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第1章 奈落の底に落ちて出会う

26 ヒロインの追跡

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「異大陸の人間ってのは、皆そんなビックリ人間なのか?」
「私からすれば、魔法を使える颯月様達の方がビックリ人間なんですけどね」

 颯月と二人で裏門まで移動した綾那は、道すがら己のギフトについて説明した。
 毒が効かないのは「解毒デトックス」のお陰。そして桃華の位置が分かるのは、「追跡者チェイサー」のお陰だ。
 颯月は説明にすんなり納得すると、「凄い」「面白い」と好意的に受け取ってくれた。一体何がそんなに嬉しいのか、このような状況下でも終始目元を緩ませている。

「ただ――その仮面だけはどうにかならないのか? もったいねえし、禅と全く同じなのも気になる」
「え? あぁ……でも、私の視界が塞がる訳ではないですから、不便はなくて」
「不便なんて話はどうでもいい、綾の顔が隠れる事が問題なんだ」
「そ、そう言われましても」

 眉根を寄せた颯月に、綾那は「不機嫌そうなお顔も、なんて素敵なの?」と身悶えそうになる。今にも動き出しそうな体を理性で抑え付けて、彼の顔から少しでも意識を逸らそうと口を開く。

「桃ちゃ――桃華様とは、幼馴染なんですよね?」
「ああ、成と三人。とは言え、俺と桃華は年が七つ八つ離れてるからな……間に成が居ないと、あまり話す機会もなかった」
「まあ」

 では、幸成が二人の仲人という事か。桃華の方は恋愛感情がないらしいが、颯月はいつから彼女の事が好きだったのだろうか。

(直々に服を贈るぐらいだもの、本当に好きなんだろうな……でも、この国では好きな人に自分の色を贈って好意をアピールするって聞いたけど、どうして黄色ばかり? 皆は颯月様の色を、黒か紫と捉えているのに)

 隣に立つ颯月をじっと見上げて、はたと気付く。

「彼女の服――あのは、颯月様の髪色ですか?」
「…………何?」

 颯月は艶のある黒髪だが、金髪が混じっている。周りが『黒』とするところを、敢えてメッシュの『金』を選んだのだ。
 他にも真似して黄色を纏う者が出てきそうなものだが、なぜか少女達は「この別館で黄色い服を着る若い女性は、彼女だけ」と言っていた。きっとこれは、颯月にとって特別な色なのだろう。

 一人納得して頷く綾那だったが、ふと颯月が黙り込んでしまったので、首を傾げる。

「颯月様?」
「ああ、いや――そうだな、そういう事にしておこうか」

 曖昧に微笑んで言葉を濁す颯月に、綾那は「照れなくても良いのに」と生ぬるい目で彼を見つめた。マスクの下からでも妙な視線を感じて居心地が悪かったのか、颯月はゴホンと咳払いして話題を変える。

「綾は、悪魔憑きを見た事がないのか?」
「悪魔憑き、ですか? ありませんねえ」

 キュー曰く、悪魔が動植物を元に作り出したのが眷属。その眷属に呪われた人間が、悪魔憑きになってしまうらしい。
 話には聞いているが、今のところ綾那が目にしているのは悪魔ヴェゼル。そして、彼の体の一部が変化して生まれた、やや特殊な眷属だけ。まだ一般的な眷属すら目にしていない。

(キューさん、悪魔憑きはマナをいっぱい溜め込んじゃうから大変だって言ってたっけ。でも元は人間とは言え、悪魔がでしょ? 呪われたら、一体どんな見た目になっちゃうんだろう……上半身は人間のまま、下半身だけ全部イカ足になっちゃうとか? それとも、あの地球外生命体みたいになっちゃうとか!? そ、そう考えると恐ろしい)

