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第3章 奈落の底を見て回る

14 時間逆行

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「アデュレリアの技術力は、どうなっている? こんな代物は見た事がない」

 颯月は己を囲む鉄格子に触れると、感心した様子で呟いた。しかし、同じ檻の中で膝を抱えて座っている右京は、ゆるゆると頭を振る。

「僕だってこんなモノ、初めて見たよ。犯罪者を収監する時、魔法を制限するための魔具を付ける事はあるけれど――檻に入れただけで無力化できるなんて、とんでもない。たぶん、コレを作ったのは」
「領主と繋がっているって噂の、悪魔の協力者――か?」
「たぶんね」

 颯月達と隣り合う檻に入れられた綾那は、両手で鉄格子に触れて材質を確かめた。

(普通の鉄っぽい――曲がるかな?)

 試しに「怪力ストレングス」のレベル2を発動させて、握った格子に少しずつ力を加えていく。すると、スプーン曲げでもしているかの如く、鉄の棒はぐにゃりと呆気なく変形した。

(ああ……なんだ、大丈夫そう)

 颯月らが魔法を使えないと聞いた時は、どうしたものかと思ったが――綾那のギフトがあれば、難なく脱出できそうだ。ほうと小さく息を吐いた綾那の背中に、「おい、メスゴリラ」と不躾な言葉が投げ掛けられる。

「陽香、ゴリラはやめて……」
「一旦ソレ、元に戻しとけ」

 ソレと言って陽香が指差したのは、綾那の手によって歪んだ鉄格子だ。綾那は首を傾げながらも再び力を加えて、できる限り元の形へ近付けた。

「とりあえず、ゴリ――アーニャさえ居れば、逃げられる事は分かった。ただ、ここから逃げ出したって問題の解決にはならねえだろ? 少なくとも敵と直接話して、カタを付けるべきだ」

 陽香は、檻の中でどっかりと胡坐をかいて堂々としている。確かに、ここから逃げ出したところで、ただ問題を先送りしているだけに過ぎない。

 アデュレリアの領主は右京を疎ましく思っているし、あまつさえ「右京に殺される」と誤解している。そんな相手を放置していては、今後何をされるか分かったものではないし――悪魔の存在も、アデュレリア騎士団が領主の不正に加担している問題だって、看過できるものではない。

「アーニャをこんな弱々よわよわの檻に入れて満足してるあたり、敵はギフトについて詳しくないんだろ。油断させるためにも、とりあえず今は大人しくしておいた方が良い」
「敵――領主さんがここに来るのを、待つって事?」
「そういう事」

 ニッと不敵に笑う陽香に、綾那は「さすが肝が据わってるなあ」と感心する。陽香はこんな状況でも冷静に、敵と対峙する事を考えている。

 しかし、本当に領主が「転移」もちの男達と関わっているのならば、綾那が「怪力」もちだという事ぐらい、既に把握していそうなものなのに。こんな普通の檻に入れて安心しているあたり、「ギフトに詳しくない」と言わざるを得ないだろう。

(いや……待って、まさか?)

 綾那は眉根を寄せる。そして試しに、颯月と右京を閉じ込めている方の鉄格子――魔法を封じてしまうらしい檻の格子に触れて、力を加えた。
 先ほどはいとも簡単に曲がった格子が、今回はびくともしない。領主サイドは、綾那がギフトを使えば逃げ出せる事を知っているのだ。けれど逃げ出したところで、特殊な檻に入れられた颯月達を置いていく事などできない。

「陽香、あっちの檻は壊せそうにないかも――」
「なんで?」
「見た目はただの鉄格子だけど、こっちの檻と強度が段違いだね。レベルマックスで試してみても良いけど……もしそれで壊せちゃったら、元に戻せないと思う」
「だあぁ、マジか。ちょっと話変わってくるな、あたしらだけ逃げたって、魔法使い相手じゃ分が悪いだろ? ――人を撃つなんて、さすがに無理無理のムリだしよ」

 腕組みをして俯く陽香に、綾那は「あ、当たり前だよ」と瞠目する。いくらここが「表」とは違う世界だと言っても、家族が人殺しになるのは御免だ。

「じゃあ、うーたん達の檻の鍵を見付けなきゃならんって事か――」

 言いながら陽香は、隣の檻を見やる。そうしてぐるりと四方へ視線を巡らせて、やがてこてんと首を傾げた。

「ん……? そっちの檻どうなってる? 最初は茶で寝てたし、さっきは死にかけてたから……二人がどうやって檻の中に入れられたのか、分からんのだけどさ」

 その言葉に、綾那もまた隣の檻を観察した。
 鉄格子で真四角に囲われた檻。下は鉄板貼りで、部屋の床から四~五十センチ浮いているように見える。綾那の位置からはよく見えないので、なんとも言えないが――もしかすると、檻ごと運び出せるように、車輪か何かが付けられているのかも知れない。

