つがいではありませんが

ぎんげつ

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これからもよろしくお願いします

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 どうにかこうにかひとりで帰って来れた。
 朱灯しゅとうはもちろん引き留めようとしたが、ジィアは必死に固辞して固辞して固辞した結果、自宅――つまり地上管理局地上分室の職員住宅にひとりで帰宅できたのだった。
 朱灯もついてくることなく、ひとりでだ。

 それにしてもと、一連のことを思い出して、ジィアは思わず赤面する。
 いったいなんであんなことになったのか。
 まさか今後もこの状況が続くのか。

 いくらなんでもまずいだろう。
 セクハラと性的関係の強要で室長に陳情したほうがいいのだろうか。
 しかし相手は龍人なのだ。万が一ジィアの方こそが上官を手籠めにしたのだと疑われたりしたら、どうすればいい?
 ジィアは頭を抱えてベッドに身体を投げ出した。
 取るべき最善がわからない。

 ――面倒くさい。明日の様子を見て決めよう。

 ジィアは、面倒くさくなると問題を先送りにしてしまうタイプだった。


 * * *


「あ、あの、角が……」
「はい、切りました」
「え、切った、って」

 翌日出勤すると、昨日まで朱灯しゅとうの頭に生えていた、鹿のように枝別れした角が無くなっていた。
 ぽかんと頭を見つめるジィアに、朱灯はにっこりと笑い返す。

「大丈夫ですよ。年に一度は生え替わるものですし」
「は?」
「これまでに生え替わったものをいくつか取っておけばよかったのですけど、後の祭りでしたね」
「取っておくものなんですか……」

 いくら生え替わるものだからって、切ってしまって大丈夫なのか。それより、取っておいてどうするのか。
 呆気に取られるジィアに、朱灯はくふふと機嫌良く笑う。

「後々を見越して取り置く者は、それなりにいるんですよ」
「でも、切って何を」

 後々を見越してとは、何を見越してなのか。
 どうにも気になって、ジィアはちらちらと頭に視線を向けてしまう。

「気になりますか?」
「気になるといいますか……」
「でも秘密です」
「はぁ」

 朱灯は鼻歌でも歌い出しそうな機嫌の良さで、がさがさと机上の書類をいじくり始めた。では、今日は特に何もする気はないのか。ジィアは少しほっとして、近くに用意されている自席に向かう。

「ジィア」
「はい」

 座ろうとしたところで呼ばれて、ジィアはもう一度朱灯の前に向かった。

「こちらにサインをお願いします」
「サインですか?」

 首を傾げつつもジィアはペンを持つ。異動に伴う何かの届出か……と、差し出された書類へざっと目を通して大きく目を見開いた。

「かっ、監査官、これ……」
「朱灯ですよ。私としたことが、うっかり忘れていまして。昨日は少し頭に血が上ってしまっていたようですね」

 書類には、“婚姻届”と書いてあった。
 もちろん、朱灯のサインは記入済だ。

「な、え、これ、婚姻届って……」
「ええ。受精可能なくらいになるまであと十日弱、そこから産卵までさらに約一ヶ月ほど時間がありますけど、こういうものは早いほうがよいでしょう?
 公式に父無し子にしてしまうのもかわいそうですし、善は急げですよ」
「は? 産卵?」
「ええ、龍人は卵生ですから。言いませんでしたか?」

 そういえば、昨日そんなことを聞いたような気がする。
 つい考え込んで、いや、問題はそこじゃないとジィアは気を取り直した。

「監査官、産卵って、なんで……」
「朱灯です。あなたの種は十分いただきましたから。一年くらいは産卵に困らないと言っても、やはり待ちきれなくて……」

 朱灯はぽっと顔を赤らめた。
 恥じらうタイミングを間違えてやいないか。それ以前に、“困らない”の意味だってわからない。何が困らないのかと、ジィアの頭は混乱する。だいたい、昨日の今日でなぜそこまで話が進むのか。しかも、ジィア本人を置き去りに。
 そもそも、朱灯の口ぶりでは……

