【完結】優等生の幼なじみは私をねらう異常者でした。

小波0073

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番外編1 柳沢笑香の完璧な恋人

59.懐古八景 19

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 その桜田の行きつけの店には人が出入りする場所が二つあった。一つは客用にしつらえてある広い出入り口であり、もう一つは古い灯篭の陰に目立たないように隠れている、従業員用の板張りの引き戸である。

 史郎は客の列に並ばず、なぜか従業員用の出入口へと足を向けた。直接調理場に続いているらしい小さな戸口の中からは、天ぷら油の濃厚な香りが周囲へ流れ出している。
  辺りに漂う香ばしい匂いに、結局食べ歩きをし損ねた笑香は十分に食欲をそそられた。

 開け放された引き戸の向こうで誰かが動いているのが見える。ステンレスの容器に入った何かを運ぶ小柄な女性が、短いのれんの下から見えた。使い込まれた白衣姿のベテランらしい年配の女性だ。
 彼女は戸口へと近づいて来た史郎の気配に気がついた。かがめていた腰を上げ、どこか不審そうな顔つきで目の前に立つ史郎を見上げる。

「……支倉さん」

 史郎はおだやかな口調で言った。

「お久しぶりです。僕です。史郎です」

 女性は大きく口を開け、仰ぎ見るように史郎を眺めた。

「えっ? ──しろうくん?」

 声を上げたその女性は、健康そうな赤い頬をさらに紅潮させてたずねた。

「ええっ、本当に史郎君!? ……まあ、大きくなっちゃって……! ほんとうに? あらあ」

 その大げさな言い方には、驚愕と喜びが交錯していた。口に小さな手を当てて、たれ目がちの目尻をさらに下げながら、史郎の姿を凝視している。見る見るうちに目が赤くなり、次第に潤んでいく様子が、背後で二人を見守っていた笑香にもうかがうことができた。

「そうそう、電話でも始めは誰だかわからなくって。お葬式で会った時、湯浅君にも聞いたのよ。史郎君はどうしてるかしら、って。そうしたら今度帰って来るって言うからうれしくなっちゃって──」

 そこまで続けざまに言葉を並べ、史郎を追って後ろに立った笑香にも気づいて目を丸くする。

「あらあら、女の子も一緒なの? まあ!」

 史郎は苦笑しながらも、背後の笑香を振り返った。

「……笑香。支倉さん。僕が言ってた、あの、昔お世話になった……」

 史郎に声をかけられて、笑香はあわててお辞儀した。

「柳沢笑香です。あのう、史郎君がお世話になって……」
「えみかちゃん? ──笑香ちゃんって、もしかしてあの笑香ちゃん?」

 初めて会った人物になぜか親しげに名を呼ばれ、笑香はぱちくりとまばたきした。
  支倉はそのまん丸い顔に、満面の笑みを浮かべて言った。

「ねえ、これから食べて行くんでしょ? ちょっと並ぶけど、待っててちょうだいね。今日はそんなにお客さんがいないから」

 何となくもっと年のいった、静かな雰囲気の老女をイメージしていた笑香は、想像よりもはるかにパワフルで押しの強そうな支倉の印象に、始めは圧倒されていた。だが、幼い頃は割と引っ込み思案だった史郎には、逆にそれが良かったのだろう。この面倒見のよさそうな女性があれこれと彼の世話を焼き、話を聞いてくれたのだ。
 台所に立った支倉が、食が細かった史郎に無理やり食べ物を押しつけている姿さえ想像できて、笑香は思わず微笑んだ。
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