騎士と竜

ぎんげつ

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13.大丈夫だ

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「姉さま!」
「お姉さま!」
「リーア、フレドリカ!」

 ドレスを着て出迎えたマイリスに、ふたりの妹が飛びかかるようにして抱き着いた。が、さすがに踵の高い靴を履いていては、いつもの騎士服でのようにはいかない。少しよろけたところを、王の腕が支える。

「ふたりとも、陛下の御前なのだから、もう少し落ち着いて」

 くすくす笑いながらふたりを抱きかかえてマイリスが囁くと、妹たちは慌てて一歩下がる。

「国王陛下におかれましては、ご機嫌麗しく」
「リーアもわたくしも、久しぶりに姉に会えた喜びで、ついはしゃいでしまいましたの。ご無礼をどうかお許しくださいませ」

 腰を落として深く礼を取るふたりに、王は「構わん」と笑う。

「俺が許すから、普段通りにマイリスと話せばいい。そのほうがマイリスも喜ぶ。
 だろう?」
「クスティ様、ありがとうございます」

 妹たちはほっとしたように顔を上げると、たちまちきゃあきゃあとマイリスにまとわりつきながら、お喋りを始めた。

「姉さまがドレスを着ているなんて!」
「陛下のおかげだわ! お姉さま、ドレスも似合ってる!」
「後からお兄さまもいらっしゃるの。きっと驚くわ」

 口を挟む間も無く矢継ぎ早にまくし立てる妹たちを、マイリスは「ちょっと待って」とどうにか押し留めた。

「でも、おかしくない? 似合ってないんじゃないかと、少し心配で」

 妹たちは顔を見合わせて、「おかしくなんてないわ」と笑う。

「ドレス姿のお姉さまもすてきよ」
「ええ、とても似合っててかっこいいわ」
「陛下とお並びになってると、とてもお似合いなの」
「おお、俺と似合ってるか」
「はい、とても!」

 妹たちの言葉に、王も気を良くしたようだった。小さく、けれど跳ね回る尾をちらりと見やって、マイリスはくすりと笑ってしまう。

「お母さまが案山子と仰ってたけど、全然そんなことなかったわ」
「ドレスを誂えた方のセンスが良かったのですよ。あれこれとごまかしが聞いているんです」
「騎士服の姉さまもいいけれど、ドレスの姉さまもすてきなの。本当よ。ドレスなのに、とっても凛々しくて」

 ふたりで争うようにマイリスの腕を取り、両側から楽しそうにあれやこれやと言い合っている。
 そのうち、持ち込んだ荷物のところへと引っ張っていくと、アクセサリーを出して、あれがいいこれがいいなどと賑やかに合わせ始めた。

「失礼します」

 宰相との話を終えたイングヴァールがやってきた。
 マイリスを取り囲んで大騒ぎをする妹たちに少し呆れた顔をして、王に臣下の礼を取る。

「妹たちがあまり無礼を働いていなければよいのですが」
「イングヴァールか。ここではあまりかしこまらなくていい。あれも、俺がいいと言ったんだ。なんなら、おまえも混ざったらどうだ?」
「恐悦至極に存じます。ですが、私の体力では妹たちについていけませんので、こちらで陛下と共に見守ることにいたします」

 苦笑を浮かべて立ち上がったイングヴァールを、王はちらりと見やる。

「陛下、何か……」
「イングヴァール」
「はい」
「――マイリスは、大丈夫だ」
「はい?」
「だから、マイリスは大丈夫だと言った」

 いったい何のことかと思わず見返すイングヴァールに、王はやや視線を泳がせ気味にぽそりと呟いた。
 王はいったい何が大丈夫だと言いたいのかと考えて、イングヴァールは、ああ、と思い出した。知らせを受けて駆けつけた日、マイリスに会って話したことを聞いていたのかと。
 しばし考えを巡らせたイングヴァールは、おもむろに口を開く。

「陛下……実は少し前まで、私は、エルヴェラムをマイリスの子に継がせようと考えていたのです」
「ん?」
「幼い頃から繰り返してきた病のおかげで、私の子はどうやら望めそうにありません。当代は私がエルヴェラム家を継いだとしても、次代はマイリスに婿を取って、その子に継がせようと考えていたんです。マイリスの子なら、武門のエルヴェラム家を継ぐにふさわしいでしょう」
「それは……」

 顔を顰める王に、イングヴァールは小さく吐息をこぼす。

「そういう打算や都合のうえで、私はマイリスにああ言ったのです。
 そうは言っても、もし、マイリスが陛下への忠誠心だけで仕方なく婚姻を了承しようというのであれば、私の持てるものすべてを使って阻止しようとも考えていましたが」
「なに……」

