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第1章 奈落の底に落ちて出会う

6 悪魔との邂逅

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『な――なんで断るの!? お仲間はどうするのさ!?』

 びゅんびゅんと激しい動きで飛び回るキューに、綾那は苦笑いした。
 確かに、メンバーの事はすぐにでも探し出したい。しかしキューの話を聞けば聞くほど、綾那一人で対処したところで眷属は減らないだろう。するとマナも戻らず、キューの力だって取り戻せない。
 従って、いたずらに時間と労力を浪費するだけで、メンバーとの再会は望めない。
 一度契約すれば最後、正に自転車操業の如き事案である。何度考えても、そういう結論に達するのだ。

 であれば、ここはキューになんとか頑張ってもらうしかない。どうにかして、まずは先にメンバーを見つけ出してもらうのだ。その方が、綾那一人でジリ貧の生活を続けるよりも遥かに効率が良いのだから。

「家族とは、今すぐに合流したいです。加えて、キューさんは私の命の恩人――ご依頼通り、眷属を減らしてあげたい気持ちはあります」
『――だよね!?』
「ただ、私一人で対処するのはあまりにも非効率で、非現実的です。いくら頑張っても眷属の数は減らせませんし、キューさんの力も戻りません。そうなると私は、永遠に皆と合流できません。しんどいばかりで利は得られないなんて、それはまるで、悪魔のような契約ですよ」
『あくま』

 ぽつりと呟くように反芻はんすうされたキューの声は、酷く震えていた。なにぶん姿が蛍火なのでは、心情なんて推し量れない。綾那は構わずに話し続ける。

「それに、これはお仕事の契約ですよね? 四重奏のリーダーは私ではありませんし、ソロ活動はしないと決めています。まずはメンバーを揃えた上で、改めて詳細をお聞かせ願いたいです。私一人でやるより、絶対に効率が良いですから――あ、あと、お仕事の依頼なら契約書も必須ですよ」

 綾那は一旦口を閉じると、キューの反応を窺った。
 このような状況下で、普段通りに応対するのもどうかと思うが――綾那は決まり事を遵守じゅんしゅするタイプだ。特に、リーダーの陽香が不在の状況で、勝手に仕事の契約をするなんてあり得ない。

(本当はこういう交渉って私の仕事じゃないし、得意じゃないんだけど……今は他に頼れる人が居ないんだから、しっかりしなくちゃ)

 慣れない事をしているため、綾那の心拍数は不自然に高い。そのままキューの出方を窺っていると、やがて蛍火が何事かを呟いた。

『――じゃ、ない……』
「キューさん?」

 蛍火は動きを止めて、すっかり大人しくなっていた。しかしよく見れば、小刻みに震えている。呟きをうまく拾えずに小首を傾げると、キューはビュン! と物凄い勢いで綾那の眼前まで飛んできた。

 突然の事に「わあ」と声を上げれば、キューは狂ったように激しい上下移動を繰り返した。

『僕は、悪魔なんかじゃない! すっごく、すぅっごく、凄い天使なんだよ!? そんな凄い天使を捕まえて君、よりによって悪魔呼ばわりするなんて――信じられないよ!』
「え? い、いえ、別にキューさんの事を悪魔と言った訳では」
『いいや言った! 言ったね! しかも何? 契約書って! 僕は凄い天使なんだよ? なんでそんな、お役所勤めの人間みたいな事をしないといけないのさ!』
「お役所って――だって、これは仕事ですよ。お仕事をするには信頼関係が必要じゃないですか。後になって「言った」「言っていない」で揉めるのは困ります。天使も人間も関係ありません、そもそも私達はまだ会ったばかりですからね」
『ふぐぐ……っ――君、なんでそんな現実主義なの? ロマンがないよね、ここ魔法の国なんだけど!?』
「ロマンも何も――だって私、魔法が使えないんでしょう……?」
『そうだけど。そうなんだけどさー! もぉー!!』

 何事か叫びながら、ビューンと高く飛んで行ったキューを目で追う。綾那は苦笑いを浮かべて、蛍火の帰りを待った。
 決して怒らせるつもりはなかったのだが、どうやらキューの地雷を踏み抜いてしまったらしい。やはり、天使と悪魔は仲が悪いのだろうか? 一緒くたにしたつもりは欠片もないのだが、怒らせてしまったならば早々に謝った方が良い。

