女暗殺者の嫁もまた暗殺者

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向き合うのは痛い

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『天使が助けてくれる』
 そう言われたのは、いつのことだっけ。あれは……。
 そうだ、確か魔法界で新作の杖を買ってもらったとき。物を浮かす呪文が組み込まれていて、私はそれに夢中になったんだ……。
 アリアは何度も魔法を発動させ、パパに買ってもらったリンゴ飴をびゅんびゅん飛ばしていた。
 ママが「危ないから止めなさい!」と注意していたが、アリアは聞かなかった。
 リンゴ飴が宙を舞う。
 杖の動きに合わせて、びゅんびゅんと行ったり来たりしていると、ふいにリンゴ飴が空中でばきりと欠けた。
 見ると、リンゴ飴にぶつかった妖精が、ふらふらと落下していくところだった。
「こら!」
 ママがアリアから杖を取り上げる。
「あーん。返してぇ」
「駄目!」
 アリアは甘えた声を出すが、もう返してもらえないとわかっていた。
 小石を蹴って気持ちを晴らすと、別の楽しみを探しに行こうとして……。
「どこに行くんだ、アリア。ちゃんと妖精さんに謝りなさい」
 きつい口調で、パパに言われた。
 地面に落ちた妖精は、ぐすぐすと泣いていた。頭をぶつけたらしく、痛そうに抱え込んでいる。
 その姿に、アリアはずきりと胸が痛んだ。
「あなた、あれはAIだから放っておいても……」
 アリアをかばおうとするママを、パパが一睨みで黙らせた。
 普段はママに弱いパパが、本気で怒っている。見たことのないパパの姿に、アリアはどうしていいかわからなくなった。
「AIだからって、何をしてもいいわけじゃない。少なくとも僕は、アリアをそんな卑怯な子に育てた覚えはない」
 そのうち仲間の妖精が集まってきて、泣いている妖精を慰めを始めた。なかには、アリアに責めるような目を向ける妖精もいる。
 罪悪感、という言葉すらまだ知らなかった頃だ。
 息の詰まるような居心地の悪さに、アリアは一刻も早くこの場から逃げ出したくなった。
「やだ、謝るの怖い……。パパ、付いてきてよう」
 パパのローブを引っ張ると、パパがしゃがみ込んで目線を合わせてきた。
「……何故、怖いかわかるか?」
 アリアはぶるぶると首を振る。
「アリアには心があるからだ。自分が悪いことをしたと、ちゃんとわかっている。だから、その事実に向き合うのが怖いんだ」
 パパはアリアの胸に、トンと拳を置いた。
「誰だって間違えることはある。誰も傷つけない人間なんて、存在しない。だからこそ、こういうときに真価が試されるんだ」
 パパは真剣な目で、アリアに語り続ける。
「今ここで逃げたら、アリアは悪い子のままだ。それを一番許せないのは、結局のところアリアなんだぞ。……なあ」
 パパがアリアに指を伸ばし、目尻に浮かんだ涙をそっと拭った。
「アリアは良い子だ。だから、自分のしたことから逃げちゃいけない」
「でも、でも……。怖いよ……」
 パパとやり取りをしている間にも、妖精の数は増えている。アリアを責める目は、増え続けている。
 パパが固かった表情を崩して、にこりと笑いかけた。
「……じゃあ、勇気が出るおまじないに、パパが一つ秘密を教えてあげよう」
「秘密?」
「ああ、そうだ」
 パパはアリアを小さく手招きすると、ひそひそと耳打ちした。
「実はな、異世界には天使がいるんだ」
「えっ……?」
「もしアリアが本当にどうしようもなくなったとき、天使は助けに現れる。アリアは良い子だから、きっと天使が助けてくれる。……秘密だぞ」
 パパは悪戯っぽく笑い、人差し指を唇に当てた。
「でも、今はまだそのときじゃない。さあアリア、勇気を出して」
 パパに半ば背中を押されるようにして、アリアは妖精の前に足を踏み出す。
 妖精たちの視線を痛いほど感じながら、アリアは頭を下げた。
「ご、ごめんね。痛いことして、ごめんなさい……」
 顔を上げるのが怖かった。
 三秒ほどその格好で固まっていると、妖精が近寄ってくる気配がして、アリアはぎゅっと目をつむる。
 その拍子に、涙がぽたりと落ちた。
 妖精が、頭の上で何かしている……。きっと、フクシューしてるんだ。
 だが、いつまで経っても痛みはやってこなかった。おそるおそる顔を上げて、頭に手をやると、花がかんざしのように飾られていた。
 これは……。
『もちろん許すよ。謝ってくれてありがとう』
 妖精が泣き笑いしながら、アリアに向かって言った。他の妖精も、続々とアリアの周りに集まってくる。
『ちゃんと、ごめんなさいができて偉いね』
『これからは、周りをよく見て遊ぶんだよ』
 優しい言葉をかけられ、緊張の糸が切れたアリアはわっと泣き出した。
 その姿を見ながら、パパがママに笑いかけた。
「子どもの良いところは、やり直しが利くところだよなあ」



