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護森
すごい、姫
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にまにまとだらしなく笑うエルヴィラの顔から何を想像しているのか簡単に伺えて、ミーケルは仕方ないなと苦笑した。
「――だがな、いいことばかりではなかったのだ。
名を挙げるということは、歌姫エイシャが国元に存在を知られるということであり、王女ウルリカが実は健在であったと知られることでもあったのだ」
「あ……」
確かに、歌姫エイシャのことが国元に知られれば、王女を知るものにいつか気付かれるだろう。ぐっと眉根を寄せるエルヴィラの背を、ミーケルが宥めるように撫でる。
シェイファラルも、今度は少し不快げに目を眇めて、話を続けた。
“歌姫”として自由闊達に振舞っていたエイシャが、甥の境遇を盾に取られたこと。彼女が国を出てからの十年ですっかり情勢が変わり、“嵐の国”は荒れ、不穏な空気が満ちていたこと。
「エイシャは長く放っておいてしまったが、やはり故国や血族を捨て置けないと、帰ることに決めたんだ」
シェイファラルはわずかに首を傾けて、じっと目を閉じた。
彼の心には、どんな思いが去来しているんだろう。
もう、千年以上も前の出来事だというけれど、なんだか信じられない。
「……間の悪いことに、当時、“嵐の国”の王宮内には|悪魔《デヴィル」が巣食っていた。悪魔の奸計により、エイシャの父である前王をはじめ直系の王族は既に死に絶え、残っていたのは叔父である現王とエイシャだけだったのだ」
「悪魔、だと?」
エルヴィラは瞠目する。
悪魔は九層地獄界からやってくる。善き人の耳に毒となる甘言を囁き、堕落させ、その魂を狩る、悪しき神々にも準ずるほどの悪しき存在だ。
その悪魔が王宮に巣食っていた?
「そう。そして、その現王も悪魔に取り憑かれていたのだ」
ごくり、とエルヴィラの喉が鳴った。
“三首竜の町”の穴の底で出遭った……エルヴィラを“変容”させた、あの戦乙女の顔をした邪悪なものを思い出す。
あれよりも純粋な悪なのかもしれない悪魔に、取り憑かれて……?
「取り憑かれたものは、王はどうしたんだ。悪魔は? ちゃんと滅ぼせたのか?」
「どうやらお前も、悪魔の恐ろしさを知るもののようだ」
エルヴィラが顔色を変えて立て続けに詰問すると、ミーケルは宥めるように肩を抱き、落ち着かせるように頭を撫でた。
シェイファラルがエルヴィラの顔を覗き込み、柔らかく笑む。
「慌てんでも、もうずっと遠い昔の話だ。すべて終わってしまったことだよ」
「でも……昔って言ったって、当時のひとたちは大変だったんじゃないのか?」
眉尻を下げて伺うようなエルヴィラの目に、、シェイファラルは目を細める。
「“囁くもの”と呼ばれた悪魔は、エイシャに真名を暴かれ、善き神の司祭の手により九層地獄界へと送り返されたよ」
「そうか、ならよかった」
エルヴィラはほっと息を吐く。
「……だが、真実を知った王も、己のしてしまったことやみすみす悪魔の奸計に堕ちたこと……他にもいろいろとあったのだろうが、自らアケロン河の向こう岸へと旅立ってしまった」
「そんな……」
「ゆえに、エイシャは歌姫を辞め、女王ウルリカとならなければならなかった」
「そんなわけ、だったのか」
どことなくしょんぼりと肩を落として、エルヴィラが呟いた。
「ままならないものなんだな。きれいですごい詩人だったのに」
エルヴィラの言葉に、シェイファラルは笑みを深め……それから、またふと思い出したように言葉を繋ぐ。
「そういえば、な。
エイシャは国許へと戻る折、騎士と正義の神の司祭が行った占術より、“ふたつのうちひとつを選ばなければならない”と告げられていた」
