7 / 59
はーいお薬の時間ですよ
しおりを挟む
ヒュッ。
耳元で風が唸った。間一髪、男が繰り出したパンチを避けた恵叶は、素早く後退して拳を握る。
「……っ」
しかし、攻撃に転じる余裕はなかった。後方で地面を擦る、敵が踏み込んだ音がする。前方ばかりに気を取られてはいけない。
相手はまだ五人いるのだ。恵叶は真っ白な漢服を翻しながら、その場から反射的に飛び退いた。
「ぐきゃあうっ!」
恵叶に斬りかかった男は、奇妙な叫び声を上げながら、でたらめに大剣を振り回している。でたらめだが、パワーは異常だ。
こんなのをまともに受けたら、間違いなく骨までぶった斬られる。
「……ちょっと待って」
大剣が地面にめりめりと10センチは沈んでいるのを見て、恵叶は疑問を覚えた。ライリーに文句を言おうと、恵叶は耳元の小型通信機に手を当てる。
「ねえ、ナビゲーター。……ライリー」
「んー何。なんかあんた、漢服が似合いすぎて、アクション女優みたいだね」
「そんなのどうでもよくて。……こいつら、ラリってない?」
しばしの間があって、ライリーの応答があった。
「ラリってるね」
「売人が自分の商品に手を出さないっていうのは、鉄則じゃないの?」
「規則が製鉄されるまでもなかったから、こうして私たちに踏み込まれてるんじゃないの? まあ、ドラッグ製造なんて、今時流行りませんってことで」
全然答えになってない。危険度が想定以上って言ってるの。
恵叶は嘆息すると、倒れた男から、柄の長い錫杖を拝借した。びゅんびゅんと振り回して、リーチの感触を確かめる。
……やるしかないわね。
「特別危険手当、今度こそ出るかな」
「怪我したらワンチャン。ケイティ、いっつも無傷だもんなー。……何で?」
「プロだからよ」
今日の恵叶は異世界02、中華ファンタジーの世界で仕事をしていた。
02は、特に西洋人に人気の高い異世界だ。煌びやかな装飾品。ひらひらとした可愛らしい漢服。常に空から舞い降りてくるピンク色の花びら。
そして何故か、どこの屋根にもくっ付いている金ピカの龍。この龍はAI仕掛けの生き物であり、気まぐれに体をくねらせて地上を散歩しては、観光客を楽しませている。
風景はどこも幻想的なのに、地上に長く延びた中華街は活気に溢れ、どこか庶民的な温かさも見せる。
観光客の協力もあって、素晴らしい景観を保ち続ける02に、ドラッグの病を蔓延させようとする不届き者がいると知らされたのは、今朝早くのことだった。
「一丁前に、組織のていを取ってやがってな。キャンピングカーで製造しているらしい。アジトは別だが」
ボスは渋い顔で言うと、恵叶を筆頭とした何人かの精鋭を指名した。
「民間人に危害が及ぶ前に潰せ。キャンピングカーも、跡形もなく爆破しろ。……上手くやれよ」
久々の大捕物だった。
作戦は単純明快で、アジトに侵入して悪人をとらえ、それと同時にキャンピングカーも潰す。それだけなのだが、意外にも作戦は難航していた。
「はあ、…ったく」
ところで、異世界に来るには、莫大な資金の他にクリーンな精神状態が必要になる。
つまりドラッグ製造に手を染めるには、異世界に来て危険思想に身を沈めてから、製造方法を調べて、流通経路を確立しなければならない。
そこまでするには、億どころじゃない金を払って、かなりの年月をここで過ごす計算になる。一度でも現世に戻れば、思想チェックに引っかかって終わりだからだ。
そんな条件を満たす人間はそういない。ドラッグ製造に携わる人数は、多くても十人前後だろうと踏んだ。
その勘は当たった。だが「その程度の人数ならすぐに降参するだろう」というあては、残念ながら外れた。
詳しく事情を聞きたいというボスの要望で、抹殺命令は出ていない。殺すより、気絶させるほうがずっと難しいのに。
相手が口から泡を吹いている場合は、特にだ。そのせいで、予定より随分と時間を食っていた。
「はあっ……くそ」
恵叶は錫杖で的確に急所を突きながら、相手を転がしていく。
狙ってやっているわけではないだろうが、ひっきりなしに上がる奇声のせいで、敵の動きに気付きにくい。イライラしながらも、恵叶は着実に敵を潰していた。
「ケイティ、何か今日はイライラしてんな。家庭の鬱憤を晴らそうとしてる?」
「別に、そんなんじゃないけど……」
