蛮族嫁婚姻譚その4:氷原の狩人と戦士になりたい娘

ぎんげつ

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 ろくな装備もなしに冬の厳しい寒さの中を徒歩で帰るわけにはいかないと、イェルハルドの“転移テレポート”の魔法で町へ戻った。
 イェルハルドが呪文を唱えたと思った次の瞬間には領主の館の庭にいるなんて、魔法というのはすごい。
 エリサはただただ唖然としながら、先の戦いで“谷”が負けたのはやっぱり当然だったんじゃないかと考えた。

 帰還すると、ヴァロとエリサはすぐに施療院に連れて行かれた。
 ヴァロが数日安静なのはもちろん、エリサも数日は休む必要があるという。
 特にヴァロは、ごく短時間とはいえ一度死んだ衝撃のせいで身体がガタガタだ。しばらく、ほとんど寝たきりで過ごさなくてはならない。フロスティも怪我の手当てを受けたあと、ヴァロと一緒に療養だ。

 そのヴァロは一度目を覚まして、「情けないなあ」などと苦笑を浮かべていた。
 しかしエリサに言わせれば、情けないのはヴァロではなくてエリサだった。

 あのハイドラとの戦いでちゃんと役に立てた実感が、エリサにはほんのちょっぴりも湧いてこない。
 せめてもっと手際良くたくさん火矢が作れれば、もう少し要領よく動ければ――あとから考えれば考えるほど、もう少し、もう少しと思えてしまう。



 施療院で過ごす間、エリサはヴァロの看病を手伝って、グラートとフロスティの世話をして、時間のある時は太陽神の聖騎士であるハイラムから“共感”のやりかたを教わって――と、なかなかに忙しい日を送っていた。
 もっとも、冬の氷原で過ごすことに比べれば、相当にのんびりできたと感じているけれど。

 しっかりと療養できて、ヴァロの顔色もかなり良くなった。そろそろベッドを出ていいとノエの許しもおりる頃だ。
 エリサの凍傷も、ほぼ完治している。
 換羽が進んだグラートは、だいぶ若鷹らしい姿になった。灰色の羽毛はもう翼にはなく、身体のところどころにほわほわと残っているだけだ。
 今日になって、ばたばたと羽ばたきながらエリサの一歩か二歩分を飛ぶようにもなった。本格的に飛び始めるのもすぐだろう。
 ヒヨヒヨと雛らしかった鳴き声も鋭く高い、鷹らしい声に変わってきた。



「氷原鷹の雛か。こんな冬の頭に珍しいね」

 急に声を掛けられて、驚いたエリサは飛び上がるように顔を上げた。

「普通は春に孵って冬が来る前に巣立つものなのに、ずいぶん季節外れだ」

 覗き込むようにエリサとグラートを見ていたのは、黒っぽい色の髪に、やや吊り上がったアーモンド型の、緑がかった青い目。それから、尖った耳の細身の男で――
 エリサは思わずヒュッと息を呑んだ。

「よ……せい……」

 ヴァロよりもずっと“人間らしくない”顔立ちは、どう見ても紛うことなき妖精だ。

「はじめまして、私はキリアン。君がヴァロの弟子だね?」

 けれど、目をまん丸にしたままぱくぱくと口を開け閉めするエリサに構わず、キリアンはその手を取ってぶんぶんと振り、少し乱暴な握手をする。

「ヨニの同郷の子だと聞いたよ。私たちと関わる氷原の民は、君でふたりめだ」
「な、なんで、妖精……」
「ああ、何で妖精がこんなところにいるのか、だね。そりゃあ、息子が死にかけたなら、顔くらいは見に来なきゃいけないと思ったからだよ」

 あははと笑って、キリアンはエリサの手を握り締めたままもう一度振った。町の人間の握手とはずいぶん違う。

「そんなに怖がらなくて大丈夫。取って食べたりはもちろん、取り替えたりもしないから、安心していいよ」
「え、あの」
「ヨニがね、夏の間中、会うたびに尋ねるんだよ。本当に食べないのか、本当に取り替えないのか、って。
 いやあ、妖精私たちって、まるで雪熊か氷鬼アイストロルかのように氷原の民から思われてるんだなあとおもしろかったよ」

 ヨニは、身体を丈夫にするためだと妖精に預けられた、ヘルッタの弟だ。
 キリアンはヨニから氷原の民のことをあれこれ聞いているのだろう。
 驚きすぎて声もないエリサに、キリアンはまたあははと笑って、今度はぐりぐりと頭を撫でまわす。

「ああ、それで、ヴァロはしばらく自分の回復で忙しくなるだろう? その間、代わりに私が君を教えようかなってね」
「――え?」
「ヴァロを鍛えたのは私だ。いわば私は、君の師匠の師匠ってことだよ。何も問題はないだろう?」

 畳み掛けられたエリサが目を白黒させている間に、なぜかそう決まってしまった。



 ヴァロが寝付いていたのは十日にも満たないくらいの間だったのに、身体はずいぶん鈍ってしまっていたようだった。
 ノエの言うように、死にかけたというよりも実際に一度死んでしまったことが響いているのだろう。
 生き返るにも体力は必要だというノエの言葉は、どうやら本当のことらしい。
 たしかに、ヴァロがあんな一瞬の間でこんなに弱るなら、太陽神の神官の奇跡であっても体力のない者が生き返るのは難しいのだろう。



