黒蠟濡の森

土の味舐め五郎

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事件

最後の犠牲者……?

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 なにかと鬱陶しかった親父が死に、ベスレとの交際を阻んでいた最大の障害ヒュールカミンも死んだ。なんと素晴らしい事か。
 正直言えば、ニエルティを去ることになるのは少々残念だ。司法局長である親父の権威も捨てたもんじゃないし、大学や酒場で色々といい思いもできた。水は綺麗で食い物も美味い、他の都市からいろんな女もやって来る。
 でもまあ、貴族のベスレと一緒に王都で暮らす事になれば、すぐにいい思いが出来るようになるだろう。それまでの辛抱だ。
 今度は遠慮なくベスレの身体を好きに出来る!
 前は運悪く赤ん坊が出来てしまって、危うく何もかもぶち壊しになるところだったけど、もうその心配もない。
 それにしても、ボクの身代わりになって処刑されたザクムートは本当に気の毒だったな。あんな悍ましい殺され方をされずに済んだのは幸運だ。待てよ。確かあいつは強姦した事にされたんだっけか?それと比べたらボクとベスレは互いの了承あっての事だから、処刑までされることにはならなかったと思うけど。何はともあれ、かわいそうな奴だ。

 奨学生徒に宛がわれた大学寮の自室にて、エパテヴィーロは荷物を纏めていた。さして熱心に勉強しているわけでもなかった大学への休学申請も済ませ、後はベスレ達の準備が整うのを待つばかり。遅くとも、明日にはニエルティを発つことに事になるだろう。
 ある程度の支度が整った頃。エパの自室を訊ねる者があった。部屋の主が最初に考えたのは、出発前の夜に逢う約束をしていた大学の後輩が待ちきれなくなったのではという事だ。
 部屋の外にいたのは寮の不細工な管理人だった。
「シュティーペラン家の御女中様が来てますよ。大事な用事があるそうです」
 それを聞いてエパは急いで玄関へと向かった。
 寮の外へ出ると門の前に女中のスルアがいる。暗い表情だが、かわりにいつもの敵対的な目つきではない。
「な、何か用ですか?」
「実はエパテヴィーロ様にお願いがあって参りました」
「お願いって」
 ベスレに心酔している女中が初めて見せる殊勝な態度に、エパは多少の違和感を感じたが、すぐにどうでもよくなった。 
「ベスレお嬢様は今大変心細い思いをしております。私が近くで守っていても、それだけでは心許ないのでしょう。ですから、どうか今夜はお嬢様と一緒にいてほしいのです」
「……そうですか。わかりました。そういう事でしたら今夜伺います」 
 丁寧で落ち着いた返答をするエパ。だが内心では小躍りしていた。
 
 こいつはちょうどいいや!
 ニエルティを出たら色々としばらくお預けになるだろうから、今夜のうちにベスレを抱けるならこれほど嬉しいことは無い!
 後輩ちゃんには悪いけど、今回は無かったことにしてもらおう!
「そういえばスルアさん。その左手どうしたんですか?前に会った時からずっと包帯をしてるみたいですが。治りが良くないんですか?」
 今までは特に気にならなかったが、なんとなく体調の悪そうな顔と関係があるような気がしてしまって聞いてみたくなったのだ。
「ああ……これですか。……以前、お嬢様が森の空気を吸いたいと仰られてお供した時のことなのですが。その時に急に飛び掛かって来た小動物に噛まれてしまいまして。特に深い傷ではなかったのに、不用意にいろんな草木にも触れたせいでかぶれてしまって」
 森って南西の方の森だよな?それにしてもベスレが森に行っただなんて珍しいな。体調を崩して心境の変化とかがあったのかな。
「そうですか。はやく治るといいですね」
 あれ?でもベスレの女中の誰かがそういう肌の炎症とか治癒できる人いたような気がするけど……。もしかしたらそういう単純な症状じゃないのかもな。
「あの、よかったら知り合いの医術師を紹介しましょうか?」
「……いいえ。お気遣いには感謝いたしますが、お構いなく。それよりも、何卒、今夜お嬢様の事をよろしくお願いいたします」
「は、はい。まかせてください」

 スルアのただならぬ気配にたじろぎつつも、エパは今夜ベスレの部屋へ行くことを快諾した。
 その後、エパは自室に戻らずに当初約束をしていた大学の後輩を探した。今夜逢うことが出来なくなったと伝えるためだ。なぜか、こういう女性関係については謎の律義さを発揮する彼は、大学構内で件の女性を見つけると事情を説明。そしてさらに律儀な事に、納得がいかず我儘を言う彼女の為に急遽、場を設ける事に。
 