「うんうん、倦怠期も大変だねぇ」
「話聞いてる?」
他の精鋭は深手を負って撤退したり、キャンピングカーの爆破に向かったりで、アジトの殲滅は恵叶が一人で請け負っている。
「でも、不思議よね。あんな美人の奥さんがいて、何で倦怠期になるの? きっかけは?」
「単に、そういう時期なんじゃないの……!」
敵が大鎌を振りかぶってきたので、とっさに錫杖で受け止める。
あまりの衝撃にジンと手が痺れ、受け流せば良かったと後悔する。
背後で空気が揺れ動いた。
恵叶は大鎌をはじき返すと、頭を素早く下げる。
ぶうんと振られた大鎌が、今まさに背後から恵叶を襲おうとしていた敵を斬りつけた。
「やばっ」
うめき声を上げて倒れる敵に、恵叶は焦った。深すぎたか。いや、息はある。
どくどくと腹部から血が流れている。
そんな状態でもまだ立ち上がろうとしているのを見て、ほっとすればいいのか、恐怖を覚えるべきなのか、恵叶はわからなくなった。
で、あと三人。
「……きっかけは、子どもかな」
錫杖を使って華麗に舞いながら、恵叶は話を続ける。
「子ども? あ、倦怠期のきっかけ?」
「そう。結婚して少ししたとき、紗美が子どもを欲しがって……っと」
二人の経済力的には、問題のない未来図だった。
今の家ですら、二人暮らしには広すぎて、部屋が二つも余っている。子どもが一人二人増えたところで、それほど窮屈な思いはさせないだろう。
問題は、もちろん恵叶にあった。こんな仕事と両立できるとは思えない。
「いやーまあ、ケイティが子どもを育てられるわけないし。無理無理無理」
飛びかかってきた敵の力を受け流し、体勢を崩した背中を思い切り蹴りつける。
男は工具棚に頭を突っ込んで、動かなくなった。
あと二人。
「でもさ、育児なんてロボに任せたらいいんじゃないの?」
「紗美が、それは絶対に嫌だって」
「じゃ、紗美さんが仕事を辞めるとか?」
「それも嫌だって。断固拒否してきた……」
恵叶も紗美も仕事人間だ。
不毛な話し合いが毎日続き、お互いに不満を募らせていった結果、いつの間にか二人の間の空気は冷え切っていた。
「子どもは欲しい、育児ロボには反対、育てられる人がいない。その平行線がずーっと続いて……」
どうしろってのよ!
恵叶は錫杖を鋭く突き出した。
相手がぐいと上体を逸らした隙に、彼の足を思い切り払う。
体勢を崩したところで、前頭部に錫杖をクリーンヒットさせた。重い音を立てて、男が沈む。
「やっぱり独身は最高だわ」
ライリーがのんびりと言った。
「ねえ、ケイティ。最後にエッチしたの、いつ?」
「うるさいっ!」
あと一人。恵叶は手首を返し、錫杖で間合いをはかる……はかろうとして、がむしゃらに突撃してくる相手と目が合った。
「うがあああああ!」
「……はあ」
恵叶はただ、錫杖を構えているだけで良かった。勝手に急所を打撃され、自滅した男を足でつんつんしながら、恵叶は息を整えた。
「終わったわ。いつ目を覚ますかわかんないし、早めに後始末を呼んでよ」
「そんなん、とっくの昔に呼んでる。あと五秒で着くから、あんたはとっとと脱出して」
「ん」
錫杖をカランと投げ捨てると、恵叶は乱れた髪を直しながら、階段を下りていく。後始末の隊とすれ違いながら、建物を出ようとしたところで、
「あ、ケイティ。別動隊から連絡が入った。今から爆破するって」
「え」
外に出た瞬間、遠くで爆発が起こった。爆発音が響き渡り、西の空にもくもくと黒煙が上がる。
……もっと早く言え。
「お、何だ……?」
「事故? まさか……」
観光客がパニックに陥りそうになったまさにそのとき、あちこちで龍が空を駆けて踊り出した。どうやらイベントの類いらしい、と観光客は納得し、面白そうに空を仰ぐ。
そちらに気を取られていた恵叶は、目の前に小さな女の子がいたことに気付かなかった。
トンと軽い衝撃があって、恵叶は立ち止まる。
可愛らしい中華衣装を着た女の子が、尻餅をついていた。
「ごめんね。怪我はなかった?」
目線を合わせて謝るが、女の子は目に涙を溜めて地面を見つめている。つられて視線をやった先には、湯気の立った中華まんが落ちていた。
「また買ってあげるから」
両親がなだめるが、女の子はふるふると首を振っている。