「ふたつ?」
「そう。あの時は叔父と甥のどちらかのことだと思っていたが……考えてみれば、その時既に甥は亡くなっていたのだ。
いったい何のことなのかとずっと疑問だったが、エイシャが天秤にかけなければならなかったのは、おそらく詩人としての自分と王族としての自分だったのだろう」
天秤……詩人と王。
両立できないなら、どちらかを選ばなきゃいけない。
エイシャはふたつを天秤にかけた。天秤は、王に傾いた。
「エイシャは歌姫ではなく、女王ウルリカ・ストーミアンであることを選んだ。
……いや、選ばなければならなかった。“嵐の国”を見捨てて自分のやりたいことだけを押し通せるほど、彼女は強くなかったし、我儘でもなかったんだよ」
シェイファラルはどことなく困ったように、たぶん人型なら苦笑を浮かべているのだろうという顔で、首を傾げる。
「歌姫のほかに、王族はいなかったのか?」
どうしてもエイシャが王にならなきゃいけなかったのか。エルヴィラは、ほかに道はなかったのだろうかと考える。
「もちろん、他国に嫁いだ血縁はいた。傍系も合わせれば国内にもいた。
だが、すでに“嵐の国”のものではない彼らが王となれば、それほど経たないうちに“嵐の国”は消えていただろう。
それに、国の民は王の怠慢で相当に疲弊していたが、はたしてエイシャ以外の人間が王となったところで、そこまで彼らのために働いてくれたかどうかは疑問でもあるよ」
「そうか……歌姫はほんとうにすごい人だったんだな」
「ん?」
「ただの深窓の姫君でも、ただの詩人でもなかったんだな。だって、王様になった後はちゃんと国を治めたんだろう?」
「ああ、そうだな」
にこ、と笑ってエルヴィラは少し考える。
「都にいるとき、私は侯爵家の姫様の護衛騎士だったんだ。いちおう“深窓の姫君”だったけど、あの姫様にちゃんと国が治められるなんて思えない。
歌姫は、だからただの姫じゃなくて、すごい姫だったんだ」
シェイファラルがおもしろそうに目を細め、口角を上げた。
「――だがな、いいことばかりではなかったのだ。
名を挙げるということは、歌姫エイシャが国元に存在を知られるということであり、王女ウルリカが実は健在であったと知られることでもあったのだ」
「あ……」
確かに、歌姫エイシャのことが国元に知られれば、王女を知るものにいつか気付かれるだろう。ぐっと眉根を寄せるエルヴィラの背を、ミーケルが宥めるように撫でる。
シェイファラルも、今度は少し不快げに目を眇めて、話を続けた。
“歌姫”として自由闊達に振舞っていたエイシャが、甥の境遇を盾に取られたこと。彼女が国を出てからの十年ですっかり情勢が変わり、“嵐の国”は荒れ、不穏な空気が満ちていたこと。
「エイシャは長く放っておいてしまったが、やはり故国や血族を捨て置けないと、帰ることに決めたんだ」
シェイファラルはわずかに首を傾けて、じっと目を閉じた。
彼の心には、どんな思いが去来しているんだろう。
もう、千年以上も前の出来事だというけれど、なんだか信じられない。
「……間の悪いことに、当時、“嵐の国”の王宮内には|悪魔《デヴィル」が巣食っていた。悪魔の奸計により、エイシャの父である前王をはじめ直系の王族は既に死に絶え、残っていたのは叔父である現王とエイシャだけだったのだ」
「悪魔、だと?」
エルヴィラは瞠目する。
悪魔は九層地獄界からやってくる。善き人の耳に毒となる甘言を囁き、堕落させ、その魂を狩る、悪しき神々にも準ずるほどの悪しき存在だ。
その悪魔が王宮に巣食っていた?
「そう。そして、その現王も悪魔に取り憑かれていたのだ」
ごくり、とエルヴィラの喉が鳴った。
“三首竜の町”の穴の底で出遭った……エルヴィラを“変容”させた、あの戦乙女の顔をした邪悪なものを思い出す。
あれよりも純粋な悪なのかもしれない悪魔に、取り憑かれて……?
