灰色の世界の天上の青

ぎんげつ

文字の大きさ
上 下
21 / 32
灰色の世界の天上の青

18.護ってどうするのか

しおりを挟む
「ほら、着いたぞ」

 アライトの翼は本当に早かった。
 以前、オーウェンと来た時には一刻二時間も掛かった道のりが、アライトが飛べば四半刻三十分よりもはるかに早く着いてしまった。
 たしかに、考え直すにはまったく足りないくらいの時間でしかない。

 ゆっくりと降下して、最後はどすんと大きな音を立てて地面へと降りると、アライトは後ろを振り返った。

「なあ、やっぱり止めたはないのか?」

 心配そうに尋ねるアライトに、ヴィエナはこくんと頷く。風でばさばさに乱れた髪を軽く撫でつけて、その背からすとんと飛び降りる。

「アライトさん、ありがとう」
「あのな」

 どことなく改まったように、アライトは目を細める。

「ヴィエナは、何か困ったらいつでも俺の巣穴に来ても構わないんだからな。後進の面倒をみるのも、俺たち成竜の役目なんだ」
「はい」

 少し驚いて、けれどヴィエナもうれしそうに頷く。

「これも持ってけ」

 口の先で首元の小さな鱗を一枚取ると、ヴィエナの手に乗せた。

「竜の守りの鱗だ。この先、青銅色の竜に会ったら、そいつを見せればきっと力になってくれるぞ。あんたは俺の、青銅竜アライトの弟子だからな。俺たち青銅竜は、水か森がある場所ならどこにでも棲んでるから、覚えておけ」
「うん……アライトさん、ほんとにありがとう」

 鱗を握り締めると、ひんやりとしているのに温かいようにも感じた。
 飛び立つアライトに、ヴィエナは大きく手を振り……たちまち小さくなっていく竜影を見送って、大きく深呼吸する。



 塔にひとつだけある扉の、大きな金属のノッカーを打ち鳴らす。しばし待った後、ギィ、と重たい音を立てて扉が開いた。
 その内側には、以前訪れた時のように、長衣をだらしなく着崩して長い銀の髪を1つにゆるく纏めた長身の天人が立っていた。蛋白石オパールのように輝く目に笑みを浮かべ、背には艶やかな色とりどりの羽根に覆われた翼が揺れている。

「トーレ、さん」
「やあ」

 トーレはじっとヴィエナを見つめる。
 値踏みされているようにも感じて、ヴィエナはわずかにたじろいでしまう。

「悪魔憑きのお嬢さん、久しぶりだね。ひとりでここへ何の用?」

 軽口のように尋ねながらも、けれど、さっきより笑みが優しげなものに変わった気がして、ヴィエナは不思議そうにトーレを見上げた。

「あの、お願いがあるんです」
「……どんなお願いか聞いてみようか」
「私に憑いてる悪魔デヴィルを祓ってください。できるって、言いましたよね」
「たしかに言ったけれど……もしかして、悪魔の正体がわかったのかな?」
九層地獄界インフェルノの第八層の支配者で、魔術と炎を操る悪魔だって言ってました」

 予想よりも大物な悪魔だったことに、さすがのトーレも目を見張る。

「なるほど……相当な悪魔だとは思ってたけど、最悪な奴が相手だったんだ」
「その悪魔が付けた印を消して、私から祓って欲しいんです」
「急にそんなことを言い出した、理由を聞いてもいいかな?」
「司祭様が……オーウェン様が、これ以上、悪魔と関わっちゃったら」
「うん?」
「私、オーウェン様が大切なんです。母さんが言ってた“大切なひと”って、私にとってはオーウェン様なんです。
 悪魔との“賭け”も、きっと大切なひとを手にできるかってことで……でも、それでもし勝てても、オーウェン様が悪魔に恨まれちゃうから……」
「なるほどね」

 俯くヴィエナの頭がふわりと撫でられた。「恋するものに祝福を」と、頭にキスをされて思わず顔を上げる。

「さあ、お入り」
「あの」
「愛と情熱の女神は愛を祝福し、恋人たちを護るものだ。君が愛のために悪魔をくだしたいと言うのなら、女神の輝く瞳と薄衣に掛けて、私は助けとなるよ」

