灰色の世界の天上の青

ぎんげつ

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灰色の世界の天上の青

05.血を繋ぐだけで良い

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 悪魔デヴィルはそれきり沈黙する。

 ――魔除けの結界の内に、“九層地獄界インフェルノ”という異界から来た悪魔が入ってくることはできない。なら、あの悪魔は悪魔ではないか……もともとヴィエナの痣に根を下ろしていたかのどちらかということだ。

「わからないことが多すぎる」

 ここが都であれば、もっと多くの手段を講じることができる。魔術師協会ウィザードギルド魔術師学院ウィザードスクールだってあるし、知識と魔術の神の教会だってある。詩人も多い。
 都なら、その気になれば大陸中の知識を得ることができるのだ。“月の魔女”や“暁の国”について調べることも容易いだろう。

 だが、この町から都まで、どんなに急いでも十日以上かかるのだ。高位の魔術師であれば瞬間移動の魔術で一瞬だが、この町にそんな伝手はない。
 もう一度、さっきの出来事を義弟に話し、知恵を借りるのが一番の近道だろうなと考えて、オーウェンは溜息を吐く。
 エルヴィラを巻き込まないという約束なのに、これでは約束が守れない。何も話さずに済ませたかったが……これは話した上で首を突っ込むなと釘を刺すほうがいいかもしれない。

 さっきの出来事が嘘のように、すうすうと穏やかな寝息を立てるヴィエナの顔を見下ろして、どうしたものかとオーウェンは考える。



「また竜屋敷に行くの?」
「そうだ」

 朝早く、オーウェンは教会長に会った。当分の間、礼拝などの聖務からは外してもらい、ヴィエナの件に集中するために。
 昨晩の出来事を話した結果、悪魔が関わることを疎かにはできないということで、オーウェンと教会長の意見は一致している。どんな悪魔が関わっているのかは未だにはっきりしない。だが、ことによっては都まで行く必要もあるかもしれないだろう。

 それに、“賭け”という言葉だ。
 通常、悪魔と交わすのは“契約”だ。どんな形にしろ、契約を遂行してその代償に魂を得るのが悪魔という存在だ。ひとと“賭け”をする悪魔などとは聞いたことがない。
 だが、逆に、その“賭け”のことで悪魔の正体が絞れるかもしれない。

「ヴィエナは、自分の肩にある痣のことを知っているか?」
「痣? 痣なら、赤ちゃんの時からあるよ。母さまにもあったし、母さまの母さまにもあったって聞いたことがある」
「……なるほど」

 では、代々継承されている?
 悪魔との契約であれば、通常は個人だけで終わるものだ……稀に、その血筋そのものに絡む契約もあるにはあるが……。



「兄上!」

 昨日のように出てくるなり抱きつくエルヴィラに、やっぱり妹とだとは信じがたいなとヴィエナは考える。いい歳して咎めずしっかり抱き締め返すオーウェンもオーウェンじゃなかろうか。

「今日もどうしたんだ。珍しいな」
「我が義弟おとうとに少々確認したいことができたのだよ」
「そうか! ミケはまだ寝てるけど、そろそろ起きる頃だと思う」
「では、待たせてもらおうか」
「ああ!」

 昨日と同じ部屋に通されてすぐ、エルヴィラは「様子を見てくる」と席を外してしまった。オーウェンは、エルヴィラがいなくなるとまた真面目な顔に戻り、何かを考え込んでいるようだ。
 椅子に座り、足を少しぶらぶらさせながら、ヴィエナはなんとなく、ただ間を持たせる程度のつもりで尋ねてみた。

「……司祭様、確認したいことって、何?」

 昨日今日と朝から訪れているのだから、たぶん重要なことではあるのだろう。
 だから、オーウェンは笑って曖昧に言葉を濁すんだろうなと思っていたのに、じっと考え込んでしまった。
 ヴィエナをじっと見つめ返して、何か思案するように少し眉根を寄せて……何か変なことでも尋ねてしまったかと心配になるくらいに黙り込んでしまった。

