上 下
66 / 90
第7章 アレクシスと魔女

1 魔女の目

しおりを挟む
 僕はたぶん、真っ赤なルピナとは対照的に真っ青な顔をしていたと思う。
 指の先が真っ白になるくらい服の裾を強く握り締めれば、耳の奥でドクドク血が流れるような音がする。途端に何も言わなくなった僕をおかしいと思ったのか、ゴードンさんは僕の肩を強く抱いて引き寄せてくれた。

 僕の右目はゴードンさんの服だけを映していて、見えない左目にはただ白い世界が広がっている。おかげでルピナの姿は――目は見えなくなった。
 そこでようやく、吸ってばかりで上手く息が吐き出せていなかったことに気付いた。慌てて息を吐き出すと、僕の体は小さく震えた。

「――悪いな、ルピナ。今日はこのあと眼鏡屋にも行かないといけなくて……少し急いでるんだ」
「え!? あっ、いえいえ! こちらこそ、引き留めてしまってごめんなさい!」
「アレクは街に住んでいないから、次いつ来るかは分からない。ただ、もしまた会うことがあったら、友達になってやってくれ」
「もっ、もちろんです! またね、えっと――アレクくん?」
「――――う、うん……バイバイ、ルピナ」

 どこまでも明るく、甘えた声が耳を塞ぐ。僕はなんとか笑って、小さく手を振った。「キャー!」って嬉しそうな悲鳴が受付の奥へ消えて行った。


 ◆


「おかえりなさい、遅かったわね」
「ああ、アレクがルピナに気に入られてな」
「そうなの? ルピナって確か、ここの看板娘だっけ――まあ、当然よね! 私の息子だもの」

 薬局から出ると、すぐにセラス母さんが駆けてくる。その少し後ろを真っ黒なワンピースのレンファがゆっくり歩いて来て、見慣れたキツネ目に僕はすごく安心した。

 ゴードンさんは、僕に「どうしたんだ」って聞かないでくれた。薬局の中にはルピナたちが、外には母さんたちが居たから、何も言えなかっただけなのかも知れないけど。
 どうしてか誇らしげに胸を反らす母さんの肩を、ゴードンさんがぽんぽん叩く。

「とにかく、日が暮れる前に眼鏡を注文しに行こう。慣れない場所でアレクも疲れているだろうから、早めに帰った方が良い」
「え? ……ええ、そうね。行きましょうレン、アレク」
「うん」

 母さんとゴードンさんが肩を並べて歩き始めて、僕はその後ろをついて行こうと駆け足になる。すると、またレンファが手を差し出してくれたから、嬉しくなって真っ白な手と繋いだ。

「ウサギくん」
「――な、なに? キツネさん」

 繋いだ途端にグイッと手を引かれて、すぐ目の前までレンファの顔が近付いた。僕はまた落ち着かなくなって、小声で「結婚したいです……」って呟きながら目を逸らす。

「平気ですか」
「……え、何が?」
「いえ、良いです――ゴードンの言う通り、疲れたんでしょうね」
「うん……ちょっと疲れた」

 レンファが歩き出したから、つられて歩き出す。
 僕たちが薬局から離れていくのと入れ替わりで、同じぐらいの年頃の子供たちが4、5人ワーッと駆けて行った。男の子と女の子が混じっていて、なんだかすごく楽しそうだ。
 ただ、その中の女の子がすれ違いざまにジーッとこっちを見ていたような気がして、また居心地が悪かった。

「おーい、ルピナー! 遊びに来たぞー!」
「ねえルピナ、さっきあんまり見ない男の子とすれ違ったんだけど! 真っ白い髪の……外国の子かな!? キレーだった!」
「は~? 別にあんなの普通だろ? ヒョロヒョロで弱そーだった」
「アンタ達ってホント分かってないよね~! 私、友達になってこよっかな?」

 勘違いでなければ、僕の話――だよね、白い髪の子なんて。
 髪のことを「お洒落」って言われた時は嬉しかったのに、今はひとつも嬉しくない。僕はキュッと唇を噛んで、早足になった。

「――ちょっと、ダメ! アレクくんは私のなんだからね!! 声を掛けたら許さない、絶交するから!」

 子供たちに呼ばれて薬局の外まで出てきたのか、ルピナの高い叫び声が聞こえて――僕は帽子を目深に被った。
 後ろではしゃぐ声が聞こえるけど、僕はもう、少しでも早くここを離れたくて仕方がなかった。

「少しは見られるウサギになったのに、次から次へと難儀ですね」
「えっ」
「君は、良くも悪くも――死ぬまで〝見た目〟の呪いに苦しむのかも知れません」
「……そっか、これも別の呪い?」
「少なくとも、君にとっては。……今は「仕方ない」で誤魔化せば良いのでは? 「僕は見た目が良いから、仕方がないな」――ほら、口に出してご覧なさい」
「な、なにそれ、すごく頭悪そうだね!? ――ふふ、そうだね……僕ってば実は、格好いいからなあ。それはレンファもお嫁に来たくなるはずだよね、うん」
「……君って、本当に頭が悪いですよね」
「レ、レンファが言えって言ったんだよ!」
「いや、そんなことを言った覚えはありませんけれど」

 正直、ひとつも思ってもいないことを口に出すと「嘘をついている」っていう意識に苛まれて、なんだか胸が苦しかった。
 だけど、レンファが僕を気にしてくれて――励まそうとしてくれているんだと思うと、不思議と笑みがこぼれる。
 嘘は嘘でも、強がりってヤツなのかな。もう村に居た時みたいに「仕方ない」って諦めるのは辞めるって決めたけど、これはちょっと違う? そんなに悪いことでもないのかも。

 顔を傾けて、横を歩くレンファの顔を覗き込む。黒いキツネ目は相変わらず、僕の姿を映しているようでひとつも見ていなかった。

「……僕、どうしてレンファがこんなに好きなのか、やっと分かった」
「気持ち悪い」
「うん」
「何度も言いますけど、初めて優しくされたから勘違いしているんですよ。例えば初めに会ったのが私ではなく、いつの間にか君を私物化しているあのルピナ女の子だとしたら? アレクはきっと、あの子を好きになっていたはずです」
「……レンファは全然分かってないなあ。本気で人を好きになったことがないんでしょう?」
「叩きますよ」
「ヒェッ……」

 歩きながら、ちらと薬局を振り向いたレンファ。きっとその目には、ルピナたちが映っているんだと思う。

 ――あの子たちは『汚れた骨』だった僕を見たら逃げていくよ。
 好きになんかなってくれないし、手当てもしてくれないし、優しくもしてくれないし「汚い」って遠ざける。奇跡的に『好き』になってくれたとしても、僕は絶対に耐えられない。

 でも、レンファの目は――。
 できるだけ思い出さないようにしていたけど、きっとこのままじゃいけないんだろうな。
 家に帰ったら、ひとつひとつ整理していこう。ちゃんと乗り越えて、レンファに相応しいクマになるんだから。
しおりを挟む

処理中です...