女暗殺者の嫁もまた暗殺者

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仕組みとナチュラルサイコパス

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 炒り卵をトーストに塗ると、もしゃりとかぶりついた。
 お腹が空きすぎて、ルームサービスがご馳走のように感じられる。
 ベッドの上でもぐもぐしながら、紗美は純粋な疑問をぶつけてみた。
「恵叶って今まで、どうやって現世の思想チェックをクリアしていたの?」
 先ほどまで二人で話していて、一番気になったことだった。
 よく日常で人を殺して、妻をだまして、デジタル監視の思想チェックに引っ掛からなかったものだ。
「それ私、紗美にも訊きたいけど」
 恵叶は炒り卵をつまみながら、
「前に聞いたんだけど、あのシステムって、『いかに視野が狭くなっているのか』を測っているらしいわよ」
「視野が?」
「そう。一つの思考だけに縛られた人間って、同じ思考を何度も何度も行き来するせいで、脳にわだちを作って、特殊な思考回路ができちゃうんだって。それで、普通の人とは異なる脳波が検出されるって」
「ふうん。それが、危険な思想を持っていることに繋がるの?」
「そこなのよ。要は、本人が追い詰められているかどうか」
 ……?
 意味がよくわからない。
 紗美が反応できないでいると、トーストを食べ終えたタイミングで、恵叶が目の前の床を指した。
「紗美、ちょっとその場で回ってみて」
「うん」
 ぺろりと指を舐めてから、紗美は言われたとおりにする。
「じゃあ次は、この鎧を窓から通行人めがけて落としてみて」
「急な無茶振り」
 さらりと同じトーンで、全然レベルの違うことを要求しないでほしい。
 紗美はベッドに戻って「馬鹿ー」と恵叶を抱き潰すと、コーヒーを飲むことにした。
 美味しい。
「無理よね。でも、もしそうせざるを得ない状況に陥ってしまったら? 駄目だとわかっていても、そうしなくちゃいけないと考えて、自分を思い詰めてしまったら?」
「脳にわだちができる……」
「そう。つまり、考え方が逆なのよ。現法で許されていることなら、行動に迷うはずがない。例えば、隣人に肉じゃがをお裾分けするのに深く考える必要はない。でも、肉じゃがに毒を混ぜようとしているなら、きっとそれに思考が囚われて、自問自答を繰り返す。『そこまでやるほど隣人が憎いの?』『毒は効くの?』『そもそも、デジタル監視にバレないのは不可能なんじゃ?』。そうしてできたわだちが特殊な脳波を生み出して、チェックに引っ掛かる。……っていう仕組み」
「へえ。じゃあ、明確な善悪の基準があって、それに基づいてチェックが入ってるわけじゃないのね」
「善悪の基準なんて、時代によって変わる曖昧なものだからね。そんなのがギチギチに決められてたら、逆に怖いと思うわよ」
 それは確かにそうかもしれない。
 恵叶はルームサービスのメニュー表を開くと、お酒の名前をじっと眺めだした。
「紗美も訓練メニューに入ってなかった? メンタルトレーニング。何があっても、絶対に深く考えず対処する、みたいな」
「あー……あったわね」
 新人時代の苦い経験がよみがえる。
 突然、へびが蠢く穴に突き落とされたかと思うと、その中で計算問題を連続して解かないと出してもらえなかったり。
 真っ暗な部屋で走らされ、その間知らない人間にずっと話しかけられたり。
 状況のあまりの異常さに最初は悲鳴を上げていたが、そのうち平気な振りをして対処できるようになった。
 だが、それでもリーダーや他の天使は、いい顔をしなかった。
 どれだけ平静を装っても、決められた心拍数を超えると叱られた。
 そのうち、対処にも状況にも深く考えないようになったところで、ようやくリーダーが「よくやった」と満足そうに言った。
 あれは、そういう意味だったのねー……。