「──そうだな、おそらくお前の血筋に関わる話になるだろう」
「私の血筋?」

 頷くオーウェンの言葉が思ってもなかったことで、ヴィエナは目を瞠る。

「すべては推測でしかないが……お前も一緒に聞いたほうがいい」

 ひどく真剣な顔で言われてしまい、尋ねたヴィエナのほうが戸惑ってしまう。それに、自分も知らないことをどうしてオーウェンが知っているのか。

「おはよ。さすが司祭は朝早いね」

 コンコンガチャ、と扉が開いて、欠伸をしながらミーケルが入ってきた。

「既に昼は近いと思うのだが?」

 オーウェンに言われても、ミーケルに堪えた気配はない。

「司祭の感覚と一緒にしないでよ。最近遅くまで起きてたし、とにかく眠くて」

 もう一度大きく欠伸をして、ミーケルはオーウェンの向かいに座った。

「で、今日は何。何か新事実でもあった?」

 ちらりとヴィエナを見て、またオーウェンへと視線を戻す。

「ヴィエナは、やはりお前の言う“月の魔女”に関わりがあるのだと思う」
「どういうこと?」

 きょとんとふたりを見比べるヴィエナをもう一度見て、ミーケルは姿勢を正す。お茶と軽食を持って戻ってきたエルヴィラは、妙な雰囲気に不思議そうに首を傾げてから、ミーケルの横に座った。
 オーウェンはひとつ息を吐くと、昨晩の出来事をゆっくりと話し始める。



「――“賭け”、ねえ」

 ミーケルはそう呟いて、オーウェンの司祭服をぎゅっと握り締めるヴィエナを見る。心持ち青い顔をしたヴィエナは、黙り込んだままだ。
 エルヴィラは「斬れる相手ならすぐ終わるのに」と口を尖らせた。

「エルヴィラ。頼もしい限りだが、今回、お前は手を出すな」
「どうしてだ、兄上」
「お前には他にもっと守らねばならないものがあるだろう。それに、一度“堕天”に触れられているのを忘れたか?」

 オーウェンにたしなめられて、エルヴィラは少し不満そうな顔になる。ミーケルに背を叩かれて、「ヴィー、義兄殿の言う通りだ」と言われ、ようやく「わかった」と頷いた。
 ミーケルやオーウェンの言う通り、エルヴィラはたしかに、今、ひとりの身体というわけではないのだ。何より子供を守らねばならない。

「何かが引っかかるな。どうにも思い出せないんだけど、何かあったと思う」
 “契約”ではなく“賭け”を持ちかける悪魔……。
「それと、“月の魔女”か……」

 ぶつぶつと呟きながら考え込むミーケルは、「“伝承よりの啓示”を試してみようか」と顔を上げた。

「“伝承よりの啓示”とは?」

 首を傾げるオーウェンに、ミーケルは小さく肩を竦める。

「修練を積んだ詩人に使える力だよ。この次元世界のどこかには、知識の神が溜め込んだ多くの伝承の集まる場所がある。そこから何かを得るための力だ。
 ただ、ひどく不安定で、必ず何かがわかるわけでも今すぐわかるわけでもない。
 けど、神術みたいに、直接、神に尋ねるわけじゃないから、他の力あるものには気付かれにくいし邪魔もはいりにくい。
 ま、ダメ元だし、期待しないで待っててよ」
「ああ、それでも助かる。
 ──ここが都であればもう少しいろいろと手を回せるのだが……戦神教会にはそもそもあまり悪魔の記録などはないし、正直なところ、少し手詰まりだったのだ」

 ほっとしたように笑みを浮かべるオーウェンに、ミーケルは「ああ」と何かを思いついたように声をあげた。

「僕の親にも手紙を送っておこう。“深森の国”は古いし、“暁の国”があった場所にも近いんだ。何か記録があるかもしれない。それに、僕の父も、ああ見えてそれなりに伝承やらには詳しいからね」
「それはなんとも心強いな」

 オーウェンは安堵の息を吐く。それから、不安そうに司祭服を握ったままのヴィエナの頭にぽんと手を置いた。

「ヴィエナ、あまり心配するな。お前のことは悪いようにはしない」
「でも、司祭様……悪魔って」
「ヴィエナ、兄上は私の兄弟の中でいちばん頼りになるんだ。猛き戦神の加護だってある。悪魔程度で心配はいらないぞ」

 エルヴィラににっこり笑いながら言われて、ヴィエナは思わず頷いた。



「……ね、司祭様」
「どうした?」

 竜屋敷からの帰り道、相変わらずしっかりとオーウェンの司祭服を握りしめたまま、ヴィエナがぽつりと尋ねる。
「私、悪魔になっちゃうの?」
「ならないよ」
「でも、悪魔に触られると、悪魔になっちゃうんでしょう?」
「大丈夫だ。ならないよ。エルヴィラのことを気にしているなら、あの子の場合は特殊なケースに当たっただけで、滅多にあることではない」

