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第1章 奈落の底に落ちて出会う

31 契約魔法

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「我々は、アデュレリア騎士団第四分隊所属――いや。所属、元騎士です」

 硬い声色で自己紹介を始めた男は、名をあさひというらしい。
 まるで、賊のような汚れた衣服に伸びた無精ひげ、そしてボサボサの髪。しかし鍛えられた体躯といい、妙に丁寧な物腰といい、どうにも賊らしくない男達だと思っていた。

 それがまさか、元騎士だとは思いもよらなかったが。

「アデュレリアの第四分隊といえば、確か領主直属の仕事を請け負う特殊部隊だろう。それがなんで、アイドクレースで賊の真似事を?」
「それは――」

 旭に『悪魔憑き』と呼ばれてからというもの、颯月の機嫌はすこぶる悪い。
 綾那は横目で彼の顔色を窺った。その表情は、初めて森で会った時――綾那が颯月の顔に驚いて叫んだ時よりも不愉快そうだ。
 悪魔憑きかと問われて肯定したからには、彼は本当に悪魔憑きなのだろう。

 彼曰く、悪魔憑きは見た目が普通じゃなくなるらしい。どう変わるかは、憑いた眷属の見た目に左右される。けれど颯月は、至って普通の人間だ。
 もしかすると、顔の右半分を覆ったあの眼帯が、彼の普通じゃない部分を隠しているのかも知れない。

(そうだとして、左半分だけでこんなに格好いいんだから、なんでもよくない? 不機嫌でも素敵なんだもん、やっぱり颯月様は悪魔だったんだ――そりゃあ、美しい訳だよね)

 綾那は無意識の内に、頬に手を添えて「ほう」とため息を吐いた。うっとりと颯月を眺めて、不機嫌な顔を余さず目に焼き付ける。
 そんな綾那を正面から受け止めるハメになった旭は、やや困惑した様子で颯月の問いに答えた。

「ひと月ほど前に、領主様より除名勧告を受けました。覚えのない罪について糾弾されて、家族ともども即刻アデュレリアから出て行くようにと――領を退去すれば罪には問わぬが、逆らえば全員拘束して裁くと言われて」
「何――?」
「我らに覚えはなくとも、除名理由は罪を犯したからです。ゆえに他の街へ入るための通行証は発行されず、働き口すらないまま家族ともども路頭に迷っていました。そうして、アイドクレース付近で魔物を狩りながら食い繋いでいたところ、絨毯屋の知り合いだという男達が現れまして――」
「綾が撮った、フードの男達だな」

 旭は苦々しい顔で頷いた。

「仕事を引き受けるなら、特別に通行証を発行できると――。私事で耳汚しにしかなりませんが、私と共に追い出された妹が病弱なんです。金を手に入れるにも医者にかかるにも、街へ入る必要がある――何がなんでも、通行証を手に入れたかった」
「なるほどな」
「受けた仕事は、お嬢さんをここまで運び込む事でした。目的はあくまでも、丁重にアデュレリアまでお連れする事です。彼女を昏倒させるための茶は、あの男達が不思議な『魔法』で茶器ごと交換しました。扉の鍵に関しても、彼らに渡された謎の魔石を使えば開いた。そうしてお嬢さんを攫い、絨毯屋の馬車で納品作業をしているように見せかけて街中を移動しました。そして、途中で馬車を変えてこの大倉庫まで辿りついた次第です」

 綾那らが目撃者の少女三人と対峙していた時、机の上に現れたのは確かに転移陣だった。やはり茶を交換したのは「転移テレポーテーション」の力で間違いない。しかし、あの男達はどうやって桃華の私室を監視していたのだろうか。

 そもそも、どのタイミングで茶器が交換されたのか。さすがに彼女の目の前では「転移」を使わないだろう。そんな怪しげな術で現れたお茶を、飲もうなんて思わないからだ。
 であれば、桃華が席を外した瞬間を狙ったはず。

 ただ、部屋の中を透視できるようなギフトは「表」に存在しない。一体どんな手法を使って桃華の動きを把握したのか。
 彼らは、部屋の様子を盗み見る事ができたとしか考えられない。そうでなければ、綾那が机の上に茶器を置いたタイミングを正確に把握して、「転移」を発動できないだろう。

 しかし彼らが桃華と対峙した時の会話からして、彼女の顔を初めて見た――という反応だった。つまり直接見なくとも、物の配置や人の気配が分かったという事なのだろうか。
 陽香曰く、「転移」ははっきりと座標を指定しなければ発動しないらしい。けれど逆を言えば、移動するモノと移動先の座標さえ決まっていれば――ギフトの発動者が遠く離れていても、問題なく転移できてしまうという事なのかも知れない。

(やっぱり、分からない事だらけだ――そもそも、人や大きな魔物を転移してる事が「表」ではおかしいんだもの。情報が少なすぎる)