恵叶は立ち上がると、一番近い屋台に向かって歩き始めた。行列を無視して、店員が客とやり取りしているタイミングを見計らい、ケースから中華まんをスる。
代わりにお金を入れておいたので、大目に見てほしい。
女の子のもとに戻ると、恵叶は片膝をついて優しく話しかけた。
「先ほどの非礼をお許しください、姫様」
「……ひっく。うん?」
「こちらを」
出来たての中華まんを差し出すと、女の子はきょとんとして泣くのを止めた。
「まほう?」
「いいえ。急いで女官に作らせました」
本物かどうか確かめるように、女の子はかぶりつく。ふわふわの生地を頬張った女の子は、恵叶に向かってにぱっと笑った。
「ありがとう、おねえちゃん」
「ナルシスト……」
ライリーの声は完全無視して、恵叶はその場を後にした。
職場に最も近いジャンプ地点を選んで、02パスポートを起動する。そこからしばらく移動して、恵叶とライリーは職場である本部に戻った。
【Centers for Advanced world and Securities】。
通称をCASと言って、恵叶が働く、異世界の極秘機関である。極秘なので、通称という呼び方は正しくないかもしれないが、とにかく仲間内ではキャスで通じる。
「お疲れ様、ケイティ」
「お疲れ様、ライリー」
スタッフからねぎらいの言葉をかけられる。
本当に、どっと疲れた。
シャワーを浴びて汚れた服を着替え、治療ロボを追い払うと、恵叶はようやく一息ついた。マグカップ片手に自分のデスクに戻ると、何故かそこには我が物顔で座る先客、ライリーがいた。
「どいて」
「はいはい」
ついでのように、ライリーはぽいとデータを置いてきた。
「これからはデスクワークね……」
まあまあの厚みがあるが、事務処理は得意なので、そこまで苦ではない。
「まあね。今日みたいな大物は、しばらく出ないでしょ」
うん、と頷いて熱々のコーヒーに口を付ける。しばらくは鈍らないよう、トレーニングの日々かな……。
ライリーのこの発言がフラグだったことに気付くのは、わりとすぐだった。
耳元で風が唸った。間一髪、男が繰り出したパンチを避けた恵叶は、素早く後退して拳を握る。
「……っ」
しかし、攻撃に転じる余裕はなかった。後方で地面を擦る、敵が踏み込んだ音がする。前方ばかりに気を取られてはいけない。
相手はまだ五人いるのだ。恵叶は真っ白な漢服を翻しながら、その場から反射的に飛び退いた。
「ぐきゃあうっ!」
恵叶に斬りかかった男は、奇妙な叫び声を上げながら、でたらめに大剣を振り回している。でたらめだが、パワーは異常だ。
こんなのをまともに受けたら、間違いなく骨までぶった斬られる。
「……ちょっと待って」
大剣が地面にめりめりと10センチは沈んでいるのを見て、恵叶は疑問を覚えた。ライリーに文句を言おうと、恵叶は耳元の小型通信機に手を当てる。
「ねえ、ナビゲーター。……ライリー」
「んー何。なんかあんた、漢服が似合いすぎて、アクション女優みたいだね」
「そんなのどうでもよくて。……こいつら、ラリってない?」
しばしの間があって、ライリーの応答があった。
「ラリってるね」
「売人が自分の商品に手を出さないっていうのは、鉄則じゃないの?」
「規則が製鉄されるまでもなかったから、こうして私たちに踏み込まれてるんじゃないの? まあ、ドラッグ製造なんて、今時流行りませんってことで」
全然答えになってない。危険度が想定以上って言ってるの。
恵叶は嘆息すると、倒れた男から、柄の長い錫杖を拝借した。びゅんびゅんと振り回して、リーチの感触を確かめる。
……やるしかないわね。
「特別危険手当、今度こそ出るかな」
「怪我したらワンチャン。ケイティ、いっつも無傷だもんなー。……何で?」
「プロだからよ」
今日の恵叶は異世界02、中華ファンタジーの世界で仕事をしていた。
02は、特に西洋人に人気の高い異世界だ。煌びやかな装飾品。ひらひらとした可愛らしい漢服。常に空から舞い降りてくるピンク色の花びら。
そして何故か、どこの屋根にもくっ付いている金ピカの龍。この龍はAI仕掛けの生き物であり、気まぐれに体をくねらせて地上を散歩しては、観光客を楽しませている。
風景はどこも幻想的なのに、地上に長く延びた中華街は活気に溢れ、どこか庶民的な温かさも見せる。