 そういうものなのだろうか。
 ヴィエナはやはり不安な表情を浮かべたまま、オーウェンを見上げる。

「教会に戻ったら、改めて私の知ることを話そう。もう少し事情がわかってからとも考えたのだが、それを待っていてはいつになるかわからないからな」
「うん」

 また小さく頷いて、オーウェンの司祭服を握り締める。自分のことなのだとは思うけれど、いまひとつ実感がわかない。けれど、遠い誰かの話のように感じるのにやっぱり自分のことなのだと考えると、ヴィエナは途方に暮れてしまう。
 ただ買われたからここにいるんだったら、楽なのに。



 教会に戻り、「毎日やらなければ意味がない」と剣の素振りと体力作りをやらされ、へとへとになったところで、ようやく昼間の話の続きとなった。
 エルヴィラが“兄上オーウェンは手加減しない”と言っていた意味が、よくわかる。オーウェンは本当に手を抜かない。あのにこやかな笑顔のまま、いつでも平然と厳しくしごいてのけるのだ。

 それとも、へとへとにして今にも寝てしまいそうな状態にしてしまうのが、オーウェンの作戦なんだろうか。
 ヴィエナと初めて会った夜の話と、昨晩あったという悪魔の話を聞きながら、今にも寝てしまいそうな頭を必死にはっきりさせておこうと頑張りながら、ヴィエナはそんなことを考えた。オーウェンは、ヴィエナがこうやって聞くだけで必死になるように、わざと疲れさせたんだろうか。

「ヴィエナ、今日は寝なさい。また結界と明かりをつくるから」

 頑張っていたのにやっぱり眠くて意識が飛んでいた。もうどうにも瞼が重たくてかなわない。オーウェンの言葉に「今日も、こっちで、いい?」と訊く。
 オーウェンは「ああ、いいよ」と笑った。

 ヴィエナはやはり闇に恐れを持っているのだろう。今日もしっかりと手を握って眠り込むヴィエナの姿を見ながら、オーウェンは考える。

 母と一緒に夜の護り手たる月の女神に毎晩祈っていたというのも、そのせいだろうか。この町に月の女神の神殿はなく、墓地に小さな礼拝堂があるだけだ。信徒に聖印や護符を授けるような神官が常駐しているわけではない。
 戦神教会にも、もう少し悪魔に関する蓄積があればよかったのだが……。
 どちらかといえば、戦神教会は、この世界アーレスの内で起こったひとびとの戦いを専門とする教会だ。悪魔のような純粋な悪しきものを相手に戦うのは、正義と騎士の神の教会のほうが得意としている。
 せめて、この町に正義神教会があればもう少し何かが掴めたかもしれないが、不運なことにこの町にあるのは司祭の常駐していない、礼拝堂のみだった。

 ベッドの上で身体を起こしたままじっと考え込む。ふと、オーウェンの手を握るヴィエナの手に力がこもった気がして、目を向けた。

「ヴィエナ、起きてしまったか?」

 小さく囁くように、声を掛けてみるが、反応は……いきなり握られていた手をぐいと引かれて、オーウェンはバランスを崩してしまう。

「……ヴィエナ?」

 訝しむように目を眇め、鋭く名前を呼ぶオーウェンに、ヴィエナがぱちりと目を開けてにいっと笑った。

「何故、抱かぬ? 神に愛されしものよ」
「何の話だ」

 倒れたオーウェンにのしかかるように身を起こすヴィエナは、普段の少し幼く感じる顔ではなく、妖艶とも言える笑みを浮かべていた。

「お前は何者だ。ヴィエナではないな」
「だがこの身体は間違いなくヴィエナであるよ」
「……“戦いと勝利の神の猛き御名にかけて”」
「祈りなど、聖句など届かぬ」

 くっと嘲笑って、ヴィエナはオーウェンの口を自分の口で塞ぐ。

「何を、するつもりだ」
「我らはこうして血を繋ぐ。それだけで良い。我らはお前の子種さえ貰えばそれでいいのだよ……“オーウェン・カーリス”」
「……お前は、“月の魔女”か?」

 まるで魔術でもかけられたかのように、オーウェンの身体が思うように動かない。
 艶然と笑み、ぺろりと唇を舐めて、ヴィエナ……“月の魔女”は身を屈める。


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