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第48話

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 最低限の日常生活を難なく送れるほど回復して、傷跡もかなり塞がってきた。あと数日で退院できると医者の先生に言われたのは、10月の下旬のことだ。
 その頃になってようやく、家族以外の面会も許可された。許可が下りたその日に飛び込んできたのは、もちろんゴードンとその両親である。

 久々に見るゴードンはなんだか憔悴している様子で、大きな体も縮んで見えた、きっと、これでもかと心配してくれていたのだろう。心配なのに面会もできず、精神的に疲弊してしまったのか。
 ベッドまで駆け寄って来た彼は、ガバリと両手を広げた。けれどぴたりと止まって、そこからは笑いが出るほどスローモーションでそっと私の両肩に手を置く。恐らく、術後の傷を気遣ってのことだろう。

 私は少し涙ぐんで「ごめんなさい」と言った。その言葉に尽きて、それ以外に掛ける言葉が見つからなかったのだ。
 意地を張って無茶をして、自分の体調をかえりみずに取り返しのつかない事態を引き起こした。私のせいで結婚もダメになって、散々心配をかけて――。

 もう既に母から「セラスはもうダメだから、代わりにカガリを妻にしませんか」なんて話がされているのだろうか? あの日以来家族は誰も面会に来ていないため、その後の進展がひとつも把握できていない。
 ゴードンはいつも以上に遠慮がちな様子で私を緩く抱きしめて、慰めるように、労わるように背中を撫でてくれた。彼の肩越しに商会長夫妻と目が合って、本当に申し訳ない気持ちにさせられる。

「――あの……」

 掠れた声を掛けると、商会長夫人がパンと拍手かしわでを打った。

「あなた、ゴードン。ちょっとの間セラスと2人にしてくれる? 病状のこともあるし、同性でなきゃ話しにくいことがあるのよ」
「でも、俺はセラスと――」
「話は私の後にしなさい、ちょっと目を離した隙にセラスが死ぬ訳でもあるまいし……全く女々しいんだから」

 母親にこき下ろされて、ゴードンはグッと眉根を寄せて口をヘの字に曲げた。少し目を離した隙に短い顎髭が伸びていて、なんだか急に大人の男になったように思う。商会長は小さく肩を竦めて、「さあ、女王様の言う通りにするぞ」と軽口を叩きながらゴードンの背を押した。

 病室の扉が閉じられて、夫人がベッド横の椅子に腰かけた。女性にしては少々硬く荒れた手が、私の手を握る。

「――カガリに、ゴードンと一緒になるよう勧めた?」

 問いかけられた言葉に耳を疑って、声にならない息を漏らした。ただ眉尻を下げて首を振るだけの私に、夫人は小さく息を吐き出す。

「まあ、そんなことだろうと思ったけれど――ゴードンは、セラスが居る限り諦めないわ。でも、私が前に言ったことを覚えている? ……セラスは、頑張れる?」
「………………無理、です。頑張れません……ゴードンが愛人をもつなんて、私以外の女性と子供を作って――それを、我が子として育てるなんて、できません……そんな子供、愛せません」

 ボロボロと涙が零れて、子供のようにしゃくり上げる。夫人は泣きそうな顔をしたあと顔を伏せて、じっと手を撫でてくれた。けれど、ややあってから意を決したように顔を上げると――そこにはもう、同情の色が消え失せていた。

「今まで商会に尽くしてくれたあなたに酷なことを言うけれど、ゴードンから離れて欲しいの。あの子はいくら言っても考えを変えないわ、あなたが全てで、商会の存続なんて二の次。セラスとの子供が無理なら、養子をとれば良いと言って聞かない。「どうしても俺に愛人を作らせたいなら、商会も町も」と言われたわ」

 夫人の言葉を聞いて、やはりゴードンはどこまでも私に甘く優しい男だと思った。想像通りのワガママを言ってくれているようで、心の底から安心して……そして夫妻には辛い思いをさせてしまい、本当に申し訳なかった。

「でも、一度は次期商会長として立った男よ。それを今更やっぱり他の人に任せますなんて、下の職員だって納得できない。あなたを選んだ時、ゴードンがどれほど多くの人に蔑まれるか……あなたの母親、手術のことを触れ回っているのよ。少なくとも商会周辺で体の状態を知らない者は居ない、だから結婚を認めても養子をとったらすぐバレてしまう。我が子として大事に育てようにも、周りが放っておかないわ。もしも罪のない子供が将来、「血の繋がりもないくせに商会を継げてラッキーだな」なんて言われたら――それでもセラスは、ゴードンと一緒になりたい? 血の繋がりのない子供の未来なんて、商会の存続なんてどうでも良いと思う……?」

 覚悟はしていたけれど、やはり受け入れがたかった。私はただ泣いて、首を横に振るしかできない。

「確かにセラスは可愛いわ、娘のように思っている。でも、お願いよ……どうか私たちから唯一の息子を奪わないで――あなたが望めば、ゴードンはなんでもしてしまう。あなたのためにどこまでも行ってしまう。親を親とも思わずに、生まれた故郷を故郷とも思わずに捨てて。勝手なことを言っている自覚はあるわ、だけど、私たちにはゴードンしか――あの子が唯一の希望なの、だから、お願い……」

 夫妻は1人息子のゴードンが可愛くて、大事で、どうしても手元に置いておきたいのだ。「今更勝手なことを言うなら、セラスと共にどこへなりとも行ってしまえ、お前は勘当だ」という訳にもいかないのだろう。
 可愛い息子を手元に置いておきたいし、代々続く一族の商会を絶対に継いで欲しいし、得体の知れない養子ではなく、彼と血の繋がった孫が良いのだ。

 しかし私がゴードンの傍をうろつくと、彼にとって悪い影響を与える。いとも簡単に実子を諦められるのも、商会を投げ出されるのも、両親を切り捨ててしまうのも、町から出て行ってしまうのも……何もかも、困るのだ。だって可愛い息子だから。

 ――体で稼いだ金でどこへなりとも行け、家に戻ってくるなと言われた私とは、根本的に違う。

「一度だけ……一度だけ、チャンスをくれませんか」
「……チャンス?」
「商会の同僚から聞いたんです。『不老不死の魔女』がつくる、秘薬の話――失った肉体すら再生してしまうという、魔法のような薬。それが手に入れば、きっと失った子宮だって」

 頬を伝う涙を手の甲で乱暴に拭って、大真面目な顔で夫人を見た。彼女は「あまりのストレスで頭がおかしくなったのか」と言わんばかりの困惑顔をしていたけれど、こちらは本気だ。

「……本気で、そんな話を信じているの?」
「お願いします。魔女がダメなら、ゴードンのことは諦めます……そこまでして、まるで幻のようなおとぎ話に縋ってもダメだったら、諦めもつきますから。3日後に退院して、そのまま魔女に会いに行きます。だからどうか、その結果を待ってくれませんか? どうにもならなかった時は――私も彼の傍に居るのが辛いので、町を出ます」
「それは……まあ、本気なら良いのだけれど……くれぐれも変な気は起こさないでちょうだいね」

 夫人は困惑顔のまま、「あなたの気が済むまで、納得できるまでやってごらんなさい」と肩を撫でてくれた。恐らくこんな話、全く信じていないのだろう。ただ私の気の済むまで――ゴードンを諦めるための時間を与えてくれるというだけだ。

 それでもやはり、魔女に縋らずにはいられなかった。ゴードンだけはどうしても諦められなかったからだ。
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