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第2章 奈落の底で配信する

24 社会人の休日

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 騎士の女性人気は、動画をきっかけに急激に過熱した。その結果、若手の訓練に支障が出たり颯月が倒れたりと、弊害はあるものの――今のところ、綾那が責任を追及される事はない。
 と言うのも、大変めでたい事に入団希望者が現れたのだ。まだたったの五人で、しかも冷やかしが含まれていた。厳正なる面接の結果、受かったのは二人だけだったそうだ。しかし、これまでゼロだった事を考えれば、大きな進展である。

 動画による効果は、まだ騎士団に対する貢献よりも、かかる迷惑の割合の方が圧倒的に大きいだろう。今後、女性の異様な熱気が落ち着いて、徐々に男性のファンを増やしていけると良いのだが。

 ――いや、それはそれとして、現状綾那にはもっと深刻な問題がある。

「結局、何着るか決まらなくていつも通り……」

 ぽつりと呟いた綾那は、自室にある姿見の前で自分の恰好を確認した。黒いタンクトップの上に夏らしい白い半袖のパーカーを羽織り、下はデニム生地のホットパンツ。
 科学の発展していない世界の繊維産業はどうなっているのかと不思議に思うが、恐らく魔法を交えながら、こちら流のやり方で生産されているのだろう。詳しく聞いたところで綾那の頭では理解できないし、その着心地は「表」のものと相違ないので製法はなんだって構わない。

 どうせ部屋の外に出ればマスクを付けるため、意味はないのだが――しかし今日ばかりは珍しく、化粧もしっかりと施した。それでも鏡に映る綾那の顔は、どこか強張っている。

 ――「明日遊びに出かけるか」とは、颯月の言葉だ。
 綾那がそれを言われたのが昨夜の事。以前から話していた、颯月の「仕事を休んでも、何をして過ごせば良いのか分からない問題」を解決するためのものだ。

 ただ、今まで綾那自身気付いていなかったのだが、仕事が休みの日に男女二人きりで出かけるなど、それはまるでデートのようではないか。その事に気付いたのが昨夜就寝する直前の事で、妙に身構えて緊張してしまった綾那は、今日着ていく服装について頭を悩ませていた。まあ結局、何一つ決まらないまま朝を迎える事になった訳だが。

 よくよく考えれば、今綾那が着用している服は、全て颯月から「似合うと思って」と贈られたものだ。だからどれも彼好みのはずで、正直何を着たって構わないのだろう。しかし一度でもデートと意識してしまったからには、どうでもいいと手を抜く訳にはいかない。何せ相手は綾那の神である。

(いやいや全然、デートじゃないんだけどね!? 友人、そう、友達と遊ぶだけだからね……! ノーカン! ノーカンだよ、これは!?)

 果たして誰に向けた言い訳なのかと問われれば、それは勿論、綾那の脳内に住む四重奏のメンバーである。服装に気を使ったって、メイクに力を入れたって、そんなものは社会人として当然の事である。良い歳をした女がジャージや部屋着で街へ出ようものなら、後ろ指を差されてしまうではないか。

 ――であるからして、これは決して特別な行動ではない。そして今日の外出も、颯月に社会人の休日を教えるために設けたものであって、断じてデートなんてものではないのだ。
 そう、今までの綾那とは違う。いくら彼の見た目が宇宙一タイプだからと言って、特別な仲になりはしない。綾那にとって最早どうでもよくなりつつあるが、四重奏は一応スターオブスター殿堂入り直前の、とんでもなく大事な時期なのだから。
 もうとっくに授賞式を終えて結果も出ているだろうが、「奈落の底」に居る以上、「表」の様子を知る事はできない。

「安心して、皆。私はこの通り、成長しているから――って、もうこんな時間!」

 壁に掛けられた時計を見た綾那は、マスクを付けると慌てて部屋を飛び出す。
 颯月は昨夜、「迎えに行くから、綾は自室で待っていれば良い」と提案してくれた。しかし綾那は、せっかくなら裏門で待ち合わせしないかと持ち掛けたのだ。
 異性とデートするどころか、友人と出かけた経験すらない――そもそも友人すら居ない――らしい颯月は、初めこそ「同じ宿舎に居るのに、なんでわざわざ?」と首を傾げたが、綾那に「友人と遊びに行く時は、待ち合わせをするものなのです」と説かれれば、素直に頷いた。