 訓練はめちゃくちゃをやるくせに、仕事が終わると充実したメンタルケアが待っていたりするので、あまりの落差にただのどSかと思っていた。
「あれって、思想チェック対策も入ってたのね。単純に、仕事に対するメンタル強化だと思ってたわ」
「もちろん、それもあるとは思うけど」
 恵叶はお酒を諦めたらしく、ぱたっとメニュー表を閉じた。手持ちぶさたに部屋を歩き回って、水晶ドクロに目を留めると、指でつんつんし始める。
「真面目な善人ほど引っ掛かりそうじゃない? 思い詰めやすいタイプの」
 そう言うと、恵叶が無表情で水晶ドクロを撫でた。
「引っ掛かるわね。実際、希死念慮を抱いた人間が一番多く引っ掛かってるの」
「……自殺防止も入ってるのね」
 何とも言えない話だ。うろうろする恵叶を見ているうちに、すとんと腑に落ちたことがあった。
「それで……『本物』に出会う理由がわかったわ」
「『本物』って?」
「いなかった? 異世界に来てすぐなのに、とんでもない犯罪をおかす奴。現世に来てこっち、思想を染める時間なんてなかったはずなのに、何で突然変化したんだろうって。ずっと思ってたのよね」
 うん、と恵叶が頷き、水晶ドクロをぽんぽん投げて遊び始めた。
「生まれついてのナチュラルサイコパスは引っ掛からない。行動を省みないから」
 ぽん、ぽん、ぽん。
「でも、別に脅威じゃないわ。どれだけ危ない奴でも、現世で殺しの技術を磨くことはできなかった。一時的な暴走特急なんて、私たちの敵じゃない。ただ、逆に言えば……」
 ぽん……と恵叶が投げるのを止めた。
「ずっと異世界にいるだけの資力を持ったサイコパス。そんなのが現れたら、最悪の敵になるでしょうね……」
 意味深に言うと、恵叶は水晶ドクロをようやく元の場所に戻した。
「ねえ、今言ったのって組織側の秘密でしょう? 私に言ってよかったの?」
「もう嘘は無しって決めたから」
 ふっと恵叶が紗美に笑いかける。
 やだ、好き。かっこいい。
 紗美は恵叶を手招きすると、ベッドの上でぎゅっと抱きしめた。
 恵叶がよしよしと頭を撫でてくれる。
「にしても、私たちの仕事内容ほんとに一緒よね」
 恵叶は異世界の極秘機関。紗美は大富豪が集まって作り出した、私兵集団。
 どちらも、異世界の脅威を力尽くで排除するプロである。
「そうね。雇用主が違うだけで、内容は変わらない」
「よくそれでカチ合わなかったわよね。お互い、存在すら知らなかったし」
 恵叶の胸に顔を預けて呟くと、恵叶がふと眉をひそめた。
「そういえば、あの子ども……」
「子ども?」
「うん。……ああ、紗美はいなかったわね。私を放ったらかして逃げたから」
「えっ」
 恵叶によると、紗美がエディ城を出たあと、不思議な子どもに会ったらしい。
 その女の子は、紗美たちの仕事について何か知っているふうだったと。
「そうなの。まあ、その子が瓦礫に潰されなかったのなら良かった……」
「そうね」
 食べたら、少し眠くなってきた。恵叶の心臓の音に耳を傾ける。
 頭を撫でられる優しい手つきに、心を溶かされる。
 ……ずっとこうしていたい。けど、そろそろ動かなくちゃ。
 今の時間を名残惜しく思いながら、ベッドから下りた。
 仕事をずっと無断欠勤しているし、二人の仕事の性質上、裏切りは許されない。
「一度家に帰って、必要な物まとめましょ」
「そうね。後のことは、それから考えれば良い」
 逃亡生活になってしまうが、まあ、恵叶がいればどうとでも生きていける。
 ホテルの支払いを終えると、二人は現世に向かってジャンプした。
 そして……。

「おかえりなさい」
 ジャンプした二人を出迎えたのは、にこやかに微笑む二人の天使だった。
「とりあえず無断欠勤の理由を訊きに来たのだけど、これはこれは……。弁解の余地はなさそうねぇ」
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