 トーレに差し出された手を掴むと、彼はヴィエナの手を引いて、ゆっくりと階段を昇り始めた。

「前にも言ったけれど、君につけられた印を無理やり剥がすことはできるだろう。相手がわかった分、少しだけ有利になったからね」

 ヴィエナは頷く。悪魔祓いは、悪魔が何者かを知ることから始まるのだから。

「けれど、それでもかの悪魔大公プリンスが相手だ。もしかしたら邪魔が入ってうまく剥がせないかもしれない。
 それに、前にも言ったとおり、たとえ剥がせても君がただの抜け殻になってしまう可能性は高い。君につけられた印は何世代も経て、深く、広く、君の中に根付いてしまっている」

 いきなり強く手を引かれ、ヴィエナは倒れ込むようにしてトーレに抱き竦められた。トーレが耳元に口を寄せ、鋭く囁くように問う。

「それでも、君はそれを望むのかい?」

 ヴィエナはハッとトーレを見返して、やっぱりゆっくりと頷いた。

「もういちど訊くよ。何のために?」
「オーウェン様に、無事でいて欲しいんです。私が抜け殻になっても、オーウェン様が無事ならそれでいいんです」
「彼は反対するんじゃないかな?」
「それでも、です。私、母さんや皆のことを悪魔に渡したくなくて、でも、オーウェン様も危険に引き込みたくないんです。
 オーウェン様はたぶん怒ると思うけど、でも、私はそうしたいんです」
「――男女の愛とはとても利己的なものだ」

 トーレはくすりと笑ってヴィエナの身体を放し、しっかりと立たせる。

「彼はそれを望まないかもしれないのに、君はそれでも我を通したいと言う。思いを遂げられれば自分は救われるのに、それで彼が負債を負うことをよしとしない」

 少し不安げな表情を浮かべるヴィエナの額に、トーレはキスを贈る。

「でも、私はいいと思うよ。君の、そのどうしようもない衝動は愛が生んだものなのだからね」



 階段を登り切ると、いつか訪れた時と同様に、目のやり場に困るようなペラペラのスリップドレス姿のまま、イレイェンが長椅子に座っていた。

「ダーリン、じゃあ、その子を連れて行くのね?」
「ああ、ハニー。あとを頼めるかい?」

 自分が引っ掛けていた長衣をイレイェンの肩に掛けて、トーレはキスをする。頬をするりと撫で下ろして、またキスをする。

「もちろんよ、ダーリンがそう決めたのだもの」

 ふふ、と笑うイレイェンを抱き締めて、トーレはさらにキスをする。
 そのまま睦みごとに突入しそうなようすが見ていられなくて、ヴィエナはついと目を逸らした。
 いったい自分はどうすればいいのか。
 とにかく、ヴィエナはふたりのやりとりを待った……が、さほど待たされることはなく。トーレが最後にもういちどキスをして身体を起こしたところで、ヴィエナ少しほっとした。

「愛と情熱の女神の燃え盛る炎に掛けて、君を十天国界パラディーゾの女神の御許、聖なる山と聖なる海の交わる場所にご招待しよう」

 部屋の片隅、どうにも不自然な場所にある扉の前にヴィエナを案内し、トーレは片手を掲げて聖句を唱える。オーウェンの唱えるものとはまた違う響きだ。柔らかく、甘く、囁くような響きに、つい聞き入ってしまう。
 と、扉の前周囲がぼうっと光り始めて――

「さあ、おいで」

 カチャリと開かれた扉の向こうから、白い光がこぼれ出す。


 * * *


 魔術師イレイェンの塔の前でしばし扉を睨むと、オーウェンはノッカーを大きく打ち鳴らした。
 だが、何の反応も返ってこない。
 まさか、既にヴィエナは連れ去られてしまった後なのかと青くなりつつ、さらに数度繰り返し打ち鳴らす。

 ようやく扉が開き、オーウェンは勢い込んで一歩踏み込んだ。
 けれど、扉の内には誰も無く、ただランプがひとつ浮いているだけだ。
 呆気に取られてじっと見つめていると、オーウェンの目の前でランプが誘うようにゆらゆらと揺れて、階段へと動き出した。



 前回のように塔の階段を昇り、行き当たった扉へと手を伸ばす。
 しかし、オーウェンの手が触れる前に開いた扉の中では、長衣を肩に羽織ったイレイェンが長椅子に寝そべっていた。

「いらっしゃい。それで、今日は何しに来たの」
「ヴィエナがここへ来たはずだ」
「それが、あなたに何の関係があるのかしら?」

 ふん、と鼻で笑われて、オーウェンは眉間の皺を深くする。

「何か関係あるのか、だと?」
「そうよ……猛き戦神の高司祭オーウェン・カーリスに、魔術師にして愛と情熱の女神の司祭たるイレイェンが問うわ。
 あなたはどうしてヴィエナを追いかけてきたの」
「彼女を護るというのが、我が誓いだからだ」