 ――約束の時間まであと十分。
 綾那としては、もっと早めに裏門へ行って颯月の到着を待とうと思っていたのだが、着ていく服を決めるのに随分と時間を掛けてしまった。

(颯月さんの事だから、もう先に行って待っているかも――それにしても、初めて颯月さんの私服が見られるんだ! 楽しみだなあ)

 断じてデートではないものの、彼と出かけるのは楽しみだ。綾那は胸を躍らせて裏門へ向かった。


 ◆


「――誠に遺憾である」

 予想通り、颯月は既に裏門で綾那の到着を待っていた。けれど彼は、綾那の期待していた私服ではなく、ハーフアップに結われた髪、禁欲的な漆黒の騎士服――という、正にいつも通りの恰好だったのだ。

 彼は今日休みをとったはずなのだが、これは一体どういう事なのだろうか。綾那は颯月のいつも通りの姿を認めた瞬間、思わず「遺憾である」と呟いた。出合い頭にそんな言葉を浴びせられた颯月は、ぱちりぱちりと左目を瞬かせた。

「時間を間違えたか? それとも、あまり早く到着するとかえって失礼に当たるものなのか」
「時間は合っています。早く到着するのも、商談でなければ別に……一応聞きますけど、いつから待ってました?」
「…………いや、時間まで何して良いのか分からんから――」

 颯月の言葉に、綾那は頭を抱えて天を仰いだ。
 休日どころか、己の睡眠時間すら持て余してしまう彼の事だから、集合するまでの待ち時間に困るだろう事は想定済みだった。だからこうして、朝早くから――そう、休日に彼を一人にしておくのは難しいと思って、朝の五時という常識はずれな集合時間を設定したのだ。

 普通、遠出する予定もないのに、こんな早朝から友人と集まる事など滅多にない。

(でも結局、持て余しちゃったのか……あんまり意味なかったな)

 ぼんやりするのは、不安になるから苦手だと言っていた颯月。彼はまるで、泳ぐのをやめると呼吸できなくなって死ぬ、マグロのようなものだ。

(私の予想以上に、颯月さんって重症なのかも知れない)

 そうでなければ、年単位で休みを取らずに働き続けられるはずがない。綾那はひとしきり天を仰いだのち、改めて颯月と向き合う。そしてマスクの下で目を眇めた。

「颯月さん、今日はお休みを取られたんですよね?」
「ああ。禅も成も和も、大喜びで送り出してくれた。俺が休むなら、若手の訓練も臨時休養だってな。最近、訓練場周りが騒がしいから丁度いいらしい」
「ぐ……っ訓練場の事は、誠に申し訳なく思いますが……では、何故いつも通りの制服――騎士服を着ていらっしゃるのでしょう」

 綾那の問いかけに、颯月はやや気まずげな表情を浮かべた。

「全力で休日を謳歌するのは、あまりに危険だ。俺をダメにする劇薬の可能性もある、少しずつ体を慣らしていかねえと……いきなりこれを脱ぐのは、どうにも落ち着かん」
「それはまあ、そうかも知れないですけど――」

(私服、楽しみにしていたのに……いや、まあ、騎士服も格好いいんだけど。でも、休みっぽさがなさ過ぎる)

 綾那は頬を膨らませた。しかし颯月の言う通り、いきなり普通の休日が取れるはずもない。何せ彼は、十年以上まともな休みを取っていないのだから。
 私服を楽しみにしていた綾那にとっては、残念だが――いや、そもそも彼の私服など存在するのだろうか? まともな睡眠すら取らずに、いつも仮眠で済ませている彼の事だ。下手をすると寝間着すら持っていないのではないか。

「今の時間は人が少ないから良いですけど、騎士服で歩くと目立つのでは……? 確か「水鏡ミラージュ」は、一度に一人にしか掛けられないんですよね。もしまた、女性に囲まれてしまったら――」

