女暗殺者の嫁もまた暗殺者

とも

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思い通りにいかない人生

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 幼い頃から、恵叶は何でもそつなくこなせる子どもだった。
 勉強は簡単だったし、運動も辛くなかった。ゲームも得意で、親に愛されていて、人間関係に困ったこともなかった。
 順調すぎる人生。恵叶は生まれてこの方、ずっと退屈していた。
 物が豊かで、メンタル面のサポートは完璧で、どんな人間でもよちよちされる今の時代を、恵叶は深く嫌悪していた。
 何をやっても、転ぶ前に助け起こされたら、成長や挑戦は望めない。
 成長と挑戦こそ、人間が生きている意味だというのに。
 こんな簡単なこと、今の環境を整備した人間には、本当にわからなかったのだろうか。
 だから、希死念慮に憑かれる人間が後を絶たないのは当然だと思ったし、恵叶自身もまた、許されるのなら早く死にたかった。
 大学卒業後、異世界に関わる仕事を望んだのは、恵叶にはそれ以外の選択肢がなかったからだ。
 じゃないと、本当に発狂してしまいそうだった。
 何でも良いから、異世界に行きたい。民間でも公務でも、そんなのは何でも良いから。
 しばらくして、恵叶の反射神経や知能テストを見た機関から、秘密のスカウトがあった。
「デジタル監視がない異世界。その平和を守るのは、せいぜいが自警団程度だと思われているが、実際は違う。……バットマンを知っているかな? どうだい、君も。血反吐を吐くような特訓をしてもらうが」
 そして、恵叶はCASに入った。



 夜の射撃場で、発砲音が鳴り響く。
 恵叶はすぐさま近くの壁を遮蔽物として利用し、身を潜めた。顔を出して様子を窺おうとすると、すぐに銃弾が撃ち込まれる。
 ハッと恵叶は笑った。仕事中、緊張で心臓が鳴っているのは久しぶりだった。
「ねえ、紗美。ダーツバーで全部外してたの、あれわざとだったの?」
 もちろん! と挑発的な声が返ってきた。 
「あなたに華を持たせるためにね。私、優しいから」
「優しいって言うなら、さっさとその銃であなたの眉間を撃ち抜いてくれない? そうしたら私、家に帰ってシャワーを浴びれるんだけど」
「馬鹿ね。優しいから、すぐにあなたを殺して終わらせてあげるのよ」
 ふざけた会話をしながら、恵叶は頭をかがめて近くの柱へ移動しようとする。と、前方の棚の陰から、銃口がこちらを狙っているの見えた。
「……っ!」
 紗美が忍び寄っていたことに、全く気付かなかった。夜の闇のせいだけとは思えない。どうも紗美は、気配を消すのがかなり得意らしい。
 無防備に全身をさらしそうになり、咄嗟に地面に転がった。右のふくらはぎに鋭い痛みが走るが、構わず立ち上がって走り抜けていく。
 射撃場、開けてて逃げづらい……!
 血の跡が転々と草むらに続いていく。怪我はたいしたことない。かすっただけだが、こんな広々とした場所にいては、良い的だ。
 射撃場を超えた先、うっそうとした木立に向かって必死に走る。そこまで逃げられたら、少しは状況がマシになる。
 紗美もそれをわかっていて、逃がすまいと連続して撃ってきた。
「上手ね、避けるの。ちょこまかと」
「そりゃあね……」
 私は、CASで一番優秀な人間なんだから。
 CASに入って、恵叶の人生はずっと良いものになった。刺激的だし、秘密の機関という響きも気に入った。
 でも、人生の調子は変わらなかった。
 CASに入ってなお、恵叶は何でもできる人間だった。口も上手いし、拳銃の分解の仕方もすぐに覚えた。
 格闘術も、異世界のマップを頭にたたき込むのも、仕事後のメンタルケアですら造作もなかった。
 そんなときだ。恵叶の調子を著しく狂わす小悪魔が現れたのは。
 ……そうだ。本当に、紗美には苦労させられた。