 施療院の庭に作られた運動場で、黙々と走るヴァロをちらりと見てから、エリサは弓を引き絞った。
 肩に乗ったグラートの目を借りて弓を射る練習だ。

「だいぶ安定してきたね」

 今度は的に当たって、エリサはほっと頷いた。
 グラートとの“共感”の訓練は、町に戻ってから三日ほどで終わっていた。
 太陽神の聖騎士ハイラムから指導を受けたのだが、すでに一度繋がっていたことが良かったらしい。コツを掴めば、繋いだり切ったりを制御するのは簡単だった。

 ただ、“共感”を繋ぎながら何かするのは別問題だ。
 うっかりすると景色が二重に見えて、酔ったり頭が痛くなったりしてしまうのだ。聖騎士ハイラムに言わせると、慣れないうちはよくあることらしい。
 今は、しっかり集中したうえでグラートの目を借りて、時間をかけて矢を射るので精いっぱいだ。けれど、ゆくゆくはもっと自然にグラートの視界を借りて、なんでもできるようになるのが目標だ。

「ヴァロ!」

 キリアンが、急にヴァロを呼んだ。
 走り込みを終えたのか、汗を拭きながらヴァロが来る。

「汗を拭いて着替えておいで。エリサと一緒にお前の弓も見てあげよう。久しぶりにね」

 ヴァロは何も言わずに顔を顰めると、建物の方へと戻っていった。



 キリアンが教えてくれるのは、森妖精の弓術の基礎だ。
 難しく、習得には時間が掛かるため、エリサが完全に習得はできるかどうかはわからない。ただ、エリサにはグラートの目があるから、もしかしたらという話だった。覚えておいて損はない、学んでおくといいというのがキリアンの主張だ。
 ちなみに、ヴァロも完全に習得できたとは言えないらしい。

 キリアンは、森妖精らしく陽気で楽天的で……エリサが想像していた妖精とはまるで違っていた。相棒の森林狼は雪豹のフロスティと相性が良くないから今回は置いてきたとか、森では大木の上に家を作るのだとか、あちこちに温かいお湯の湧き出る泉があるとか……訓練の合間にいろいろな話を聞かせてくれた。
 代わりにエリサは、銀竜ヴォレラシアーに連れられて訪れた巨人の氷宮殿と、“女王”の大聖堂の話をした。もちろん、ヴァロも一緒にだ。
 妖精族として、それほど若いわけではないキリアンでも、そんな話、つまり直接神に会うなんて話は聞いたことがないと驚いていた。



 キリアンは、たっぷりひと月滞在してから森へ帰った。

 後半、仕事に戻ったヴァロとエリサの巡回に付き合って、寒い寒いとこぼしながらも妖精流の地形の見方や木々を使った方向の見分け方を教えてくれた。

「あのね、ヴァロさん」
「ん?」

 遠くなるキリアンの背中を見送ると、エリサは傍らのヴァロを見上げた。

「私、ヴァロさんやキリアンさんの言う森が見てみたい。それから、領主様が魔法を習ったっていうここよりずっと大きな町とか、神官先生の故郷の冬でも水が凍らない遠い南の町とか……いろんなところに行ってみたいの」
「うん」
「氷原は世界のほんの一部分で、山の向こうにはもっともっと広くて私が想像もできない場所があって、だから……」

 ヴァロの手が励ますようにポンとエリサの頭に乗せられる。

「私、独り立ちできるようになったら、町を出てもいいのかな。そんなこと言ったりしたら、領主様は怒らないかな」
「大丈夫。イェルハルド様は怒らないと思うよ。心配はするだろうけどね」
「そっか……それでね、ヴァロさん。行ってみたいんだけど、ひとりじゃ、やっぱり怖いの。だからヴァロさん、その時は、あの、一緒に来てくれる?」

 ヴァロは少し驚いたように目を瞠って、それからゆっくりと破顔した。

「そうだね。私の初めての弟子のお願いなら、聞かないわけにいかないな」
「ほんと?」
「人生は長い。数年くらい好きなことをしたって構わないくらいには長いんだ。
 それに、私はこれまでずっと町のために働いて来たんだ、かわいい弟子の頼みを聞いて数年町を留守にするくらい、何の問題もないはずだよ」

 くっくっと笑いながら、ヴァロはエリサの頭をポンポンと叩く。
 エリサはやっとほっとしたように笑って、ヴァロのその手を取った。

「じゃあ、ヴァロさん、約束。その日が来たら、一緒にいろんなところに行ってね。最初は、ヴァロさんの妖精の森を案内してほしいな」
「ああ、いいよ。約束しよう」
「グラートと、フロスティも一緒ね」
「もちろん、一緒だ」

 エリサは、ヴァロの手をきゅっと握って歩き出す。
 一人前になって、もっといろんなことができるようになったら、きっとあの山の向こう側へ、銀竜の背から眺めたあの広い世界へ行こう。
 ひとりじゃ不安で怖くても、ヴァロが一緒ならきっとどこまでも行ける。
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