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第4章 奈落の底で祭りを楽しむ

13 戯れ

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 思いもよらぬ人物の登場に、綾那は瞠目した。今まさに訓練場のギャラリーに上がって来たのは、王都アイドクレースの『美の象徴』であり、颯月の義母――正妃である。久々に相対する正妃に、綾那は緊張で体を強張らせた。

 切れ長の釣り目が特徴の怜悧れいりな美貌と、風が吹けば倒れそうなほど華奢な体躯。正妃として堂々たる態度と、纏う煌びやかなオーラに、否が応でも圧倒される。

「これは正妃様、ご機嫌麗しゅう。本日はどのようなご用件で? 訪問の事前連絡は、受けていないように記憶していますが――」

 綾那は突然現れた正妃に恐縮しきりだが、どうやら和巳は対応に慣れているらしい。柔和な笑顔を浮かべながら小首を傾げれば、正妃が小さく息を漏らした。

「ああ、先触れも出さずに訪ねて悪かったわ。颯月、アデュレリア領の遠征から帰って来てからと言うもの、仕事に若手の教育にと多忙なのでしょう? あまりに姿が見えないものだから、維月いつきが不安がって」

 言いながら正妃は、すっと細い指で訓練場の舞台を指差す。そちらへ視線をやると、つい先ほどまで若手騎士を言い上げていた幸成が、困ったような笑みを浮かべながら誰かと話しているのが見えた。
 艶のある黒髪は長く、癖っ毛なのか波打っていて、頭の高い位置で一つ結びにされている。かなり身長が高いようで、190センチ近い幸成と並んでいても見劣りしない。

(初めて見る方――維月さん……あれ? 維月さんってもしかして、颯月さんの義弟おとうとさん……?)

 以前アデュレリア領で、義弟の名前は『維月』と話していたような気がする。予期せぬ出会いに、綾那は思わず胸を躍らせた。確か颯月は義弟と仲が良くて、しかも互いにブラコンをこじらせているという話だった。愛情の種類は違えども、きっと彼――維月は、綾那と同じく颯月のファンで間違いない。

 同じ男を慕う者同士、萌えを語り合えば仲良くなれるのではないだろうか。

(ああ! でもでも、維月さん麺被めんかぶりNGだったらどうしよう……!?)

 ――麺被りNGとは。
 ビジュアル系のおっかけをしているファンの中でも、バンドメンバーにガチ恋している者に多く見受けられる習性である。
 メンバーを深く愛しすぎた結果、別に付き合っている訳でもないのに「私のものだ」という謎の独占欲が生まれ、「誰よりも私が彼の事を分かっている」「私が一番のファンで、他はゴミだ」と思い込む。

 己以外のファンが、まるで自身の彼氏に群がり「あわよくば横恋慕しよう」と考える邪魔者のように思えて、同一メンバーのファンの存在を一切許容できなくなる者の総称である。もっと広義の類似に『推し被りNG』もあるが、割愛する。

 綾那の『宇宙一格好いい男ランキング』元祖一位の絢葵あやきにも、そういったファンは一定数存在した。しかし綾那は、麺被りを歓迎するタイプであった。私以外の絢葵ファン全員殺す派――ではなく、ファン皆で絢葵の良さを語りつくそうよ派である。

 それは奈落の底に来てからもあまり変わらず、例えば大衆食堂で颯月のファンが動画を見て「颯様ステキ!」「笑顔がカワイイ!」なんて叫んでいるのを聞いても、「分かる……」と深く頷くのみだ。決して「殺すぞ」とはならない。
 ただしこれはあくまでも『ファン』の話であり、仮に綾那が颯月と『付き合う』なんて事になり、男女の関係になった場合にはこれでもかと嫉妬するし、独占もするだろう。