 アリアは水を飲み終えても、ボトルを紗美に返さなかった。
「……この水は全部、私が貰うから」
 ボトルを抱え込むと、紗美が驚いた顔をして、アリアの額に手のひらを当てた。
「え? そんなに体調悪いの? 大丈夫?」
「いいわよ、私たちは我慢できるから。上手にやりくりしてね」
 恵叶が何でもないように言って歩き出す。のれんに腕押し状態の会話に、アリアはイライラした。
「違う!」
 紗美の手を払いのける。
 その際に、変色した紗美の腕をまともに見てしまい、アリアはずきりと胸が痛むのを感じた。
 ……違う。罪悪感なんて覚える必要はない。
「私には、貰う権利があるって言ってるの! こうなったのは、全部お前らのせいなんだから! お前らが無能だから、私が代わりにリストを見て、手がかりを探さなくちゃいけなかった! お前らが馬鹿で使えないから、皆が酷い目にあった! お前らが……」
「耳元で叫ばないで。マジで鼓膜痛い」
 うるさそうに言う恵叶に、アリアはますますイライラした。
 思い切り背中を押して暴れてやると、恵叶が嘆息してアリアを下ろした。
 アリアは痛む足を引きずって二人の前に立つと、指を突きつけた。
「勝手に、壊れたパスポートでジャンプしたのはそっち! こんなところに私を連れてきて、聖人ぶったって無駄だから! 水は私が飲むの!」
「だから、飲んだらいいじゃない……」
『アリア』
 頭の中で、パパがきつい目をしてアリアを睨んだ。
『駄目だろ、そんなこと言ったら』
「駄目じゃない! 私は悪くない! 私は、だって、やらなくちゃいけなかったの! お前らが悪いんだ! パパとママを殺した人間を、ずっと野放しにして! だから私が探すの! 代わりに殺す! お前らはいらない! それをこんな、砂漠なんかに……」
 でも、と心の中で、冷静に問いかける声がした。パパの声じゃない。
 それは紛れもなく、アリア自身の声だった。
 でも、こうなったのは誰のせい?
 ゴーストタウンで、泣きながら逃げ惑う人々。怨霊に襲われ、平和な一時を壊されてしまった人々。
 その事態を引き起こしたのは、間違いなくアリアだ。二人はただ、そこから助けてくれただけ。
 にも関わらず、二人はその事実を指摘しない。
 アリアをじっと見ているだけ。
『アリア』
 パパの声がする。
『自分のしたことから、逃げちゃいけない』
「……何でよ」
 もう、自分を騙すことはできなかった。アリアのしたことは、全然正しくなかった。
 ただの逆恨みだ。
「……何で、私のこと責めないの?」
 アリアは力なく言って、うつむいた。
「責める?」
「……そうだよ」
 砂がじゃりじゃりと全身にまとわりつき、乾燥しきった三人の間を流れていく。
 二人とも何も言わないのが、逆に堪えた。脱力したことで、押し込めていた本音が堰を切ったようにあふれ出す。
 アリアは、怒りにも似た感情を抱き始めていた。
「……何で怒らないの! こうなってるのは、全部私のせいじゃん! 紗美が怪我したのも、私のせい! 恵叶がいっぱい火傷してるのも、私が服を奪ったから! 水だって、私がいなかったら、もっと飲めたでしょ!」
 お願いだよ。二人とも悪者でいてよ。
 アリアは袖でぐいと涙を拭った。
 そうして、今まで自分を保っていたの。パパとママに会えない現実から目をそらしたくて、天使とCASを恨みの対象にしたの。
『アリア、それでは心が安まらぬ……』
 いつだったか、エディ城で聞いた声がした。
「殴ればいいでしょ! もっと怒鳴りつけたらいいじゃん! 私はお前らのとこのデータを盗んだし、怖い幽霊をいっぱい出したのも私! 偽物の足場だって!」
 自分でも、悲痛すぎる声だった。涙が止めどなく溢れてくる。
 私をいっぱい殴って、蔑んだ目で見てほしかった。
 おんぶなんてしないでほしかった。砂漠に置いていってほしかった。
 目が覚めたとき、誰もいない状況に陥りたかった。
 そうすれば、アリアは何も考えず、二人を存分に恨むことができた。
 あれぐらいの怨霊も対処できないんじゃ、正義の味方が務まらないはずだよね。
 そのうえ、こんなところに置き去りにして。やっぱり、最悪の奴らじゃん。
 そう言って、あざ笑うことができた。
 でも、二人はそうしなかった。身を挺して、アリアを助けてくれた。
「置いていってよ、私なんか! 私なんか、私なんか……」
 記憶の中のパパが、アリアに笑いかける。
『アリアは良い子だから、きっと天使が助けてくれる』
「私は最悪の人間で! 助ける価値なんて一つもないんだから!」
 叫ぶと、感情が決壊した。膝から崩れ落ちたアリアは、わんわんと泣き始める。
 もう良い子じゃない。パパの愛した良い子のアリアは、もうどこにもいない。
 パパとママがいなくなった以上、両親の教えや信念を受け継いでいくことでしか、心の中で彼らを生かしていくすべはなかったのに。
 アリアは、両親の生きた証を自ら殺してしまった。
 最後に両親を手にかけたのは、他ならぬアリア自身だ。
 ……わかっていたのに。
 泣き続けていると、紗美がアリアの前で膝をついた。
「私たち、エディ城の幽霊に会ったわ」
 ひどく静かな声だった。
「彼女、言ってたわよ。アリアはすごく良い子だって。人の痛みが理解できて、気持ちに寄り添える優しい子だって」
「そんな、そんなこと……」
 恵叶がアリアの隣に座り、そっと頭を撫でた。
「間違えることは、誰にだってあるから。ちゃんとあとで、ゴーストタウンの人に謝りに行こうね」
 無理だ。妖精とぶつかったのとは、わけが違う。
 アリアはぐすぐすと鼻をすすりながら、恵叶を見た。
「許してもらえっこない。もう駄目だよ。私がやったことは……」
 恵叶は小さく首を振って、アリアに微笑んだ。
「子どもの良いところは、やり直しが利くところよね」
 ……パパ。
 かつて、全く同じ言葉を言ったパパが、脳裏をよぎる。……もう限界だった。
「わあああああん!」
 アリアは恵叶に抱きつくと、涙が涸れるまでその胸で泣いた。
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