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第2章 奈落の底で配信する

7 よき友人として

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「つまり、彼女を騙して「契約エンゲージメント」した、と――?」
「騙してはいません。確かに言葉足らずだったとは思いますが、彼女は俺に同意しましたから」
「何、子供みたいな事を言っているのよ……騎士団長ともあろう者が、そんな真似をするなんて」

 颯月と綾那が「契約」を行使するに至った事のあらましを聞いた正妃は、頭痛を堪えるような表情になった。しかし長いため息を吐いたあと、おもむろに綾那を見やると口を開く。

「いえ、もうこの際、始まりはソレでも良いわ。綾那、お前は絶対に颯月と結婚するのよ」
「――はい!? な、なんでそうなるんですか、できませんよ!!」

 つい先ほどまで「どうせ別れるなら早い方がいい」という話をしていたはずなのに、あまりの急展開に綾那は目を白黒させた。正妃が突然手の平を返した理由が、全く分からない。

「できない? なぜ? お前、颯月の素顔を見てもなんともないのでしょう。であれば、何も問題はないじゃない」
「い、いいえ、問題だらけです!」
「何が問題なの。颯月はアイドクレース騎士団の栄えある団長よ。性格は――少々難があるかも知れないけれど、高い地位があり、人望もあり、悪魔憑きだけあって魔法を使わせれば敵なしよ。何が気に入らないの? ああ、子を成せない事なら気にしなくていいわ、欲しくなれば他所で作って良い事になっているから」

 正妃の言葉を聞いて、綾那は首を傾げる。言い争いばかりしているから、てっきり仲が悪いのかと思ったが――どうやら、そういう訳でもなさそうだ。
 途端に颯月の優れたスペックを並べ立て始めた正妃に目を瞬かせたが、しかしハッと我に返って首を横に振った。

「あの、家族が絶対に――絶っ対に、許しません」
「家族……はぐれた仲間の事ね? ――こんな状況ではまた会える保証もないのだから、気にせず颯月の事だけを考えれば良いんじゃなくて?」
「な、なんて不吉な事を仰るんですか……!」

 きっと会えると信じて毎日頑張っているのに、酷い言われようである。
 綾那が瞳を潤ませると、横に座る颯月が「言って良い事と悪い事の判別もつかないのですか」と正妃に苦言を呈した。
 正妃は「確かに言い過ぎたわ」と答えたものの、しかし間髪入れずに話を続ける。

「そもそもお前の人生なのだから、家族の意見は関係ないでしょう。私はお前個人の感情が知りたいのよ」
「か、関係ない事は、ないような……? でも、個人――個人、ですか」

 隣に座る颯月を見下ろすと、綾那は眉尻を下げた。そして、やや考えてから正妃に向き直る。

「その、個人的な感情を言えば、颯月さんはとても好ましいです。何度でも咲き声で「颯様」と咲きたいぐらい」

 この『咲く』とは、ビジュアル系バンドの演奏中の楽曲に合わせて、ファンがバンドマンに向かって両手を広げる動作の名称である。これはファンの求愛行動であり、「抱いて欲しい」という意味合いをもつ。
 諸説あるが、両手を広げる様がまるで蕾が花開くように見える事からこの名称が付けられたらしい。咲きながら甲高い声でメンバーの名前を呼ぶ事もあり、この時の甘えた声の事を『咲き声』と呼ぶのだ。

 ――閑話休題。
 颯月の事を憧れのバンドマン目線で見ている綾那からすれば、これは至って正常な感覚である。しかし言葉の意味が理解できない正妃と颯月は、首を傾げるしかない。

「相変わらずお前の言う事は難解だけれど、好ましいなら良いじゃない」
「いえ――そもそも、私レベルでは颯月さんの相手として相応しくない、と言う事が大前提ですよ? その上であえて言いますが……実は私、とても独占欲が強くて嫉妬深いんです。ですから実際問題、一夫多妻の男性に嫁ぐなんて無理無理のムリなんですよ」
「無理無理の……!? そ、そんなに重ねる程に!?」
「ええ、無理です、ごめんなさい」