 閑話休題。
 正妃そっちのけで思い悩む綾那に、再び声が掛けられる。

「綾那、食事はしっかりとれている? 颯月はあなたに優しくしているのかしら」

 綾那はハッと我に返ると、慌てて正妃に向き直り深々と頭を下げた。

「は、はい! たくさん食べていますし、颯月さんはいつも本当に優しいです!」
「そう、良かった。アイドクレースに居るからって、周りに流されて無理に痩せようなんて思ってはダメよ。体調管理を怠らないように」
「――ふふ、なんだか正妃様ってみたいですね」

 つい笑みを零せば、正妃は目を瞬かせた。
 神子として生まれて国に育てられて、ついぞ生みの親が迎えに来なかった綾那には、親という存在がイマイチ理解できていない。恐らく、国の機関で親身になって綾那を教育してくれた教師陣が、きっとソレに近いのだろう。

 体調や健康の心配をされると、不敬だなんだという事を忘れてつい「母親のようだ」と口にしてしまった。しかし返って来た正妃の言葉に、すぐさま後悔するハメになる。

「そう。私の事なら、いつでも義母ははにしてくれて良いわ。颯月と添い遂げる決心はできたという判断で良いかしら?」
「……あ、えっと。そういう意味で言った訳では――」
「平気よ。この歳になるまで辛抱強く待ったんだもの、追加で少々待つくらい、どうという事はないわ」
「いや、あの――」
「良い、良いのよ綾那。あなたは自分のペースで歩きなさい。ゴールさえ間違えなければ、私は何も言わないから」
「……ゴール」

 わざわざ深く追及せずとも、正妃の言う『ゴール』が颯月と結婚する事を指しているのは、さすがの綾那でも理解できる。有無を言わせぬ正妃にどうしたものかと考えあぐねていると、隣に立つ和巳がぽんと肩に手を置いた。

「綾那さん、式には私も招待してくださいね。ブーケトスで投げられた花束さえ掴み取れば、次に結婚するのは私ですから」
「和巳さんまで乗っからないでください!? そもそもブーケトスを受けて「次に結婚できる」云々は、女性の話では……!? 女性を差し置いて、掴み取りに行かないで!」

 生温かい目で綾那を見やる和巳に、全力でツッコミを入れる。普段人から女性扱いされると不機嫌になるくせに、何故こういう時には自らその道へ突き進むのか。綾那のリアクションに和巳がますます笑うため、見えないと知りつつもマスクの下で目を眇めた。

 二人のやりとりを目を細めて眺めていた正妃が、ふと思いついたように口を開く。

「ねえ、綾那。今この場には私達の他に誰も居ないのだから、顔を見せてくれないかしら」
「え? でも……」
「心配しなくても、下からこの場所は見えないわ。このギャラリーには「水鏡ミラージュ」が施されているのだから。いつ、どこの、誰が見ているかも分からないとなれば、皆一時も訓練の手を抜けないでしょう?」

 口元に笑みを湛えた正妃に、綾那はなるほどと納得した。
 和巳や綾那、例え王族が見学に訪れようとも、下で訓練する若手達の目には映らないのだ。映らないが、しかしだからこそ、常に「誰かが見ているかもしれない」という、恐怖にも似た緊張感に晒される。

 まあ、王太子の維月が幸成と談笑している時点で、若手騎士は今、途轍もない緊張感をもって訓練しているに違いないが――。

 綾那が横に立つ和巳を見やれば、彼は困ったように笑いながら一度頷いた。それを許可だと受け取った綾那は――そもそも、正妃に逆らえるような立場でもないが――おもむろにマスクの留め具に手を掛けた。
 そうしてマスクを外そうとしたところ、不意にトン、トン、と何者かがギャラリーへ繋がる階段を上って来ている足音が聞こえたため、手を止める。

 マスクに手をかけたまま階段を見やれば、上がって来たのは先ほどまで幸成と談笑していた王太子――維月だった。彼の姿を間近で見た綾那は、目をみはる。

(うわあ……目元や肌の色は違うけど、でもなんか、颯月さんと似てる……!)

