【完結】インキュバスな彼

番外編１ 溺愛は初生け式の後で

１．

　走り去るタクシーを見送った後、みのりは大きくため息をついた。晴れ着姿の自分の横に長身の彼が立っている。
　日ごろ落ち着いた彼の横顔は、今は不機嫌そのものの難しい表情を作っていた。気まずい思いをかかえつつ、ぼそぼそと彼にたずねてみる。

「えーと、おばさんとおじさんは？」
「親父は休日出勤で、母さんは友達と出かけてる」

　言葉少なに返事をした後、鍵を取り出して門を開く。
　敷地へ入る制服姿の広い背中をながめると、みのりはしかたなく後を追った。なれない草履をあやつりながらでどうにも歩みがおぼつかない。

　みのりが降ろされてしまった場所はやはり彼氏の家だった。いつもは周囲への気づかいを忘れない、優しく思いやりを持った彼だが、どうやら今日は彼を本気で怒らせてしまったらしい。

──何もそんなに怒らなくても。

　みのりは困惑しながらも、晴れ着のすそをふまないようにあわてて彼について行った。

　　　　　＊
　
　年末の花屋はいそがしい。

　クリスマス仕様のアレンジづくりから一気に繁忙期が始まって、市場で仕入れた松や千両で店舗の在庫は倍になる。ポインセチアやシクラメンでせまい店内はあふれかえり、商品管理がてんてこまいだ。
　そして、クリスマスのかざりつけが終わると新年を迎える準備になって、商品は和風に激変する。イブのかざりは二十五日から現金なくらいに正月用になるため、脳汁が出そうないきおいで店のディスプレイを切り替えるのだ。

　それにつらなる生け込みの注文や、年末年始向けのお稽古が店のいそがしさに輪をかける。鬼の形相の母親に朝から晩までこき使われ、冬休みなのに娘のみのりは彼氏と出かける暇もない。
　それどころか彼女のあおりをくらって雄基まで手伝いをさせられた。イブなのにジャージと軍手姿の彼女と松を運ばされ、正月用のアレンジづくりだ。
　優しい雄基は今までもいろいろと手伝ってくれていたが、みのりの彼氏になった今年は完全に身内とみなされた。貴重な男手の一人として、ともにこき使われてしまったのだ。

　彼女と初めてのイブなのに、松脂だらけの指先で仕事のあいまにケーキを食べる。みのりは慣れているからいいが、世間一般からすれば涙が出るほどひどい仕打ちだ。花屋の息子のはずの兄貴は初めてできた彼女に浮かれ、下宿先から帰りもしないのに。

　それでも雄基は何も言わずに一緒に年末を乗り越えてくれ、みのりは心の広い彼氏にあらためて感謝したのだが、今回あった出来事ばかりはさすがに看過できなかったようだ。