 まさかマイリスを取り上げるつもりかと目を眇めて表情を険しくする王に、兄はくすくすと笑いだす。

「ですが、つまらない杞憂でしたね。
 陛下の仰るとおり、マイリスは大丈夫です」
「……本当に、そう思うのか?」
「はい。マイリスは……なんと申しますか、根は単純です。無理であれば、とうの昔に音を上げてますよ。私の見る限りですが、何があろうと陛下に寄り添って生きていこうという覚悟もすでにできているのでしょうね」
「――ああ。マイリスは、俺に生涯の忠誠と愛を捧げると誓った」

 イングヴァールは、王の言葉に、マイリスへと視線を向ける。少し輪郭も柔らかくなり、ドレスも着るようになって、マイリスは変わったなと考える。

「それに、本人に自覚があるかは謎ですが……」

 ふと言いかけて、けれど思い出したように口をつぐみ、イングヴァールはまた王へと視線を戻した。

「いえ、これは追い追い本人の口から申し上げたほうがよいですね」

 思ったよりも穏やかだったイングヴァールの言葉にほっとしたのか、王の表情がわずかに緩んだ。

「お前は反対なのかと思っていたんだ」
「はい。反対かという問いには、不遜ながら、私は反対であるとお答え申し上げます」
「理由を述べてみろ」
「あの子は騎士としては優秀かもしれません。ですが、王妃などという大役をこなせるかどうか、私としては大変に疑問です。
 あの子はちょっとした建前や本音程度なら使い分けられても、腹芸などには向いてない性格です。果たして、そんな者に王妃としての社交がこなせるのかどうか。
 ……それに、王妃として王宮内を治めることなどができるのかということすら、疑問なのです」
「なんだ、そんなことか」

 どことなくほっとしたような笑みを浮かべ、王は目を細めてマイリスを見やった。相変わらず妹ふたりに纏わり付かれて大騒ぎだ。

「――母上が王となってから最初に手を付けたのは、役人たちの質の向上だったらしい」
「陛下?」
「当時、先代のアーロン王……俺の大叔父上が仕事をさぼっていたせいで、役人たちはぐうたら揃いだったし、タチの悪いものも多かった。
 おかげで、母はなかなかに大変だったようだ。
 だが、母上ががんばってくれたおかげで、今は役人の質には恵まれるようになった。何しろ、俺が五十年も王をやっているというのに、さしたる問題も出ないくらいだからな」

 王はぐっと口を引き結び、イングヴァールに正面から相対する。

「だから、マイリスにそこまでの負担が掛かることはない。今後も、マイリスには苦労を掛けないと約束しよう」

 真摯な王の言葉に、眉尻を下げてほんのりと笑みの形に口角を上げて、イングヴァールは軽くこうべを垂れる。

「――わかっております」
「イングヴァール?」
「今の私の言葉はただの戯言です。
 私はあの子にずっと負担を掛けてきてしまいました。その代わりに、せめて、マイリスにとって楽な……マイリスが幸せに暮らせるような家に嫁がせたいと考えていたのです。
 なのに、よりによってなぜ王家なのか。しかも王妃などとは。
 ――そういう、妹を案じる兄の不満から出た言葉ですから、陛下のお気になさるようなものではありませんよ。
 結局のところ、私はかわいい妹を横から掻っ攫われた兄として、何かしらのいちゃもんを付けたかっただけなのです」
「イングヴァール」

 はあ、と王が溜息を吐いた。
 やれやれと天井を仰ぎ、もう一度溜息を吐く。

「なら、俺は甘んじて受けるしかないではないか」

 イングヴァールはくすりと笑う。
 王は約束を守る。だから、マイリスは大丈夫だろう。

「これから先、陛下には幾千幾万もの幸せがお待ちなのですから、どうかご辛抱願います」

 くっくっとおかしそうに笑うイングヴァールを、王は渋面を作ってじろりと睨んで見せた。


 * * *


 長い冬が終わり、春を迎えたその日。

 王宮の一角に作られた大聖堂の、大きな扉がゆっくりと開かれた。
 大聖堂の中には大小様々な祭壇が置かれている。この国で信仰されるさまざまな神々の祭壇だ。
 その大聖堂の中へ、王とマイリスはゆっくりと一歩を踏み出す。

 “嵐の国”の紋章の入った金の冠をかぶり、長い毛皮のマントを纏う堂々たる王と、その隣に並び、ドレスの長く延びた裾を引いて、きりりとまっすぐ前を見つめる凛としたマイリスに、列席者は皆、息を呑む。