 ようやく表情を引き締めた綾那は、顎下に手を添えて考え込む。しかし考えてみたところで、分からないものは分からない。ギフトに関する事で何かしら役に立てればと思っていたが、現状難しそうだ。

 そっと息を吐いた綾那の横で、颯月と旭は会話を続けている。

「第四分隊の分隊長はどうしてる?」
「分隊長、ですか。我々は、領主様より除名勧告を受けてから実際にアデュレリアを出ていくまで、一度も分隊長と顔を合わせていません。アデュレリアの騎士団長とも同様です。除名勧告を受けたのは隊員のみで、分隊長は含まれていないはずですが――」
「つまり、領主と分隊長がグルだって事か?」
「それは――いえ、我々を除名した者の目的が分からない以上は、なんとも言えません。ただ少なくとも分隊長は、とても誠実な人間であると思います」
「確か、『狐』とか『烽火連天ほうかれんてん』とか呼ばれている男だろう?」

 颯月の言葉に、旭が罰の悪そうな顔をした。そして小さく頷くと、颯月の横に立つ綾那に視線を向ける。

「その――あなたはまさか、お嬢さんの身代わりになるおつもりですか?」

 旭の問いかけに、綾那は「ええ」と笑顔で頷いた。

「ひとまず、颯月様の婚約者という設定で――あ、そうだ。桃華様から婚約指輪も借りないとダメですね」
「指輪――? ああ、それは良い考えだな。これを使ってくれ」
「え? いえ、でも明らかにサイズが――」

 颯月は、己の左手薬指に嵌っている指輪を引き抜いた。それをそのまま綾那の指に嵌めようとするのだが、見るからに指輪のサイズが合っていない。綾那は断るつもりで両手をブンブンと振った。
 しかし颯月は綾那の左手をとると、その薬指にサイズの合わない指輪を嵌めた。

「ああほら、やっぱり、これは……落としてなくすと、困りますから」
「サイズは魔法で変えられるから平気だ。ただし、その魔法を使うには綾のが要る」
「承諾?」

 颯月の言葉に、旭がぴくりと肩を揺らした。彼はなぜか目を見開いて、颯月を凝視している。
 綾那はといえば、「魔法の国の指輪は、プロポーズする時にサイズを気にしなくて便利だなあ」と感心するばかりだ。

「綾、アンタに指輪を嵌めたい――許してくれるか?」
「え? ええっと……は、はい、お願いします」

 男性――それも、宇宙一格好いいと思っている男性に指輪を嵌められるのは、緊張する。まあ、既に嵌められた後なので、あとは魔法の行使を待つだけなのだが。
 綾那がやや緊張した面持ちで頷くと、颯月はやけに魅惑的な笑みを浮かべて、魔法の詠唱を始めた。

「光は豊穣を、闇は安穏たる休息を――全なる創造主よ、我らを慈しみ、光と闇の祝福を授けたまえ」
「な!? ちょっ、待――そ、颯月殿! その魔法は、違……!!」

 突然大きな声を出す旭に、綾那は目を丸めた。彼は随分と取り乱した様子で颯月に手を伸ばしたが、それよりも先に詠唱が終わってしまう。

「――「契約エンゲージメント」」
「わ……っ、うわあ、凄い」

 颯月が詠唱を終えた途端、綾那の薬指に嵌る指輪が眩しく光り輝いた。そして、ブカブカだったはずの指輪は、形はそのままに綾那の指にフィットするサイズにまで縮んだ。
 しかもよく見れば、元々なんの飾り気もなかったシルバーリングには、いつの間にかアメジストのような宝石がぐるりと散りばめられている。

 装着する者によって、デザインが変わるのだろうか? 魔法の国ならばあり得る話だ。

(いや、凄いんだけど……なんだろう? さっき、旭さんの様子が尋常じゃあなかったような――)

 颯月に伸ばされた腕は虚しく宙で止まっていて、旭は目と口を大きく開いたまま綾那の指輪を凝視している。
 魔法に何か問題があったのだろうか。そうして不安になっていると、突然颯月が身を屈めた。彼はそのまま、あろうことか綾那の薬指に嵌った指輪へ口づけたのである。

「――ちょっ!? そそそ、颯月様!? 不用意に誘惑なさらないでと、あれほど!」

 バッと勢いよく左手を引いた綾那は、その手を守るように己の胸にかき抱いた。抗議の意を込めて颯月を見上げたが、しかし彼は悪戯っぽい笑みを浮かべていて、首を傾げる。

「な、なんです?」

 何やらよく分からないが、嫌な予感がする。思わず数歩後ずさった綾那に、旭が信じられないという表情で語りかけた。

「あなたは、「契約エンゲージメント」を知らないのか?」
「エンゲージメント……? いえ、あの、私、魔力ゼロ体質で魔法も使えませんし、そういうのには疎くて――」
「バカな! 婚約を結ぶ魔法だぞ!?」
「こ、婚約!? あ、ああ、一応これ婚約指輪ですもんね? そのサイズを変更する魔法だから、一度仮の婚約を結ぶ必要があると……?」