観光客の協力もあって、素晴らしい景観を保ち続ける02に、ドラッグの病を蔓延させようとする不届き者がいると知らされたのは、今朝早くのことだった。
「一丁前に、組織のていを取ってやがってな。キャンピングカーで製造しているらしい。アジトは別だが」
ボスは渋い顔で言うと、恵叶を筆頭とした何人かの精鋭を指名した。
「民間人に危害が及ぶ前に潰せ。キャンピングカーも、跡形もなく爆破しろ。……上手くやれよ」
久々の大捕物だった。
作戦は単純明快で、アジトに侵入して悪人をとらえ、それと同時にキャンピングカーも潰す。それだけなのだが、意外にも作戦は難航していた。
「はあ、…ったく」
ところで、異世界に来るには、莫大な資金の他にクリーンな精神状態が必要になる。
つまりドラッグ製造に手を染めるには、異世界に来て危険思想に身を沈めてから、製造方法を調べて、流通経路を確立しなければならない。
そこまでするには、億どころじゃない金を払って、かなりの年月をここで過ごす計算になる。一度でも現世に戻れば、思想チェックに引っかかって終わりだからだ。
そんな条件を満たす人間はそういない。ドラッグ製造に携わる人数は、多くても十人前後だろうと踏んだ。
その勘は当たった。だが「その程度の人数ならすぐに降参するだろう」というあては、残念ながら外れた。
詳しく事情を聞きたいというボスの要望で、抹殺命令は出ていない。殺すより、気絶させるほうがずっと難しいのに。
相手が口から泡を吹いている場合は、特にだ。そのせいで、予定より随分と時間を食っていた。
「はあっ……くそ」
恵叶は錫杖で的確に急所を突きながら、相手を転がしていく。
狙ってやっているわけではないだろうが、ひっきりなしに上がる奇声のせいで、敵の動きに気付きにくい。イライラしながらも、恵叶は着実に敵を潰していた。
「ケイティ、何か今日はイライラしてんな。家庭の鬱憤を晴らそうとしてる?」
「別に、そんなんじゃないけど……」
「うんうん、倦怠期も大変だねぇ」
「話聞いてる?」
他の精鋭は深手を負って撤退したり、キャンピングカーの爆破に向かったりで、アジトの殲滅は恵叶が一人で請け負っている。
「でも、不思議よね。あんな美人の奥さんがいて、何で倦怠期になるの? きっかけは?」
「単に、そういう時期なんじゃないの……!」
敵が大鎌を振りかぶってきたので、とっさに錫杖で受け止める。
あまりの衝撃にジンと手が痺れ、受け流せば良かったと後悔する。
背後で空気が揺れ動いた。
恵叶は大鎌をはじき返すと、頭を素早く下げる。
ぶうんと振られた大鎌が、今まさに背後から恵叶を襲おうとしていた敵を斬りつけた。
「やばっ」
うめき声を上げて倒れる敵に、恵叶は焦った。深すぎたか。いや、息はある。
どくどくと腹部から血が流れている。
そんな状態でもまだ立ち上がろうとしているのを見て、ほっとすればいいのか、恐怖を覚えるべきなのか、恵叶はわからなくなった。
で、あと三人。
「……きっかけは、子どもかな」
錫杖を使って華麗に舞いながら、恵叶は話を続ける。
「子ども? あ、倦怠期のきっかけ?」
「そう。結婚して少ししたとき、紗美が子どもを欲しがって……っと」
二人の経済力的には、問題のない未来図だった。
今の家ですら、二人暮らしには広すぎて、部屋が二つも余っている。子どもが一人二人増えたところで、それほど窮屈な思いはさせないだろう。
問題は、もちろん恵叶にあった。こんな仕事と両立できるとは思えない。
「いやーまあ、ケイティが子どもを育てられるわけないし。無理無理無理」
飛びかかってきた敵の力を受け流し、体勢を崩した背中を思い切り蹴りつける。
男は工具棚に頭を突っ込んで、動かなくなった。
あと二人。
「でもさ、育児なんてロボに任せたらいいんじゃないの?」
「紗美が、それは絶対に嫌だって」
「じゃ、紗美さんが仕事を辞めるとか?」
「それも嫌だって。断固拒否してきた……」
恵叶も紗美も仕事人間だ。
不毛な話し合いが毎日続き、お互いに不満を募らせていった結果、いつの間にか二人の間の空気は冷え切っていた。
「子どもは欲しい、育児ロボには反対、育てられる人がいない。その平行線がずーっと続いて……」
どうしろってのよ!
