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第6章 共に生きるには

8 街医者

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 ――街って、本当にすごいところだ。石の道は広いはずなのに、狭く感じるぐらい大勢の人が歩いている。
 女の人に男の人。大人に子供、お爺さんお婆さん。首輪に長い紐を付けられて歩いている犬も何度か見た。

 黒髪の人、茶髪の人、銀杏みたいに黄色い髪の人、赤や紫っぽい髪の人も居る。たまに白髪の人も居ると思ったら、やっぱりお爺さんお婆さんばかりだった。ただ、白髪は白髪でも、もっとキラキラしている銀色っぽい髪をした人も何人か居た。
 ああいう人たちは生まれつきじゃなくて、特殊な薬を使って染めたり、元の黒色を抜いたりしている事が多いんだって。
 お洒落ってヤツで――レンファは美容師だったから、髪染めもやったことがあるらしいよ。

 レンファは別に、あの森や家の陣から一歩も離れられない訳じゃない。ただ〝ゴミクズ〟を陣に入れるには、あの家に住むのが一番手っ取り早いっていうだけだ。
 子供の間は〝魔女〟として森の奥に隠れて暮らして、大人になってからは賑やかな場所に住んだこともあるんだってさ。でも結局は魔女の家に戻って、ゴミクズを陣に入れないといけない。
 そういう人生を何度も繰り返していたら段々面倒くさくなって、ある時から森で自給自足するようになったらしい。

「別に、何も怖くなかったでしょう? 街中を歩いていても、おかしいって指差される訳でもないし」

 セラス母さんにニット帽の上から頭を撫でられて、頷いた。
 僕らはお医者が居るところまでやって来て、お爺さんセンセイに目を調べてもらった。お医者の住む建物は、真っ白に塗られた石の家だ。その中の壁も真っ白で、なんだかすっごく綺麗なところだった。

 中に火のついたロウソクが入っている訳でもないのに、光が出る不思議な棒――ライトっていうらしい――を目に翳したり、黄色い水を目に差したあと、小さなものを大きくするための〝レンズ〟っていうので覗かれたりした。
 でも、僕には何を調べているのかさっぱり分からなかった。

 あと、注射っていうすごく細い針を腕に刺して血を抜かれちゃった。体の悪いところを調べるためには仕方ないって言われたけど、なんだか命を吸われたみたいで少し悲しかったな。
 今ゴードンさんがお医者の説明を聞きに行ってくれていて、僕はセラス母さんとレンファに両脇から挟まれるように、待合所ってところの長椅子に座っている。

 同じ待合には、親子やお年寄りが多い。僕がキョロキョロふらふらするのが危なっかしいからって、レンファが左手を握ってくれていたんだけど――さっき近くの椅子に座ってるお婆さんに「可愛いねえ」って言われて、照れくさかったなあ。
 でも僕らって可愛いんだ、嬉しい。

 本当に色んな人が居るから、僕の白髪もあまり目立たない。街中を歩いたって通り過ぎ様にチラッと見られるぐらい。例え僕の赤い目とパチッと視線が交わっても「気持ち悪い」とか「近寄るな」とか言われないのが、すごく不思議だ。
 やっぱり、呪われているのは僕じゃなくて、カウベリー村の方だったんだと思う。

 村で過ごしていた時のことは、セラス母さんから「あ~あ、人生を無駄にしちゃったな~ぐらいに考えなさい」って言われたことがある。「恨むのは自由だけど、復讐心に囚われてこれ以上アレクの人生を費やすことはない」って。

 確かに、僕ってば12年も人生を無駄にしちゃっている。
 これから何年生きられるか誰にも分からないのに、これ以上カウベリー村のことを考えるなんて、すごくもったいない。そんなことを考える暇があるなら、僕はレンファと結婚する方法を考えるよ!

「セラス。アレクって、保険証つくってあるんですか」
「……そんなものある訳ないじゃない、まだ戸籍だって移してないわよ――って言うか戸籍、あるのかしら……?」
「つまり、今回の診療費は全額負担なんですね。実質〝捨て子〟なんですから、早い内に養子縁組しておいた方が良いのでは? 今後も通院することになるかも知れませんよ」
「それは、そうなんだけど……でもほら、私って無職じゃない? 無収入の状態で養子なんて、許可が下りるとは思えないのよね――」

 セラス母さんは言いながら、自分の膝の上に両肘をついた。そのままちょっと前屈みになって、困り顔で頬杖をつく。
 すると、僕の左側に座っているレンファが大きなため息を吐いた。

「じゃあ、番人なんて言って遊んでいないで、街で職探しをすべきでは?」
「レンが心配だったんだもの……いや、嘘。まだ両親も生きているし、妹のアレコレで険悪になった人たちと、顔を合わせたくなくて逃げただけね」
「素直なことは良い事ですが、そんなので今日の診療費はどうするんです?」
「……ゴードンが」
「この先の診療費は」
「それも、ゴードンが」
「……セラス。あなた死ぬまでゴードンを金ヅルにして弄ぶつもりですか? 結婚して責任を果たすでもなく?」
「………………だって」

 気付けばセラス母さんはしょんぼり沈み込んでいて、僕はなんだか落ち着かない気持ちになった。だからレンファと母さんの間に体を捻じ込んで、じっとりしたキツネ目に「ダメだよ」って笑いかける。
 でもレンファは首を横に振って、「あのですね」って僕の顔を見上げた。

「これは、君にも関わりがある問題ですよ。今後もずっとゴードンの世話になり続けるなら、それ相応の返礼をすべきです。ただ一方的に贈与されて、それを当然のように享受するのは最低だと思います」
「う、うん……すごく難しくてよく分からないけれど、とにかくゾーヨされたキョージュの僕が悪いんだね?」
「一番悪いのはセラスです。ここは物々交換の村とは違いますから、病院にかかるたびにお金が必要なんです。でも森で悠々自適に暮らしている君たちには、先立つものがありません。セラスが害獣駆除で受け取る謝礼なんて、微々たるものでしょう? そもそも狩り自体滅多にしませんし」
「うん……」
「これから何度も病院へ通うことになったとして、君はゴードンに何を返せるんですか? まさか、子供の君がお礼できるなんて――ゴードンの欲しいものをなんでも与えられるなんて、自惚うぬぼれている訳ではないでしょうね」
「ゴードンさんは商人だから、お金もモノもたくさん持っているもんね」

 僕が腕組みして悩むと、レンファは「そうです」って頷いた。
 ゴードンさんが欲しいもの。それが何かは分からないけれど――でもたぶん、一番欲しいものは決まっているんだろうな。だから毎日色んな商品を運んできて、お金も受け取らずにセラス母さんにあげちゃうんだ。

「うーん……つまり、ゴードンさんにセラス母さんをあげるしかないってこと……?」
「ちょっと、アレク……!?」
「人をモノ扱いするのはどうかと思いますが、私が言いたいのはそういうことです。人から好意を受け取ったなら、それなりの誠意を見せるべきです。そして何も返すつもりがないなら、早々に見切りをつけるべきです。そもそも、年貢の納め時はとうに過ぎているんですから」
「ネング! よく分からないけど、確かに約束の時間は守るべきだね……!」

 分からないなりに一生懸命レンファの話を聞いていると、右側から「アレクに変なことばかり教えないで! あと、自分は散々アレクに冷たくするくせに、何が誠意よ! 説得力なさすぎじゃない!?」なんて声が聞こえてくる。

 ――そのすぐあと、たまたま通りがかったお医者のお姉さんから「すみません、院内ではお静かにお願いしま~す」ってニコニコ注意されて、母さんは項垂れていた。
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