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第2章 魔女の森と番人

8 じゃがバターと卵のスープ

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「うわあ、いい匂いだね……!」

 机の上に並んだ料理を見て、僕は目を輝かせた。料理の手伝いって言っても、水汲みをして鍋を見ていただけなんだけど、すごく楽しかったな。
 卵がたっぷり入ったスープに、ふかふかのホクホクになって湯気が出ている芋。芋は十字に入れた切れ込みに沿って、ぱくりと口を開けている。じっと見ていると、その中にセラスさんが『バター』っていう四角い塊を入れた。

 なんだか、村でロウソクを大きくする時に溶かす牛脂に似ていたな――なんて思っていると、バターはホクホクの芋の上で溶けて、じゅわりと滲んだ。その瞬間、嗅いだことのある匂いがして口の中によだれが溜まる。
 ――〝牛の美味しい脂クリーム〟だ! このクリームの名前、バターって言うんだね!

 僕は、足元にある風呂敷に隠した泥せんべいのことを思い出した。きっとアレにも、このバターが入っているんだな。

「干し肉もあるわよ。あとで炙って食べましょうか」
「ほ、干し肉までくれるの!? 僕お金もってないよ、本当に大丈夫?」
「ええ? お店じゃあるまいし、お金なんか取らないわよ。私が勝手に出しているんだから、気にせずに食べれば良いの」

 セラスさんはおかしそうに笑って、お皿にのせた細長い干し肉を窯の火に近付けている。じゅって音がした後に煙が出て、肉の焼けるいい匂いが広がった。
 動物の脂の匂いがするロウソクは好きじゃないって言っていたけど、きっと食べる肉の匂いは別だよね! すごくお腹の空く匂い――お肉なんて食べたの、最後はいつだったかな?

 カウベリー村で育てる牛は、乳をとるための牛だ。だから死なせないよう大切に育てるんだけど、年を取って子供ができなくなると、乳も出なくなってしまう。そうなるとエサ代ばかり高くついて大変だから、んだ。

 潰した牛の肉も町へ売りに出せれば良いけど、運んでいる途中で腐ってしまうから、村の皆で焼いて美味しく食べる。村の中には冬の間に降った雪を集めた大きな氷室ひむろがあるんだけど、アレは馬車で動かせないからなあ。
 牛は肉だけじゃなくて、骨は削って粉にしたら畑の肥料に、鍋で煮込むとスープにもなるらしい。内臓は天日干ししてカラカラに乾燥させると、薬の材料にもなるんだって。脂はロウソクにできるし、剥いだ皮は絨毯やカーテン、布団にもなる。

 牛は生きている間ずっと乳を出して働いて、次の牛を産んで――死んでも働き者だから、偉いよね。僕は村で生きていても死んでいても一緒で、役に立たないって言われていた。牛は、僕とは全然違う。
 そう考えるとなんだか、クマじゃなくてウシにされるのも悪くない気がしてくるな。僕は魔女にとって役に立つ人間になれればそれで良いや。

 ――でも『痩せウサギ』だけはダメ! 全然役に立ちそうにないし、魔女にも「すごく嫌」って言われたから!

「さて、食べましょうか」
「はーい! いただきます」

 干し肉を炙り終わったセラスさんが、お皿を机の上に置いた。そうしてセラスさんも椅子に座ったところで、僕は両手を組んでお祈りする。
 これは「命を頂きます」っていうお祈りなんだって。肉や魚はもちろん命、草や葉っぱや野菜も命、水は星の命だって村のセンセイが子供たちに話していた――のを、隠れて盗み聞きした。

 だから食べ物を残すのは、とっても悪いことなんだってさ。奪った命をもてあそんで捨てずに、ちゃんと責任を果たすんだよって話を聞いたけど――難しいからあんまり分かってない。
 でも食べ物は貴重だから、絶対に残さないよ! 食べられる時に食べなきゃ死んじゃうんだからね。

 僕は何から食べようかなって迷ったけど、やっぱり干し肉が食べたくなって、手を伸ばした。でもセラスさんが「待って」って言ったから、慌てて手を引っ込める。

「アル、まず卵のスープから飲むといいわ。あなた本当に痩せているし、村ではまともな食事をとらせてもらえなかったんでしょう……胃がびっくりしそうだから、固形物を食べる前にお腹を温めた方が良いと思うの」
「……よく分かんない、お肉……」
「干し肉は逃げないから、ゆっくりで良いの。胃がびっくりして、あとで吐いちゃったらもったいないわよ」
「うーん……分かった」

 さっき泥せんべいを食べても平気だったから、大丈夫だと思うんだけど……でもこの料理は全部、セラスさんが用意してくれたものだもんね。僕ひとつも働いていないし、ちゃんと言うことを聞かなくちゃ。

 僕は言われた通りにスープの入った器を両手でもって、火傷しないようにズズズってゆっくり吸った。スープは凄く温かくて、卵しか入ってないのに甘い味がする。
 温かいのが喉を通り過ぎて、見えもしないのにお腹の真ん中まで落ちていったのがよく分かった。なんだかお腹がもぞもぞ変な感じがする。確かにセラスさんの言う通り、いきなり干し肉なんて凄いものを食べたら、僕は内臓ごと飛び上がっていたかも知れない。

「美味しい」

 そう言えば、温かいものを食べたのも久しぶりだ。僕はいつも森で採ったものをそのまま食べていたからね。
 飲んでいるうちに熱いのにも慣れて、卵スープをごくごく飲み込んだ。あっという間に空っぽになった器を机に置いたら、セラスさんは嬉しそうに笑って「おかわりもあるからね」って言ってくれた。

 おかわりなんて、今までに一回もしたことない! 僕は嬉しくなって「おかわり!」って言った。
 セラスさんは空になった器をもって、かまどの方へ歩いて行く。
 なんだかスープでお腹が温まった途端にもっとお腹が空いたような気がして、ホクホクのバター芋を見て――僕は悲鳴を上げた。

「……セラスさん、大変だ! バターがなくなっちゃった、泥棒が居る!!」

 僕の悲鳴を聞いたセラスさんは噴き出して、大きな笑い声を上げながらおかわりの卵スープと一緒に戻ってくる。

「違う違う、溶けて芋に沁み込んだの。もう、可愛いことを言って笑わせるのはやめてよ……溶かした牛脂でロウソクを大きくする時だって、脂の塊が熱で溶けて液体――水みたいになるでしょう? アレと同じ、水になったバターを芋が吸い込んじゃったの」
「……そっか、良かった!」

 僕は安心して、バター吸い込み芋を手でもった。
 顔を近づけるとやっぱり泥せんべいと似た匂いがして、僕はセラスさんに「お行儀が悪い」って叱られるまで芋の匂いを吸っていた。
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