上 下
34 / 64

第34話

しおりを挟む
 今日の出来事がよほど恐ろしかったのか、カガリは商会の中に入っても、ゴードンが応接室のソファに腰を下ろしても、一向に彼から離れる気配がなかった。

 まあ、恐ろしいだろう。学校から商会までよく分からない大人の男に追いかけられて、しつこく話しかけられて――挙句の果てには細い手首を掴まれて、力ずくで攫われるところだったらしい。
 運動を始めるのが遅かったせいか、同年代の子よりも小柄で細いカガリ。その体が男の手でふわりと宙に浮いた時、どんな気持ちだっただろうか。私にはそんな経験がないから、ひとつも分からない。ただ推察することしかできないのがもどかしい。

 嗚咽は随分と小さくなったけれど、カガリが言葉を発することはない。それほど酷いショックを受けた証だろう。
 いつかの時と同じように濡れタオルを持ってきて、真っ赤になった目元を冷やす。カガリとはしばらく会話ができそうにないから、私はひとまずゴードンから話を聞くことにした。

「……助けてくれて、本当にありがとう。ゴードンが通りがからなかったら、どうなっていたか――」

 あれほどたくさんの人だかりができていたのに、カガリを助けたのはゴードンらしかった。相手の男は逃げたみたいだけれど、もしかすると体格が良いか人相がまともじゃないか……とにかく、見るからに関わったらまずい手合いだったのだろう。
 例え可愛く無力なカガリが目の前で誘拐されかけていても、傍観してしまうぐらいには立ち向かいづらい相手。

 そんな男に誘拐されたら、カガリはどうなっていただろうか。まず無事では済まなかったはずだ。貞操云々だけではなく、別の国に売り飛ばされていたかも――なんてことまで考えてしまう。
 本当に頼りになる男が婚約者で良かった。顔が良いばかりで気弱な父では、カガリを助けられなかったに違いない。

「当然だろう? いくら可愛げがなくても、カガリは俺の大事な義妹だから」
「……可愛げがないなんてカガリに言うの、あなたくらいだわ。そろそろ感受性が豊かになる年齢なんだから、あまり酷いことは言わないで」
「実際ひとつも可愛くないから仕方がない、俺に嘘をつけって言うのか? ますます性格が歪みそうだな」

 悪びれもせず言えば、今まで身じろぎひとつしなかったカガリがドン! と小さな拳でゴードンの胸を叩いた。でもカガリの手の方が負けて痛んだのか、「ピィ」と小さな泣き声が漏れる。
 ……ひとまず、不機嫌さを表せるだけの元気が生まれて良かった――ということにしておこう。

「おいカガリ、元気になったならもう離れてくれ。仕事が立て込んでいるんだ、お前と遊んでいる暇はない」
「ちょっと、さすがに厳しすぎるわ。もし私にできることなら代わりにやっておくから、もう少しカガリと一緒に居てやってよ……大事に想うならね」
「……確かに、セラスの前だからって格好をつけすぎたか。俺の大事な義妹じゃあなくて、俺の大事な女の妹だから助けただけだ。いつもみたく「やっぱり私が可愛いから、お姉ちゃんより好きになったんだ!」なんて、バカな勘違いはするなよ」
「大人げないし、妙な声真似が気持ち悪いわね……」

 ついさっき暴漢に襲われかけたばかりだと言うのに、ゴードンの憎まれ口は通常運行すぎる。なんだか見ている私がハラハラしてしまって、落ち着かない気分になった。
 人として今は優しくするべきではなないか? カガリはもっと泣くのではないか? 母にゴードンに虐められたと告げ口するのではないか? それが原因で、また結婚に難癖をつけ始めたらどうしようか――なんて、気付けば私も自分のことばかり考えていた。