 言いながらしょんぼりと肩を落とした綾那の隣で、颯月がフッと笑みを漏らして口元を押さえた。正妃は大層ショックを受けたらしく、頭を抱えている。

「ええと、結婚はできませんが、ファン――いえ、もし颯月さんが望んでくださるのなら、よき友人でいる事はできます」
「友人……ええ、そうね、確かに友人の存在も大切よね――けれど本当に惜しいわ。綾那お前、もし気が変わったらすぐに知らせなさい? 私が方々へ根回しするから」
「正妃様、は……颯月さんが大事なのですね」

 きっと正妃は、悪魔憑きとして生き辛い思いをしている颯月の事が、心配で仕方ないのだろう。素顔を見せれば人が手の平を返して去って行くというのは、恐らく実体験に基づく話のはずだ。
 奈落の底に住まう住人にとって、彼の姿は刺激が強いのかも知れない。だからこそ、早い段階で綾那に彼の素顔を見せたかったのだ。浅い関係ならば去っても「仕方ない」で済むだろうが、深い関係になった後に去られては、颯月の負う傷が深くなると。

 綾那からすれば、顔半分を覆う刺青が入っていようがオッドアイだろうが、好ましい事に違いはない。ただそれは、綾那が悪魔や眷属などとは縁遠い「表」の人間であり、魔法の恐ろしさを正しく理解できないから。そして職業柄、好奇心が旺盛だからだ。奈落の底の人間とは根本的に価値観が違う。

 だからこそ正妃は、綾那を颯月の傍にと望んでいるのだろう。まるで、我が子の行く末を心配する母親のようだ。
 綾那が微笑めば、正妃は言葉に詰まった。しかしすぐに咳払いすると、ツンと顔を逸らして口を開く。

「義理とはいえ、よ。当然、変な虫がついているのを見れば追い払うし――逆なら、捕まえて逃がさないわ」
「ああ、息子……――ッは!? 息子!?」
「何を驚いているの? 知らずに婚約者になった訳でもあるまいし……颯月が未婚の女性の間で人気なのは、顔が一番の理由じゃなくて王家直系の血筋だからじゃない。まあ、颯月は子を成せないから後継はつくれないし、結婚したところで王族にも、国母にもなれないけれど」

 綾那は言葉を失ったまま、チラっと横に座る颯月を見やった。いつの間にか調子を取り戻したらしい彼は、正妃の前にもかかわらず行儀悪く片肘をついて手の甲に顎を乗せている。
 颯月は綾那の視線に気付くと、蠱惑的な笑みを浮かべた。眼帯を付けていない、両目が揃った状態で初めて見せた彼の表情に、綾那はウッと胸を押さえる。
 しかしすぐに頭を振ると、颯月を問いただす。

「お、王族じゃないって言ったのは?」
「嘘じゃねえ。俺の母上は陛下の側妃だった。だから陛下の血を引いてはいるが――もう勘当されてる」
「勘当?」
「陛下は、随分と母上にご執心だったらしくてな。母上が死ぬ直接の原因になった俺を、殺したいほど憎んでいらっしゃる」
「え……」
「とはいえ、他でもない母上が遺した忘れ形見を手に掛ける事もできなかった。だから陛下の広い御心で、勘当するだけに留めてくださった。つまり俺はもう王族じゃない、ただの颯月だ」
「う、嘘でしょう、知らなかったの? それは、驚かせて悪かったわ」

(お、驚いたなんてものじゃあ――やっぱり、颯月さんまで王子様だった? い、いや、というか、今日は驚いてばかりでもう、何が何やら……一回、帰って眠りたい)

 すっかり疲れ切って虚ろな目をした綾那は、そっと自分の席へ戻ると腰を下ろした。

「ねえ、綾那。お前、普段は騎士団の宿舎に居るのよね? 陛下はまず騎士団に近寄らないから、平気だとは思うけれど……顔を隠しておいた方が良いわ。例えば――」
「あ、いえ、普段はマスクで目元を隠すように言われています。竜禅さんが提案してくださって」
「――ああ、さすが竜禅ね、陛下の事をよく分かっているわ。颯月、しっかり陛下から綾那を隠しなさいね。この顔を見たら、陛下はきっとお前から綾那を取り上げてしまうわよ」

