女暗殺者の嫁もまた暗殺者

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思い通りにいく人生

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 思い返してみれば、始まりは一匹の妖精だった。
 帝夜がパスポート部門で働くことが決まり、魔法界をぶらぶらしていたときのことだ。一匹の妖精が、帝夜にちょっかいをかけてきた。
『こんにちは、お花は好き?』
「嫌いだ。君も花も」
 すげなく言った。
 帝夜はその気になれば、魅力的な人物を演じられる。
 ただし、それは相手が人間の場合に限られた。AI仕掛けのオモチャに、こびを売る必要性は感じられなかった。
 妖精はぷくっと頬を膨らませた。えいえいと花で頬を叩いてきて、うっとおしかったので、握り潰して殺した。
 自分の思い通りにいかないのが、我慢ならないのは、昔からだった。
 妖精が全壊しなかったのは、ひとえに帝夜のミスだ。
 おかげで、当の妖精からの報告で暴力は明るみになり、職場からは「いったいどうしてあの人が」と疑惑の目を向けられた。
 相手がAI仕掛けの生き物だったため、カウンセリングを受けるほどの処分は受けなかったが、代わりに、専門職の人間と交流するよう言われた。
 一ヶ月の間、週に五日。AI仕掛けの生き物を管理する部署に向かう。それが職場から下された、帝夜への処分だった。
 処分初日。部署に足を踏み入れると、柔和そうな男が出迎えてくれた。
「こんにちは。御門帝夜さんですね。話は聞いています」
 そこで出会ったのがアリアの父親、いくだった。
「楽にしてください。コーヒーでも飲みながら」
「お世話になります」
 そして、郁の仕事ぶりを眺める日々が始まった。帝夜の所業について怒られることはなかったが、対話はよく求められた。
「管理といっても、最低限なんですね」
 ある日、帝夜は言った。
「そうですね。生き物の設定さえきちんと整えたら、あとは自由にさせていますよ」
「もう少し、行動を規定してはどうですか? AI仕掛けの生き物のなかには、明らかにやりすぎなものが見受けられます」
「観光客の飲食物をつまみ食いしたり、ですか? 悪戯の範囲ですよ」
「そうでしょうか。図に乗っているだけでは」
 思い通りにいかないのは許せない。舐められると腹が立つ。
「礼儀は持ち合わせていますよ。彼らだって、経験を積んで学習しています」
「まるで、人のように言うのですね」
「人と変わりませんよ」
 ギィッと椅子を軋ませて、郁は帝夜を見た。
「彼らは心を持っている。僕らと同じです」
 ふむ、と帝夜は考え込んだ。
「人間の感情なんて、脳内物質の分泌による反応と、バグによるものでしかない。であれば、AIが同じ回路を持ち、感情を忠実に再現するのなら、それは人といって差し支えないのかもしれませんね」
「はは、なるほど。そうか、確かにそうだな。回路は同じようなものだ。それなら……」
 何か思いついたらしく、郁がしばし考えにふける。完全に自分の世界に入っている郁に、帝夜は眉をひそめた。
「郁さん?」
「……ああ、失礼。けど、そんなに小難しく考えなくても」
 郁が苦笑した。
「笑顔を向けられれば、笑顔を返す。過ちを犯せば、真摯に謝る。人とのやり取りと、何ら変わりません。相手に敬意を持って接すれば、それはポジティブなエネルギーとなって返ってくる」
「返ってくる……」
「帝夜さんも、今度はぜひ妖精と遊んでみてください。笑顔を見せられると、こちらも気持ちが明るくなりますよ」
 屈託なく笑う郁に、帝夜は「そうですね」と完璧な笑顔を浮かべた。
「悪戯っ子ですが、それがまた楽しくて。何でも、思い通りになると思わないでください」
 唐突な説教に、帝夜はイライラしたが、顔には出さなかった。
 郁は怒らない人だった。
 怒りと無縁なのではなく、怒っても仕方ない相手には怒らない。成長を見込んで、部下を叱ることはあっても、帝夜には怒らない。
 郁は帝夜に対して、どこか人種が違うと感じていたのだろう。その感覚はもちろん、間違いではなかった。
 だから、郁は仕事について必要以上に見せようとしなかったのだが、ある日部署に行ってみると、珍しく鬱々とした様子の郁がいた。
「どうしました、郁さん」
「ちょっと疲れてまして……」
「それは申し訳ない」
「あ、いや。帝夜さんのことじゃ」
 郁が部屋の向こうにクイと顎をやった。そこには、スーツ姿の男性がいた。
「あれは?」
「お偉方ですよ。開発当時から、システムにちょっとした保険をかけていましてね。それが有効か、定期的に見に来るんです」
 保険?
 いったい何だろうと、帝夜は考える。
 郁が嫌悪することだから、人よりも、AI仕掛けの生き物に対して何か不都合があるのだろう。お偉方だから、何かを強いている……。そのうえ、権力が絡むとなると……。
 心の中で、にやりと笑った。
 何だかわからないが、楽しそうだ。