 契約書をつくれ、メンバーを先に探せ――なんて強気に言ってみたものの、どう考えたって現状綾那が頼れるのは、キューしか居ないのだ。見限られる事だけは避けたい。

 やがて、ひとしきり叫び回って少し落ち着いたのか、上から降りてきたキューが不貞腐れた様子で言い放った。

『さっきも言ったけど、今の僕じゃあ君のお仲間がどこに居るか、分からないんだけど。それなのに、まずはお仲間を探してこいって?』

 綾那は頷くと、肩に掛けた鞄の中から核を一つ取り出した。そして、それをキューに差し出す。

「無茶を頼んでいる事は承知の上です。でも先ほど言いかけていましたが、もしかして核を渡せばいくらか力が取り戻せるのでは?」
『……それは、まあ、そうなんだけど』
「では、どうぞ。これは私を救ってくださったお礼でもあります。それと、あなたが悪魔のようだと言った訳ではないんです、本当にごめんなさい」

 綾那が微笑むと、キューはまるで首を傾げるようにこてんと体を傾けた。

『あれ、君――ねえ、核もっといっぱい持ってるよね?』
「――えっ!? う、嘘でしょう? キューさん、これ一ついくらで取引されるとお思いですか? 最低でも五万円ですよ」
『き、君の命はたったの五万足らずなの!? ちょっとケチ過ぎるんじゃあないかな!?』

 綾那が眉をひそめると、キューは抗議するようにびゅんびゅん上下した。
 確かに、たったの五万なのかと言われると複雑だ。綾那はやや悩んだ末に、やがて口をぐっとヘの字に曲げた。そして鞄から追加の核を一つ取り出すと、震える手で差し出す。
 キューは綾那の顔を見て、どこか呆れたようにため息を吐いた。

『君って――人畜無害そうなカワイイ顔してんのに、とんでもない守銭奴しゅせんどなんだね……分かったよ、二つで手を打とう。だからそんな、泣きそうな顔をしないでよ』
「ぐ……っ、こ、これだって本当は、メンバー皆の共有財産なんですからね! それを私が独断で勝手に分け与えている状況なんです、慎重にもなるでしょう!」
『あー、うん、そうだねー、そういう事にしておくよー、うんー』
「それに核を全部渡してしまって、キューさんが私の居場所まで判別できなくなると困るんです!」
『うーん……君の気配はもう覚えたから、正直その心配は全くないんだけど――まあ、うん、いいよ? それでも』

 ぞんざいな返事をされて「誠に遺憾いかんである――」と呟く綾那を尻目に、キューは核へ身を寄せた。
 真っ黒い核がパアッと光り輝いたかと思えば、綾那の両手から消え失せる。その次の瞬間、蛍火ほどの大きさだったキューが、いきなり拳大にまで体積を増した。

『――うん、悪くないね。少しの間なら頑張れそうかも』
「皆の気配、追えそうですか?」
『探すのは三人、それも神子だよね? 特に強い気配は、ここから東と南に一つずつ……かな。どうやら皆、バラバラの場所に転移しちゃったみたいだね。でも、あと一つはどこだろう? ちょっと離れているのかも――』
「ああ……良かった!」

 キューの言葉に、綾那は泣き出しそうになった。一人分の気配が追えないというのは気にかかるが、生きている事さえ分かれば今はそれで十分だ。
 とにかく一人ずつ探し出す。今後の方針やキューの依頼を具体的にどうするか決めるのは、それからでも良い。

『じゃあ、僕はひとまず、一番気配が近い東へ向かってみるよ』
「――え?」
『君は……そうだなあ、とりあえずここから一番近い街に身を寄せると良い。上から降りてくる時に見えただろう? 森を抜けた西側にあるのは、この国の中心地、王都アイドクレースだ』

 綾那は思い切り首を傾げた。
 てっきり、これから一緒に行動するものだと思っていたので、キューの提案は予想外だったのだ。表情から綾那の不安を感じ取ったのか、キューは諭すように続ける。

『いきなり頼る者の居ない世界に一人で放り出されて、心細い気持ちは分かるけれど……近いと言ったって、徒歩で気軽に行ける距離じゃあないんだよ? 僕一人で探しに行って、お仲間を君の元まで誘導する方が早い。そもそも、本当にこの反応が君のお仲間のものかどうかも、行ってみるまでは分からないんだ。無駄足は避けたいだろう?』
「それは、そうですが――いきなり見知らぬ街へ行けなんて、ハードルが高いです。『アイドクレース』って、明らかに外国じゃあないですか? まず、言葉は通じるのですか?」
『ああ、それは大丈夫だよ。ここは日本の真下に作った国だから、人間には日本語を喋らせるようにしてある。第一、僕と会話が成立している時点で、言葉の心配は不要じゃない?』

