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閑話*****

母小夜さんは心躍らせる。1

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「ケンカしたの?……珍しいね」
娘の美夜が、帰って来た家族に声もかけず2階に上るなんて。彼女が出てきたキッチンに入って、そこにいた息子の朝陽に尋ねた。
年の離れた妹を溺愛している朝陽が、美夜とケンカすることなんて滅多になく、あっても彼が妹をたしなめるくらいが常だった。何かあったのかしら?
「母さん。冷蔵庫の缶コーヒー、美夜のだった?」
かたわらのコップで飲んだらしいコーヒー。確かに缶コーヒーは、私が美夜の部屋から下ろしたものだった。
「父さんはドリップだし、母さんは紅茶派だし、美夜はブラック飲めないから、俺が飲んだんだけど……」
『美夜が凄い勢いで降りてきて、ゴミ箱から缶を拾い上げた』なんて言う。
娘は苦いコーヒーが飲めない。机に鎮座していたブラックのそれを、誰かにもらったんだろうと気にも留めなかった。

「やだ。大事なものだったのかしら?お母さんが勝手に持ち出しちゃったわ」
親子で顔を見合わせていると、朝陽と自分にかすかな時間差でメッセージが届いた。

『態度が悪くてごめんなさい。しばらく放っておいてください』

きっと、娘が嫌がることをしてしまったのだ。部屋に入って洗濯物をベッドに置くのはいつものことなので、間違いなくあの缶コーヒーが原因だろう。
どこにでもある物だと思ったが、きっと彼女の中で、あれじゃないといけない理由があったのだ。
「やだ。どうしよう。同じものを買ってきてもダメよね?」
「……たぶんね」
朝陽も罪悪感たっぷりの顔をしていた。でも、一番悪いのは明らかに私だわ。子供達のプライバシーを、なるべく尊重するようにと思ってきたのに。
たかが缶コーヒーと思って、許可なく持ち出したことに、今更ながら後悔した。
娘の好物を意識して夕飯を作り終え、今ある材料で何かお詫びの一品をと思って、ミルクプリンを作った。
気休めだってわかってるし、それで許されるとは思っていないけど、娘の心が少しでも凪いでくれればとは思った。

「……好きな人から、もらったの」
食事に降りてきた娘は、沈んだ様子を隠そうとして失敗していたけれど、それでもいつも通り片付けを申し出てくれた。
『だから、怒ったりして。ごめんなさい』なんて、美夜はちっとも悪くないのに。我が娘ながら、いい子だわ。
「……それは、お母さんが本当に悪かったわ。代わりのものじゃだめね。ごめん」
美夜が小さく首を振る。奥手な美夜に、そんな人がいるのは正直意外だった。今まで聞いたことないし、高校は女子校だから、最近好きになった子かしら?
『正確にはもらったとは違うけど』と言葉は濁しつつ、完全に片想いだと言った。なおさら、貴重な物を奪ってしまった。
「彼氏じゃないにしても……二人にはまだ言わない方が良いわね。ショックでお酒の量が増えるわ」
リビングで言葉少なに会話する男性陣2人を思うと、ちょっと面倒くさい。美夜もそう思ったのか、少し笑ったからほっとした。
娘の滅多にない恋バナに、思わずはしゃいで、根掘り葉掘り聞いてしまいそうなのをぐっとこらえた。今は特に、自分のせいで落ち込んでいるのだし。
でも、ほとぼりが冷めたら聞いてみたい。自分で子育てしておいてなんだけど。手がかからなかったのに、娘は特にいい子に育った。そんな彼女が選んだ男の子は、たぶんステキな子だろうと思った。

それからは、特に進展はないようだった。すごく浮かれた日や、すごく落ち込んでいる日もあったけれど。
しっかりとした彼女は、受験も難なくクリアし、滑り止めを含めたいくつかから、自宅から通える距離の大学を選んだ。
サークルにも入り、少し垢抜けた美夜が、なんだかそわそわして大学生活を送っているから、新しい恋でもしたんだろうと気がついた。相談は特になかったので、こちらからも聞かなかった。
でも、お酒を飲めるようになってきた最近、微妙に帰りが遅い。いつもと違う香りをまとって帰宅する日も増えたし、下着を新調した。前より女性らしくなった。
彼氏が出来たらしいことに気がついたのは、今のところ母親の私だけのようだ。
うなじのキスマークを目にするたびに、愛されてるんだなあと思う。周りへの牽制と、独占欲の表れ。夫の芳輝よしきさんも、若かりし頃は見えるところにつけたがったものだ。見えないところには、未だにつけられるけど。
「小夜、ちょっといいか?」
芳輝さんの声に、リビングに向かう。結婚して25年になるけど、仲はすごくいい方だと思う。美夜にも、そんな相手と添い遂げて欲しい。

「芳輝さん。落ち込んだ時には、私が慰めてあげるからね」
突然の私の言葉に、首を傾げた旦那様。そのうち、涙目でお酒を啜る日が来ると思うわよ?
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