 帝夜は、自分の思い通りになることが大好きだった。刹那主義だが、執着心は強かった。
「テリトリーを荒らされるのは嫌ですね」
「ああ、はい。……えっと、今の話は内密にお願いします。本当は知ってはいけないことでして。僕も、祖父から漏れ聞いたんです」
 しどろもどろに話を切り上げる郁の姿に、帝夜はますます興味がわいた。
 日に日に、『保険』への興味は膨れ上がったが、調べる手立てはなかった。郁は帝夜を警戒していたし、他に知り合いはいない。
 そんなとき、初日に交わした郁との会話を思い出した。
「この写真、お子さんですか? とても可愛らしいですね」
「ありがとうございます。アリアはずば抜けて賢いんですよ。僕が言うのも親バカですが」
「賢い……ですか」
「ええ。今から将来が楽しみです」
 そんなに賢いなら、娘のほうに協力してもらおう。親は邪魔だから殺しておこう。
 これはもちろん、郁への復讐も兼ねていた。
 思い通りになると思うな、と諭した郁に、思い通りにならない現実を見せてやる。それは楽しいように思えたし、実際楽しかった。
 あまりに楽しかったので、アリアの頭脳が期待外れでも構わないと思い直した。それならそれで、じっとりと年月をかけてアリアを支配下に置き、最終的に破滅させる。
 どうしてそこまで、と訊かれても、深い理由はない。少なくとも、アリアに恨みはない。
 人を操って思い通りにするのは何よりの快楽。その味を知ってしまっただけだ。
 アリアは期待に応えた。
 数年後、彼女はCASと天使を発見した。
 これ自体が『保険』ではなさそうだが、軍事プログラム並みのセキュリティというのが気にかかった。明らかに、政府の息がかかっている。
 ……待てよ。異世界を守る、閉じたシステム。AI仕掛けの生き物に何かを強いる……。
 お偉方、二つの組織。お互いを知らない。……保険。
 帝夜はピンときた。
 陰謀論だ。非常時に、AI仕掛けの生き物がデジタル監視の目になるのでは?
 帝夜は心の中でほくそ笑んだ。こんなに愉快な気持ちになったことはなかった。
 最高だ!
 異世界の全ての生き物を、自分の意のままに操れる! それこそ、思い通りに生きるということ! 
 そもそも、生まれた時代が悪かったのだと思う。何かを支配下に置きたくても、現世では決して叶わない。物が豊かで、メンタル面のサポートは完璧で、どんな人間でもよちよちされる今の時代を、帝夜は深く嫌悪していた。
 思い通りに動かしたいだけなのに、やる前からそれは駄目だと止められる。せっかく金持ちの家に生まれたのに、これでは何の意味もない。
 支配と挑戦こそ、人間が生きている意味だというのに。
 そうだ、挑戦だ、支配だ。僕が全てを支配する! 全ての生き物を屈服させている今ほど、生を実感できたことはない。
 楽しい! 楽しい! ああ、楽しい!
 ……はずなのに。
 城の屋根を飛び回る金髪を見ていると、帝夜はイライラしてきた。
 さっきから、この金髪の動きが目に見えて良くなっている。しょせん死に損ないだと余裕ぶり、負け犬との会話を楽しんでいたのに、そんな状況はすでに終わった。
 疲労は超え、アドレナリンだって限界がある。なのに、何故ここまで動く。
 不死鳥は今や、ギリギリで攻撃をかわしていた。高く飛び去ろうにも、金髪がそうさせまいと攻撃の手を緩めない。
 変に城壁だらけの場所で留まっていたため、飛翔するには時間がかかり、結果として大きく身動きできないでいた。
 何で、こっちが圧されている……。
 下の奴らもそうだ。お前の思う通りにはさせないと、首だけになっても食らい付いてきそうな勢いには辟易する。
 本気で、馬鹿なんじゃないか。
 スマホを握る手に、今以上の力を加える。それだけで、奴らのやっている一切が意味をなくす。それなのに、誰も諦めようとしない。
 どうしてだ。
『何でも、思い通りになると思わないでください』
 郁の言葉が脳裏をよぎり、帝夜は舌打ちした。
 うっとおしい。過去から現実から、小バエがまとわりつく。
「叩き潰さないとな」
 不死鳥が足指を曲げる。鋭い爪が、金髪の右肩をざっくりと切り裂いた。血が噴き出す。金髪はひるみもせず、左手に大剣を持ち替えると、不死鳥の脚を叩き斬った。
 ギイ、ギイイイア!
 不死鳥が痛みに呻く。鼓膜が破れないよう、耳を押さえながら、帝夜は理解できないものを見る目で、金髪を見下ろした。
 何なんだ、何なんだ……。
『何でも、思い通りになると思わないでください』
 黙れ、亡霊が。
「お前、いったい……」
「私が頑張らないと、皆困るでしょ」
 金髪は血塗れになりながら、そっけなく言った。冷めた奴だと思っていたが、こいつは頭がおかしい。
 ……突くところを変えてみるか。
 帝夜はスマホを操作すると、とある神獣をジャンプさせた。
「アリーから聞いたんだけど、ヘキ邪に会ったんだって?」
 金髪の目が見開かれる。良い反応だ、と帝夜は思った。

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