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序章

3 アレクシス3

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 お昼ご飯が終わったのか、今度は母さんに「森へ行って売り物を探してくるように」って言われた。やっぱり働ける父さんが居ないから、生活が苦しいのかも――ジェフリーを治すために、薬師のお婆さんのところで色んなものを買ったしね。

 父さんはいつも森へ行って、街で売れそうなものを集めて来るんだ。葉っぱや根っこ、キノコや果物なんかをね。
 僕もお腹が空いて、森まで食べ物を探しに行こうとしていた所だからちょうどいいや。母さんも、ウチで食べるものじゃなければ僕が触っても怒らないから平気なんだ。

 僕はおっきなカゴを背負って、また井戸まで行った。一回手を洗って、布を巻き直さなくちゃあいけない。血で汚れた食べ物を洗うのは大変だからね。
 そうして井戸で手を洗ったら、服の裾を手で破いて布を作る。こんなことばかりしているから服が短くなるんだけど、他に使える布がないから仕方ない。

「アレクシス、何してるの?」
「………………こんにちは、お姉さん。手を洗ってたよ」

 両手それぞれにきつく布を巻いていたら、キョロキョロと周りを気にしながらやって来た村のお姉さんに話しかけられちゃった。
 たぶん、20歳くらいの大人のお姉さん。名前は聞いたことがないから知らない。きっと聞いても僕には教えてくれないだろうし。

 このお姉さんは、僕が1人で何かしていて周りに誰も居ない時にだけやって来る。後ろ髪だけじゃなくて前髪も長くてお顔がよく見えないから、いつもどんな表情をしているのか分からない。
 だけど、たまに前髪の隙間から覗く真っ黒の目を見ると、僕はなんだかぞわぞわする。
 よく分からないけど、でも愛されていないことだけは分かるんだ。だって、僕に変なことばかりするんだもん。

 お姉さんは右手にバケツを持っているから、たぶん水汲みに来たのかな? こっちをじっと見ていたかと思うと、すごく汚れているのに僕の手首を掴んだ。

「――お姉さん、手が汚れちゃう」
「良いから、ちょっとこっちへおいで。怖いことはしないから平気よ」
「待って、僕お仕事があるんだ。遅くなると母さんに怒られる」
「大丈夫よ、すぐに済むもの。すぐに済むからね……」

 お姉さんは僕の手首を掴んだまま、茂みの深いところ――森の入口まで引っ張って行った。
 確かに僕の仕事場はこの先だけど、ああ、ヤだなあ。お姉さんは痛いことをしないけど、村の子たちよりずっと嫌なことをする。痛くはないけれど、でも、すごく気持ち悪いことをするんだ。

「アレクシス――……いつもこんなに汚れて、可哀相」

 お姉さんが持っていたバケツは空じゃなくて、水が入っていた。綺麗な布をポケットから出すと、バケツに入れて水気を絞って僕の汚れた顔を拭いた。
 なんか気持ち悪くて本当は触られるのヤだけど、でも前に嫌がったらすっごく大きな声を出されて驚いたんだ。もしも村の人が駆けつけたら、絶対に僕が悪者にされるって分かっているんだ。

「村の人は、本当のアルを知らないから酷いことができるのよ。こんなに可愛いのに」

 顔の汚れが落ちると、お姉さんはいつも目の色が変わる。ねっとりした目でこっちを見て、まるで僕をみたいに、変な笑い方をするのがすごく嫌だ。

「ねえアル、いつも言ってるじゃない――このままお家に居たら、お腹が空いて死んじゃうでしょう? お姉さんの家にくれば良いの、そうすればたくさんご飯を食べさせてあげるわ」
「……僕はお姉さんの家族じゃないから、いい」
「どうして? こんなに痩せて……お姉さんは知ってるわよ、アルは呪われてなんかいないって。本当のアルはすごく綺麗なの……ほら服を脱ぎなさい。お姉さんが全部……アルを全部、綺麗にしてあげるから」

 お姉さんの手が、さっき破ったばかりの服の裾から入って来そうになる。僕はもう、気持ち悪いのが我慢できなくなっちゃった。

「――ヤだ!!! 放して!! 気持ち悪いよ!!!」
「ちょ、お、大きな声を出さないで……!!」
「ぼ、僕もう森に行くから、やめて……!」
「もう、アル!! どうして分からないのよ、お姉さんはアルのことが好きで、心配だから綺麗にしてあげようとしているんでしょ!? いつもいつも嫌がってなんなのよ、アンタが何を言ったって村の大人が耳を貸す訳ないじゃない、アルは私の言う通りにしてれば良いの!!」
「お姉さんのソレは『好き』じゃない! 僕じゃなくても良いくせに……僕が誰にも愛されてなくて、助けを呼べないのが楽だからでしょう!」

 2人で大きな声を出していたせいで、たまたま近くを通りかかったらしい村のおじさんが気付いてこっちへ歩いてくる。
 おじさんが茂みに向かって「誰だ? どうした、そこで何してるんだ?」って聞いた途端に、お姉さんは泣きそうな顔をしておじさんの前に飛び出して行った。

「――おじさん助けて! アレクシスが無理やり、私の体に触ってきて……!!」
「何だと!? 呪われたクソガキめ、何て真似を!! 出てこい!!」

 ああ、まずい――だからあのお姉さんは嫌なんだ。僕は急いで森の中へ駆け込んだ。
 後ろからおじさんの怒鳴り声が聞こえてきたけど、足を止めずに走り続けた。だって大人は、子供を相手にするのと全然違うんだ。強く殴られたら手足が変な方向に曲がっちゃう。

 ――でもどうしよう、森から帰ったらどうなる? 下手をしたら、冬を待たずに今日が僕の命日になるのかなあ。とっても嫌だなあ。
 やっぱりお姉さんは、僕のことなんか好きじゃないよ。だって普通愛していたら、こんな酷いことはしないでしょう? 何があっても僕を守ってくれるはずだもんね。
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