 腕組みしながら悩む綾那を見て、颯月は僅かに口元を緩めた。

「悪魔憑きは、憑いた眷属の見た目に左右される」
「眷属の見た目に? では、例えば犬の眷属に憑かれると、犬耳になっちゃう――とか?」
「そういう話も聞いた事があるな」
「わあ、それは凄い! 見てみたい……けど、でも、憑かれた方は堪ったものではないですよね」
「ああ、ただでさえ使い切れん量のマナを吸わされてしんどいのに、見た目が普通じゃあなくなるんだ。人間ってのは、異質な存在を排斥したくなるものだろう?」
「え……マナって、吸い過ぎると体に毒なんですか?」

 マナを魔力に変換して蓄える器官とやらが備わっていない綾那には、そもそもマナを吸うという感覚が分からない。呼吸するのとはまた違うのだろうか。

 キューの話では、悪魔憑きが無尽蔵にマナを吸い込むと、大気中のマナが減る。そうなるとキューの力は弱まる一方で、いずれこの世界を維持できなくなるとの事だった。それは聞いたが、しかし悪魔憑きの具体的な苦労についてはまだ聞いていない。

「体に悪いと言うか……「もう飲めねえ」って吐いてるところに、問答無用で水を飲まされ続けるようなものだ」
「ご、拷問ですか!?」
「だから悪魔憑きがまともに生きるためには、マナの吸収を抑える魔具が必要なんだ」
「それは……すみません。見てみたいだなんて、無神経でしたね」

 見た目が異形になって、人間社会から弾かれ。吸いたくもないマナを、苦痛を伴いながら吸わなければならない。何か悪事を働いた結果の罰であるというならば理解できなくもないが、ただ運悪く眷属に見初められたというだけで、これとは。

 眷属、そして悪魔憑きの増加問題は、世界の存続がどうこう以前になかなか深刻らしい。

「アイドクレースには、悪魔憑きのガキ共を保護する教会があってな」
「悪魔憑きの教会?」
「経営にしろ周囲の目にしろ何かと問題が多いから、少なくとも二週に一度は様子を見に行く。もし悪魔憑きに興味があるなら、次の視察は綾も行くか?」
「え? いえ、でも、私は」
「ああ、保護観察の事なら気にしなくて良い。今日桃華が無事に戻れば、成は確実にアンタを認める。だから、まあ……綾の手腕にかかっている訳だが」

 確かに、颯月の大事な婚約者で幸成の幼馴染でもある桃華を救えば、綾那のスパイ疑惑も薄れるかも知れない。とはいえ、過剰に期待されるのも困る。
 それに桃華を救えたとしても、実は綾那の自作自演だったのでは? と、更なる疑いを掛けられる可能性だってある。

 颯月は、本当に綾那を信頼しているのだろうか。
 実は綾那が黒幕で、なんらかの手立てを使って桃華を攫い、彼女を餌に騎士を呼び出し、全員まとめて罠にかけようとしている――とは、少しも考えないのだろうか。
 例え罠にかけられても問題にならないほど強さに自信があるのか、それともこう見えて、素直で純粋なのか。

 綾那はチラリと窺うように颯月を見て、すぐさま肩を跳ねさせた。

「俺はいい加減、アンタと懇意になりたいんだ――分かるだろう?」

 颯月はおもむろに綾那の髪に触れると、その毛先を指に巻き付けて弄び始めた。綾那を見下ろす紫の瞳は甘く垂れていて――それは断じて、大事な婚約者が攫われた男のするような表情ではなくて。

(ああ~~! 無理無理のムリ……ッ!)

 綾那は体を硬直させたが、しかし顔だけは颯月と真逆にグイッと逸らした。それはもう必死に。
 ずっと不思議に思っているのだが、どうして彼は桃華の心配をしないのだろうか。そして、なぜ会ったばかりの綾那を、ここまで手放しに信用してくれるのだろうか。
 
 大事な婚約者が攫われたのに余裕綽々しゃくしゃくで、こんな緊迫した状況下に置かれているのに、別の――それも得体の知れない女を誘惑できる。全くもって意味が分からない。

(やっぱり、クズ度は顔の良さに比例するの!? つまり颯月様は、宇宙一のクズと言う事……!? であれば仕方ない、何せ宇宙一格好いいんだから!)