 これでは、あまり彼に偉そうなことを言えない。

「――今週中に倉庫整理まで終わらせておかないと、式の予定が狂いそうで気が気じゃないんだ。……もしかして、セラスも残業を頼まれたか?」
「え? あっ……ええ、そうね。人手が足りないから第二倉庫の整理をって――第三が片付くまでは、私1人だけらしいけれど……」
「第二倉庫をセラス1人で? はあ……さすがだな」

 ゴードンは問答無用でカガリを引きはがすと、ペイッとソファに転がした。まだ目元をタオルで押さえたままだったけれど、彼女は「むぐぐぅ……」と悔しげに唸るだけだった。
 それはそれとして「さすが」と言われた意味が分からず、私は首を傾げる。

「何が「さすが」よ、第三は重量物ばかりで女の私が使いものにならないから、先んじて第二の整理を進めておくよう言われただけでしょう?」
「第二倉庫に保管されているのは高価な貴金属がメインじゃないか」
「それは知っているけれど……」
「やろうと思えばいくらでもチョロまかせる、たった1人で整理を任されていれば尚更な」
「バカ、そんなことしないわよ! 罰当たりにも程がある!」
「だから「さすが」なんだよ、母さんは――いや、当然父さんの指示でもあるよな。あの2人は「セラスがそんなことするはずがない」と信じ切っている訳だ。そもそも職員1人に倉庫整理なんて任せられないだろう、誰の目も届かない場所で何をされるか分かったもんじゃない」

 彼の言葉に、私は「あっ」と声を漏らした。その次には、胸が熱くなるくらいの充足感に満たされた。
 ――やっぱり、この期待は裏切れない。懸けられた想いには応えなければ。

「ということで、俺は忙しい。どうせ残業するならセラスと同じ場所が良いからな、さっさと第三の整理を終わらせないと」
「あー……もう、はいはい、分かったから。とにかくカガリを助けてくれてありがとうね。もしかすると、今日のことを耳にした母さんがまた何か言いがかりを付けにくるかも知れないけれど……」
「その時はその時だ。どうせもう結婚まで3週間ないし、俺はまだ強請ゆすりのネタを隠し持っているから安心しろ」

 それだけ言って自信満々に部屋を出て行くゴードン。広い背中を見ていると、頼もしいような、若さゆえの無謀が不安のような――。
 曲がりなりにも妻になる女の母親を強請るって何? いや、強請られても仕方のない言動を繰り返す方も悪いけれど……。

「お姉ちゃん……」
「あ……ごめんなさいね、考え事しちゃってた。さてカガリ、今日起こったことについて詳しく話を聞かせてくれる? 他にも同じバカをしそうな男が居たら、それも教えて欲しいの」
「うん……」

 タオルを取り払ったカガリの目元は、まだ赤味が残っていて痛々しい。それでも口を開けるようになったことに安心して、私は彼女から話を聞くことにした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

あなたなんて大嫌い

みおな
恋愛
 私の婚約者の侯爵子息は、義妹のことばかり優先して、私はいつも我慢ばかり強いられていました。  そんなある日、彼が幼馴染だと言い張る伯爵令嬢を抱きしめて愛を囁いているのを聞いてしまいます。  そうですか。 私の婚約者は、私以外の人ばかりが大切なのですね。  私はあなたのお財布ではありません。 あなたなんて大嫌い。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

何も出来ない妻なので

cyaru
恋愛
王族の護衛騎士エリオナル様と結婚をして8年目。 お義母様を葬送したわたくしは、伯爵家を出ていきます。 「何も出来なくて申し訳ありませんでした」 短い手紙と離縁書を唯一頂いたオルゴールと共に置いて。 ※そりゃ離縁してくれ言われるわぃ!っと夫に腹の立つ記述があります。 ※チョロインではないので、花畑なお話希望の方は閉じてください ※作者の勝手な設定の為こうではないか、あぁではないかと言う一般的な物とは似て非なると考えて下さい ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※作者都合のご都合主義、創作の話です。至って真面目に書いています。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

処理中です...