惨い事だとは、全く分からなくて……」

 明臣はそのまま「私はただ、お風呂に入りたいと言うから――」と、しょんぼりと呟いた。

 アリスの素顔は、釣り目がちで切れ長の奥二重。髪は癖一つないストレートで、清楚だが少々冷たい印象のハーフ美女といった容貌だ。
 無表情で黙っていると、まるで精巧な人形か、はたまたCGかと思う程に整った顔立ちをしているのだが――彼女はその、作り物で血の通っていない人形みたいな顔が好きでないらしい。

 ストレートではなくふわふわの巻き毛。切れ長の奥二重ではなく、真ん丸のくっきり二重。そして釣り上がった目を垂れ目に見えるようなアイメイクを施してこそ、自分は「サイコーにカワイイ」と本気で思っている。

 一部にしか支持されない、厚化粧で塗り固めた量産系のド派手ギャル。それよりも、清楚な素顔の方がよほど万人ウケするだろうとは思うのだが――本人が頑なに「こっちの私の方がカワイイ」と言うのだから、仕方ない。
 そもそもアリスのこのギャルメイク、元はスタチューで若い女性視聴者に好かれようと始めたものだ。彼女はいつも女ウケしか考えていないのである。

「偶像」もちのアリスは、例え寝起きで芋ジャージに便所サンダルで外を出歩いていたとしても、異性を釣り上げる。男ウケを気にする必要がない代わりに、同性には何をしても嫌われてしまうのだ。
 ただし、動画を通している間は直接会う訳ではないため、「偶像」の効果が出ない。アリスのメイク動画を見た女子高生のファンが、「可愛い」「真似したい」「アリスちゃん好き」などとコメントを残してくれるたびに、彼女は狂喜乱舞していた。

 ギフトのせいで女友達が全くできず、彼女は同性との交流に飢えている。その飢え具合と言ったら、桃華を遥かに凌ぐレベルだ。

(今まで一度も街に立ち寄れていないって事は……この三カ月間、ずっとスッピンで過ごしていたって事だよね。顔を隠したくても、隠せずに)

 何やら彼女の気苦労を思うと、綾那まで胸が痛くなってしまう。ただでさえアリスに対しては、「手を離したばかりに、要らぬ苦労をさせてしまった」という負い目があるのだ。一刻も早く謝罪するとともに、化粧品を分け与えてやらねばなるまい。

「はあ、笑った――でもアリスのヤツ、なんでギフト使わねえんだろうな? 化粧品はともかく、服とか……髪に巻くカーラーだっけ? あれくらいなら、なんとかできそうなのによ」
「……確かに、言われてみればそうだね?」

 神子アリスのもつギフトは、もちろん「偶像」ただ一つではない。綾那と陽香は顔を見合わせて首を傾げたが、詳しい話は本人から聞けば良いだろうと思い直す。

 やがて正門が見えてくると、明臣が代表して全員分の通行証を手に、門番の元へ駆けて行った。いよいよ街の外へ出れば、アリスと再会だ。まあ、少々「明臣は本当にアリスが身を隠す場所を把握していて、そこまで綾那達を案内できるのだろうか」という不安は残るが――。

 しかし門番の元から戻って来た明臣は、「姫はすぐそこに居ますから」と言って微笑んだ。

「うっし! じゃあ収拾つかなくなると困るから、颯様とうーたんは離れた所で待っててくれな。ある程度話し終わったら、ちゃんと呼ぶからさ」
「……ああ、分かった」
「別に、僕の事は呼ばなくてもいーんだけど……」
「行くぞ、アーニャ! アリスのスッピンを思いっきり笑ってやろうぜー!! 王子、案内頼んだ!」

 フゥ~!と、テンション高く駆けて行く陽香。彼女もまた、アリスのピンチにカメラを回し続けたせいで、要らぬ苦労をかけた――下手をすれば死んでしまったかも知れない、という後悔があったのだろうか。
 それがこうして無事に再会できるのだから、開放感にも似た喜びがあるに違いない。

「――それじゃあ、行ってきますね」
「ああ」

 颯月が繋いだ手を離したため、綾那は彼に背を向けて歩き出した。
 先に駆けて行った陽香と明臣の姿はもう見当たらず、綾那もまた駆け出そうとしたのだが――ふと、「これで」と思うと、惜しくなった。

 綾那にとって、宇宙一格好いい颯月。責任感があって、優しくて、強くて――だけど弱くて、繊細で。
 もう、二度と手を繋ぐ事はないのだろうか。あの紫色の瞳に映してくれないのだろうか。一生抱き締めてくれないのだろうか。守ってくれないのだろうか。

 ――綾と呼んでは、くれないのだろうか。

 やはり綾那は、顔だけでなく颯月の事が好きなのだ。このまま二度と「表」に帰れなかったとしても、四重奏――例え家族と永遠に別れる事になったとしても、彼さえ傍に居てくれればそれで良いと思う程に。

 しかしそれは、叶わぬ願いだ。綾那はくるりと踵を返すと、颯月の元へ駆けた。そうして右京が見ているのも構わず、紫紺の鎧に縋り着く。
 鎧のせいで表情は分からないが、彼はヒュッと息を呑んで酷く動揺しているようだった。突然の事にどうすべきか悩んでいるのか、鎧の両腕は宙に浮いたまま、綾那の背に回らない。

(ああ――初めて会ったのが鎧姿なら、お別れする時も鎧姿だなんて)

 きっとこの鎧がなければ、綾那は勢いでキスの一つや二つしてしまったに違いない。そんな事をしたって、アリスに釣られた後が余計辛くなるだけなのに――そう考えると、彼が鎧姿で良かったのかも知れない。

「大好きですよ、颯月さん。さようなら――」

 綾那はそれだけ告げると、颯月が言葉を発する前に、サッと身を翻して街の外へ向けて駆け出した。
 フードがあって良かった。そして、アリスと再会する前で本当に良かった。このタイミングであれば、例え綾那が泣いたって何一つおかしくないのだから。
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