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血も凍る恐怖をあなたにも
しおりを挟む「きゃあああああ!」
何、と恵叶と紗美は素早く立ち上がる。
悲鳴はどんどん連鎖しており、そのなかで元凶を見つけるのは難しくなかった。
「け、恵叶……」
紗美が愕然として見る先には、女の幽霊がいた。
……あれ、何。
女には下半身がなかった。腕の力だけでずりずりと上半身を動かして、観光客の多いほうへ多いほうへと移動している。
顔は恨みと苦痛に満ちており、とても正視に耐えない。胴体からまろび出た臓物をずるずる引きずって、透明の血の跡まで残している。
あまりのリアルさに、嘔吐する者まで出ていた。
「嫌だああああ! こっちに来ないでえええ!」
「怖いよおおおお!」
「足……足ちょうだぁあい……」
地獄の底から響くような声がした。
ビジュアルがグロすぎる。明らかに、一般のスポットにいていい幽霊じゃない……。
「あれ……最恐スポットにいる子じゃない? 凍り列車って呼ばれてるところの……」
紗美の震える声に、恵叶は頷くことしかできない。
凍り列車。
ある冬の日、女性が列車に轢断された。本来なら即死する大事故だったが、不幸にも血管が寒さによって凍りついてしまい、止血の役割を果たしてしまった。
彼女は哀れにも、生きのびる望みのないまま、数時間のたうち回り続けた……という設定だ。
恐怖が頭の芯を痺れさせる。背筋に冷たい氷を滑らされた感覚がして、恵叶は動けなくなっていた。
このままじゃ、まずい……。
現代人はホラー耐性がかなり低い。
昔の話だが、教育に悪いということで視聴に規制がかかり、一時、世界からホラーが排除された時期があったのだ。
世論が変わり、今はだいぶ規制も緩くなったが、家でホラー映画を見る習慣がなかったので大人になってもホラー映画を知らない、という人は多い。
そんな現代人に、断りもなくホラーを仕掛けるのは、冗談では済まされない。
「いぎゃあああああ! 止めて! 止めてええええ! 誰かああああ!」
助けを求める声に、恵叶はぎゅっと拳を握りしめた。掌に爪が食い込み、その痛みで少しずつ、恐怖による呪縛が解けていく。
動かなきゃ、動かなきゃ、動かなきゃ。
凍り列車の幽霊が、若い女性に覆い被さっていた。女性は手足を振り回しているが、相手はホログラムなので通り抜けてしまっている。
動け!
太ももを殴りつけると、ようやく呪縛が解けた。
「しっかりして!」
恵叶は女性のもとに駆け寄ると、正気を保たせようとした。だが、半狂乱状態の彼女の耳には届かない。
「落ち着いて! ホログラムだから!」
「助けてえええええ!」
「大丈夫だから!」
「足ぃ……ちょうだぁい……」
「うるさい!」
離れろ、と凍り列車の幽霊を引きはがそうとするが、力業ではどうしようもないし、言うことも訊かない。
一人の男が泣きながら、もがく女性を指さした。
「血が出てる! 足を取られてる!」
「そんな、嫌、いやああああ!」
違う。足を取られたわけじゃない。逃げようとして腰が抜け、地面で足を擦っただけだ。
しかし泡をふく女性に対して、男性はわめき続けている。
「足が! 足がなくなる!」
無責任な発言に、さすがの恵叶も声を荒げずにはいられなかった。
「余計なことを言うな! いいから、あっち逃げてろ!」
「殺される! あの人、殺され……ぎゃあああああ!」
今度は何。
見ると、男性が尻餅をついて、凍り幽霊から逃げていた。
二体目……!?
