つがいではありませんが

ぎんげつ

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それからこれから

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 婚姻届のサインを巡る攻防から五日。
 朱灯しゅとうは毎日のように書類を突きつけてはサインを迫ってきたが、ジィアは努めて無視してきた。それでもしつこくしつこくサインをねだる朱灯は、いったいいつになれば諦めるのだろうか。
 本気で卵を産むつもりなのだろうか。

 地上管理局地上分室という職場は給与も待遇も悪くない。正直辞めるなどとは考えたくないのだが、このままでは転職も視野に入れなければならないのではと、ジィアは溜息を禁じ得ない。
 もっとも、転職したところで朱灯が諦めるのかという疑問も大きい。
 それに、辞表を提出したって朱灯に握り潰されるのがオチではないのか。

 そもそも、なぜ自分はこんなに真面目に毎日出勤しているのだろうか。職場では、情事の強要とセクハラと婚姻届サインのお強請りが待っているというのに。



「ふふ、できあがりましたよ、ジィア」
「何ができあがったんですか」

 ジィアが扉を開けるなり、踊り出しそうなほど浮かれた朱灯が立ち上がった。今度は何だというのか。

「これでようやく同居もできますね」
「は? これでって、何で同居なんですか。だいたい……」

 結婚だってしてないじゃないですか。
 そう言い返しそうになって、ジィアは慌てて藪蛇だと口を噤む。

「何でって、あなたと私の結婚指輪ができたんですよ。私の角と鱗で作りました。もう既成事実はあるのですし、指輪を交換すれば晴れて夫婦ですよね」
「――はあ?」

 結婚指輪?
 結婚していないのに?

 差し出された指輪は、金属とは異なる素材の硬質の輪に、淡紅色の螺鈿細工のような装飾がされていた。

「まさか、これ、監査官の角で鱗を螺鈿にとか……」
「朱灯ですよ。その通りです。【龍宮】の職人に発注したんですよ。さすが、仕事が早くて正確ですね」

 何それ重い。
 ジィアは思わずまじまじと指輪を見つめてしまう。
 己の身体の一部を使って宝飾品を作るとか、ドン引きしかない。だいたい、届にサインもまだなのになぜいきなり“結婚指輪”なのか。おかしくないか。

「ジィア、手を」
「え、ちょっと、管理官」
「朱灯です」
「――あっ! 何するんですか!」

 手を引っ込めたままのジィアに焦れたのか、朱灯はぐいと腕を掴んだ。そのまま無理やりジィアの指を開かせて、指輪を突っ込んでしまう。
 情緒も何もあったものではない。
 結婚とは二人の同意が大前提のはずではないのか。

「って、なんだコレ動かない!?」
「引っ張ったらいけません。ちゃんと呪いを掛けて、絶対抜けないようにしたんですから。たとえ指を切り落としたとしても違う指に現れる呪いですから、外す努力なんてすべて無駄ですよ」
「はああああ!?」

 勝手に嵌められた指輪をはずそうと引っ張るが、朱灯の言葉どおりびくともしなかった。ぐらつきすらしない。
 絶対外れない呪いの指輪なんて、重いどころの話じゃない。

「――なんでそんな呪いを掛けるんですか! 勝手に人に呪いの指輪はめるとか、なんてことしてくれるんです!」
「失くしたら困ります。それに、やはりずっと身に付けていて欲しいので」
「そんなの同意もなく勝手にされたら困ります!」
「同意してくれないんですか? 私とは毎日性交渉を持ってくれるのに」
「そ、それは、あなたが無理矢理……」
「嫌なんですか?」

 朱灯の金色の目にじっと見つめられて、ジィアは思わず口ごもる。

 嫌かどうかと訊かれれば、ジィアのヘミペニスを臆せず受け入れる異性は貴重だし、セックスの相性も悪くはないし、文字通りつるぺたの身体も悪くはない感触だし……。
 と、そこまで考えて、いや、そうじゃないと頭を振った。
 性交渉の有無で結婚が決まるとか、どういう理屈なのだ。

「嫌とかどうとかの問題じゃありません」
「では、どういう問題ですか。地上において、結婚は性交渉における相性も重要視するものだと聞きました。私はジィアの身体を非常に好ましく捉えていますし、ジィアとの性交渉にはとても満足しています。ジィアのヘミペニスだって、ちゃんと二本とも入れられるようになりましたよ。つまり、相性が良いということでしょう?
 それとも、ジィアは私との性交渉で満足していないのでしょうか」
「そっ、それは……」

 そんなあからさまに言われても、とジィアは視線を泳がせる。しかも、職場でする話じゃない。
 この龍人は、地上の常識を覚えるつもりもないのだろうか。

「そんなの、性交渉が即結婚に結びつくわけじゃないなんて当たり前ですよ、地上じゃ。そもそもまだ婚姻届にサインだってしてないのに、どうして指輪を嵌めるんですか。しかも、外れない呪いを掛けたヤツなんて、横暴です」
「だって、私の身体の一部が常にジィアの身体に触れていると考えると、とてもたまらないじゃないですか。私の身体がジィアの身体に混じったような錯覚さえ覚えて、正直言うと少しどころでなく興奮するんです。
 今だって、ジィアと性交渉を始めたくてしかたありません」
「あ――あなたは変態ですか!」

