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第七章 こうするしかなかった(朋美side)

32.私が引っ越す理由

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 私は長年暮らしたワンルームマンションの部屋の中で一人、最低限のマグカップやお皿をタオルにくるんで、段ボールへ詰め込んでいた。
 たくさんあった衣類やぬいぐるみもネットのフリマアプリで中古品として大半を売りに出し、段ボール一つに納まる量しか残っていない。冷蔵庫やクローゼットは夕方、中古販売の業者が買い取りに来ることになっている。

 このマンションでボヤ騒ぎがあった翌日、私の勤める会社の窓ガラスが割られていた。あの人の仕業に違いない……と私はすぐに思った。それから営業部に嫌がらせの電話が相次いだ。
「おい、誰だよ、ヤミ金から金を借りてるやつは?」
 私宛の電話だというのに、営業部の誰もが大人しい私を疑うことなんてなかった。もちろん相手はヤミ金じゃない。淳士だ。

 職場がバレているとなると、会社を辞めるしかないだろう……。次は何をされるだろう、と考えながら歩いていると、カバンの中のスマホが鳴った。見知らぬ番号からの着信だった。
 ぞっとした。でも出ないと。

「……はい」
 通話ボタンをタップして、震える声で答えた。
「よお、俺だよ、トモミ……」
 心臓がドクッと脈打った。淳士の声だ……。

 恐怖で言葉を失う私に彼はケラケラ笑った。
 しばらくの沈黙の後、私は足を震わせながら、勇気を振り絞って切り出した。
「わ、私に、嫌がらせしないでっ! すでにあなたのことを警察に言ってあるんだから、そのうち逮捕されるわ!」
「あー? 何のことだ?」
 淳士は私と対照的に落ち着き払った声でそう言った。

「とぼけないで! マンションの古びた原付に放火したのも、オフィスのガラスを割ったのも、脅迫電話も、あなたの仕業でしょう!?」
「ははっ、知らねーなぁ……。俺だっていう証拠はあるのかよ?」
「あるわ、たばこっ! 原付に放火したたばこが証拠よ!」
 こっちが必死に言っているのに、淳士はケラケラ笑い、
「たばこから俺の指紋でも見つかったか? ……まさか俺が吸っているのと銘柄が同じってだけで俺を放火犯呼ばわりしてるんじゃないだろうな?」
 と逆に私を脅しにかかった。

「うっ……」
「お前、ひでえ女だな。ろくな証拠もないくせに人を犯罪者呼ばわりすると、名誉棄損で訴えられるぞ?」
 この男に口で敵うと思ったのが間違いだったのだろうか。悔しいけれど私は黙り込むしかなくなった。

「今日、お前に電話したのはさ、面白いこと教えてやろうと思ったからだぜ」
 面白いこと……? 嫌な予感しかしない。
「何……?」
「あの蓮っていう小僧、生意気だから、あいつの働いているサロンにちょっと“いいこと”してやろうかなって思ってさ」
 淳士は心底楽しそうにそう言った。“いいこと”ってろくなことじゃないに決まっている。

 気に食わないことがあると暴力的な手段で自分の思い通りにしようとするところ、昔のままだ。高校時代に付き合っていて別れ話になった際、学校の非常階段で私のことを強引に押し倒そうとしたときのことが鮮明に脳裏に蘇った。

「な、なんてこと言って……」
 あの誠実な蓮くんが一生懸命働いているお店を淳士が嫌がらせのターゲットにするなんて、そんなのあってはならないことだ……。
「あれー? もしかして嫌? 朋美も喜ぶと思ったんだけどな?」
「喜ぶわけないわ!」
 淳士はゲラゲラ大笑いした。

「ふーん、嫌なのか? 朋美が頼むならやめてやってもいいぜ?」
「本当? ……やめて、お願い」
 私が素直にお願いしたら、またケラケラ笑われた。
「なら、俺の言う条件を飲むことだ。……全てはお前次第だ」

 淳士の出した条件、それは私が蓮くんから離れて淳士の部屋で生活することだった。
「やり直したい……」
 それが淳士の願いだった。

 もちろんこんな男と暮らすなんて不本意だけど、でも私のせいでこれ以上蓮くんに迷惑をかけるのは絶対に嫌だった。 蓮くんは何も悪くない。優しい彼のことは今でも大好きだ。
 でも、だからこそ私は蓮くんと別れ、淳士の言う通りにすることにした。執念深い淳士は金にものを言わせて地獄の果てまで追ってくるだろうから。蓮くんのために私は別れを選んだのだ。
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