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第4章 奈落の底で祭りを楽しむ

15 名前の由来

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「――何? 維月と会ったのか?」

 綾那が、正妃と王太子に出会った日の夕方。教会から戻って来た颯月は、綾那を執務室に呼び寄せると「ガキ共から預かった土産だ」と言って、子供達の手作りクッキーを大皿に広げた。
 もうすぐ夕食の時間だと思いつつも、子供達が持たせてくれたクッキーを無下にはできない。それも、わざわざ颯月が運んでくれたものを断る理由なんてない。

 子供達の訓練の結果も気になったが、綾那はまず、今日訓練場で起きた出来事を報告した。そうして義弟と会った事を聞かされた颯月は、瞠目すると口惜しそうに眉根を寄せる。

「なんで、よりによって俺が居ない時に――綾の事は俺の口から紹介したかったのに」
「まだお若いのに、とても利発そうな方でした」
「ああ、維月は優秀なヤツでな。要領も良いから、なんでもそつなくこなすし――よく出来た義弟なんだ。他所では口が裂けても自慢できんのが口惜しい」

 颯月は、目元も口元も緩めて笑っている。内側から滲み出る喜びが抑えきれない、といった様子だ。曲がりなりにも勘当された身だから、公的には義兄弟だと触れ回れないのだろう。綾那は兄弟どころか、両親の存在すらあやふやなため、あまり理解できないが――家族仲が良いのはよい事、ぐらいは分かる。

 笑う颯月を微笑ましく思い眺めていると、不意に「どんな事を話したんだ?」と期待の込もった眼差しを向けられて、目を泳がせた。

(どんな……どんな? そもそも颯月さんは、維月先輩のの顔を知っているのかな……?)

 天使云々の話は綾那の口からしたくない。見目が良いから、今までのゴミよりはマシと評された話も――褒め言葉にしては、尖り過ぎていて困る。
 颯月が綾那の前で背伸びしているらしいというのも、一人では着替えが出来ないという秘密も、できれば本人の口から聞かせて欲しい。

 ――であれば、颯月に話せる事は自然と限られる。

「えっと……後輩にして頂きました?」
「後輩? なんのだ」
「颯月さんファンの後輩ですよ。とても光栄な事に、先輩と呼んでもいいと公認を頂きまして――嬉しいです」
「……よく分からんが、綾が維月と仲良くなるのは、俺も嬉しい」

 颯月は珍しく少年のように無邪気な笑みを浮かべて、至極嬉しそうに頷いた。

(ああ、先輩はこの顔が見たいから、私なんかと仲良くするって言ったんだ……! いや、見たいよね、これは! 分かる――なんか、一足先に見てごめんなさい!)

 とんでもない破壊力をもつ笑顔の直撃を受けた綾那は、一人で幸福なダメージを噛み締めた。

「維月にも、綾を見た感想を聞きたい所だが――曲がりなりにも距離を置くよう言われてる以上、俺の方からは会いに行けん」
「ご家族なのに、自由に会えないのは辛いですね」
「まあ、もう勘当されてるから実質家族とは呼べんな。向こうは俺に好かれても、困るだけかも知れんが――」
「そんな事! だって維月せんぱ――殿下、颯月さんの事「この世の誰よりも尊い存在だ」って仰っていましたよ? 私も、全くその通りだと思います。颯月さんさえ生きていてくれるなら、他には何も要りませんもの」

 維月からすれば、綾那に同意された所で「そもそも、あなたとはファンのが違う」という話になりかねないが――綾那としては、話せる同志が出来た事が何よりも嬉しい。
 颯月に釣り合わないまでも、なんとか維月の信頼を勝ち得たい。そして、いつか秘蔵の義兄上情報とやらを聞かせてもらえる程度には仲良くなれると、もっと嬉しい。

 綾那はそんな事を思いながら、いつかに期待して満面の笑みになった。颯月は目を細めると、「個室で口説くなと言っただろう」とぼやく。

「口説いているのではなくて、ただ事実を述べているだけですよ。そう言えばお二人は、ご義兄弟揃ってお名前に『月』がついているんですね」

 正統な後継者維月が生まれた途端に勘当、放逐されたという割には、名前に同じ漢字が使われているなて――なんとも兄弟らしくて意外である。そもそも、「奈落の底」の空に月はない。時間帯によって明度が調節されて、太陽と月の役割を果たす魔法の光源が浮いているだけなのだから。