 綾那は激しく動揺しながらも、「でも、恋愛スキャンダルだけはダメよ」「気丈な態度で拒絶するの」と、ギュッと両手を握り締めてから颯月を見上げた。

「綾……? 怒ったのか――?」

 しかし、先ほどと打って変わって傷ついた表情の颯月を見て、綾那は抗議するために開きかけた唇を戦慄わななかせた。そして、一瞬で彼の顔に屈してしまう。

「~~~~んぁあああぁあもう、一生見ていたいッ!!」
「そうか? じゃあ一生見てくれて良いぞ」
「見ない゛ぃ……ッ!」

 これ以上颯月を見ていると、おかしくなる――既に十分おかしいのだが――と判断した綾那は、マスクの上から両手で顔を覆った。その横でくつくつと低く笑う声が聞こえて、彼にこれでもかと揶揄からかわれている事に気付く。

(たっ、助けて皆! 早く私の所に来て、この目を覚まして……!!)

 ぎゅっと瞑った眼裏まなうらに愛する家族の顔を思い浮かべれば、彼女らは揃いも揃ってゴミを見るような目をしている。そして、「またやらかしたのか」「飽きずに顔だけのクズを捕まえやがって」「ホント懲りないんだから、バカ」と、口々に綾那をさげすんだ。

 綾那の勝手な想像上でコレなのだ。実物と再会した暁には、一体どれほどの怒りを浴びせられるのだろうか。その瞬間を考えただけで落ち込んでしまう。

(だけど、一刻も早く――)

 僅かに俯いた綾那の思考を断ち切るように、馬の蹄が地面を蹴る音が近付いてくる。ハッと姿勢を正して颯月を見やれば、彼は小さく頷いた。

「道案内は頼んだぞ、綾」
「はい、頑張ります」

 いつもの騎士服を身に纏った幸成が、馬車の荷台から身を乗り出して「行くよ、急いでお姉さん!」と手招いている。
 まさかこんな形で、ハズレギフトと呼ばれる「追跡者」が役に立つとは思わなかった。人生何が起こるか分からないものである。

 綾那と颯月が荷台へ乗り込むと、御者台に座る竜禅が馬を操り、街中へ向かって馬車を走らせた。


 ◆


「二時の方向――だいたい二百メートル先でしょうか? 停まりました」

 王都アイドクレースの街中。道は馬車二台が楽々すれ違えるほど幅広だが、車道と歩道の区切りがない上に交通ルールもなさそうだ。圧倒的多数の歩行者が自由に歩いて、数の少ない馬車は遠慮して動く。

 桃華が攫われてから、既に四十分以上が経過した。それでも彼女の気配があまり離れないのは、歩行者が多すぎて馬車を満足に動かせないからだろう。
 ただ、思うように進めないのは綾那達も同じだ。
 綾那は馬車の荷台で揺られながら、金木犀の香りを追い続けた。まだ土地勘が足りないため、方位については――時計が「表」と同じつくりなのを利用して――クロックポジションで指示する。
 そうして指示が飛ぶ度、和巳が地図を参照しながら位置を予測するのだ。

「ここから二時の方向、二百メートル先――また絨毯屋の取引先ですね」
「またかよ? 人を攫うついでに絨毯の納品なんて、胆の据わったヤツらだな」

 幸成は呆れ声で呟いた。すると彼の横で、颯月がため息混じりに「カモフラージュのつもりじゃねえのか」と腕組みする。

「犯人は、桃華を絨毯屋の馬車に隠して運び出したんだろ? 後でおかしな時間帯に馬車を出した事を追及されたとしても、商品を納品しながら目的地へ向かえば仕事のためだったと誤魔化せる」
「そもそも、三人の目撃者は「賊のような男達に攫われた」と証言しています。桃華さんを馬車へ運び込む現場を見た者でも居ない限り、絨毯屋には疑いがかかりにくいですよね。そのような状況下で絨毯屋の馬車が街中を爆走するなど、今やましい事をしていると公言しているようなものだ。業務に見せかけて目的地まで運ぶ――大いにあり得ますね」
「胆が据わってるんじゃなくて、悪知恵が働くって事か」

