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第7章 アレクシスと魔女

9 修羅場はまだ早い

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 僕たちは、またゴードン父さんの馬車に揺られて街までやって来た。
 レンファは馬車の荷台に乗ってすぐにころりと寝ちゃった。セラス母さんもゴードン父さんも「寝る子は育つ」って声を上げて笑っていて、僕も無理やり「そうだね」って笑った。

 もしかしたら、これから毎日「死ぬかもしれない」と思いながら生きるのは、レンファ本人じゃなくて僕の方なのかな。
 荷台で馬車の揺れを感じながら、身じろぎせずに転がるレンファを見るのは少しだけ怖かった。
 離れていても息をしているのは分かったけれど、僕は何度も、熱を確かめるようにレンファの頭を撫でに行った。
 ちゃんと温かいことに安心して、元居た場所へ戻って――少し経ったら、また不安になって触る。

 早く慣れなきゃ――でも、に慣れるんだ? よく分からない。
 だけど僕は絶対に最後、例え強がりでも「おめでとう」を言うって決めてある。だから、きっと平気だ。
 正直言ってまだ気持ちは落ち込んでいるし、レンファだっていつも以上に暗い。でも、悪いことばかり考えているのはもったいない。
 だって、少なくともレンファは、死ぬまで僕と一緒に居るんだからね! だから、少しでも楽しいことを考えて生きたいんだ。

 今はそれで良い。この子が居なくなった後の世界については――そんなものは、その時に考えるから。

 目のお医者に左目を診てもらった後――やっぱり、この目はもう良くならないって言われた――出された処方箋を右手に持って、ルピナの薬局を目指す。
 今日もレンファは僕の左側を歩いて、手を引いてくれる。お陰で、左側が見えなくても人やモノとぶつからない。すごく助かる。

「アレク、どうする? お金を持たせるからレンと2人で行ってくるか? それとも、俺も一緒に行こうか」

 父さんに後ろから声を掛けられて、僕は小さく首を横に振った。父さんには前の時、ルピナと喋り始めてからおかしくなる姿を見られちゃったからなあ。たぶん心配なんだろうね。
 ――でも、今回はレンファが一緒だから。母さんにも「ちゃんと分かっているなら平気」って言われているし、頑張れると思う。

「レンファと一緒に行ってくるよ。お金を払う練習もしたいしね」
「……ああ、分かった。じゃあ、俺とセラスは外で待っているからな」

 そう。せっかく母さんに算数を教わっているんだから、お金の計算や支払いだって試してみたい。
 街の子供たちは村の子と違って進んでいて、僕よりもっとずっと小さい頃からお金の計算を始めるらしい。僕はスタートが遅れているんだから、今からでも頑張らないとね。

 レンファと手を繋いだまま、薬局の扉を押して開く。すると小気味いい足音が近づいて来て、奥の方からヒョコッとルピナが顔を出した。
 茶色くて真っ直ぐの髪。タヌキみたいな目。ルピナは「いらっしゃいませ」って言いかけた――けど、僕の顔を見た途端に、その場でピョーンと飛び上がって駆けてくる。

「――アレクくん!? い、いらっしゃいませ!」

 タタタと小走りで駆け寄ってくるルピナの目は、やっぱりまだ苦手だ。
 それでもなんとか笑って、僕は処方箋を差し出した。本当は両手で出すのが丁寧な感じがするけど、でも今は左手をレンファと繋いでいるからね。

「こんにちは。ええと……お願いします」
「はーい! ――あれ、この子は……?」

 処方箋を受け取ろうとした時にようやく気付いたのか、ルピナは僕と手を繋ぐレンファをじろりと見下ろした。
 熱っぽかったはずの目はサッと冷えて、垂れ目だったはずの目尻がクッと吊る。
 ――もしかして、これが「女性は誰だって複数の顔を持っています。それらを状況によって上手く使い分けるんです」ってこと?
 な、なんか、怖いな。ただ熱っぽい目で見られることよりも、よっぽど怖いかも知れないぞ。

 僕はレンファについて「結婚したい子だよ」って紹介したかったけど、でも一応、街では〝兄妹〟なんだよなあ。
 だからと言って「妹だよ」って言うのも、後々結婚する時に変に思われそうで困るし――。

「うーん……この子はレンファ。僕が女の子の中で一番大事にしている子」
「えっ……? アレクくんの一番? この子が?」

 嘘をつくのは大変だし、上手く説明しようがない。だから僕は、本当に思っていることだけを言った。
 この世で一番大事なのは僕の命だ。でも〝女の子〟っていうくくりの中なら――絶対にレンファが一番だから。

 上手く紹介できたと思っていると、左手をギュムッと摘ままれて隣を見る。
 どうしてかレンファのキツネ目は半分になっていて、僕は首を傾げた。僕、何か変なこと言ったかな?
 しばらく2人で見つめ合っていると、ルピナが声を震わせた。

「――い、一番ってことは……じゃあ、二番や三番も居る?」
「二番や三番?」

 いつの間にか真っ青になって震えているルピナに、僕はますます首を傾げた。
 一体、何を言っているんだろう? レンファは1人しか居ないし、レンファ二番やレンファ三番が居るはずない。

「それは……二番目、三番目に大事な人って意味?」

 ぶんぶんと頭を縦に振るルピナを見て、僕は「なるほど、それなら」って思った。セラス母さんとゴードン父さんだな!
 ――うん。そもそも〝女の子〟ってくくりの話だったことは、すっかりどこかへ消えていた。

「居る、でもレンファが一番だよ」
「――じゃっ、じゃあ! じゃあ四番でも良いから、私のことも仲間に入れて! それでいつか、私を一番にして!?」

 ルピナは今にも泣きそうな顔をして、処方箋をもつ僕の右手を強く握った。
 いきなり触れられた事に驚いて、つい体が固まる。言葉も息も詰まらせた僕を見かねたのか、レンファが自由な方の手を伸ばした。

 でも、レンファの手は僕を通り越した。ルピナの細っこい手首の薄皮を指先でミチッと摘まんでから捻ると「ピィ!」って悲鳴と一緒に僕の手が解放される。

「君は今、とんでもないスケコマシとして見られていることに気付いていますか?」
「……スケコマシー? それは何、格好いいモノ?」
「カッコ悪いモノ」
「そ、それは大変だね……! ダメだよ、ええと……女の人に触られてシャンとしていないのがダメだってこと? 何も言えずに困るくらいなら「僕は格好いいから仕方ないなー」って、強がっている方が良いのかな!?」

 レンファは、おもむろに僕の足をギュッと踏んだ後にグリッと捻った。
 ――ちょっと前に、レンファが「格好いいから仕方ないと思え」って言っていたのに! どうして上手く行かないんだろう、難しい。

 ルピナも僕も、レンファの捻りに涙目だ。
 結局、レンファから「他のお客さんの邪魔でしょう」って叱られるまで、僕らはその場に立ち尽くして震え続けた。
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