蛮族嫁婚姻譚その4:氷原の狩人と戦士になりたい娘

ぎんげつ

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冬支度

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「エリサ!」

 雪が降る前に、一度戻って本格的な準備をしないといけない。
 そう言われて町に戻ったのは、あれからひと月経とうかという頃だった。

 町に戻るなり、エリサはヴァロに教えられながら冬の準備に奔走した。
 必要なものは最初に町を出る前に注文してあった。今回は受け取ってそれらに不足と不備がないか、入念に確認しなくてはいけない。
 少しくらいはのんびりできるかと期待していたけれど、どうもそうはいかなさそうだ――と思っていたら、アイニから招待を受けた。

 行っておいでとヴァロに快く送り出され、今はアイニの家だ。
 ヘルッタは施療院、タラーラは地母神教会の司祭の手伝いがあるし、パルヴィはイェルハルドの実家へと出かけている。
 だから今日はふたりだけだった。

「ねえねえ、外はどう? 野伏ってずーっと外に出っぱなしで全然町に帰ってこないって旦那様コンラードが言ってたけど、本当に帰ってこないからどうしたかなって皆で言ってたんだよ。
 それで、その鳥はなあに?」
「私も、こんなに外に行きっぱなしだと思ってなくて、びっくりした。
 この子はグラートっていう氷原鷹の雛。大きく育ったら私の相棒になるんだって。それから、外は私の知らなかったことばっかりで、ちょっとたいへん」

 ふうん、とアイニは首を傾げる。
 アイニはすでに結婚して家に入って女の仕事をしているけれど、エリサは男に混じって男と同じように仕事をしているのだ。
 アイニにはどうも想像ができない。

「エリサの師匠の野伏は半分だけ妖精なんだよね。やっぱり変わってるの?」
「ええと、普通? ヨニが行った森にお父さんの妖精が住んでるんだって。子供を攫ったりも食べたりもしないし、本当に普通。
 だから、ヨニのいる森の妖精は変わってて、人間みたいなんだと思う」
「そっかあ、よかったね。
 エリサ、戦士になるって言ってたのに、急に野伏になることに変わったっていうからすごく驚いたんだ。
 それに、師匠になったのが半分妖精の取り替え子みたいな人だって聞いて、ちょっと心配だったんだよ」

 ほっとしたように笑顔になるアイニに、エリサも笑う。

「そういえば、ヴァロさんてニクラス様と同じ歳なんだよね?」
「ヴァロさんてそんな歳なの?」
「うん。同い歳だからニクラス様と仲がいいって、旦那様から聞いたの」
「ぜんぜんそう見えないよ。コンラードさんよりちょっと上くらいなんだと思ってた。ニクラス様よりずっと若いよ」
「ええ?」

 エリサとアイニは目を丸くして顔を見合わせる。
 ヴァロはどう年寄りに見積もっても三十に届くかどうかで、五十に近いニクラスと同じ歳にはとても見えない。
 半分妖精だからなのか。
 けれど、ニクラスと同じ歳なら、ああも熟練していることに納得はできる。

「でね、ニクラス様が、エリサは絶対いい野伏になるって言ってたの。
 いい野伏って戦士よりいいってことなのかな? 旦那様に聞いたのに、旦那様も野伏のことはあんまり知らなくて、どうなのかわからなかったの」
「私もヴァロさんに聞いたんだけど、野伏って何なのかよくわからなかった」
「エリサもなの?」

 アイニは少し呆れたように首を傾げた。
 いい野伏になれると言われても、野伏が何だかわからないのでは、なりようがないじゃないか。
 エリサも苦笑を浮かべて肩を竦める。

「ヴァロさんが、自分が何かは自分で決めればいいって。ヴァロさんが言うには、私が一人前の野伏だって思ったら、そうってことみたい」
「適当なんだね」
「うん――あ」

 エリサが思い出したように手を叩く。

「でもね、立派な野伏になれば大角鹿ムースもひとりで狩れるようになるって、ヴァロさんが言ってたの。ヴァロさんもひとりで狩れるし、狩り方も教えてくれるって」
「ええっ!? エリサが? ひとりで? じゃあ、町で一番強い戦士がエリサになっちゃうってこと?」
「そうなのかな?」
「旦那様にもっと強くなれって言わなきゃ!」

 アイニとエリサは額を付き合わせてクスクス笑った。

「戦士の狩り方と野伏の狩り方は違うみたいだから、強いのとは違うかも」
「でも、旦那様は戦い方の上手なほうが強いって言ってたよ。野伏は戦い方が上手だから強いってことじゃない?」

 むう、とアイニが顔を顰める。

「コンラードさんがひとりで大角鹿を獲れることに変わりはないんだから、いいじゃない」
「そうだけどさあ」

 実のところ、“いい野伏”が何かをヴァロに教えてもらったところで、やっぱりエリサにはわからないままだろう。
 でも、ヴァロとずっと一緒に外を歩き続けて、“野伏”になるのも案外悪くないんじゃないか――なんてことを考え始めてもいるのだ。

 椅子に蹲っていたグラートが、餌をねだって急にヒヨヒヨと鳴き始めた。
 エリサはベルトにぶら下げだ小さな壺から餌の肉をひとつ取ると、グラートの目の前でゆらゆらと揺らした。グラートはすぐにぱくりと丸呑みして、満足そうに蹲る。

「――鷹の雛ってかわいいね」
「うん。こんなにふわふわで丸くてかわいいって、私も始めて知ったの。グラートが大きくなったら私の相棒になってもらうつもりなんだけど、それには私が自分で全部世話をしなきゃいけないんだって」
「そうなんだあ。エリサがグラートの親なんだね」