 不思議に思い綾那が首を傾げれば、颯月はどこかばつが悪そうな顔をした。

「実はあまり、気に入ってない」
「え、どうしてですか? 素敵なお名前なのに――」
「ここじゃあ、『月』は『女』を表す字だ。普通、男には使わないんだよ」

 ため息交じりの颯月の言葉に、綾那は目を瞬かせた。

(あ、でも……思えば「表」でもそうだった気がする? 太陽が男性で、月が女性って言うよね)

 その考えが「奈落の底」でも一般的だとすれば、もしかすると陽香などは逆に「普通、女に『陽』は使わないだろう」と思われているのかも知れない。

 しかし、だとすれば何故わざわざ『月』のつく名前にしたのか。
 ここは魔法がある代わりに、科学が発展していない世界だ。女の子でありますように――と願い、産まれてくる子の性別が分からないまま、名前だけ先につけられたのだろうか。
 颯月の実母は出産と共に亡くなっている。だから別の名前を与えられる事なく、のこされたものをそのまま使ったのかも知れない。

 綾那がアレコレと事情を考察していると、その意外な答えは、颯月自身の口から語られた。

「俺の母上は生前、正妃サマの熱狂的な信者だったらしい」
「信者?」
ルベライト他領の出身なんだから、母上だって王都へ出てきた頃は『骨』じゃあなかったはずだ。それが、俺を産む頃には妊婦と思えないほどに痩せ細っていたとくれば――分かるだろう?」
「正妃様に憧れて、アイドクレース女性になられた……?」
「あの方はその頃もう既に、『美の象徴』として君臨されていたようだからな。そんな正妃の居る男の側妃になったんだ――しかも母上は、ルベライトを田舎と断じて王都へ出てきた女で、陛下に見初められた事を「さすが私」と手放しに喜ぶ、自尊心の塊だったらしい。周囲から「正妃サマとは似ても似つかない」「陛下の趣味は変わっておられる」なんて侮られて、黙っていられるはずがない」
「え、えっと……颯月さん。亡くなられたお母様の事を、あまり悪し様に仰るのは――」

 あまりの言い草に綾那が苦笑いすれば、颯月の返事は「禅に聞いた話だから、間違いない」とにべもない。

 竜禅は竜禅で、元々侍従として輝夜かぐやに仕えていたと言う割に、しばしば悪態をつくのは何故なのだろうか。実はそれほど慕っていなかったのか、それとも可愛さ余って憎さ百倍と言うヤツなのか――どちらにせよ、本人がこの場に居ないのでは知りようがない。

「母上は、初めこそ正妃サマに対して敵意剥き出しだったらしい。しかし、気付けば懐柔されて――最終的には『師匠』と呼び慕っていたそうだ」
「師匠……」
「そして俺を妊娠したのが分かった時、産まれてくるのが男だろうが女だろうが、「絶対に師匠の名をもらう」と決めていたんだと。そう考えれば俺と正妃サマの因縁は、俺が産まれる前から始まってる……理不尽だ」
「正妃様の? そう言えば私、正妃様のお名前を知りません……『月』がついていらっしゃる?」

 綾那が首を傾げれば、颯月はグッと言葉に詰まった。そして、やや間を空けてからようやく口を開いたかと思えば、「名を呼ぶと正妃サマを呼び寄せそうだから、俺の口からは絶対に言いたくない」と、訳の分からない主張をし始める。

 口頭で無理なら紙に書いてくれれば――と提案するも、彼はどこまでも真剣な表情で「紙から本体が召喚されでもしたら、どうするんだ」と首を横に振る。

(正妃様の事、骨どころか悪魔か何かに見えてるのかな)