(『婚約』なんていうから、ちょっとびっくりしちゃったけど――でもこの国の婚約って、お遊びみたいなものだものね。何回でも婚約と解消を繰り返していいって言うぐらいだし)

 綾那はじっと指輪を眺めた後に、改めて旭を見やった。しかし彼は、ブンブンと首を横に振っている。

「仮ではない、法律の目を誤魔化すためだけに結ぶ書類上の婚約と一緒にするな! 婚約を結ぶための契約魔法だ!」
「へ?」
「魔法によって結ばれた婚約は、「契約」を行使した者がもつ魔力よりも強い魔力でなければ解除ができない――颯月殿はだぞ、その意味が分かるか!?」
「――えっ」

 旭の言葉に、綾那は絶句する。そしてギギギと、まるで油の切れた歯車のようなぎこちない動きで、目の前に立つ颯月を見上げた。
 彼は綾那から顔を背けて、片手で口元を押さえながら小刻みに震えている。

(え、なに? めちゃくちゃ笑ってるんですけど――)

 綾那は、旭の言葉を脳内でゆっくりと噛み砕いた。
 颯月が使った「契約」という魔法は、リベリアスの法律を遵守するために行うお遊びの婚約とは違う。書類上の婚約ではなく、本物の婚約を結ぶための契約魔法。
 魔法で結ばれた婚約を解除するためには、「契約」を使った術者――颯月よりも高い魔力をもつ者を探すしかない。そして颯月は、無尽蔵の魔力を有するといわれる悪魔憑きである。

 ――つまり、今しがた結ばれた綾那と颯月の「契約」を解除できるのは、颯月本人か彼と同等の魔力をもつ、悪魔憑きだけという事になる。

「そ……うげつ、さま?」

 震える声で颯月を呼びかければ、彼はゴホンと咳払いして笑うのをやめる。それから、真っ直ぐに綾那を見下ろした。

「アンタ本当、素直すぎて堪らねえ……なんでそんな簡単に男のいう事を信じちまうんだ? 可愛いな」
「颯月様っ!?」
「ああ、平気だ。ちゃんと責任は取るから、安心して俺に養われるといい」
「颯月様……ッ! 待って、――やだ、はず、~~~~外せな、い゛ぃッ!!」

 綾那は酷く取り乱して、とにかく左薬指に嵌められた指輪を引き抜こうと試みた。しかしビクともしないソレに、ますます焦る。こうなれば、例え壊してしまったとしても外さなければまずい。
 思い切って「怪力ストレングス」を発動させたが、グッと強く力を入れて摘まんでも、指輪が壊れる気配は全くない。

 恐らく、魔法の力に守られているのだろう。だとすれば、きっと綾那が全力を出したところでこの指輪は壊せない。

「無駄だ。例えその指を切り落としたとしても、「契約」が解除される事はない。もう俺と綾は、そんな表面的なところじゃあなくて――もっと深いところで繋がっているからな」

 低く艶っぽい声で囁かれて、綾那は肩を大きく跳ねさせた。

 ――どうしてこうなった? なぜいつも自分は迂闊なのだ。
 蚊の鳴くような声で「か、解除してくださいぃ」と乞うても、颯月は首を横に振るだけだった。

「俺は、綾が「契約」を発動できたんだぞ? 今更そんな寂しい事を言わないでくれ」
「許し――、ち、違いますよね? 指輪のサイズを変えるために、承諾が必要だって言ったじゃないですかっ!? だから同意しただけで、婚約なんて話はひとつも――」
「………………そうだったか?」
「――そ……ッ!?」
「まあ、今はもっと重要な事があるだろう? その話は全部終わってからにしよう」

 颯月のシレッとした発言に、綾那は唇を戦慄わななかせた。確かに今は、もっと重要な事がある。しかしそんな事、綾那が取り乱す原因をつくった諸悪の根源にだけは言われたくない。

「ふぐぅ」と情けない声を漏らして黙り込む綾那。颯月は綾那を一瞥した後、困惑しきりの旭に声を掛けた。

「アンタ、旭といったな。俺に協力する気はないか?」
「協力……?」
「ああ。裁判で、絨毯屋のオーナーが悪いと証言して欲しい。上手く行けばアンタらの処遇もいいように考える」
「ええ!? し、しかし、我々はあのお嬢さんを――」
「終わりよければ全てよしと言うだろう? 他に行くアテのない元騎士なんざ、ただ罰して終わらせるには惜しいからな。まだ守るべき家族が残っているなら、最後まで悪あがきすべきだと思うが?」

 その提案に、旭は呆気にとられたようにぽかんと口を開けた。しかしやや沈黙した後、颯月に向かって深々と頭を下げる。

「――分かりました、協力させてください」
「ああ、そうこなくっちゃな」

 旭の返答に、颯月は不敵に笑う。亀の搬出を終えた屋敷の警備が声をかけに来たのは、そのすぐ後の事だった。
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