 朱灯はうっとりと顔を赤らめ、ジィアの指のそれをそっと指先で撫でる。

「だって、私の身体で作った輪に、あなたの指が刺さっているんですよ?
 ねえ。ジィア?」
「……訂正します。あなたは真性の変態ですね」
「そうでしょうか。至極当然な感情と欲求ではありませんか?」

 朱灯の指先が、何度も何度もジィアの指輪の上をなぞる。
 だんだんと、ジィアまでが妙な気分になってしまう。やめて欲しい。

「龍人につがいの概念がないとか、やっぱり嘘なんじゃないですか?」

 こうも執拗に結婚だの産卵だのを迫るのだ。
 朱灯が無いと言うだけで、実はあるんじゃ無いだろうか。地上人だって、狼の獣相持ちあたりは、薄れたとはいえ、一度ひとりに決めたらその相手に固執するような、いわば“番”の本能を持っている。龍人にそれが無いとは限らない。

「なぜです?」
「監査官がしつこいからです」
「朱灯ですよ。それは、ジィアが遺伝子的にも身体的にも非常に良い相手だからです。非常に良いとわかっていて逃すのは、もったいないではありませんか」
「その言いっぷり、もしかして、ほかにもっと良い相手が現れたらそっちに行くってことですか」
「そうですね、その時になってみなければわかりませんが……龍人にもよりますが、大抵は話し合いの上で円満に別れて、新たな相手と婚姻を結び直すことが多いようですね。
 そういう意味で、龍人に“番”はないんです」

 朱灯はふと何かに気づいたように目を見開いた。

「ジィアは気になるんですか? 将来的に、私が誰か他の相手を見つけて、ジィアに別れようと言い出すかもしれないと」

 ぐ、と言葉に詰まるジィアに、朱灯は心底うれしそうに笑う。

「ジィアがそんなことを気にするなんて」
「気にしたわけじゃありません!」
「でも、それは地上人同士の場合でも同様ですよね」

 言われてみれば確かにそうではある。地上人の間だって、別れたのくっついたのなんてよくある話だ。

「まあ、それはたしかに」
「ジィアがほかの者に目を向けないようにしたいところですが……私の呪いでは、ジィアが他の者を気にしたら向こうずねをぶつける呪いくらいしか掛けられません」
「なんですぐそういうこと考えるんですか。呪いは、これ以上、何があっても絶対に、掛けないでください」

 ちらりと指輪に目をやるジィアを、朱灯が不満そうにじっとりと見つめる。
 だが、呪いなんて、この指輪だけでいっぱいいっぱいなのだ。ジィアは素知らぬ顔で視線を逸らした。

「――ああそうだ」

 急に手を叩いて、朱灯が自席の机上から何か大きな冊子を取り上げる。
 フルカラーの重たそうな分厚い本で、表紙には見慣れない読みづらい飾り文字のみが描かれている。何の本なのか、ジィアには見当も付かない。

「先日、碧祥へきしょう管理官と話をしたのですが、地上人の雄性体はおっぱいに対してたいへんな執着を見せるのだそうですね」

 いきなり出た「おっぱい」という単語に、ジィアは思わず目を剥いて朱灯の顔へと視線を戻してしまった。
 龍人同士、いったい何の話をしているのだ。

「監査官……ここは職場です」
「朱灯ですよ。ですから、婚姻届のサインはおっぱいで釣るのがよいのではないかと、碧祥管理官から提案を受けまして、さっそくカタログを取り寄せたんです。
 微妙なサイズや形の差が重要だということですが、ジィアはどのようなおっぱいが好みでしょうか。正直なところ、ロケット型とか熟女仕様とか言われても、私には違いがよくわからなかったんです。
 なら、ジィアに直接聞いてしまったほうがよいでしょう?」
「は?」
「決まったら施術を申し込んで……今からですと、十日後くらいには完了でしょうか。そういえば、今の私のようなつるぺたを好む雄性体もいると聞きましたが、それは極々レアな派閥だそうで……どうしましたか、ジィア?」

 がっくりとくずおれるように膝を突くジィアを、朱灯が不思議そうに覗き込む。体調でも崩したかと、どこか伺うような表情だ。

「――おっぱいとか、わざわざ付ける必要なんてありません」

 本当に、龍人というのは、神龍の分身であり、天上に住まう高貴な種族なのではなかったのか。

「え?」
「監査官はそのままでいいですよ」
「朱灯です。では、ジィアはつるぺたが好きなレア派閥だったのですね」
「別につるぺた好きってわけじゃありません!」
「けれど、おっぱいは付けなくてもいいと言ったではないですか」
「俺のために付ける必要なんてないってことですよ! 監査官自身が付けたいなら別ですけど!」
「朱灯です。では……」

 朱灯はぱちぱちと数回瞬きを繰り返して、それから楽しそうに笑う。

「では、結婚式はいつにしましょうか」
「なっ、なんでそういう話になるんですか!」
「ジィアは今のままの私が良いのでしょう? そういう言葉は最上級の愛の告白に等しいと聞いています」
「誰も愛の告白なんてしていません!」

 膝を突いたまま、何を言うのかと怒鳴り返しながら顔を赤く染めるジィアの背に、朱灯が笑いながら思いっきりのし掛かる。

 嫌かと訊かれれば別に嫌ではない。
 ただ、このままなし崩しにというのが嫌なのだ。
 けれど、どれほど躱そうとしてもこのままべったり纏わり付かれて終わりそうで、ジィアは溜息しか出なかった。
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