 正妃の言葉に、綾那は目を瞬かせる。人を取り上げるとは穏やかではない。颯月も思うところがあったのか、眉根を寄せて正妃を見やった。

「まさか、陛下が? そこまで病的なのですか」
「不敬よ、颯月。ただ――輝夜の事になると、人が変わるの。恋は盲目と言うでしょう? お前が綾那と共に在りたいと願うなら、くれぐれも気を付ける事ね」
「…………肝に銘じます」
「私も心に留めておくけれど――私の役目は、正妃として陛下の意に沿い続ける事だから。どうしてもお前達の事を優先できなくなる時がくるわ、まず見つからない事が重要よ。綾那が陛下に召し上げられたら、困るでしょう」
「いくら母上の面影があるからと言って、一体年齢差がいくつあると……いい歳した男がやるには、あまりにも痛々しい所業だな――」
「颯月、不敬だと言っているでしょう、やめなさい」

 独り言のような声量で国王に悪態をつく颯月を、正妃がぴしゃりと諫めた。血の繋がりはないため容貌こそ違うが、こうしてやりとりしているのを見ると、不思議と親子のようにも見えてくる。

(なんだか色々とあったけど、とにかくあの居た堪れない空気が消えて良かった)

 結局なんの話だったのかさえ分からなくなってしまったが、正妃の言葉からして、ひとまず綾那がアイドクレースを追い出される事はないのだろう。であれば、この際なんでも構わない。
 ほう、と小さく息をついた綾那は、そこで初めてテーブルに置かれた飲み物を手に取った。甘く濃厚な桃ジュースの味に目を細めていると、個室の扉が数度ノックされた。

「失礼いたします。竜禅副長がいらしておりますが、いかがしましょうか」
「あら」

 個室の外から護衛の男に声をかけられる。何やら、中と外を音声で繋ぐ簡易通信機のような魔具があるらしい。正妃はスッと目を眇めて颯月を見やった。

「お前、どれだけ私が嫌いなのよ。「共感覚」を切らなかったわね?」
「ええ。あまりに恐ろしく、禅に助けに来てもらおうかと思いまして」
「はあ……まあ、嫌われるだけの事をしてきた覚えはあるから、良いけれど――いいわ、通しなさい」

 正妃は軽口を叩く颯月にため息を吐いて、机の上にあるボタンのようなものを押しながら、扉の外へ声をかけた。
 ややあってからゆっくりと扉が開かれて、現れたのは勿論竜禅だ。いや、正しくは、いつもよりやや顔色が悪い竜禅だ。

 彼は今日も目元を覆い隠すマスクを付けているので、表情こそ分かりづらい。しかし、颯月が眼帯を外している事に加えて、マスクを外した綾那まで同席している事に気付くと、ヒュッと鋭く息を呑んだ。

「颯月様――いえ、正妃様、ご機嫌麗しゅう。このような場に突然押し入った無礼を、どうかお許しください」
「面倒な挨拶は良いから、早く颯月を連れ帰って頂戴。私が恐ろしくて堪らないそうだから」
「……は、承知いたしました。颯月様、綾那殿、参りましょうか」

 竜禅の呼びかけに、颯月が無言で席を立った。綾那としては、仮にも国の正妃相手にそんな態度をとって良いのだろうかと不安に思う。しかし、よくよく考えると義理の母子なのだから、こんなものなのだろうか。

 それはそれとして、一人この場に置いて行かれては困る。綾那も慌てて席を立つと、正妃の傍に駆け寄って「ご馳走様でした」と頭を下げた。
 そのまま、入口で待ってくれている竜禅と颯月の元へ行こうと踵を返しかけたが、しかし正妃に手を取られて動きを止める。

「――綾那……ねえ綾那。もう一度、顔をよく見せてくれる?」
「え、あ……はい、正妃様」

 椅子に座ったままの正妃を上から見下ろすのはまずかろうと、綾那は床に膝をついて正妃を見上げた。すると、ほっそりと今にも折れそうな手で両頬を挟み込まれる。

「……笑って」
「え――」
「笑って、お願いよ」

 人から「笑え」と言われて笑うのは、何やらおかしな感覚だ。綾那は正妃の願い通りに微笑んだが、引きつってはいないだろうかと心配になる。
 けれど、正妃が涼やかな吊り目を僅かに垂れさせたので、恐らく問題ないのだろう。

