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第36話

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 ゴードンはたぶん、これから先どんなことが起きたとしても私の味方で居てくれるのではないだろうか。
 いついかなる時も私を守り続けてくれて、選んでくれて、そして好きで居てくれる。それだけは、なんの取り柄もない――強いて言うなら「胸の大きな化粧美人」と称される私でも、自信をもって言えてしまう。彼は絶対に私を裏切らないだろうと。

 きっと、本当はこの世に『絶対』なんてないのだろう。それでも不思議と言い切れてしまうのだ。私は心の底から彼を信頼している。

「お義兄ちゃんは凄いよ。顔は……別に格好よくないけど、お金持ちの家の人だし、頭が良いし、体が大きくて強いから安心だし……それに、心の底からお姉ちゃんが一番だと思ってる。お義兄ちゃんの世界で一番綺麗なのはお姉ちゃん。優しいのも、好きなのも、信じられるのも……必要なのも、守りたいのも、格好いいところを見せたいのも、全部、全部」
「そう……かも、知れないけれど」
「私はずっと、お姉ちゃんが羨ましい。どれだけパパとママに愛されたって、寿命がある限りずっと一緒には居てくれない。命に優先順位を付けなくちゃいけないって時に、私は後回しにされる」

 カガリは、よくある舟の話を持ち出した。
 深い湖で妻と娘が溺れています。助けたくても、あなたは2人乗りのボートしかもっておらず定員を超えると舟が沈みます。どちらを救いますか? ――というものだ。きっと父はカガリではなく母を、母は父を選ぶと言いたいのだろう。

「……お義兄ちゃんは、例え目の前で親が溺れていても迷わずお姉ちゃんを選ぶよ。だっていつもお姉ちゃんしか見えてないし、お姉ちゃんだけ居れば幸せなんだから……あの人は誰よりも『商人』だよ。自分にとってになるのは、この世にお姉ちゃんただ1人だけだと思ってる」
「それは、さすがに言い過ぎなんじゃないかしら。そもそも2人が定員の舟なんて、たぶんゴードン1人乗っただけで沈むわよ」

 カガリに持ち上げられると、落ち着かない。だからあえて茶化すようなことを言ったけれど、彼女は寂しそうに首を横に振るだけだった。

「私も誰かの一番になりたい。誰かの一番になって守られたいし、気にして欲しい。何よりも大事にして欲しい――でもまだ子供だから、そんな人できないよね……分かってる」
「カガリ……」
「私、これからどうなるんだろう、怖い。私にもお義兄ちゃんみたいな人が居てくれれば良かったのに……傍で守ってくれる人が、いつだって私の味方で居てくれる人が。――私ね、前にお姉ちゃんが抱っこされて泣いているのを見た時、本当にビックリしたの。家でも外でも弱音を吐かなくて、強いお姉ちゃんが……私と違ってしっかりしてるって言われるお姉ちゃんが、どうしてこの人の前でだけは違うんだろうって。1人だけ当たり前みたいに違う顔を見ててずるい、こんな男嫌いって思った」

 カガリは、乾き始めたタオルをぎゅうと強く握りしめた。この子がそんなことを思っていたなんて、初めて知った。

「でも、たぶん本当にずるいのは――羨ましかったのは、好きなだけ甘えられる人を見つけたお姉ちゃんなんだと思う。だってお義兄ちゃんが居れば、お姉ちゃんは何も怖くないから。私は怖いよ、生きるのが……人に囲まれるのが。今日はたまたまお義兄ちゃんが居たから助かっただけ。明日は……明後日はどうなるか分からない」
「……そうね」
「家から出て勉強したいって言ったのは私だよ。このままじゃあダメにされるから、ママと離れたいって言ったのも私。でも……どうして? ただ皆が当たり前にしていることをしようとしただけなのに、どうして私だけこんな目に遭うの?」

 ゴードンが居れば、実の両親からの愛情なんて要らない。他の誰に嫌われていようとも、彼に愛されていればそれだけで十分だ。万が一カガリのような目に遭ったとしても、彼は絶対に私を助けてくれる――いや、そもそも最初からそんな目に遭わないように守ってくれるだろう。
 ……確かにずるいのかも知れない。まるで飛び道具のような人を味方につけているのだから。

「何を渡したら、ああいう人に好いてもらえる? どうすれば「可愛い」って言ってもらえるようになる? お姉ちゃんは知らない人に攫われそうになったことがある? やめてってお願いしても追いかけられて、話しかけられて、怖い思いをしたことがある? ――「死ぬかも」って思ったこと、ある?」

 訊ねるていはとっているけれど、カガリの表情から察するに「そんな経験、ないでしょう?」とハッキリ言われているような気がした。実際、そこまでの経験はない。侮蔑や「体だけは立派だから、夜の相手をしてやってもいいぞ」というセクハラなら受けたことがあるけれど……死を覚悟したことは一度もない。

 カガリは私に答えを求めていなかったのか、こてんと首を傾げた。

「お姉ちゃんは、どうしてお義兄ちゃんと結婚するの?」
「え? うーん、いざ聞かれると分からないものね、ゴードンとは幼馴染だし……気付いたら一緒に居て、気付いたら好いてもらえていて――」
「……お姉ちゃんは、本当にが好きなの? どうして?」

 もしこの場に彼が居たら、また「お義兄ちゃんと呼べ!」なんて怒っただろうか。改めて好きなのかと聞かれると、なにやら不思議な気分だ。
 でもまあ当然、好きだ。他の誰でもなくゴードンのことが好き。……ただ、なぜと問われると困る。

 そもそも彼は私の何が好ましいのか……それも長年の謎だった。

「どうして――そうね……。子供の頃からずっと一緒で、ふとした時に「好かれている」って気付いたのよ。でもお互い子供だったし、恋愛って言うよりも情なのかなって――それで、大人になれば想いも消えるだろうと思っていたけれど、消えなかった。だから――」
「じゃあお姉ちゃんは、ゴードンに「好き」って言われて好きになったの?」
「……そうかも。いや、だからと言って誰でも良いかと言われればそうじゃないし……なんていうか、難しい。たぶん、人を好きになるのに明確な理由なんて要らないわ。もっと感覚的なもので選ぶのよ、「この人じゃないと無理」って」
「………………へえ」

 短い相槌を打ったカガリの声色は随分と硬く、低かった。
 答えのないフワッと濁した説明がお気に召さなかったのか、なんなのか――。ただ、呪文のように繰り返し「お姉ちゃんって幸せでいいなあ。ずるいね」と呟かれると、なんとも言えない心地にさせられた。
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