 ふ、とイレイェンは鼻で笑い飛ばす。
 流したままの真紅の巻き毛の毛先を指で摘み上げて、ふ、と息を吹きかける。

「まるで話にならないわ。出直してきて」
「なぜだ! 私は猛き戦神の輝ける剣に掛けて誓ったのだぞ!」
「その程度の責任感で、あの子は救えない。救えないのだから下手な希望など見せず、ここから帰りなさい」
「その程度……だと?」
「そうよ」

 激昂するオーウェンにイレイェンはあくまで平然と寝そべったまま、しっしっと手を振ってみせた。
 オーウェンの低く唸るような声に、イレイェンはちらりと視線を投げる。

「私の、猛き戦神への誓いを、その程度とは――」
「ちゃんちゃらおかしいわ。そんなもので救えるなら、期限なんて待たず、とっくに賭けなんて終わってたに違いないわよ。もちろん、“魔女”の勝利でね。
 その程度もわからないのかしら?」

 オーウェンは絶句する。まさか、そこまで自分の誓いを低く取られているとは思ってもみなかった。
 イレイェンがくっくっと笑い出す。

「あの子に必要なのは責任だの義務だのじゃないの。ある意味、その対極にあるものね。それがわからない者に用はないわ。悪いこと言わないから帰りなさい」
「なぜ、誓いでは役に立たないと」
「簡単なことよ。あの子が必要としてるのは、そんなものじゃないからだわ。
 あの子は自ら選んであなたのところを離れてダーリンについて行ったの。そのことをちゃんと考えてちょうだい。義務と責任からの保護は、もういらないってことでしょう?
 つまり、あなたの誓いは用済み」

 やれやれと肩を竦めて、イレイェンはもういちどしっしっと手を振った。
 だが、オーウェンはその場から動かない。

「ねえ、あなたは何がしたいの」
「私は、ヴィエナを護ると……」

 イレイェンは呆れたようにひとつ溜息を吐いて、身体を起こす。

「なら、もういちどだけ訊くわ。
 あなたはどうしてあの子を護りたいの。
 護って、どうしようというの」
「私、は――」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子さま、側室さまがご懐妊です

家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。 愛する彼女を妃としたい王太子。 本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。 そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。 あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます

下菊みこと
恋愛
至って普通の女子高生でありながら事故に巻き込まれ(というか自分から首を突っ込み)転生した天宮めぐ。転生した先はよく知った大好きな恋愛小説の世界。でも主人公ではなくほぼ登場しない脇役姫に転生してしまった。姉姫は優しくて朗らかで誰からも愛されて、両親である国王、王妃に愛され貴公子達からもモテモテ。一方自分は妾の子で陰鬱で誰からも愛されておらず王位継承権もあってないに等しいお姫様になる予定。こんな待遇満足できるか!羨ましさこそあれど恨みはない姉姫さまを守りつつ、目指せ隣国の王太子ルート!小説家になろう様でも「主人公気質なわけでもなく恋愛フラグもなければ死亡フラグに満ち溢れているわけでもない至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます」というタイトルで掲載しています。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

父が死んだのでようやく邪魔な女とその息子を処分できる

兎屋亀吉
恋愛
伯爵家の当主だった父が亡くなりました。これでようやく、父の愛妾として我が物顔で屋敷内をうろつくばい菌のような女とその息子を処分することができます。父が死ねば息子が当主になれるとでも思ったのかもしれませんが、父がいなくなった今となっては思う通りになることなど何一つありませんよ。今まで父の威を借りてさんざんいびってくれた仕返しといきましょうか。根に持つタイプの陰険女主人公。

【完結】もう辛い片想いは卒業して結婚相手を探そうと思います

ユユ
恋愛
大家族で大富豪の伯爵家に産まれた令嬢には 好きな人がいた。 彼からすれば誰にでも向ける微笑みだったが 令嬢はそれで恋に落ちてしまった。 だけど彼は私を利用するだけで 振り向いてはくれない。 ある日、薬の過剰摂取をして 彼から離れようとした令嬢の話。 * 完結保証付き * 3万文字未満 * 暇つぶしにご利用下さい

私が我慢する必要ありますか?

青太郎
恋愛
ある日前世の記憶が戻りました。 そして気付いてしまったのです。 私が我慢する必要ありますか? 他サイトでも公開中です

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

処理中です...