「しっかりご飯を食べるのよ。くれぐれも体を壊さないようにしなさい」
「はい、ありがとうございます」
「――どうもありがとう。いいわ、行って」

 正妃は綾那の頬から手を離すと、彼女以外誰も居ないテーブルへ向き直った。綾那が立ち上がるのと同時に、颯月が「綾」と名を呼びかける。
 綾那は颯月に顔を向けたが、しかしその際視界の端に入った正妃の背中は、綾那の目にあまりにも心許なく映った。ただでさえ細く折れそうな体が、精神的に参っているように見えたのだ。

 綾那は少しだけ迷ってから――不敬だとか失礼だとかは、一旦思考の端に追いやると――正妃を背中からぎゅうと抱き締めた。その瞬間、部屋に居る誰もが息を呑んだが、それは時間にして五秒もなかっただろう。

 離れ際に「正妃様も、お体にお気をつけて」と言い残すと、そそくさと颯月達の元へ駆け寄る。驚いたように目を丸めている颯月に苦笑を返して、綾那は「帰りましょう?」と告げた。


 ◆


 高級レストランを後にした一行は、騎士団本部へ直帰する事なく、そのまま庶民向けの飲食街へ足を向けた。
 結局、正妃との会合では夕飯をとっていない上に、宿舎の食堂は既に閉まっている。そのため、外で食べるしかないという事になったのだ。

 颯月は当初の予定通り、食べ歩きでも構わないと言っていたのだが、竜禅が「何故こんな事になったのか、一から説明して頂きたいのですが」と、どこかに腰を落ち着けて話す事を希望したので、居酒屋に入ったのだ。
 庶民向けの居酒屋とは言え個室はあり、しかも高級店と同じく防音魔法とやらが完備されている。
 まあ正直、店に備えつけられていなかったとしても、颯月さえ居れば防音魔法をかけられるので問題はないらしいのだが。

 そうして、ようやく腰を落ち着けた一行。口火を切ったのは竜禅だった。

「颯月様。何はともあれ、まずは共感覚を切って頂きたい――」

 相変わらず顔色の悪い竜禅は、ため息交じりにそう呟いた。
 竜禅に乞われた颯月は、ふっと小さく笑みを漏らす。ちなみに彼は、高級レストランを出る際に眼帯を付け直している。

「なんで。もう気分いいだろ」
「いえ、なんと言いますか――起伏が激しすぎて、体が追い付かないのです。深く絶望したかと思えば、次の瞬間には真逆の感情に浸って。一体何が起きれば、そんな精神状態になるのですか? 今はもう、正直どういった感情なのかよく分かりません」
「……分かったよ」

 颯月がパチンと指を鳴らして共感覚を切れば、竜禅の顔色が見る見る内に良くなっていく。ホッと息をついた竜禅は、改めて「それで、何があったのですか」と問いかけた。颯月は一連の流れをかいつまんで話し始める。

 颯月が目を離した隙に、綾那が正妃に見つかってしまった事。街中だからと油断して、マスクを付けていなかったため、綾那が輝夜に似ているとバレて正妃に連行された事。
 綾那が颯月と「契約エンゲージメント」している事に気付いた正妃が、「どうせ別れる事になるのだから、傷が浅い内に素顔を見せろ」と余計な気を回して、眼帯を外させた事。

 ――そして、綾那は颯月の素顔を見てもなんともなかった事。
 説明を聞き終えた竜禅は、「そう、ですか」とどこか呆けた様子で綾那に顔を向けた。

「ああ、綾。これも旨いから食ってみろ」

 颯月は竜禅に説明する間、料理を一口大に切り分けては綾那の皿に運んだ。彼自身は説明のために口を動かし続けているので、ほとんど何も食べられていない。それにも関わらず、甲斐甲斐しく食事の世話を焼かれて――綾那は参ってしまう。

「あの、子供じゃないんですから、そんな、切り分けて下さらなくても……というか颯月さん、全然食べられてないんじゃあ――」
「俺はこれから食べる、気にしなくて良い」

 ――見目麗しい男にこんな事をさせておいて、気にならない訳がない。綾那は口の中に入れたステーキ肉をモグ、と咀嚼しながら、困ったように笑った。

「ずっと、アンタと一緒に食事がしてみたかったのに……成がダメだって言って聞かねえから」
「ああ……スパイ疑惑をかけられていましたからね」

 颯月の言葉に、綾那は「言われてみれば、初日を除けば彼とまともに話すのは、今日が初めてなのだ」と思い当たる。
 正直、彼の事はまだ「宇宙一格好いい男」という、顔先行のイメージが強い。少々強引で腹黒く、人を煙に巻く性質をもち、意外と子供好きで、そして正妃が苦手――綾那はまだ、彼の内面についてほとんど知らないのだ。