 キューは誇らしげに「僕は、設定にはこだわるタイプでね!」と付け加えた。
 正直、魔法の国というファンタジーな世界なのに「日本の真下の世界だから、日本語を喋らせよう」というこだわりはよく分からない。分からないが――言葉が通じるという事は恐らく、読み書きも問題ないのだろう。
 それは綾那にとって喜ばしい事ではあるが、しかしその程度では不安を晴らせない。

『まあ、見た目はちょっと、純日本人っぽくないかも知れないけれど……それは『神子』の君にもいえる事だから、気にならないだろう?』
「例えば、出会い頭にいきなり襲い掛かられるとか、不審人物として捕らえられるとか――そういった心配は?」
『そうだねえ、それはたぶん――』

 キューは何か言いかけたが、しかしその時、異変が起きた。

「――ピギィイイイ!」
「わあ!?」

 キューの言葉を遮るように響く、甲高い鳴き声。声の発信源は、上――奈落だ。
 慌てて上を見やると、この世界を覆う膜の一部に亀裂が入っている。暗くてよく見えないが、ひび割れた先の奈落には蠢く何かの姿。

 見る見る内に亀裂が大きくなったかと思うと、バリンと鈍い音を立てて穴が開く。不思議な事に、開いた穴は瞬時に修復されて、こちら側へ海水が流れ込む事はなかった。
 恐らくキューとマナの力――もとい、魔法によるものなのだろう。

 奈落から姿を現した何かは、白く太い触手を蠢かせていた。聞き覚えのある甲高い鳴き声からして、「表」でアリスを引きずり込もうと必死だった魔獣に違いない。
 やがて、宙に浮かぶ光源に照らされて、魔獣の全貌が明らかになった。
 全長十メートルは超えているだろう巨体は、どこもかしこも真っ白だ。巨体に見合うだけの大きさをもつ二つの目玉が、ギョロリと不気味に動く。

 勝手に「イカモドキ」と呼んでいたが、まさか本当にイカだったとは――。
 魔獣は、まごうことなきイカだった。大きさから言って、元になった生き物は深海に棲むダイオウイカだろうか?
 十本の触手を一つずつ確認するが、幸か不幸かアリスの姿は見当たらない。どうやら、アリスと魔獣は別々の場所へ転移したらしい。
 綾那は、腰元のベルトに差したままのジャマダハルに手を添えた。魔獣の狙いがなんであれ、目の前に現れたからには駆除しておく必要があるだろう。

 しかし、そんな綾那の横に浮いているキューが、なんとも緊張感のない間延びした声を上げた。

『あれぇー……ヴェゼルが僕の前に出てくるなんて、いつぶりだろうなあ。またあんな趣味の悪い恰好をして、困った子だ』
「――ヴェゼル? キューさん、お知り合いですか?」
『うん。さっき言った、大悪魔の部下だよ』
「悪魔?」
『そう。部下二人は兄弟でね、あれは弟のヴェゼルだ。いつもどこかに隠れているんだけど……なんだか随分と機嫌が悪そうだ、何かあったのかな?』

 綾那は絶句した。そして無言のまま、キューとダイオウイカ――改めヴェゼルを交互に見やる。

(悪魔? あのイカが? 確かに英語で『デビル』フィッシュだけれど……一体、誰がそんな大喜利をしろと?)

 綾那が期待していた悪魔像は、それはもう退廃的で美麗な姿だったのだ。
 服装や羽根など全体的に黒いシルエットで、肌は不健康なほど色白で、痩身で。神子の綾那なんて足元にも及ばぬほどの、文字通り人外じみた美しさをもつ――それが悪魔だ。そうでなくてはいけないのに。
 綾那は両手で顔を覆って、ワッと泣き出した。

「――は、話が違いますよね!?」
『えぇ!? な、なに、急にどうしたのさ、話ってなんの!?』
「あんなの、悪魔じゃないです! どう見たってイカでしょう、おかしいです! 散々耽美たんびなビジュアル系を期待させておいて、酷い! こんなの間違ってる……!」
『い、今僕は、何を責められているのかな!?』
「悪魔といえば普通、もっとこう……! ああもう、この世界には夢も希望もないんですね!」

