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第3章 奈落の底を見て回る

11 不穏

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「おかしい――よね、さすがに」

 壁に掛かった時計を見やれば、既に日が変わって、時刻は深夜の三時を過ぎている。だと言うのに、まだ陽香が宿に帰って来ない。綾那は部屋の中を落ち着きなく歩き回って、彼女の身に何か起きたのではないかと思案する。

 試しに、右京に割り当てられた部屋のドアを叩いても人の気配はないし――そもそも、彼は陽香と共に行動しているはずなので、当然だ――颯月もまだ、日課の散歩から戻らない。
 一人で外出せず陽香の帰りを待つように言われているが、こんな時間になっても彼らが戻らないのは、さすがにおかしいだろう。

 退職するにあたって事務処理が多いと言っていたし、諸々の手続きに時間がかかるのも分かる。しかし彼らと別れてから、既に十時間経過しているのだ。いくら騎士団が全国共通のブラック企業だとしても、こんな時間まで拘束される理由が分からない。
 仮に右京の緊急送別会が開かれていたとしても、なんの連絡も届かないのはおかしい。

 もしや、右京と折り合いが悪いらしい領主に何かされたのではないか。彼を陥れるため、騎士団本部に罠を張り巡らせていたのではないか――。
 綾那はあれこれと可能性を考えながら、下唇を噛んだ。

(いや、そもそもアデュレリア領は「転移」もちの人達が住処にしてるんだから……次は、陽香が目を付けられた? それとも、悪魔が絡んでいる可能性がある?)

 この五日間、魔法を使えば敵なしと謳われる悪魔憑きが二人も傍に居たため、「身の危険などない」と完全に日和っていた。陽香と無事に合流できて――自分達を苦しめた「転移」もちの男達の目的の一端を知って、彼らを懲らしめたことで気が緩んでいたのかも知れない。

 よくよく考えてみれば、アデュレリア領は曲がりなりにも敵の本拠地なのだ。右京に敵意を持つ領主、桃華を狙う領主の息子、綾那達を「奈落の底」へ落とした、「転移」もちの男達――そして、その裏で暗躍しているらしい悪魔の存在。
 彼らが居を構える街で、呑気に陽香と別行動するなど愚の骨頂であった。

(そうだよ。何かが起きて当然の場所を訪れておいて、迂闊にも程がある)

 何はともあれ、今更後悔したって仕方がない。反省するのは、陽香達の無事を確認してからでも遅くはないだろう。

 綾那は部屋から出ると、宿の入口――受付へ向かった。颯月には一人で出歩くなと言われているが、緊急事態につき大目に見てもらいたい。
 陽香と右京は、間違いなく騎士団本部を訪れているはずだ。まずはそこへ向かって、騎士から二人の情報を聞きたい。

(聞きたい――けど、土地勘がなさすぎる。アデュレリア騎士団本部ってどこにあるの?)

 まずは宿のスタッフから本部の所在地を聞いて、できる事なら簡易的な地図の一つでも頂きたいところだ。この時間帯では営業している店自体が少なく、灯りも、目印にできるものも限られている。下手をすれば迷子になって、宿に戻れなくなるかも知れない。

「あの、すみません」

 宿の受付には、夜勤のスタッフらしき男性が一人立っていた。綾那が声を掛けると、彼は人の良い笑みを浮かべながら応じてくれる。

「お連れの男性でしたら、まだお戻りではありませんよ。女性の一人歩きは危険ですし、夜は何かと物騒ですから……お部屋でお待ちいただいた方がよろしいかと」

 初めて顔を合わせるはずのスタッフからやんわりと部屋へ戻るよう促されて、綾那は目を瞬かせた。もしかすると颯月が出かける際、綾那について言及して行ったのかも知れない。
 例えば、水色の髪の女が一人でうろついていたら、部屋へ戻るよう注意してくれ――とか。心配してくれるのは嬉しいが、何やら信頼されていないようで、複雑な気持ちになる。

 まあ、結局のところ綾那一人でうろつくハメになったので、なんとも言い難いのだが。

「男性ではなくて、他の連れ――赤い髪の女性と、十歳ぐらいの男の子は戻って来ましたか?」
「いえ、お見かけしていませんね。それだけ目立つ組み合わせでしたら、さすがに目に留まると思いますが――」
「そう、ですよね……あの、街の地図はありますか? 連れを探しに行きたくて――騎士団の本部へ向かったはずなんですけど、帰りが遅くて心配なんです」

 綾那の言葉に、スタッフはギョッとした。そして「せめて、お連れの男性が戻られるまで――」と眉尻を下げる。
 真夜中にも関わらず、たった一人で徘徊したがる女性客。もし言われるがまま道案内をして、後で何か問題が起きた時――周囲から責任を追及されるのは、間違いなく彼だ。それは、遠回しに断られても仕方がないだろう。

 しかし今は、綾那も意思を曲げられない。ここで「そうですよね」と素直に引き下がって、陽香達の身に何かあっては目も当てられないのだから。

「そこをなんとか、お願いします」
「いえ、私の一存では――いっそ、街に駐屯している騎士を呼びましょうか? 」
「連れは本部へ行ったので、駐屯されている騎士の方では、分からないと思うのですけれど……でも、そうですね。騎士の方が本部まで案内してくださるなら――」
「――綾? こんな時間に何してる」
「颯月さん!」

 宿のスタッフと問答を続けていると、背中に聞き慣れた低い声が掛けられた。どうやら颯月が日課の散歩から戻ったらしい。綾那は目を輝かせると、夜勤のスタッフにぺこりと頭を下げてから、彼のもとへ駆け寄った。

(なんて良いタイミングで帰って来てくれたの? やっぱり颯月さんは神!)