「取り憑かれたものは、王はどうしたんだ。悪魔は? ちゃんと滅ぼせたのか?」
「どうやらお前も、悪魔の恐ろしさを知るもののようだ」
エルヴィラが顔色を変えて立て続けに詰問すると、ミーケルは宥めるように肩を抱き、落ち着かせるように頭を撫でた。
シェイファラルがエルヴィラの顔を覗き込み、柔らかく笑む。
「慌てんでも、もうずっと遠い昔の話だ。すべて終わってしまったことだよ」
「でも……昔って言ったって、当時のひとたちは大変だったんじゃないのか?」
眉尻を下げて伺うようなエルヴィラの目に、、シェイファラルは目を細める。
「“囁くもの”と呼ばれた悪魔は、エイシャに真名を暴かれ、善き神の司祭の手により九層地獄界へと送り返されたよ」
「そうか、ならよかった」
エルヴィラはほっと息を吐く。
「……だが、真実を知った王も、己のしてしまったことやみすみす悪魔の奸計に堕ちたこと……他にもいろいろとあったのだろうが、自らアケロン河の向こう岸へと旅立ってしまった」
「そんな……」
「ゆえに、エイシャは歌姫を辞め、女王ウルリカとならなければならなかった」
「そんなわけ、だったのか」
どことなくしょんぼりと肩を落として、エルヴィラが呟いた。
「ままならないものなんだな。きれいですごい詩人だったのに」
エルヴィラの言葉に、シェイファラルは笑みを深め……それから、またふと思い出したように言葉を繋ぐ。
「そういえば、な。
エイシャは国許へと戻る折、騎士と正義の神の司祭が行った占術より、“ふたつのうちひとつを選ばなければならない”と告げられていた」
「ふたつ?」
「そう。あの時は叔父と甥のどちらかのことだと思っていたが……考えてみれば、その時既に甥は亡くなっていたのだ。
いったい何のことなのかとずっと疑問だったが、エイシャが天秤にかけなければならなかったのは、おそらく詩人としての自分と王族としての自分だったのだろう」
天秤……詩人と王。
両立できないなら、どちらかを選ばなきゃいけない。
エイシャはふたつを天秤にかけた。天秤は、王に傾いた。
「エイシャは歌姫ではなく、女王ウルリカ・ストーミアンであることを選んだ。
……いや、選ばなければならなかった。“嵐の国”を見捨てて自分のやりたいことだけを押し通せるほど、彼女は強くなかったし、我儘でもなかったんだよ」
シェイファラルはどことなく困ったように、たぶん人型なら苦笑を浮かべているのだろうという顔で、首を傾げる。
「歌姫のほかに、王族はいなかったのか?」
どうしてもエイシャが王にならなきゃいけなかったのか。エルヴィラは、ほかに道はなかったのだろうかと考える。
「もちろん、他国に嫁いだ血縁はいた。傍系も合わせれば国内にもいた。
だが、すでに“嵐の国”のものではない彼らが王となれば、それほど経たないうちに“嵐の国”は消えていただろう。
それに、国の民は王の怠慢で相当に疲弊していたが、はたしてエイシャ以外の人間が王となったところで、そこまで彼らのために働いてくれたかどうかは疑問でもあるよ」
「そうか……歌姫はほんとうにすごい人だったんだな」
「ん?」
「ただの深窓の姫君でも、ただの詩人でもなかったんだな。だって、王様になった後はちゃんと国を治めたんだろう?」
「ああ、そうだな」
にこ、と笑ってエルヴィラは少し考える。
「都にいるとき、私は侯爵家の姫様の護衛騎士だったんだ。いちおう“深窓の姫君”だったけど、あの姫様にちゃんと国が治められるなんて思えない。
歌姫は、だからただの姫じゃなくて、すごい姫だったんだ」
シェイファラルがおもしろそうに目を細め、口角を上げた。
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