「生殖って、普通コントロールできないものでしょうが」
「そうなんですか? 龍人はコントロールできますよ。でないと、増えすぎたり減りすぎたりして【龍宮】の維持ができないでしょう?」
「は……?」
「それに、雌性体に分化した龍人は、産卵したら卵を【龍宮】に送らなければならないんです」

 朱灯は何を当然のことを、という顔で淡々と述べる。
 地上と天上の文化が違いすぎて、ジィアの理解が追いつかない。

「早くサインしてください。今すぐなら産卵枠も空いてるんです。それに、【龍宮】に送るときには父親の登録なども必要なのですよ。別に婚姻関係にはこだわりませんが、今届けを出しておけば後々の面倒な手続きが不要になりますからね。
 それとも、父親は嫌ですか? 嫌なのでしたら、私も少々考えますが」

 唖然と立ち尽くすジィアに、朱灯が書類を向けた。いつの間にか落として机上に転がっていたペンを取って、再度ジィアの手に握らせる。それから、サインはここだと指し示し、ジィアを見上げて軽く首を傾げた。
 ジィアは未だ呆然と書類の“婚姻届”という文字を眺めているだけだった。

「卵って、温めたりとか……」
「いえ、先ほども言ったとおり、産まれた卵はすべて天上へ送るので心配はいりません」
「え? でも、養育だって」
「龍人が産んだ卵の孵化率は八割程度なんですが、それも孵化施設のケアがあってこそなんです。なので、産まれた卵はすべて天上の施設で孵卵器に入るんですよ」
「はあ……じゃあ、子供の養育も?」
「はい。そのまま専門の職員が養育します。龍人の雛はとても小さくて弱いので、なかなか難しいのです。雛の時期に専門施設以外での養育を試みると、死亡率が跳ね上がってしまうくらいなんですよね」

 子供の養育が施設任せだというなら、結婚する意味はあるのだろうか。夫婦で育てる必要があるからこその結婚じゃないのか。

「心配ですか? ジィアと私は遺伝上の父母として面会権がありますから、ちゃんと会えますよ。ただ、施設は【龍宮】内なので、ジィアの直接の面会は難しいですね。幼いうちはどうしても、通信を介しての面会となってしまいます。
 けれど、ある程度育てば地上での面会もできますし、両親の家での外泊だって許可されると思います」

 いや、やはりそうじゃない。

「監査官」
「朱灯ですってば」
「結婚は、決定事項なんですか」
「嫌なんですか? 私としては、婚姻関係にあったほうが今後の手続きも……例えば、孵った雛との面会ですとか、諸々の手続きが一度で済みますし、雛が成長した後どうするかというのもスムーズに決められると思うのですが。
 けれど、ジィアがどうしても嫌だと言うのでしたら、しかたが無いので婚外子の手続きを取りますよ」
「というか、卵は確定事項なんですか」
「はい。私、どうしてもジィアの卵が産みたいんです。生殖器が十分に成熟次第、産卵の準備に入ろうと考えています」

 話が通じているようで通じていない。
 それに、やはり産卵は決定事項らしい。
 “あなたの子が欲しい”なんて、聞きようによってはクリティカルに心を撃ち抜くはずの言葉なのにまったく響くことはなく、ジィアは思わず溜息を吐く。

「――なんで俺なんですか」
「それは、私の本能があなたが最高の相手だと告げているからですね」
「最高って何なんですか。龍人につがいなんてないって言ってたのは、監査官じゃないですか」
「朱灯です。最高というのは、あなたと私の遺伝子の組み合わせが良いものだということですから、“番”とは違いますよね? もちろん遺伝子ですべてが決まるわけではありませんが、少なくとも、私にとってはジィアがこれ以上ない相手だということです」
「遺伝子が合えば誰でもいいってことですか。俺、子供どころか結婚だってまだ全然考えたことなかったってのに……」

 頭を抱えるジィアに、朱灯は首を捻る。
 いったい何をそこまで問題にしているのかがわからない。朱灯がこれほど本能でジィアが欲しいというのに、何を疑うのか。
 しばし考え込む。