 綾那と陽香が入れられている方の檻には、扉が嵌められている。扉には鉄の鎖が巻き付けられており、鎖には錠前が。「空中浮揚レビテーション」とやらで運ばれている間、ずっと昏倒したフリをしていたため、綾那は薄目を開いて様子を窺う事しかできなかった。ただ目を閉じていても、金属が擦れ合う――檻の扉を開閉する音は聞こえていた。

 だからてっきり、颯月達の檻も同じだろうと思っていたのに。彼らを捕らえる檻には、何故か扉そのものがついていなかった。

「僕も初めは意識がなかったから、自分がどうやってここに入れられたのか、不思議だったけれど……さっきの様子を見る限りじゃあ、外から入れる分にはすり抜けちゃうみたいだね」
「すり抜ける?」
「紫電一閃が運び込まれた時、逃げ出すチャンスかもって思ったのに――彼の体は格子をすり抜けた。どんな仕組みなのかは分からないけれど、たぶんこの檻には扉なんて必要ないんだよ。一生、この中から出られなかったりしてね」

 自嘲気味に笑って吐き捨てる右京に、颯月はとんでもないと首を横に振った。

「綾と閉じ込められるならまだしも、野郎と一生二人きりはきつい」
「そんなの、僕だって同じ気持ちなんだけど?」
「綾、今すぐそっちの檻を壊してこっちへ入ってこい。この際うーたんの事は目を瞑る、死ぬまで俺と一緒に居ると約束したはずだ」
「うーたんって呼ばないで、ホントに……!!」

 プロポーズにも等しいセリフを紡ぐ颯月に対して、右京は眦を釣り上げる。陽香もまた、ぐぅと唸って胸を押さえた綾那を見て「こいつら、マジで――」と胡乱な目つきになった。
 ややあってから大きな咳払いをした陽香に、綾那はハッと我に返って背筋を伸ばす。別に命じられた訳でもないのに、身体は勝手に正座していた。

「とにかく、二人を檻から出すためにも敵との対話は必須って訳だ。檻を作ったヤツなら、檻の壊し方だって分かるだろ」
「でも、仮にも悪魔だよ? 話、通じるのかな」
「通じなかったら実力行使だ。アーニャ、イカ君の足を切り落としたんだろ? って事は、少なくとも物理攻撃の効く相手だって事だ――いくらか叩きのめして、分からせるしかねえな」
「分からせる――ね」

 綾那は思わず苦笑いを浮かべた。
 初日にヴェゼルの足を切り落とした時――ピーピーと泣き喚いていたイカの姿を、思い出したからだ。確かに物理の効かない相手ではないものの、しかし言葉が通じる相手を痛めつけるのは、精神的にクるものがある。

「しかし、俺は無意識の内に、悪魔憑きだから何があっても平気だと過信していたのかもな。まさかこんな――魔法を封じられるハメになるとは」
「しかも一芝居打った結果がこれって、イイ様だよね」

 やれやれと肩を竦めて嫌味を投げかける右京に、颯月は目を眇めた。

「アンタがその姿のままだから、まさか檻に入った途端に魔法が使えなくなるなんて、夢にも思わなかったんだよ。なんで「時間逆行クロノス」が解けないんだ?」
「はぁ? ――あっ!」

 颯月の問いかけに、綾那もそういえばと右京を見やる。彼はいつも通り、愛らしい美少女――と見紛うほどの美少年の姿で、灰色の髪に黄色の瞳だ。颯月から聞いた話によると、「時間逆行」という魔法は発動している間、常に魔力を消耗するものらしい。

 つまり、魔法が使えなくなった今、彼が幼い姿を維持しているのはおかしい。右京は途端に青褪めると、両腕でぎゅうっと己の体を抱き締めた。

「習慣化してる事だから、忘れてた……! このままじゃあ「時間逆行」が解ける、最悪だ……!!」
「どういう意味だ?」
「うーたん、どうした、平気か? お腹痛くなったのか?」
「……こっち見ないで!! 今後! 絶対に!!」

 陽香は心配するように鉄格子の間から手を伸ばしかけたが、しかし右京に凄まじい勢いで拒絶されたため、引っ込めた。彼の顔色は大変悪く、今にも過呼吸になりそうなほど呼吸が浅い。細い腕で抱き締めた体は、カタカタと震えている。

「右京、これ使え」

 激しく取り乱した右京の様子を見かねたのか、颯月はおもむろに己の背に纏う外套を取り払うと、彼の小さな肩に掛けた。右京はびくりと体を跳ねさせて、しばらくの間硬直していたが――やがて外套を手繰り寄せると、体に巻き付けて、頭には深々とフードを被った。

