女暗殺者の嫁もまた暗殺者

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見ない振り

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「ああっ……!」
 エアスクリーンの中で、激しい閃光が起こり、アリアの網膜に焼き付いた。瓦礫が飛び、もうもうと砂埃が上がり、映像が真っ黒になる。
 しばらくして視界が晴れると、帝夜の家に大きな穴が開き、黒煙が上がっていた。
「音声も欲しかったなあ」
 帝夜がのんびりと感想を述べた。
「あの、これ……」
「ん? 材料だけはあるからね、異世界は。……そうか、びっくりしたね。アリアには、このことを言ってなかったかな」
 爆発したんだ。その事実と、それが何でもないことのように話す帝夜に、アリアは芯から震えが走った。
 身をもって経験したばかりの酷い痛みが、よみがえってくる。いや、アリアの場合は、幸運にも直撃ではなかった。
 車の近くで被弾したが、恵叶と紗美が守ってくれた。それでも痛かった。恵叶も紗美もライリーも、血を流していた。
 アリアはぎゅっと腕を握った。あらためて、自分がしたことに震えが来た。
 モニターの向こうでは、傷ついた人がいるはずだ。それなのに、帝夜は薄く笑っている。
 今まで見たことのない帝夜に、アリアはこれまでにない痛みを覚えた。
「帝夜、もうやめよ……」
 アリアは帝夜の服にしがみついた。自分のふがいなさに、じわりと涙が浮かんだ。
「ごめんなさい。私が悪かったの。私が馬鹿で、帝夜がそこまで傷ついてるって、わからなかったの……」
「アリー……」
 帝夜の心は、これほどまでに傷ついていた。
 他人の痛みを想像できないぐらい、視野が狭くなっていたのだ。
「もう酷いことするのやめよ……。謝りに行こ……。許してもらえないかもしれないけど、私も一緒に行くから、だから……」
 ぽたたっと涙が落ちて、言葉は続かなかった。
 本当は、まだ進行中の計画があると、恵叶と紗美に伝えたかった。でも、それをすると、帝夜が裏にいるとバレてしまう。帝夜を売ることだけは、どうしてもできなかった。
 多分、紗美も恵叶も気付いていただろう。それでも、追求はしなかった。
 だから、アリアは一人で計画を止めなければならない。アリアはこれ以上罪を犯さないと、信じてくれた二人のためにも。
 何より、帝夜のためにも。
 これ以上間違いを続ければ、帝夜が本当に壊れてしまう。
「ごめんね、帝夜。ごめんね……」
 もっと、帝夜と話せばよかった。出会った頃のように、二人で花びらの泉を眺めながら、思い出話にふければよかった。
 パパとママが生きていた頃の証を、二人で拾い集めればよかった。
 ううん。今からでも遅くない。罪を償った後は、二人でたくさん話をしよう。そうすれば、きっと……。
「アリー」
 帝夜はかがみ込むと、優しくアリアを抱きしめた。温かな体温に、アリアがほっとしていると、帝夜が耳元で囁いてきた。
「……僕ね、本当は君のパパやママと友達じゃないんだ」
「え……?」
「それどころか、嫌いだった」
 帝夜はアリアを離すと、エアスクリーンに視線を戻した。
 まるで、何気ない雑談の後のように。
 今、何て……。
 こんな帝夜は、見たことがない。……いや、本当に見たことがなかったのか。
 アリアは今更のように思う。
 見なかった振りを、していただけじゃ……。
「帝夜……その」
 アリアは呆然としながら、帝夜に問う。
「わ、私が盗んだリスト……本当に調べてくれたんだよね?」
「リスト?」
「標的リスト……。パパとママを殺した人がわかるかもって……」
「ああ……。そんなのもあったね」
 ふむ、と帝夜が顎を触って、どうでもいいように言う。そんな帝夜の姿に、アリアはジャンプ前に聞いた会話を思い出していた。
 嘘だと信じていた、あの会話を。
「て、帝夜」
 荒くなっていく呼吸を必死に鎮めながら、アリアはへらりと笑った。背中には、大量の汗をかいていた。
「ライ……その、CASの人なんだけどね。へ、変なこと言うんだよ……」
「変なこと?」
「あの……パ、パパとママを殺したのは、子ども欲しさなんだって……。その、ゆ、誘拐……誘拐するのに、そういう手口があるんだって……」
 アリアはへらへらと笑った。
「へ、変だよね。おかしいよね。えへへっ、へへ……」
 口角を上げるだけなのに、アリアはとても疲れていた。恵叶や紗美の前では、笑うなんてとても自然なことだったのに、今はとても神経を使う。
 そのうち、視界がぐにゃりと歪んで、ぽた、と涙が落ちた。
 笑っているのに、アリアは泣いていた。
「あは、はっ……ううっ、ぐす……」
 帝夜は全く笑っていなかった。心臓まで凍り付きそうなほど冷たい目で、泣き笑いするアリアを見下ろしていた。
「信じたわけじゃないだろう?」
「も、もちろ……」
 アリアは涙をぽたぽたとこぼし、それでも笑顔を張り付けたまま、後退し始めた。
「あの、私……疲れちゃった」
 スマホ。
 回らない頭の中で、その三文字だけが脳みそを射貫いた。
 スマホ。パスポート。そう、パスポートだ。パスポートを起動しなくちゃ。一刻も早くここを離れて、恵叶のところに行かなくちゃ。
「す、少し、部屋で休もうかな……」
「そうするといい」
 帝夜に背を向けたとき、ビイーッとアリアのスマホが鳴った。
 見ると、パスポートに権限者ロックがかかっている。操作しようとしても、画面が全く動かない。
「あ、な、何で……」
 振り返ると、帝夜が自身のスマホを持っていた。
「何って、君は未成年で、僕は保護者だからね。アリーがパスポートを使えるかどうかは、僕の選択にすぎない」
「帝夜は、パスポート部門で働いてる……」
「うん。でも、今のこれは関係ないよ。ただの親権者としての権利」
 今のこれは。
 パパとママを亡くしたとき、何故か一人で異世界を行き来できたことを思い出す。
 管理側のミスだと思っていたが、本当にそうだったのだろうか。管理側の誰かが、わざとそうしていたと考えるほうが、自然ではないのか……。
「僕はね、アリー」
 帝夜はアリアを抱き上げると、目尻に浮かんだ涙をそっと指で拭った。
「君がとても嫌いだった。親が死んだくらいで、いつまでもピーピー泣いて……。いいかい、不老不死の人間が存在しないのはどうしてだと思う?」
 帝夜が洋室の扉を開ける。
「それはね、誰しも生きる価値がないからさ。だから死ぬ。価値のないことにいちいち涙するなんて、馬鹿げてるんだよ」
 それは、いつもの帝夜だった。
 今までと何も変わらない顔と口調で、そう言った。帝夜は部屋の真ん中にアリアを下ろすと、にこりと笑った。
「全てが終わるまで、ここで大人しくしているんだよ」
「あ……」
 扉が閉まり、アリアはたった一人取り残される。呆然と扉を見つめる瞳から、はらはらと涙がこぼれ落ちた。
「ああ、あ……」
 手が震える。両手で顔を覆う。
 嗚咽がこみ上げ、両手の隙間を熱い涙が伝って止まらない。
「うう、うぐっ……」
 嘘だった。嘘だった。自分が信じていたものは、全て嘘だった……。
 誰の助けも得られないなか、アリアはただ一人泣いていた。

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