 少し話は変わるが、ニエルティには四つの地区の他に『芥』と呼ばれる被差別地区がある。特別貧しいでもなく治安が悪いでもなく、人々から忌避される職業を生業とする人々が多く暮らすこの都市での最下級市民街が『芥』だ。
 ただ、『芥』に住む人々を露骨に差別しているのは貴族や一部の軍人くらいで、それ以外の市民はそれほど悪い感情を持っていない。一応、都市の政治に関わる者達も表向きは差別的であるが、実際は彼らの仕事の重要性を理解し、影ながら援助したり、補助の制度を作ったりもしているというのが現状である。

 そんな『芥』でエパテヴィーロという人間はかなり人気があった。
 人は見かけによらないもので、エパは『芥』の人々を差別することが全く無かった。そのうえ「何か困ったことがあったら親父に言っておくから」と手を差し伸べたり、実際に議会まで通り適用された法案などもあって、彼は『芥』の人々から何かと支援を受けることもあった。
 今、エパと後輩の女が使っている小さな小屋も『芥』の人々がわざわざ用意してくれた物で、頻繁に女遊びをしている彼が人目に付かずに行為に及ぶための場所として非常に重宝しているのだ。 
 陽が沈むまでたっぷりと楽しんだエパは、風呂で身体を洗い飯を食う為だけに実家を訪れた。ベッドで安静にしている母を見舞う事も無く、まだ十代前半の妹と唯一の使用人にだけ軽薄な別れの挨拶をして家を出た。
 精力旺盛なエパは既にベスレとの夜の営みの事で頭がいっぱいだった。
「なんだろうな。さっきまであんなに散々出したのに、今夜は不思議といつも以上に力が漲ってくる感じがする」
 それは、彼の意識の奥底にある本能が、不気味で尋常ではない気配を感じ取っていたからかもしれない。

 悲しいことに、彼は如何にしてベスレに白濁した生命力を注ぎ込むかという事にばかり気を取られ、自らに迫る結末については特に何も考えていなかった。

「えーっと。お邪魔します」
 広大な敷地への入り口となる門で女中のスルアがわざわざ待っている。ベスレの部屋の前にいるとばかり思っていた。
「お待ちしておりました」   
 そう言うとスルアはわずかに目配せをしてこっちに背を向け、ゆるりとした所作で屋敷の玄関へと歩いていく。初めて目にする彼女の女中らしい振る舞いに、ボクは思わず劣情を催しそうになる。
「おいおいそれはないだろ。せっかくこれからベスレとやるんだから」
 自分に言い聞かせながらスルアについて行く。なるべく視線は後頭部に固定したままで。
 屋敷の中に入る。幾つかの灯りはついているが、随分と暗い。
 それに静かだ。
「なんだか随分と静かですね。他の女中や下男さんは?」
「今夜エパテヴィーロ様をお招きするにあたって、些事を気にせず済むように多くの者には休暇を与えています。幾人かは東側の部屋に控えておりますので何かあれば対応致します」
 ベスレの部屋は二階の西側にある。音が届かないように配慮してくれてるのかな。それならありがたい。これならちょっと激しくしても屋敷の人間から苦情が来るような事にはならないだろう。
「……ん?何か変な臭いがしません?」
 中央の階段を登った辺りでどこからか微かな異臭がする。
「旦那様のお部屋であんなことがありましたから、エパテヴィーロ様と同じように血生臭いと思い込む者もいまして。それで花のお香を焚いたりしたのですが、かえって良くなかったかもしれませんね」
「ああ。そういうことですか」
 確かに、なにか花のような果物のような香りも混じっている気がする。
 まあいい。ベスレの部屋までこの臭いが漂って来なければ。
 そして、待ちに待ったベスレの部屋へと到着した。
「それでは、ごゆるりと、満喫してくださいませ」
 部屋の扉が開き、奥にある大きなベッドに腰を掛けているベスレの姿が目に入る。暗くてよく見えないが間違いなくベスレだ。