 外套で体を覆われた事により、いくらか平静を取り戻せたのか、彼はふーと長い息を吐き出している。そして、蚊の鳴くような小さな声でぽそりと呟いた。

「………………ありがとう」

 フードで表情は一切見えないが、ただでさえ敵視している颯月相手に礼を言うなど、彼にとっては苦痛を伴う行動だろう。そんな右京に向かって、颯月は意地の悪い笑みを浮かべた。

「何か言ったか? そんな声じゃ聞こえねえなぁ」
「――はあ!? 何も言ってないし!」
「うーたん、もう大丈夫か? 無理すんなよ?」
「………………平気、当たってごめん。ありがと」
「陽香にはちゃんと礼が言えるのにな」
「うるさいな」

 颯月の揶揄にしっかり反論する右京を見て、陽香は安心した様子で息を吐いた。

「それで? 説明しろ、なんで「時間逆行」が解けない?」
「――「時間逆行」は、もう十年以上かけ続けている魔法だ。長年使い続ける内に、より要領のいい使い方がないか試行錯誤した」
「普通は、常に魔力を消費し続けるものだよな。アンタ、それで四六時中魔力を放出するから、マナの吸収を抑制する魔具を付けていないんだろう?」
「厳密には違う。僕は……魔力の先払いをして、発動時間に制限を設ける使い方をしているんだ。魔力を溜め込みすぎて苦しくなるたび、「時間逆行」が解ける前に――まとめて魔力を注ぎこんで、魔法の発動時間を引き延ばしてる。だから僕は、文字通り四六時中……眠っている時でも、この姿を維持できるんだ」

 曰く、それは十年以上習慣化していた事で、「時間逆行」をかけ直すのは彼にとって、呼吸するに等しい行為らしい。すっかり無意識に発動する癖付けがされていたため、右京は己のピンチに気付かなかったようだ。

「その時間制限は、もしかして、もうすぐ訪れるんですか――?」

 綾那が問いかければ、右京は外套に包まれた小さな頭で頷いた。

「たぶん……五時か、六時には」

 室内をぐるりと見渡せば、壁に掛けられた時計が目に入った。その短針は、もうすぐ朝の五時がくる事を示している。

「よく分かんねえけど、つまり――そのまま檻に閉じ込められてると、うーたんは元の姿とやらに戻っちまうって事?」
「うん……魔法が使えない以上、「時間逆行」をかけ直せないから」
「それは、そんなに人に見せたくないものなのか? ……どうしてもか?」

 右京は小さく、しかし何度も頷いた。その様子を見て、陽香は思案顔になる。

「僕は、十歳まで普通の人間だった。皆に大事にされて、期待されていた。だけど……悪魔憑きになった途端に、周囲の反応はまるっきり変わった。僕を愛してくれていた両親でさえ――「化け物だ」と言って蔑んで、家から追い出した。僕の『異形』は本当に、まるで化け物なんだ」
「うーたん……」
「僕は――僕は、弟を眷属から守ったのに……僕が助けなければ、弟が悪魔憑きにされていたのに。そんな事は誰も、考慮してくれなかった。あんな思いはもう二度としたくない、誰にも化け物と呼ばれたくない――」

 外套を引き寄せて小さく縮こまって行く右京の姿に、綾那の胸まで痛んでくる。
 生まれつき悪魔憑きだった颯月の人生も大概苛烈だが、元々普通だった者がある日突然、悪魔憑きにされるというのも――なかなかに酷いものだ。

 いきなり周囲の者に手の平を返されて、どれほど戸惑っただろうか。本来、無条件で愛してくれるはずの両親から捨てられて、どれほど悲しかっただろうか。

「アンタそれ、弟には?」
「――弟は、僕と血が繋がっている事すら聞かされていないよ。彼が眷属に襲われたのは、まだ一歳にも満たない時の事だった。その後すぐに僕は家から放逐されたし、両親には元から存在しなかった者として扱われてる」
「それは、なかなか――だな」
「両親の事は、もうなんとも思っていないから良い。だけど、弟は――何も知らないから、彼には罪がない。だから手助けしようと思って騎士になったのに、家族揃ってここまで腐敗していたら、もう手の施しようがない――」

 ため息交じりの言葉に、颯月が目を瞬かせる。

「右京――アンタ、もしかして領主の息子なのか?」
「えっ」

 颯月の問いかけに、綾那は思わず声を漏らした。そして右京が力ない声で「――元息子で、今はもうただの化け物だよ」と答えたため、陽香と顔を見合わせたのであった。
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