 木立に逃げ込んだ恵叶は、幹の陰で様子を窺っていた。しばらくして銃撃が止み、紗美が警戒しながら、木立の中に入ってくる。
 身を隠していても、恵叶の居場所を知るのは容易い。血痕を辿るだけでいいからだ。
 恵叶はじっと、その瞬間を待った。
 紗美の注意が木立ではなく、地面にそれる瞬間を。
 紗美が気配を探りながら、こちらに近づいてくる。ぱたた、と足から血が流れ落ちる。追いつかれるのが先か、と思ったときだった。
 ……見た!
 紗美の目線が落ちた。
 恵叶はその一瞬の隙を逃さず、紗美の頭を狙う。引き金に指をかけて、
「……っ」
 銃口を少し下げた。寸前で紗美が殺気を察知し、身を翻す。銃弾はぎりぎり横腹をかすめ、紗美が痛みに顔を歪める。
「くっ……」
 こちらに攻撃する暇は与えない。
 走り、地面を蹴り上げる。砂で視界を奪われた紗美が後方に跳んで、一度距離を取ろうとするが、今度こそ逃がさない。
 負傷した横腹に拳をたたき込むと、紗美が「げほっ」と肺の空気を全て吐き出し、体をくの字に折り曲げた。拳銃を奪い、投げ捨て、紗美の足を払う。
 恵叶は地面に倒れた紗美を見下ろすと、額に拳銃を突きつけた。
 終わった。
「……言い残すことは?」
 紗美は強気な笑みを浮かべて、恵叶を見上げる。
「恵叶って、映画のセンス無さすぎよね」
「……新しいソファ、本当は気に入らなかった」
「辛いのも苦いのも苦手って、一緒にレストラン入るの恥ずかしすぎ」
「家を植物園にするつもり?」
 言葉を交わしていると、嫌でも今までのことが思い返された。
 本当に、紗美には振り回された。
 階段にプランターを置くなんて、恵叶には考えられない。他の人間がそれをやったら、恵叶は間違いなく無言で全て撤去する。
 でも、嬉しそうに鉢植えに名前を付ける姿を見せられたり、「この子、買ってもいいでしょう?」と甘えた声でおねだりされると、恵叶は何も言えなくなった。
『もちろん、買っていいわよ……』
『なあに? いいって顔してないけど。不満なの、恵叶?』
『だってこれ、トゲ鋭そうで……。踏んだら痛そうだし』
『何で踏む前提なのよ! 踏まないでよ!?』
 今まで、恵叶は何でもできた。何に対しても苦労せず、恵叶は思い通りにしてきた。
 それなのに、紗美がいると判断が付かず、間違えることが増えた。
 今までどうでも良かったことが気になるし、「古い土って何ゴミ?」と変な疑問を持つようになった。
 紗美といると、自分が自分じゃなくなった。でも、全く嫌じゃなかった。
 紗美が愛おしくて堪らなくて、自分の思い通りにいかないことが嬉しい。
「ケイティ、人間になったよね-」
 いつだったか、ライリーにそう言われた。
 そうだ。恵叶を人間にしてくれたのは、他ならぬ紗美だった。
 お願いだから、私とずっと一緒にいてほしい。他の何を投げうってもいいから、紗美だけは隣にいてほしい。
 本気で、それだけを願っていた。……はずなのに。
 恵叶は紗美を狙い続ける。この指を引けば、恵叶は仕事を終える。紗美との時間も終わる。
 今の私は、いったい。
「くっ……」
 先ほどから、記憶の海と現実を行ったり来たりしている。紗美が地面に転がっている。ウエディングドレスを着た紗美が幸せそうに、泣きながら笑っている。
 ねえ恵叶、聞いて。
 記憶の中の紗美が、口を開く。
 恵叶の手がぶるぶる震える。銃口がめちゃくちゃに揺れて、紗美の目をまともに見られない。
 ……大好き。
「…………」
 撃てなかった。恵叶が戦意を喪失したのを見て取り、紗美が動いた。
 スマホのパスポートを起動すると、恵叶の手をつかんだ。
 二人はまたジャンプした。

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