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第3章 瘦せウサギの奮闘

2 命の授業

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 朝ご飯は焦げたパン。それと黄金色の透き通ったスープに、薄く切ったタマネギとチマチマした緑のパラパラを浮かべたもの。あと、混ぜほぐした卵を焼き固めたオムレツ。

 黄金色のスープは、鶏の骨と色んな野菜を一緒にコトコト煮込んだダシで作っているんだって。チマチマ、パラパラした緑のヤツは乾燥パセリって言うみたいだ。元々は葉っぱらしいんだけど、食べてもあんまり味が分からなかったから、美味しく飲めて良かった。
 僕、好き嫌いなんてなかったのに――葉っぱも根っこもにんじんもすっかり苦手になっちゃったから、困る。

 焦げたパンは表面がちょっとだけ硬くて、あとほんの少しだけ炭の味がしたくらいで、真ん中はフカフカですごく美味しかった。いつかカウベリー村で作っていた、ミルクジャムをつけて食べてみたいな!
 グズグズに泣いて目が腫れぼったくなっちゃったセラスさんは、ご飯を食べ終わると、僕の手を見て唇を尖らせた。

「――ちょっとアル、昨日は手の平に包帯を巻いていたわよね? いつ外したの」
「うん? ……朝ぞうきん絞るのに邪魔だったから、取っちゃった」

 手の平のケガは元々、斧で薪を割る時にできたものだ。あと井戸の縄を引く時に、マメが擦れて潰れちゃったんだと思う。
 ケガをしたって、父さんが居ない間は僕が薪を割るしかなかった。母さんはジェフリーの看病で手が離せなかったから、井戸水を汲むのも僕が頑張るしかなかった。
 ジェフリーが熱で大変な時に、手が痛いなんて言っている場合じゃあないしなあ。
 痛くても風邪をひいても仕事はなくならないし、働かないと怒られるんだから仕方がない。

 セラスさんは僕の話を聞くなり、ため息を吐き出した。そうして椅子から立ち上がると、家の奥に行って――なんかこういうの、昨日もあったぞ。
 昨日、分厚いカーテンの奥に消えていった魔女キツネは、とんでもない味わいのドロドロにんじんの薬と一緒に戻ってきた。もしかすると、ビ魔女のセラスさんだって泥にんじんづくりの名人なのかも知れない。

 僕はちょっとドキドキしたけど、でも扉の向こうから戻ってきたセラスさんは、白くて四角い箱を持っているだけだった。

「軟膏を塗って、包帯を巻き直すわよ」
「えぇ、また~? だけど、まだこれからたくさん掃除しようと思っているのに……布を巻いているとどんどん汚れるし、ビシャビシャになっちゃって邪魔だなあ」
「あのね、アル。ケガを早く治すには、どうすれば良いと思う?」
「早く治す……ええと――頑張る?」
「頑張って綺麗に治るなら、薬なんて要らないわよ」

 呆れたような半目になったセラスさんは、机に白い箱を置いてパカリと開ける。その途端に、なんだか昨日魔女キツネに入れてもらったお風呂みたいな、スースーする匂いがした。

 箱の中を覗き込むと、細々こまごましたものがたくさん入っている。
 ぐるぐる巻かれた白い布は包帯。小さなビンみたいなのは全部しっかり蓋がされていて、中にはサラサラした透明の水や、ドロッと硬そうな茶色いベトベトが入っている。小さい四角に切られた布や紙もたくさんある。

 指で挟んで使う大きさの、銀色の火ばさみみたいなのは何に使うんだろう? こんなに小さいと、炭は挟めないだろうな――家にムカデが入った時なんかは火ばさみで掴んで森まで放り投げに行くけど、たぶんこの短さじゃあ体を丸めたムカデに噛まれちゃうね。

「ひと昔前は、とにかく消毒して傷口を濡らさないように乾燥させれば良いって言われていたけど……最近の研究では湿潤しつじゅん療法っていうのが良いんですって」
「ケンキュー……シツジュン……なんか僕、今すごく頭がよくなってる気がする」
「話を聞いただけで頭がよくなれば良いわよね。でもちゃんと理解して、今度はアルが別の子に話してあげられなくちゃ、意味がないんだから」
「……僕が他の子に教えるの? なんかそれってセンセイみたいだね」
「そうね、先生になれるくらい賢くならなくちゃ――今の時代、体力だけじゃあ生きて行けないわよ」
「生きて行けないんだあ」

 セラスさんはちょっと意地悪く笑って「さあ手を出して」って言った。机の上に開いた両手を載せると、セラスさんが箱から紙とか布とか、あと茶色いベトベトが入ったビンを取り出す。
 ビンは素手で取り出したけど、でも紙や布はわざわざ小さな火ばさみで掴んで取り出した。まるで、汚いものや危ないものでも触るみたいだ。

「人の体って、すごく不思議で面白いのよ。ほら、傷をよく見て。アルの手は今ボロボロで、擦り傷に……マメや水ぶくれが潰れたのかしら。幸いあまり膿んではいないようだけど、今朝ぞうきんなんて絞ったせいで傷口がこすれて、血が滲んでるわ」
「うん……ボロボロだねえ」

 傷口を「よく見て」なんて言われたのは、初めてだ。改めて見ると、なんだかすごい。
 セラスさんの白い手は、傷がなくて――指先は水荒れで赤くなっているみたいだけど――ふくふくしていて、触り心地がよさそうだ。それに比べて僕の手は酷い。ボロボロで、汚れていて、ちょっと痛そう。

 最近は前ほど痛いって思う回数が減ったけど、こうしてじっと見ていると、急にじわじわ痛くなってくるような気がする。

「ケガをすると血が出るのは、どうしてだと思う?」
「ええと……体が破けて血が出るから。牛を潰すのを見ているとすごいんだ、僕のケガとは血の出る量が大違いだった」
「そうね、生き物の身体の中には血管っていう管がびっしり伸びているの。だから、どこをケガしても血が出るでしょう?」
「うーん……どうして全部に伸びているんだろうね。ケガした時に血が出ない場所があっても良いのに……あんまり血が出るとフラフラになるし、切っても何も出ないところがあっても良いと思うなあ」
「確かにそうかも知れないけど、血管がないと皆生きて行けないのよ。血管はその名の通り〝血が通る管〟でしょう? 血には空気や栄養、水分とか――あと体を温めるための熱とか、とにかく生きるのに必要なものがたくさん含まれているの」
「へえ、それはすごいね!」

 僕は話を聞きながら、じっと手の平を見た。やっぱり血が滲んでぐじゅっとしていて、残念な感じだ。
 血には大事なものがたくさん詰まっているって聞くと、なんだ今こうして体の外に出て行っているのが途端にもったいないと思った。もしかして、僕の『命』が零れているってことなのかな? なんかドキドキする。

 牛を潰す時にどうしてあんなに血が出るのかよく分かったし、村のセンセイが言っていた「命を頂きます」の意味もよく分かった。あれは、牛の命が零れていたんだ――全部零れたから動かなくなって、バラバラにされて食べられて、骨まで残さず使われる。

 僕は急に不安になってきて、今まで体の外に零してしまった血を全部取り戻したくなった。
 どうしてカウベリー村の子供や大人たちは、潰して食べる訳でもないのに僕に何度もケガさせたんだろう。皆と違うって呪いに掛かっていたから、仕方がなかったのかな。

 よく分からないけど、でも――僕は絶対に、僕がされたことを他の生き物にはしないだろうなって思った。
 僕の命が意味もなく零れるのも、僕以外の生き物の命が無駄に零れるのも、すごく怖いことだと思ったから。
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