(複雑な生い立ちについては今日、嫌と言うほど教え込まれたけれど)

 遠い目をしながら食事していると、おもむろに竜禅が口を開く。

「綾那殿、なぜ颯月様のお顔を見ても平気だったのか、伺っても?」
「なぜ、と言われましても……えっと、私が元居た大陸では、肌に模様を彫るのが珍しくないというか――あ、いえ、違いますね。少なくとも私の暮らす国では、まだまだ偏見の対象だったかも?」

 例えば「表」の外国であれば、ファッションだとか宗教上の理由だとかで、刺青を入れる事も珍しくない。しかし日本では、どうしても反社会的勢力と結び付けられやすく、あまり世間に受け入れられていない。
 歴史の中には、「刺青と言えば罪人の証」なんて言われていた時代もあるくらいだ。
 ただし、それでも刺青を入れる者は存在する。その理由はファッションに宗教に度胸試しにと、様々だろう。

「では――」
「うーん、格好いいから?」
「格好いい、ですか」
「はい。あの、好きで仕方なくて、ずっと追いかけていた人が居るんです」
「――何?」
「その人が一度、お顔に模様を――彫り込みじゃなくてペイントだったんですけど、入れた事があって。それを見た時、本当に格好いいなって。私、真似しようと思った事もあるんですよ。まあ結局、「軽々しくそんな事をして、もし周りの子が真似したらどうするんだ」ってたしなめられて、終わったんですけど……ですから、憧れはしても嫌悪感はありませんね」

 そのまま「髪色も、色違いの瞳についても、同様の理由です」と言って微笑めば、颯月は複雑そうな顔をした。

「つまり俺は、アンタが慕う男のお陰で嫌われずに済んでいると?」
「え? はあ……言われてみれば、そうなのかも知れませんけど――でも、もう宇宙一格好いい男性の座は、颯月さんに渡りましたからね。なんとも……」
「じゃあ、これからは俺を追いかけてくれるのか?」

 颯月は首を傾げて、笑みを浮かべた。綾那は、エッと言葉を詰まらせて真剣に考え込む。
 確かに、綾那は既に颯月のファンだ。そもそも奈落の底に絢葵あやきは存在しない。であれば、追うべき対象は間違いなく颯月だろう。

(ただ、皆がそれをヨシとしない事は、言うまでもないんだよね――)

 恐らく綾那はもう、自力では戻れない位置まで来ている。それぐらい颯月に――颯月の顔に、体格に、雰囲気に、とにかくド嵌りしているのだ。
 メンバーとは一刻も早く再会したいが、しかし日を追うごとに「彼女らは颯月の顔を見た時に、一体何を言うのだろうか」と恐ろしくなる。

「追いかけたい気持ちはありますが、自重しますね。私はあなたのファンとして、然るべき距離を保ちたいです」
「…………なあ、アンタの家族とやらはどれだけ過保護なんだ? いや、まあ、綾を見ていたらなんとなく、過保護になる気持ちは分かるが――過干渉にもほどがあるだろ、まるで正妃サマだな」

 どこかげんなりとした表情の颯月に、竜禅は咳ばらいをしてから「不敬ですよ」と呟いた。窘められた颯月は、深いため息をつく。

「今日ほど、既成事実が作れんこの体を嘆いた事はない」
「颯月様? ……いけませんよ。ご自分の立場に相応しい行動をなさって下さい」
「分かってる、冗談だ。心配するな、綾には今後も友人として傍に居てもらう」
「ゆ、友人。恐れ多いですが、とても嬉しいです」
「……ああ。そう言ってもらえると、俺も嬉しい」

 微笑み合う颯月と綾那を見て、竜禅もまた僅かに口元を緩ませる。和やかな食事を終えた三人は、その後騎士団本部へと帰還したのであった。
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