 綾那が勝手に悪魔イコールビジュアル系の図を連想していただけで、キューが悪魔の容貌について言及した事は一度もない。
 しかし、理想と現実のギャップに耐えきれなかった綾那は、そのまま膝から崩れ落ちた。キューはその横で、訳も分からずに右往左往している。

 そんな珍妙なやり取りをしている二人に構わず、ヴェゼルはあっという間に地上へ降り立った。

「ピギェ! ピィエー!」
『――え、何? 君、前にヴェゼルと会ったの? 「あの子をどこに隠した」って言っているけど……』

 綾那には甲高い鳴き声にしか聞こえないが、天使のキューにとっては違うらしい。通訳されたヴェゼルの言葉に、綾那はショックで上手く働かない頭で、ぼんやりと「アリスの事だろうな」と考えた。

「ピイィイイイ!」
『えっと、「せっかく運命の子を捕まえたのに、お前らが邪魔するから、どこかに落としてしまった」だって』
「参考までに聞きますが――弟と呼ぶからには、あのイカは雄ですよね?」
『え? ああ、そうだね。ヴェゼルは男体だよ』
「なるほど、道理で……なんであの時、見えてもいないのにアリスを狙ったのか不思議でしたけど――まんまと「偶像アイドル」に釣られた訳ですか」
『――「偶像」もちが居るのかい!? それはまた随分と珍しく、厄介なギフトをもたされたものだね……

 アリスがもつギフト、「偶像アイドル」。
 これは、とにかく異性に好かれやすく、同性からは無条件に嫌われてしまうというものだ。ただ効果には個人差があって、少数派ながら男女問わず効きづらい者も居る。

 本人の意思に関係ない常時発動型のギフトで、制御しようと思ってできるものではない。何もせずとも、ただ息をしているだけで異性が寄ってくる。生きとし生けるあらゆる雄に好かれるので、必然的に魔獣からも狙われやすくなってしまうのだ。

 ただしこのギフト、発動するにはアリスと対面する必要がある。彼女のメイク動画が――本来であれば、無条件で嫌われるはずの――同性から「カワイイ」「マネしたい」などと熱く支持されているのは、画面越しであれば「偶像」の影響を一切受けないからである。

 ちなみに四重奏のメンバーは――というか、神子はギフトに対する抵抗力でもあるのか、不思議と「偶像」の効き目が弱い。おかげでアリスの事を嫌悪せずに済んでいるのだ。
 ヴェゼルがこのギフトに釣られたのならば、アリスに対する異常な執着心も納得できる。しかし生憎あいにくと、アリスの行方を知りたいのは綾那も同じだった。

「彼が転移陣を壊したせいで、私は奈落に飛ばされました」
『――ああ、なるほどね。じゃあ、ヴェゼルの言う「あの子」ってのは、君のお仲間の一人か』
「はい。キューさん、こちらもアリスの行方を探しているところだから、私に詰められても困りますので早急さっきゅうにお引き取り願います、とだけお伝えください……」
『ね、ねえ随分元気がなくなったけれど、それってやっぱり僕のせいなの?』

 ため息交じりで遠い目をして話す綾那に、キューは焦った様子でその周りをぐるぐる飛んでいる。
 綾那は力なく首を振って、「良いんです、もう、何も期待しませんから」とだけ呟いた。

『ヴェゼルは――というか、悪魔は姿形を自由に変えられるんだ。あの子は特に好奇心旺盛で、遊び相手と同じ姿に擬態するのが好きだから……たぶん今回は、新しいがああいう姿なんだと思う。きっと奈落で遊んでいたんだね』
「という事は、あれは彼の本来の姿ではない――と?」
『そうだね、アレはさすがに僕もどうかと思う。君に魔獣と間違えられても仕方がない姿だよね。あの姿だと変な鳴き声しか出せないみたいだけど、普段の姿なら人語を発する声帯があるから――わざわざ僕が通訳しなくても、ちゃんと人の言葉は理解できているよ』

 であれば、円滑なコミュニケーションを図る為にも、まず人語を話せる姿になって欲しいものだ。けれど、彼本来の姿まで綾那の想像とかけ離れていたらと思うと、これ以上何も望めない。
 綾那が絞り出すようにため息を吐けば、ヴェゼルは――そこで初めて、キューの存在に気付いたかのように――大きな目玉をギョロリと動かして、拳大の球体を見つめた。
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