 正直言って「こんな時間に何してる」は、そっくりそのままブーメランよろしく、颯月の頭に突き刺さっているような気がするのだが――今その話はいいだろう。

「陽香と右京さんが、まだ帰って来ていないんです」
「何? さすがに遅過ぎるだろ……本部で何かあったのかもな」

 思案顔になった颯月は踵を返すと、「様子を見てくる」と言い残し出て行こうとする。綾那は慌てて彼の背中を追いかけた。

「あの、私も――!」
「綾は部屋で待ってろ。入れ違いになると困るだろう? 実はただの退職祝いで、どんちゃん騒ぎしてるって線も――」
「見た目十歳の男児と見た目未成年の女性を、私達に連絡ひとつ寄こさずこんな時間まで連れ回していると?」
「――まあ、薄いだろうな」
「颯月さん、お願いですから一緒に居させてください。私一人残されて待つだけなのは、不安で――」

 綾那は、瞳にじわりと涙の膜を張った。そして顔色を窺うように颯月を見上げれば、彼はグッと眉根を寄せて顔を逸らす。

「おい待て、泣くな。狡いぞ」
「……まだ泣いていません」
「なあ綾、頼むから――いや、もう良い、分かった。傍に居て良いぞ、居ろ、いいな」
「うん……? い、いえ、一生なんて話は――」
「行くぞ、綾。これから何があっても良いように、俺の傍を離れるなよ。一生」
「そ、颯月さん? 颯月さんって、しばしば私の声が聞こえなくなる時がありますよね? あのー、颯月さーん……?」

 綾那の呼びかけに答える事なく、外套を翻してさっさと歩き出した颯月。綾那は、ひとまず彼の後を追いかける事にした。


 ◆


「陽香と右京さん、まだ本部に居るんでしょうか」
「さあ、どうだろうな」

 綾那の問いかけに、前を歩く颯月は首を傾げた。オブシディアンは夜の帳に包まれており、辺りはしんと静まり返っている。何しろ深夜の三時を回った時間帯だ、出歩く人はほとんど居ない。

「しかし、こんな事ならもっと早く探しに行くべきだった。右京は大した引継ぎはないと言っていたが――アレはどうせ、謙遜だろう?」
「謙遜……ですか?」
「旭から聞いた話じゃあ、常に尋常じゃない量の仕事を抱えていたらしいからな。引継ぎに時間がかかって当然だろうと、帰りが遅くてもあまり深く考えなかった」

 颯月をもってして、かなりの仕事量をこなしていたらしいと評される右京は――もしかすると、彼以上に社畜をきわめているのだろうか。綾那は思わず身震いしたあと、気を取り直すように頭を振った。

「何か、問題が起きた――って事ですよね」
「ああ。ただ、悪魔憑きの右京に手出しできる相手が居るとは考えづらい」
「確かに右京さんなら、きっと大抵の相手はせちゃいますもんね」
「無尽蔵の魔力に、無詠唱の魔法だからな。普通にやり合えば、悪魔憑きの方が有利だろう」

 なるほどと頷く綾那に、颯月は「ただし」と続けた。

「ヤツが全力を出すには、「時間逆行クロノス」を解く必要がある。アレは発動している間、大量の魔力を消耗し続けるからな。他の魔法が同時に使えねえ訳ではないにしろ、乱発できない」
「でも、「時間逆行」を解いちゃうと――」
「ああ、元の姿に戻る。四六時中ガキの姿で居るようなヤツだ、よほど姿を晒すのが嫌なんだろう。もしかすると、それが原因で全力を出し切れていないのかもな。まあ、俺も「魔法鎧マジックアーマー」を手放せんから、気持ちは分かる――」

 後半へ向かうにつれて声が小さくなる颯月に、綾那は複雑な思いを抱いた。
 右京がどんな『異形』をもつのかは分からないが、ただでさえ悪魔憑きに対する当たりのきついアデュレリア領で育ったのだ。過去どれだけ過酷な目に遭って、子供の姿で居る事を選んだのだろうか。

「あ。でも、じゃあ右京さんも「魔法鎧」を発動すれば、姿を隠しながら戦えるのでは……?」
「そうかもな。だが、まず元の姿に戻ってマナを吸収しないと、魔力が足りんだろう。あの鎧もアレで結構、魔力がかかるんだ」
「結局、一度は元の姿を見られちゃうって事ですね――」

 全て予測の域を出ないため、本当のところは分からない。しかし悪魔憑きの右京であっても、向かうところ敵なしという訳ではないらしい。

(とにかく、陽香と右京さんが無事ならそれで良い)

 綾那は颯月と共に、アデュレリア騎士団の本部へ急いだ。
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