「もしや、ジィアは結婚や産卵が気に入らないというのでしょうか」
「気に入るも何も、俺が何か言うスキなんてなかったじゃないですか」
「それは困りました」

 朱灯は心底困ったという顔になった。
 ジィアにしてみれば明らかに順番を間違えられたあげくのこれだ。こちらこそ困り果てているのだと主張したい。

「落ち着いて考えてみるに、たしかに少々公私混同と職権濫用はあったかもしれませんが――」
「あったかもとかいうレベルじゃありませんが」
「そうですか?」

 その程度で済ませようというのかと渋面になるジィアを、朱灯は首を傾げて見つめる。

「まあ、本能のなせる技ですし、しかたありませんよね」
「全部本能のせいにしないでくださいよ……だいたい、人が本能を抑え込めるようになって、何百年経つと思っているんですか」

 地上人は持って生まれた獣相に本能を引きずられる。
 そう言われたのは遙か過去のことだ。
 今では獣相のうまい抑え方も確立しているし、幼少時からの教育もあって、地上人なら誰でも難なく本能の手綱を取れるようにもなった。
 昔は発情期だなんだと大騒ぎだったが、現代ではそんな本能に振り回されることもほとんど無い。

「地上ではそうですね。けれど龍人は本能に振り回されることが少ないので、地上人ほど抑え込む必要がないのですよ」
「――振り回されることが少ない、ですか?」
「ええ。今回はとてもイレギュラーなケースなんです」

 どの口が言うかと疑わしそうに見つめるジィアに、朱灯は笑い返した。

「何しろ、通常なら五十年ほどで伴侶を見つけて性分化を迎えるはずなのに、私は八十年を数えるまで未分化のままでしたから。
 きっと、いろいろと反動が大きかったんですね」
「八十年……て、俺の三倍じゃないですか。監査官ってそんな歳だったんですか」
「朱灯といってます。龍人の寿命は二百年から五百年と幅がありますし、地上人とは成長速度も違います。同一には語れません。ですから、ようやく性分化が進んでやっと身体的に大人になった私は、ジィアより年少と言っていいのではないでしょうか」
「詭弁だ」

 呆れるジィアに、朱灯はますますうれしそうな笑顔を向ける。

「いわばジィアが私の初恋ですよ。ジィアが私の性分化を促したのですから、責任持って私の産卵を認めてください」
「は……何言い出してるんですか。しょ、職場恋愛とか、風紀の乱れなんかを正すのが、監査官の仕事じゃないんですか」
「私の仕事は地上の見守りです。正すのは、地上の住人自身の仕事です」
「やっぱり詭弁だ!」

 くふふと笑って朱灯は立ち上がり、
机を回ってジィアの背中に張り付いた。

「監査官!」
「朱灯です。私は詭弁を弄しているつもりはありませんし、卵も婚姻も本気です。ですから、ジィアに異論がないのであればサインをください」
「そんな、昨日の今日で会ったばかりの相手と結婚しようなんて、酔狂なことできませんってば!」
「――ジィアは頑固ですね」

 背中に張り付いたままの朱灯が、はあ、と溜息を吐く。

「わかりました。これから毎日会うのですから、もうこのくらいでいいと思った時にサインしてください」
「サインすることが前提なんですか……」
「嫌ではないのでしょう? なら、結婚くらい良いではありませんか」

 何が“結婚くらい”か。
 そう言い返そうとしたジィアの身体を、朱灯の手がさわりと撫でる。その感触にびくりと震えてジィアは離れようとしたが、抱きつく朱灯の手はびくともしなかった。

「かっ、かっ、監査官、今は、勤務中ですので」
「朱灯です。大丈夫ですよ。見守りには支障ありませんし、扉の呪いもちゃんと掛け直してあります」

 背中に張り付いた朱灯は、ジィアの言葉を聞いているようで聞いていない。このまま……結局、届けにサインをしようがしまいが、なし崩しに結婚したものとして扱われるのではないだろうか。
 ジィアの意思などお構いなしに。

 はあ、とジィアは観念したように溜息を吐いた。
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