 颯月に続き和巳が補足すれば、幸成は不満げながらも納得したようだった。

 桃華の香り――追うべき馬車は、ずっと人の歩行速度と変わらないスピードで動いている。しかも、いくらか進むと十分ほど停車して、また別の場所へ移動して、十分ほど停車する。その繰り返しなのだ。
 停車する度に和巳が地図を確認した結果、停車場所はどれも絨毯屋の取引先らしい。

「それにしても、便利な『魔法』ですね。綾那さんの協力がなければ、こんな芸当はできませんでしたよ」

 綾那は道中、和巳と竜禅にもギフトについて説明した。謎の力で香りを追えるなんて、気味悪がられるか怪しまれるかのどちらだろう。しかし、既に颯月が手放しで信頼していたお陰か、もしくは彼らが綾那をスパイだと思っていないからなのか。すんなり納得すると、迷わず道案内を任せてくれた。

 ここ二週間ずっと幸成に厳しく監視されていたため、久々に会う和巳の微笑みを見るとホッとする。竜禅の抑揚のない声も、紳士的な態度も――好かれているとは言いがたいが、特別嫌われているとも言い切れないから――安心する。

 綾那は「そんなに凄いものではありませんよ」と言いかけたが、途端に香りの動きが変化して顔を上げた。

「動き始めました! 今までと速度が違います、かなり急いでいるみたい。えっと――ここから十時の方向、真っ直ぐに進んでいます」

 和巳はすかさず地図を指で辿ると、小さく唸った。

「先ほどの店舗から更に進んで、ここから十時の方向――もしかすると、目的地は絨毯屋の大倉庫でしょうか」
「絨毯屋さんの大倉庫、ですか?」
「ええ。絨毯は大物商品なので、広い保管場所が必要です。特に今追っている絨毯屋は、王都全土の供給を担うほどの大商会なので……街外れに大倉庫を建てているんですよ」

 街外れの倉庫。悪さをするには、もってこいの場所かも知れない。特に、少女漫画的には。
 綾那はごくりと喉を鳴らして、一刻も早く桃華を救い出さねばと思う。

「うん? なあオイ、あれ絨毯屋の馬車じゃないか? 桃華はアレに乗せられていたはずじゃあ――」

 幸成が指差した方向を見ると、確かに見覚えのある馬車が向かってくる。綾那はじっとその馬車を見て、首を横に振った。

「いいえ、もうアレに桃華様は乗っていませんね。香りは今も離れていって――馬車を変えたのかも」
「なるほど、途中で乗せ換えたのか! 馬車が変われば人目を気にする事もない、それでいきなり走り出したんだな――颯、あの馬車はどうする? 止めるか?」
「手元に証拠がない以上、今は――ただ、話ぐらいは聞いても良いんじゃないか? 別館で人攫いが出て手がかりを探している、協力してくれってな。拒むなら職務を妨害したとして拘束できるし、素直に協力するなら荷台の中を確認できる。下手に時間を与えて、痕跡を全部消されるのは馬鹿らしい」

 颯月が和巳に目配せをすると、彼は心得たと言わんばかりに頷き返した。

「では私がこの場に残って、御者から話を聞きましょう」
「ああ、和が適任だな」
「お任せください」

 和巳は広げた地図を片付けると、動く馬車の荷台からサッと飛び降りた。絨毯屋の馬車へ向かう和巳を横目に、颯月は御者台の竜禅に声をかける。

「禅――飛ばせ、手遅れになる前に」
「承知しました」

 常よりも更に低い声で命じた颯月に、綾那は己が酷い勘違いをしていた事に気付いた。彼は決して、桃華の心配をしていない訳ではない。心配する暇が惜しいほど激怒している――ただ、それだけなのだ。

 もしも犯人グループと戦闘になった場合、魔法使い相手にギフトしかもたない綾那では歯が立たないだろう。しかしギフトをもつからこそ、誰よりも早く桃華を見つけ出せる。
 綾那は、どんな手を使ってでも桃華を救い出すと決めた。
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