 彼は本当に、正妃や華奢な女性が少しでも絡むと、瞬く間に理性を失ってしまう。綾那が眉尻を下げて笑うと、颯月はハッと思い出したように手を打った。

「――大衆食堂。ウチの宣伝動画を流している」
「食堂? ええと……大衆食堂『はづき』さんですか?」
だ」
「それ」
「あそこの店主も正妃サマの熱狂的な信者で、店にその名を冠する事の許可取りまでしている」
「あ……はづきさん、と仰るんですか」
「それだ。だが、あまり呼ぶな。来られると本当に困る」

 人の、しかも国母の名前を「それ、それ」と言うのはどうかと思うが――颯月は綾那を無事『答え』まで導けた事に、満足げな表情を浮かべている。

(はづきさん――大衆食堂はひらがなだし、『月』以外の字は分からないけれど、綺麗なお名前。なんだか正妃様らしいな)

 綾那は、もし次に正妃と会う事があれば、本人にどんな字なのか聞いてみようと思った。王族相手に名を聞くなんて不敬なのかも知れないが、この世界の住人について理解を深められるのは嬉しい事だ。

「では、殿下のお名前にも『月』がついていらっしゃるのは、それも正妃様から?」
「正妃サマの方もまた、母上に傾倒していたそうだ。一人の男を囲む正妃と側妃なんざ、普通血で血を洗う争いを始めたっておかしくねえ間柄だろうに――初めてアンタを見付けた時の、あの必死な反応を思えば、なんとなく分かるだろう?」
「じゃあ、正妃様と輝夜様は特別な関係だったんですね。輝夜様は……そもそも、他の側妃の方に陥れられてしまった訳ですし」

 一人の国王を巡る女達の嫉妬の果てに、颯月は一生悪魔憑きにされてしまった。しかし、少なくとも正妃と輝夜は仲が良かったのだろう。

「『颯月』は、母上が遺した名だ。腹違いとは言え、母上が遺した俺の義兄弟だから……似た名前を付けたかったんだろう。正妃サマは陛下の事だけを「輝夜が関わると人が変わる」と言うが、禅からすればあの人も十分に異常らしいぞ」

 颯月は一度身震いすると、「だから俺は陛下よりも、正妃サマこそいつか俺から綾を取り上げるんじゃないかと思って――それが、心の底から恐ろしい」と呟いた。
 もしそうなれば、きっと颯月は心的外傷のせいで一切抵抗できないのだろう。心の傷には時間が何よりの薬だというが、彼の受けた傷もいつか治る時が来るのだろうか。

 綾那はまたしても苦笑いを漏らすと、ふと祭りには国王も顔を出すらしいという話を思い出した。その流れで、祭りまであと一日しか残されていない今、子供達の特訓結果について確認しなければと思い至る。
 そうして口を開きかけた所、ノックもなしに執務室の扉が開かれたので、口を閉じる。

 この部屋にノックなしで入室できるのは現在、綾那、幸成、和巳のみだ。竜禅もノック不要と言われているらしいが、彼は毎度律儀にノックしてから入室する。

「颯月様、夕食前にすみませ――ああ、綾那さん」

 扉を開けて入って来たのは、和巳だった。綾那は微笑みながら小さく会釈すると、机の上に投げていたマスクと空になった大皿を手に取り、ソファから立ち上がる。
 恐らく彼は、仕事の話をしに来たのだろう。綾那が話を聞いたところで仕方がないし、邪魔になってはいけないから退室しなければならない。

 そうして颯月に「私は失礼しますね」と退室の挨拶を告げた直後、和巳の口からとんでもない宣告が飛び出した。

「あの、颯月様。実は正妃様がお呼びで――」
「――待て綾、止まれ! ……一度、思いきり抱かせてくれ!!」

 颯月は余裕のない声色で叫ぶと、「ほら見ろ、やっぱり呼び寄せた! あの人の名前なんて話題にするんじゃなかった!」とソファに沈み込んで、頭を抱えてしまう。綾那がちらと和巳を見やれば、彼は無言のまま「抱かれてから行け」と促すように颯月を顎でしゃくった。

 綾那は、ソファの上で呻く颯月の元へすごすご戻ると、両手を広げて苦く笑うしかなかった。
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