周りを見ると、凍り列車の幽霊が増殖していた。数体どころの騒ぎじゃない。
悲鳴も、噴水広場の外から聞こえてくる。
「恵叶、何これ。何が起こってるの?」
紗美の声に、恵叶はただ首を振ることしかできない。
あり得ない。異世界ではモブ幽霊にいたるまで、同じ設定のAI仕掛けの生き物は、一つとして存在しないはずだ。
「くっ……」
恵叶は気を失った女性を抱き上げると、てきとうな車のボンネットに寝かせた。
凍り幽霊は、這って移動する。少しでも高いところのほうが安全だろう。
紗美も恵叶にならって、同じように高いところへ人々を誘導していく。
と、ふいに視線を上げた。
「恵叶!」
顔を上げると、三階建ての屋上で誰かが逃げ惑っていた。凍り幽霊に追われているのか。
でも、二人が気になったのはそこじゃなかった。
変だ。建物の形がおかしい。屋上から突き出すように、歪に足場が続いている……。
じっと目を凝らしていると、足場がジジッと一瞬、消えた気がした。
背筋が凍り付く。
「ホログラム!」
幽霊に追われて、足場が実在していないことに気付いていないのか。屋上から、人が転がり落ちようとしている……。
「紗美、ここ任せたから!」
「うん!」
逃げ惑う人々の間を縫うように走って、透明の足場の下に向かう。瞬間、女性がまっさかさまに落ちてきた。
「いやああああああ!」
恵叶は走って車の上に乗ると、そこから壁を蹴って、大きく跳び上がった。
落ちてくる女性を空中で抱き留める。
手に痺れを感じながら、何とか救出に成功すると、恵叶は呆然とする女性を地面に下ろしてあげた。
「大丈夫?」
「あ、ありがとうございます……」
「開けた場所にいて。路地には入らないように」
恵叶はそう言うと、噴水に向かって歩き出した。
そこではぶるぶる震えながら、噴水の縁に立って、目の前の悲劇を眺めるアリアがいた。
「……アリア、何をしたの?」
「お、お前らが悪いんだ! お前らが無能なところを、皆に見せるの!」
「……そう。この騒動を止めて」
「嫌だ!」
アリアが目に涙をいっぱい溜めて、ぴょんと縁から飛び降りる。
ポケットに手を突っ込み、何かを取り出そうとして、
「あ、あれ? パスポートを入れたスマホは……?」
ぱたぱたとポケットを叩くアリア。少し離れたところにいた紗美が、持っていたスマホを軽く振ってみせた。
「これをお探し?」
今後、紗美の隣には座らないようにしよう。恵叶はこっそり誓った。
「駄目よ、自分の起こした騒動から逃げるのは」
アリアがあんぐりと口を開けた。
「い、いつの間に……この悪魔!」
「天使よ。……って、アリア! 足元!」
足元? と視線を下げたアリアは、自分に忍び寄る凍り幽霊と、まともに目が合っていた。
「うぎゃあ!」
「アリア!」
凍り幽霊に驚いたアリアが、入り組んだ路地のほうへと走り出す。
「駄目、そっちに行っちゃ!」
二人で止めるが、アリアは聞く耳を持たない。
路地は、パニックになった人でごった返しているというのに。
「違うの、アリア! そっちは本当に……!」
世話の焼ける!
広い場所までアリアを連れ戻そうと、恵叶は走り出す。だが、人とぶつかるせいで、まともに進むことができない。
パニックが大きくなってる……!
紗美のほうが早く路地に着いた。
下手に小さいせいで、するする人混みに紛れていくアリアの手を、何とかつかんでいる。
「きゃっ」
アリアを引っ張って路地から出ようとした紗美だったが、すぐに人の波が押し寄せてきて、奥へと押し込まれてしまう。
「紗美、早く!」
今や本当に恐れるべきは、幽霊ではなかった。
路地からは、悲痛な叫び声が断続的に上がっている。人々が蹴られ、踏まれ、そして両側から押されている。
「痛い、痛い!」
「頼む、押すな! 動けないんだよ!」
「そっちから抜けて! 戻って!」
そのとき、人混みが波のような、不自然な揺れ方をした。
「あああああ!」
背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、恵叶は一度足を止める。とうとう恐れていたことが起きた。
将棋倒し……!
「待って、そんな……」
紗美とアリアの姿が、人の波に呑まれて見えなくなる。
それは、あっという間の出来事だった。
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