恵叶は錫杖を鋭く突き出した。
相手がぐいと上体を逸らした隙に、彼の足を思い切り払う。
体勢を崩したところで、前頭部に錫杖をクリーンヒットさせた。重い音を立てて、男が沈む。
「やっぱり独身は最高だわ」
ライリーがのんびりと言った。
「ねえ、ケイティ。最後にエッチしたの、いつ?」
「うるさいっ!」
あと一人。恵叶は手首を返し、錫杖で間合いをはかる……はかろうとして、がむしゃらに突撃してくる相手と目が合った。
「うがあああああ!」
「……はあ」
恵叶はただ、錫杖を構えているだけで良かった。勝手に急所を打撃され、自滅した男を足でつんつんしながら、恵叶は息を整えた。
「終わったわ。いつ目を覚ますかわかんないし、早めに後始末を呼んでよ」
「そんなん、とっくの昔に呼んでる。あと五秒で着くから、あんたはとっとと脱出して」
「ん」
錫杖をカランと投げ捨てると、恵叶は乱れた髪を直しながら、階段を下りていく。後始末の隊とすれ違いながら、建物を出ようとしたところで、
「あ、ケイティ。別動隊から連絡が入った。今から爆破するって」
「え」
外に出た瞬間、遠くで爆発が起こった。爆発音が響き渡り、西の空にもくもくと黒煙が上がる。
……もっと早く言え。
「お、何だ……?」
「事故? まさか……」
観光客がパニックに陥りそうになったまさにそのとき、あちこちで龍が空を駆けて踊り出した。どうやらイベントの類いらしい、と観光客は納得し、面白そうに空を仰ぐ。
そちらに気を取られていた恵叶は、目の前に小さな女の子がいたことに気付かなかった。
トンと軽い衝撃があって、恵叶は立ち止まる。
可愛らしい中華衣装を着た女の子が、尻餅をついていた。
「ごめんね。怪我はなかった?」
目線を合わせて謝るが、女の子は目に涙を溜めて地面を見つめている。つられて視線をやった先には、湯気の立った中華まんが落ちていた。
「また買ってあげるから」
両親がなだめるが、女の子はふるふると首を振っている。
恵叶は立ち上がると、一番近い屋台に向かって歩き始めた。行列を無視して、店員が客とやり取りしているタイミングを見計らい、ケースから中華まんをスる。
代わりにお金を入れておいたので、大目に見てほしい。
女の子のもとに戻ると、恵叶は片膝をついて優しく話しかけた。
「先ほどの非礼をお許しください、姫様」
「……ひっく。うん?」
「こちらを」
出来たての中華まんを差し出すと、女の子はきょとんとして泣くのを止めた。
「まほう?」
「いいえ。急いで女官に作らせました」
本物かどうか確かめるように、女の子はかぶりつく。ふわふわの生地を頬張った女の子は、恵叶に向かってにぱっと笑った。
「ありがとう、おねえちゃん」
「ナルシスト……」
ライリーの声は完全無視して、恵叶はその場を後にした。
職場に最も近いジャンプ地点を選んで、02パスポートを起動する。そこからしばらく移動して、恵叶とライリーは職場である本部に戻った。
【Centers for Advanced world and Securities】。
通称をCASと言って、恵叶が働く、異世界の極秘機関である。極秘なので、通称という呼び方は正しくないかもしれないが、とにかく仲間内ではキャスで通じる。
「お疲れ様、ケイティ」
「お疲れ様、ライリー」
スタッフからねぎらいの言葉をかけられる。
本当に、どっと疲れた。
シャワーを浴びて汚れた服を着替え、治療ロボを追い払うと、恵叶はようやく一息ついた。マグカップ片手に自分のデスクに戻ると、何故かそこには我が物顔で座る先客、ライリーがいた。
「どいて」
「はいはい」
ついでのように、ライリーはぽいとデータを置いてきた。
「これからはデスクワークね……」
まあまあの厚みがあるが、事務処理は得意なので、そこまで苦ではない。
「まあね。今日みたいな大物は、しばらく出ないでしょ」
うん、と頷いて熱々のコーヒーに口を付ける。しばらくは鈍らないよう、トレーニングの日々かな……。
ライリーのこの発言がフラグだったことに気付くのは、わりとすぐだった。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。
とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」
成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。
「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」
********************************************
ATTENTION
********************************************
*世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。
*いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。
*R-15は保険です。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
裏切りの代償
志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。
家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。
連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。
しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。
他サイトでも掲載しています。
R15を保険で追加しました。
表紙は写真AC様よりダウンロードしました。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる