つがいではありませんが

ぎんげつ

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青天の霹靂

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 それは、晴天の霹靂としか言いようがなかった。
 朱灯しゅとうは、今まさに雷に打たれたような衝撃を受けたのだから。



 衛星軌道城塞【龍宮】は、文字通り、この地上の遙か上空、エーテルに満ちた宇宙そらに浮かぶ神龍の住まう城だ。
 今や神龍自身が表に出ることはめったになく、神龍とは神話の存在であるとも言われるようになった。その代わりに、天上人と呼ばれる龍人たちが、この【龍宮】より地上人を見守り、時には導きを与える役割を担っている。

 朱灯も、その龍人のひとりだ。
 地上管理局の【龍宮】本部より、地上分室を査察にきた査察官でもある。

 本来、龍人たちは地上に降りることを善しとしない。
 地上はあくまでも天上より見守る対象であり、高貴な龍人が降り立つような場所ではないと考えている。いかに管理官であってもそれは変わらない。たとえ必要があってのことであろうが、地上分室への異動はもちろん出張さえ嫌がる龍人は多い。
 朱灯の今回の出張も、くじ引きで負けて仕方なくのことだった。
 仕方なく……“地上堕ち”ではないただの出張だ、運が悪かっただけだと自分を慰めつつ、朱灯は地上ここに来たのである。

 ほんの、一瞬前までは。



「――彼は?」
「北地区を担当している上級巡回監視員、ジィアです」
「なるほど」

 一点を凝視したまま尋ねる朱灯に、案内役でもある地上分室の担当職員は汗を拭きながら説明する。
 地上分室の職員は大半が地上人で、この担当職員ももちろん地上人だ。
 外見から察するに、彼は犬の獣相を持っているのだろう。やや伏せられた耳が落ち着きなく動き回っては朱灯を窺っている。だらりと垂れ下がる尾にも、天上からの査察官に痛くもない腹を探られて緊張と不満を感じていることが表れている。
 ここに来るまでだって、朱灯が何か口にするたび不備でもあったのかと、毛を膨らませてびくついていた。
 主に、彼の耳と尾が。

 隠したい感情がこうもダダ漏れなのでは、獣相とは哀れなものだ。
 担当職員を適当にあしらいながら、朱灯はそんなことを思う。

 ――そもそも、地上を見ているだけの龍人がいったい何を管理しているのか。

 疑問に思う地上人は少なくないだろう。
 なにしろ、龍人に取ってさえその役目は形骸化して長いし、当初の目的もすっかり薄れてしまった。
 とはいえ、地上に万一のことがあっては、神龍のお叱りを受けてしまう。
 だから、こうした管理と監視はやめられないのだ。
 それに……言ってしまえば、長い寿命と変化のない【龍宮】の暮らしで、地上の監視や観察というのはていのいい娯楽や暇つぶしでもあった。

 朱灯はとりとめのないことを考えながら、じっとジィアを見つめる。

「朱灯査察官、彼が何か……?」
「いえ」

 怪訝そうに朱灯を振り向いた担当職員に、朱灯はにっこりと微笑んだ。けれど、朱灯の視線はやはりジィアに固定されたままだ。
 何か不審がと、担当職員も改めてじっくりとジィアの観察を始める。

 さすがに気配を察したのか、ジィアが振り返った。朱灯の隠そうともしない強い視線を受けて、困惑しつつも軽く会釈を返す。

「上級巡回監視員ジィアの業務経歴等について、直ちに提出してください」
「は? いえ、了解しました」
「くれぐれも直ちにですよ」
「え、あ、はい」

 妙な迫力の朱灯から念を押されて、慌てた担当職員はすぐさま巡回本部の事務官の席へと向かった。
 その背をじっと見送った朱灯の、常ならば針のように細いはずの瞳孔は、まん丸に開ききっていた。


 * * *


 ひととおりの査察を終え、あてがわれた客室へと戻った時には夕刻だった。窓から差し込む陽光は赤みを帯び、空が暗くなってきた。
 そろそろ宇宙そらを覆うエーテルのほの暗い反射光が、地上を照らし始めるころだろう。

 机上にはジィアの業務経歴や人物評定等の書類が届いていた。
 朱灯はくふふと笑いながら封書を開けて、中を確認する。これからすぐにすべての用意をしなければならない。

 端末を起動するなり規定の書式を確認した朱灯は、いつも以上の熱心さで次々と項目を埋めていく。
 さほどの時間も掛からず、できあがったもの一式をもう一度確認して、朱灯は満足そうに頷いた。

「ああ、人生にこんなに喜ばしいことがあるなんて」

 朱灯は書類に添付した写真画像をしばし眺め、ふと思いついて紙に出力した。
 その紙を抱き締めてひとしきり頬ずりをしてキスをして満足すると、今度は、上官……つまり地上管理局査察本部長への直通回線を開く。
 もちろん、応じたのは本部長本人である。

「一等査察官の朱灯です」
「朱灯査察官、地上分室で何かあったかね?」

 大抵の場合は、査察の結果に何か特筆すべきことなどが見つかることはなく、帰還した後の報告で十分なはずだ。
 なのにこの時間に? と、本部長は首を捻る。
 しかもこれは直通回線で、緊急時にのみ使われることを定めてある。
 どう考えても何かあったとしか思えない。

「報告書は後ほどお送りいたしますが、まずは重要な報告をと考えました」
「ふむ……どんな報告かね?」

 真剣味を増した本部長の眉間に、くっきり皺が刻まれた。
 しかし、朱灯は奇妙なほどに明るい。満面に、職務上の報告には似つかわしくないほどの笑顔まで浮かべている。
 どんな報告なのか想像も付かず、本部長は眉間の皺をさらに深くする。

「わたくしこと朱灯一等査察官は、このまま地上分室へ転属いたします」
「――は?」
「天上には戻りたくありません。正式な転属願いは通信後直ちに送付します。
 どうせ地上分室の管理官は不足しているのですし、問題はないかと存じますが……今この場で転属願いを受理していただけますよね?
 それから、地上分室巡回本部のジィア上級巡回監視員を私の補佐官に任じてください。業務経歴や人物評定、来歴等はすでに私自身が確認し、問題ないと判断しています。こちらの書類についても転属願いと一緒に送付いたしますので、本部長には即時承認をお願いします」
「朱灯、お前、何があったんだ」
「なかなかどうして本能とは馬鹿にできないものなのですね。これまでの本能を軽んじる発言については伏して謝罪すると、皆さんにもお伝えください」
「だから待て朱灯! 意味がわからんぞ! 本能とは何のことだ!」
「ここで、私の本能が揺さぶられる事態が来るとは、本当に人生とは不思議なものです。こうなった以上、以前の私ではいられない」
「おい!」
「それでは、やらねばならないことを残しておりますので失礼します。
 転属および補佐官任命は、くれぐれも即時承認でお願いしますね。万が一却下などということになりましたら、私、全力で本部長を呪いますので」
「朱灯!」
「脅しではありません。本気ですよ。本部長が毎日飛竜の爪に蹴られるようにと、私の持てる全力で呪います」

 コンソールの向こうで喚き散らす上官をきれいに無視して、朱灯はブチッと思い切りよく通信を切った。
 そのまま流れるように用意していた書類をすべて送付すると、端末の電源自体も落としてしまう。

「ああ……これが運命の出会いというものなのですね」

 朱灯は写真をうっとりと眺め、熱い吐息を漏らした。
 写真とはもちろんジィアの上半身を写したものだ。

 身体の性分化は、すでに開始している。
 約八十年という龍人としても少々長すぎるくらいの期間、朱灯は性未分化のまま過ごしてきたが、とうとうその日を迎えたのだ。
 十日もすれば身体は完全に雌性体へと変わるだろう。
 とはいえ、変わるのは生殖器の部分だけ。それもホルモンバランスが若干変化して、内部器官が生殖可能なように成熟するのみだ。
 外部も体格もそのまま、あえて言えば、胸や腰の肉付きが多少変わる程度の変化だけなのだから、今の時点であっても生殖行為には何ら問題ない。

 それにしても、最初というのは特別なものなのだな……などと独りごちながら、朱灯は明日の訪れを楽しみに待つ。




**********

世界はこんな感じの構造になっています



◾️簡単な説明
衛星軌道城塞【龍宮】
神龍と龍人の拠点。龍人しか住んでいない。
神龍も城塞の奥深くにいるはずだが、あまりに暇なのか寝たまま起きてこないと言われている。
地上とは主に飛龍便で結ばれている。飛龍シャトルもあるし通信も通っている。
そんな、地球と比べてアナログなのかハイテクなのかよくわからない環境である。

地上管理局/地上管理官
【龍宮】から地上に住まう地上人たちを監視・管理するための部署。
大昔は本能重点で暴れてた地上人たちを教え導くという役目があったというが、本能を克服した地上人たちがすっかり文明化された今では、たんなる地上覗き見部署である。
特に、地上の王位決定戦は大人気エンターテイメントとして観戦されている。
長生き過ぎて暇つぶしが欲しくなったと言ってここに就職する龍人もそれなりにいる。

地上分室
地上管理局の地上支部みたいなもの
地上に何かあった場合に直接介入するための部署だが、現在の龍人たちには最高に不人気な職場となってる。
配属されると「地上堕ち」と呼ばれてプークスされる対象になるが、稀に自ら望んで地上勤務する龍人管理官もいるし、そういう龍人はほぼ【龍宮】には帰ってこない。
龍人はともかく、地上人職員は、主に警察・司法官としてここで働いている。

龍人
神龍が地上の管理を任せるため自らの鱗から生み出したと言われる種族。人型の龍。
最近は皆適当に生きている。

地上人
神龍が地上に置いた種族。基本人型だが、皆、獣相と言われる人外の特徴を多少の差はあるが持っている。
獣相は虫から魚から獣から、さまざまな動物のものとなってて、遺伝はしないらしい。
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