 見た目が派手すぎる綾那は、「水鏡」なしに外を歩けない。したがって、颯月は素の状態で街歩きせざるを得ないのだ。

「ああ、それは問題ない。良い対処法を見付けた」
「対処法、ですか?」
「それに、もしダメでも綾さえ居れば立て直せる」

 颯月は笑みを浮かべて、「何せ、アンタは俺の気付け薬だ」と言いながら、綾那の手を取った。綾那は「やはり肉付きがあり過ぎるのでは?」と複雑な思いになったが、しかし己の肉が彼の精神衛生の守りになるというのなら、良いだろう。

「なあ綾。あの黒髪にする変装道具は、今も持ってるのか?」
「え? ええ、鞄の中に入っていますが――」
「折角アンタと街歩きするのに、「水鏡」をかけるのはどうにも勿体なく思えてな……街の奴らだけでなく、俺にも綾本来の姿が見えなくなるだろう?」
「それは……私は良いですけど、でも、結局マスクがあると目立ちませんか?」
「欲を言うなら、マスクも外したい」

 颯月の言葉に、綾那は「えっ」と言葉を詰まらせた。綾那としては、外して良いなら外すという気持ちなのだが、しかしあれだけ周りから「外で顔を見せるな」と言われてきたのだ。気の緩みから街中でマスクを外して、正妃に連行された前例もある。

 本当に外して良いのだろうかと首を傾げる綾那に、颯月は頷いた。

「確かに、街中を好き放題歩き回るのは危険だ。今日はできるだけ、見知ったヤツが居る場所で過ごさないか? 桃華の店とか、静真のトコとか――」
「え……それって」

 普段やっている事と、何が違うのか――と言いかけて、綾那は口を噤んだ。颯月の休日なのだ、彼が行きたい所へ行かせるのも大事である。

(なんかホント、仕事が抜けないというか……「デートだ」ってはしゃいでいた自分が、恥ずかしくなってきたな――いやいやいや! そもそもそデートじゃないんだけどね!! 合ってる、合ってる! うん、これで合ってる!)

 またしても脳内でメンバーに対する言い訳を募った綾那は、気を落ち着かせるために小さく息を吐いた。

「そもそも、問題の陛下は――母上が亡くなってから、公務以外では一度も街へ出向いてないらしい。注意すべきなのは母上の顔を知っていて、かつ陛下にそれを進言できるような立場の人間だ。そんな相手はそうそう居ない。正妃サマの一件は、本当に不幸な事故だった」

 ため息交じりに続けた颯月に、綾那はなるほどと納得する。
 聞いた話では、国王は大変嫉妬深い男性で、亡くなった颯月の母親――輝夜の顔を見るのは自分だけで良いと、彼女の顔が分かる資料を全て取り上げて隠してしまったらしい。
 だから輝夜の顔を知るのは、颯月より最低でも五つは年上の者。その中でも、特に記憶力が良い者だろうか。しかも彼女が側妃だった時代、傍に侍っていたような人物に限られる。

 元々輝夜の傍仕えだった竜禅でさえ、国王から「見るな」と命じられていたくらいだ。恐らく彼女が存命だった当時から、周囲に姿を隠しがちだったに違いない。
 であれば、今日一日ぐらい良いのではないかという気がしてくる。そもそも綾那が輝夜と似ているのは、あくまでも笑顔であって、顔そのものではない。最悪の場合は、真顔でやり過ごせばいいのだ。

 綾那はそう思い至ると、おもむろにマスクを外して肩掛け鞄の中にしまった。入れ替わりに鞄から黒髪のウィッグを取り出そうとしていると、不意に颯月の手が伸びてきた。
 びくりと肩を揺らした綾那の顎先に手を添えて上向うわむかせると、颯月はまじまじと綾那の顔を見下ろした。

「――な、なんですか?」
「いや、いつもと違うと思って」
「違う? 違うって、一体何を――あっ」
「綾?」

(デートじゃないけど、デートだと思ってめちゃくちゃ気合い入れて化粧した、私のバカ……! 本当に、誓って、デートじゃないけど……ッ!!)

