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第二章 閉じた未来

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 雅文は言葉を選びつつ、静かな口調で話を続けた。

「事態が落ち着いたらで結構ですが、私を当初の予定通りにゼノングループの社員としてしばらく勤めさせてください。何の経験も持たないままで大学を出たばかりの私が、優秀な周囲の方々と経営に携わることなどできません。何とか自分がものになるよう、是非それなりの経験を他社で積ませていただきたいのです。少しでも自信をつけた後、改めて皆様のご期待にふさわしい立派な人物になれるよう、ご指導をお願いしたいのですが」

 おやおやとでも言いたげに大叔父が両方の眉尻を上げる。雅文はまっすぐ目を向けた。

「期間はどれだけでもかまいません。決められた時間の間、精一杯自分の役目を務めさせていただきます。どうかよろしくお願いします」

 深々と頭を下げる。
 真摯な──消極的だった雅文としては決死の覚悟の訴えに、多分気迫さえ覚えたのだろう。口元に小さく笑みを浮かべて真太郎はソファから体を起こした。

「なるほどな。お前の言いたいことはわかった。話の内容もまあ、筋が通っている。……とりあえず事が落ち着くまではお前はここで待機しろ。後のことはまた連絡させる」

 大きな手を前で組み、そばにひかえていた青柳を見やる。

「これで私は社にもどる。車を用意させてくれ。夜には全員そろうだろうから取締役会の準備を頼む」

 横で静かな気配が動き、開かれたドアが閉まる重い音がした。真太郎は皮張りのソファに体を預けて息を落とした。

「今年の春には、私も少しは楽になると思ったんだがな」

 眉間に深くしわを寄せる。

「善之も何とかものになりそうで任せられることも増えて来た。次の跡取りもできたことだし、やっと落ち着くかと思ったが……またこれか。もう私には時間がない」

 まるで老いの繰り言のような、偉大だったはずの大叔父に全く似合わないつぶやきに、雅文はまなじりを見開いた。そして目の前にいる人物が、とうに喜寿の祝いを済ませた老人であることを知る。

 舶来物のスーツが似合うがっしりとした体つきではあるが、短く刈った頭は地肌が透けるほど白くなっていて、顔に刻まれた深いしわは疲れを色濃く見せていた。
 真太郎は雅文を見やるとわずかに苦笑して言った。

「見ての通り、私も年だ。あまり認めたくはないが、体の方が言うことを聞かん。──どうやらお前もそれなりにこの家のことを考えているようだし、少しは手を貸してくれ」

 雅文は一瞬、息が止まった。今漏らされた大叔父の思いが本当に心からの物ならば、それは都内で続くはずだった順風満帆な生活が、根底から崩れ去ることを意味していた。

──もうこれ以上考えたくない。

 雅文は心中で首を振った。頭上におおいかぶさって来る大波のような災いが、今にも自分を飲み込もうとしていた。
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