 一歩、部屋の中に踏み入る。

「お待たせベスレ」
 
 二歩、扉から離れる。

「待ってたわエパ」

 三歩、扉が閉まる。

「やっと二人きりになれたね」

 四歩、ベスレが立ち上がる。

「ごめんなさいエパ。二人ではないの」

 五歩、後ろを振り返る。

「えっ?スルアさん」

「お嬢様のご要望でして」

 六歩、ベッドへ近づく。

「これってつまり、三人で……ってこと?」

 七歩、まだ勘違い。

「いいえエパ。三人でもないの」

 八歩、言われて初めて部屋の中の気配に気づく。

「そ、そんなにたくさん?」

 まだ桃色の妄想に囚われていたエパを恐怖の現実に引き戻したのは、部屋の隅の暗がりに控えていた者達だった。

「わぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 エパテヴィーロは突如現れた七人の男達の姿を見て腰を抜かした。と言っても、男かも人間かもすぐには判別出来ない有り様だったからこその絶叫なのだが。

 七人の男たちは、失踪した木こりの成れの果てであった。
 彼らの身体は既に黒く朽ち果てかけており、意思もなく 操り人形のようにフラフラとしている。不思議なのは肉体が腐敗しているわけでは無いということだ。

 もっとも、この場でそれを気にしている者はいないが。

「なんだよこいつらあああああ!!!ベスレ!!!ベスレッ!!??」
 立てないでいるエパテヴィーロは必死に這いつくばってベスレの足へとしがみついた。見上げると、彼女は全く取り乱す素振りを見せない。しかも目には光りが無く、生気を感じられない。
「べ、ベスレ……!?どうしてそんな落ち着いてるんだ!?スルア!?スルアさん!!??」
 明らかに様子のおかしいベスレからスルアへと視線を替え助けを求めようとする。ちょうど、スルアが傍までやってきていた。そしてエパテヴィーロを立たせる。
「皆さん、手伝ってください」
 すると七人の朽ちた木こり達は動き出し、ベッドの傍にいる三人へと近づいてくる。
「ひぃいいいいいいいいいいい!!!!な、なんだよこれは!!!一体何がしたいんだ二人とも!!!おい!!!おおおおおい!!!」
 朽ちた木こり達の力は異常に強く。エパテヴィーロは立った状態で身動きができないように押さえつけられた。
 背後から両肩を押さえるのに一人。
 右腕を押さえるのに一人。
 左腕を押さえるのに一人。
 右足を押さえるのに一人。
 左足を押さえるのに一人。
 残った木こり二人は、ベスレとスルアの指示に従うために脇で控えている。
 木こり一人の力でさえ尋常でないのに、五人がかりで全身を掴まれていてはエパテヴィーロに脱出する術はもう残っておらず、ただ巨木に潰されるような圧力を感じながら、ひたすら怯えるしかなかった。
「な、なななな、ななにを、する気なんだ!!?何がしたいんだよベスレえええええええ!!!」
 
「ねえ。エパ」

「な、なんだよベスレ」

「ザックの死体が、どんな風だったか、知ってる?」

「ざ、ザック??ザクムートがどうしたんだ?ひ、酷い事になってたって。き、君はどうしてそんなにザクムートの事を」

「エパは見てないんだ?」

「そりゃ処刑なんか見に行ってないし!晒されてる広場にだって近づかないように!」

「そっか……。じゃあ、わたしがおしえてあげるね」

「な、に?」

 隣にいるスルアが鋭いナイフを取り出す。それだけじゃなく、鋏やら、処刑用の大斧まで部屋の何処からか持ちだして来ている。

「う、うそ、嘘だろ……??」

 用意された鋏を手に取るベスレを見て、エパテヴィーロは背筋を凍らせた。そして子供のようにべそをかき始めた。 ザクムートの死に様を知らない彼でも、これから自分がどうなるのかは容易に想像できたらしい。 

「ザックはね、最初にココを切り落とされたんだって」

 スルアによってズボンを下げられ、露わになったエパテヴィーロの下半身。ベスレはそこに張り付いている情けなく縮こまった一物を鋏でつつく。

「ッハァッッッッーーーッ!!!!」

 空気を吐くのか呑むのか分からなくなるほどパニックに陥ったエパテヴィーロの声なき絶叫が暗闇に沈んでいく。恐怖を紛らわす為か、彼は顔をぐしゃぐしゃにしてブツブツと呟き続けた。

「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……」
 
「わたし、ザックにあやまりにいったの」

「嫌だ嫌だ嫌だ……」

「ザックはね、わたしのことはたすけてくれるって」

「嫌だぁ……ぁぁぁ……」

「そのかわり、ぼくのむねんをはらしてくれって」

 ベスレの持つ鋏が大きく開く。

「嫌だぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

 ゆっくりと、確実に、皮膚と肉とを断ち切り、エパテヴィーロの局部が睾丸とともにポトリと落ちた。
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