 入り口から、祭壇へ。
 まっすぐに伸びた黄金色の絨毯の上を、王とマイリスは歩いて行く。ゆったりと、優雅な足取りで。
 両側には、揃いの正装で飾った近衛騎士が並び、刀礼を捧げている。後ろの貴族たちも、皆、臣下としての礼を取り……。

 祭壇の前に控えているのは正義と騎士の神の教会の大司教と、大地と豊穣の女神の教会の大司教だ。

 妃となるものはこの儀式の場で誓いを立てる。
 正義と騎士の神に王と国への忠誠を誓い、大地と豊穣の女神に王への誠心を誓い、国の豊かな実りを祈るのだ。
 王は、妃の忠誠と誠心を神の祝福とともに受け取り、ともに国に尽くすことを誓う。

 王に伴われて進み出た祭壇の、それぞれの大司教と神の印の前で、マイリスは祈るように手を合わせ、膝をつく。
 少し低めの落ち着いた声で誓いの言葉が読み上げられ、王が、その誓いの証となる指輪をマイリスから受け取った。

 ふたりの大司教より祝福を授けられる。
 きらきらと輝く光の粒が王とマイリスを取り囲み、程なくしてふたりの身体に吸い込まれて完全に消える。
 二柱の神の大司教が、儀式の完遂と王妃の戴冠を厳かに宣言する。

「国王陛下、皆に言葉を」

 大司教に促されて、王が頷いた。
 ゆっくりと踵を返して、その、眼下に並ぶものたちをじっと見回す。
 全員が王とマイリスを注視している。

 ――マイリスの喉が鳴る。
 もうここから逃げることはできないのだ。自分は王とともにあり、この国を導いて行かなくてはならない。

 急に、横に立つ王が小さく笑った。

「陛下?」

 視線だけを動かして王を伺うマイリスをそのままに、王は立ち並ぶ列席者をゆっくりと順番に眺め……いきなりマイリスを抱き上げた。

「陛下!」

 慌てて声を上げるマイリスにキスをして、王は眼下に居並ぶ臣下たちへとまっすぐに向き直る。

「長らく待たせたが、ようやく、俺は俺の宝を見つけた」

 しん、と静まる大聖堂の中に、王の声が朗々と響き渡る。

「このマイリスが俺の妃となり、俺とともにこの国を治めていく。
 俺の母たる前王ウルリカもよく言っていたが、民あっての国であり、王である。ゆえに、改めてこの場で、この“嵐の国”を皆が豊かに暮らせる国とするため、尽力すると誓おう」

 言葉を切って、王は「だがな」と軽く肩を竦めた。

「こんな大言壮語を吐いたところで、俺……王ひとりではとても立ち行かないのが国政というやつだ。俺の頭はひとつで手はふたつしかない。妃や皆の支えあってこそ、国はおさまるし、豊かにもなる」
「クスティ様……」
「だから、皆、妃ともども、これからもよろしく頼む」

 パチパチというまばらな拍手は、すぐに「国王陛下、万歳! 王妃陛下、万歳!」という斉唱に変わる。
 その声を受けて、自分を見上げるマイリスに王が微笑む。
 その、どことなくいたずらっぽい表情に、マイリスは、王は何をしようとしているのだろうかと、首を傾げてしまう。

 しばらくおいて、すっと片翼を広げた王が尾でびしりと強く床を打った。たちまち静けさが戻り、列席した者たちの注目が再び王に集まる。

「それともうひとつ、ここで皆に伝えるべき話があるのだが」

 これほど改まって、いったい何を告げるつもりかと固唾を呑む皆に――王はいきなりふにゃりと笑った。
 ばさりと大きく翼を広げ、横抱きにしたマイリスを高く掲げ、喜色満面の笑顔になって、もう一度びしりと尾で床を打つ。

「待たせたな! 来春には世継ぎが産まれるぞ!」

 一瞬ざわりと騒めいて、それから遅れて割れんばかりの歓声があがった。大聖堂の壁がビリビリと震えるほどの大音声に、耳が馬鹿になりそうだ。
 先ほどの比ではないほどの大騒ぎに、王もマイリスも苦笑してしまう。

「まだわかったばかりだというのに、こうして皆に宣言してしまって大丈夫だったのでしょうか」
「大丈夫だ。マイリスと俺の子なら、きっと頑丈だ。それに、俺は母に似て強運なんだ、問題なんてあるわけがない」

 王は、その翼で包むようにマイリスを抱き締めた。
 そのまま軽く唇を啄んで、大聖堂の外へとゆっくりと歩き出す。

「男だろうか女だろうか。マイリスはどちらだと思う?」
「クスティ様、少し気が早いのではありませんか?」

 楽しみでしかたがないと浮かれる王に、マイリスはふんわりと微笑んだ。
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