 綾那は、一人浮かれに浮かれてしまった恥ずかしさから、頬を赤く染めた。着ていく服に迷い、化粧もばっちり決めて来たものの、肝心の颯月は悲しくなるほどいつも通りだ。
 綾那はぐうと唸ってから、自棄になって口を開いた。

「い、異性の友人と遊びに行くのですから、お化粧は最低限のエチケットです!」
「そうか、なるほど――へえ、いつもの綾も良いが、今日の綾も良いな。俺はどうも、アンタの顔が好きで仕方ないらしい」

 言いながら颯月は、蕩けるような甘い笑みを浮かべた。その直撃を至近距離で食らった綾那は、「――ヴン゛ッ……!!」という奇声を上げて、その場にしゃがみ込んだのであった。


 ◆


「やっぱりこの時間帯はまだ、人通りが少ないですね」
「ああ、静かでいい」

 颯月の微笑みによって受けたダメージを回復するまでに、やや時間を要したが――黒髪のウィッグを被った綾那は、素顔のまま颯月と王都アイドクレースを歩いている。瞳については既にカラコンの在庫がないため、桃色のままだ。

 時刻はまだ、朝の六時にも満たない。普段人で溢れている王都も、この時間帯は人の姿がまばらである。
 たまにすれ違うのは街中を巡回する騎士のみ。彼らは颯月に気付くと黙礼するものの、しかし話しかけにくる事はない。彼が休みであると認識されているのか、それとも街中に問題がないから報告しにこないだけなのか――まあ恐らく、後者だろう。何せ颯月は、堂々と騎士服で歩いているのだから。

 綾那はちらりと、隣を歩く颯月を見上げた。170センチ近い身長の綾那でも見上げる彼の身長は、190センチらしい。その恵まれた体格に比例した長い脚。本来綾那と颯月とでは歩幅が違うだろうに、彼はいつも歩みを合わせてくれる。
 これは完全に余談だが、過去綾那が付き合ってきた――四重奏のメンバー曰く――クズ、そして綾那がダメにしてきた男の中に、出会い初めから変わる事なく歩調を合わせ続けてくれる者は居なかった。
 その原因は間違いなく、綾那が過度に尽くし過ぎて男を増長させるからに他ならない。

「――どうかしたか?」

 綾那の視線に気付いたのか、颯月は首を傾げた。

「いえ、颯月さんは優しいなと思って」
「優しい?」
「ええ、いつも歩く速さを私に合わせてくれるでしょう? 普通、私が颯月さんについて行こうと思ったら、早足になっちゃいます」
「ああ……ガキの頃に散々叩き込まれたからな。優しいとか気遣いとかじゃなく、ただ単純にそうなる体にされているだけだ」

 渋面になった颯月を見て、綾那は「ああ、正妃様が――なるほど」と苦笑いを浮かべた。
 さすが教育熱心な正妃である。颯月は元々、彼女の手で次期国王として育てられていたのだ。一般常識から王族として必要な法律の勉強まで、そして合間には、魔法の勉強と体術の鍛錬を。きっとその頃に、紳士としてのマナーまで叩き込まれていたのだろう。

 そんな生活を続けて、よくぞグレずにここまで育ったものである――いや、グレた結果が今の颯月なのかも知れない。

「えっと……でも、歩きやすくてとても助かりますよ? これだけ合わせてもらえたら、ずっと疲れずに歩けるというか――」
「ずっと?」
「はい」
「そうか、それは良いな。一生俺の隣を歩きたいと」
「う……うーん? そんな事は言っていませんけれどね?」
「頷いておけば良いのに」

 軽口を叩き、互いに顔を見合わせて笑い合う。
 綾那は初め颯月のいつも通りの姿を見た時、どうなる事かと心配していた。しかし存外、穏やかな時間が流れているではないか。
 ただ、正直この時間帯では営業している店も少なく、街を歩きながら雑談するぐらいしかできない。綾那自身「果たして、これが社会人の休日なのか?」とは思うものの――颯月が心身を休められているならば、それで良いという事にした。

「そうだ綾、この時間なら朝市がある。何か摘まめるものがあるか、見に行ってみるか」
「へえ、朝市ですか! 良いですね」

 颯月の提案に、綾那は「なんだか休日らしくなってきた」と上機嫌で頷いた。
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