 確か彼は、颯月が十歳の時に産まれたという話だった。その颯月が現在二十三歳ということは、つまり維月はまだ十三歳。
 しかし、優に180センチは超えているであろう長身に、釣り目ではないにしろ、正妃と似た切れ長の瞳と焼けた肌。くっきりとした目鼻立ちの顔は随分と大人びていて、とても十三歳には見えない。

 腹違いにも関わらず義兄弟きょうだい揃ってここまで顔が良いとは――恐らく、父親の国王がよほど整った顔立ちをしているのだろう。正直綾那も、もし颯月よりも先に維月と出会っていたら、まず彼を「絢葵さんに似てる」と言って好きになっていたに違いない。
 既に颯月という、唯一絶対神の存在を認知した今となっては目移りする事もないが、それくらい同系統の顔だ。

 維月は階段を上りきったところで和巳の姿を認めると、ため息交じりに「騎士団長は、今日も不在なんだな」と声を掛けた。

「王太子殿下、ようこそいらっしゃいました。颯月様は現在、悪魔憑きの子供達から手が離せない状況でして――」
「それはもう、下で幸成から聞いた。悪魔憑きの子供達だけでなく、何やら他所の領からやって来た若手の指導まで受け持っているらしいじゃないか……団長の手ずから教育とは、実に羨ましい事だな。俺でもそんな経験はした事がない」

 不貞腐れたようにふんと鼻を鳴らす維月に、正妃がぴくりと片眉を上げた。

「維月」
「分かっていますよ、母上。互いの立場を守るために、適切な距離をとれ――でしょう?」
「分かっていれば、こうも頻繁に騎士団を訪ねないでしょうに。お前と颯月が仲睦まじい義兄弟だと噂されるたび、陛下がどのような表情をなさるか考えて御覧なさい。これ以上颯月の首を締めたくなければ、いい加減義兄あに離れしなさいな」
「……フリはできても、実際に離れるのは無理ですね」

 全く悪びれていない様子の維月に、正妃は頭痛を堪えるような表情になった。
 これ見よがしに大きなため息を吐き出している彼女に、綾那はつい苦笑を漏らした。すると綾那の存在に気付いたのか、維月が小首を傾げる。

「初めましてレディ、あなたは――」

 言いながら彼は、マスクに手を掛けたままの綾那を、頭のてっぺんから足の爪先までしげしげと眺めた。

「……レディ、出会って早々不躾なお願いですが、その手に持つマスクを外して頂いても?」

 ふと目を細めて笑う維月の顔は、やはり義兄の颯月とよく似ている。綾那は「へぁ! ふぁ、はい!」と奇声混じりの返事をしてから、マスクを取り外した。
 綾那の垂れ目は、恐らく不安で揺れている。身長差からどうしても上目遣いになるため、見ようによってはあざとく映るかも知れない。

「ああ……やっぱりそうか。これは凄い、まるで義兄上あにうええがく理想が、そのまま飛び出したような――あなただろう? 俺の義姉上あねうえは」
「……あ、あねうえ!?」

 維月の口から飛び出した言葉に、綾那は数歩後ずさった。いきなり何を言い出すのかと思えば、何故会った事もない維月に義姉認定されているのだろうか。綾那の反応に「おっと」と小さく漏らした維月は、誤魔化すように咳払いした。

「――いや、義姉上は少し性急だった。失礼、『義兄上の天使』の間違いだ」
「…………それも違いますぅ゛ッ……!」

 颯月は一体、義弟にどんな話をしているのだ。少なくとも、綾那本人が居ないにも関わらず「天使だ」と吹聴している事だけは、間違いない。
 綾那は紅潮した顔を隠すために両手で覆うと、胸中で「颯月さんなんて――颯月さんなんて! 大好きぃ……!!」と叫んだのであった。
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