 どこかしみじみと感慨深げに、アイニが呟く。

「あのね」
「ん?」

 急にえへへと笑って、アイニがぐいっと顔を寄せた。

「あのねエリサ。私、あかちゃんできたみたいなんだ。この前、神官先生に診てもらったら、たぶんそうだろうって」
「え! ほんとに?」
「うん。息子だといいなあ。旦那様はどっちでもうれしいって言うんだけど、やっぱり最初に息子が産まれたほうがうれしいよね」
「そうだね。よかったね、アイニ」

 まだ平らなお腹を撫でて、アイニは幸せそうに笑う。
 コンラードは騎士長ニクラスの息子で、聖騎士という特別な戦士で、なんと言っても大角鹿ムースに、まだ小さくても氷竜を狩ってアイニに求婚したのだ。コンラードは強い。きっとこの先、戦いで死んだり怪我で戦えなくなったりなんてこともないんだろう。
 アイニの将来はきっと安泰だ。

「ほんとによかった、アイニ」
「ありがとう。
 たぶん、次の春の終わりには産まれるだろうって。もしつわりが始まってどうしても何も食べられなくなったら、神官先生のところに“入院”しなさいだって。
 それに、施療院のレンさんはベテランの産婆なんだって」
「そっかあ。じゃあ、安心だね」
「うん」

 五人でいちばん最初に結婚したのはパルヴィだったけれど、いちばん最初に母になるのはアイニなのか。
 ここへ送られた時は不安しかなかったけれど、皆、おさまるようにおさまってよかったと、エリサは思う。

「ねえ、エリサは結婚を考えてないの? ヴァロさんはどうなの?」
「え?」
「だって、ヴァロさんは大角鹿を獲れるくらいしっかりした野伏で、妻も息子もいないんでしょう? 外でずっとふたりでいて、どう?」
「――あのねアイニ。実をいうと、私、あんまり結婚したいって思ってないの。町は女が結婚しなくても平気だっていうし、だから、このままでいいかなって」
「ええ!? 本当に?」

 うん、と頷いたエリサの眉尻が少し下がる。
 ここが“谷”なら、結婚したくない女なんて頭がおかしいと追い出されたのかもしれないが、イェルハルドは結婚するもしないも自分で決めていいのだと言った。ひとりで狩りをして仕事をして生活ができるなら、このまま結婚なんてしなくてもいいんじゃないだろうか。
 そうすれば、母のように、夫の目も……息子を産めないことも、役立たずだと扱われることも、何もかもを気にせずに生きていける。

「私、このまま野伏になって、外で暮らすのもいいかなって思い始めてるの」

 アイニは信じられないという顔でエリサをじっと見つめた。


 * * *


「で、どうだ。エリサのようすは」

 執務机の書類にあれこれと書き込みながら、ニクラスが尋ねた。その前の長椅子に座っているヴァロが、ああ、と頷く。

「さっきの報告のとおり、今のところとくに問題はないよ。野伏の仕事にも興味が出てきたみたいだ」
「そりゃよかった」

 ニクラスがほっと息を吐いた。
 どうしてもヴァロと馴染めないようなら、もう一度配置換えを考えなければならないところだったのだ。
 その場合、弓の扱いはまあまあだったから、次は戦士ではなく弓兵として教育をするか、それとも斥候の訓練をするか……そんなところだったろう。

「エリサは動物の扱いもうまいから、意外に天職かもしれないよ。フロスティが随分懐いているし、拾った氷原鷹の雛も上手に面倒見てる」
「ほう。あの気まぐれな雪豹がなあ」

 馬以外の動物があまり得意でないニクラスに、フロスティは気を許してくれない。ヴァロが抑えていれば背中を少し触らせてくれるが、その程度だ。

「“谷”では羊やら犬の世話を受け持ってたというから、慣れてるんだろうな。
 それに、このひと月で動物の痕跡もずいぶん見分けられるようになったよ。天候の読み方もだいぶうまくなった。身体が小さい分、身を隠すのも痕跡を隠すのも上手になりそうだし、このままいけば、野伏としても斥候としても優秀な兵になるんじゃないか?」
「そりゃ楽しみだ。俺の判断は正しかったってことだな」

 わははと豪快に笑って、ニクラスは上機嫌だ。
 ずっと気になっていた、戦士ではなく野伏になれと言われた時の、あのエリサの落ち込みようが解消されたとわかってうれしいのだ。

「とはいえ、あの子はまだ成人前の子供で女の子だ。気をつけてやってくれよ」
「わかってる。まあ、男にやるようにはいかないが、それでも女の子だからと甘やかすのは、エリサも望んではなさそうだけどな」

 ヴァロは苦笑を浮かべつつも、もちろんだと請け負う。
 エリサは体力があるほうだが、それでも何もかもを男と同等にといかないのが性差というものだ。ヴァロも、無茶が利くところ利かないところ、身体の変調など全部を把握しているわけではない。ブレンダや仲間の女野伏に気をつけるべきポイントは聞いているが、完璧とは言い難いだろう。
 それに――。

「ああ、そろそろ行くよ。領主殿を訪ねることになってるんだ」
「何かあったか?」
「いや、エリサのことで少し聞いておきたいことがあるだけだ。領主殿は氷原の民の風習をよく調べてるし、奥方のパルヴィ様は同郷だろう?」
「なるほど。では、何かあればいつでも報告なり相談なりしてくれよ」
「わかってる」

 ヴァロは笑って立ち上がると、軽く手を振って部屋を後にした。

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